『原作』では、虚空爆破事件が起こっている時期の事。茹だるような真夏日にも、ブルースクリーンみたいな空は変わらない。
陽向の近辺で変わった事といえば、あの日から御坂美琴と知り合いになった事と、上条当麻との遭遇率が二次関数グラフみたいに跳ね上がった事くらいである。それが恐らくはこれからも上昇し続けるだろう事が、陽向は何より面倒だった。
しかし目下の問題としては、目の前に転がる白いシスターが一番の面倒事である。
表通りから一つ細い路地に入っただけの、人気のない道にその少女は倒れ伏していた。その体が僅かに上下する事から生きてはいるのだろうが、こんな場所で倒れるくらいだから体調は万全でないのだろう。
そう、お腹が空いている、とか。
その外見のインパクトから思わず足を止めてしまった陽向だったが、数秒後には自分の行動を全力で後悔する事となる。
少女の指がぴくり、と動いたかと思うと、その銀髪シスターはがばりと顔を上げて、言った。
「おなかへった」
その顔に陽向は見覚えがあった。あるどころではなかった。
どこで見たのか。答えは『原作』である。
――――なんと陽向は、この世界の主人公よりも先に、
「わあ……!」
所変わって、陽向とインデックスはファミレスに来ていた。
あれから例の上目遣いで、おなかへったんだよ?と言われてしまった陽向は、とんでもない厄介事の気配を感じながらも、その子羊のような瞳に負けた。敗北してしまったのだ。
敗者となった陽向は、処刑を待つ罪人のように項垂れる事しかできない。その目の前で、インデックスは様々なメニューに目を輝かせていた。
「これ、なんでも頼んじゃっていいの……?」
インデックスが、ふと顔を上げた。口元にメニュー表を当て、軽い上目遣い。計算しているのかと疑いたくなるその仕草に、陽向は思わず無表情になった。
「あー……一万円以内でね」
されど敗者に抵抗する権利などなく、陽向は財布の中身を鑑みて妥協案を提示した。
「うん!わかった!」
満面の笑みと素直な返事。これだけ見れば至って年相応の少女であり、魔導書図書館だとか
「(でも……実際、そうなんだよなあ)」
陽向は前世からインデックスの事情を知ってしまっている。だからこそ――――彼女自身の口から、それを語らせる訳にはいかなかった。
恐らくその事情を聞いてしまえば、生粋の巻き込まれ体質である陽向は十中八九彼女に深く関わる事になる。そんな事になれば原作崩壊どころか、アレイスターのプランとやらに抵触する異端分子として排除される可能性すら出てくる。そうまでして死ぬ訳でもない人間を助けたいと思うほど、緋乃陽向はお人好しではなかった。
どうせ自分がわざわざ出張らずとも、数日後には
そう陽向が結論付けたちょうどその時、メニューとにらめっこしていたインデックスが顔を上げた。
「ひなた!これがいいんだよ!」
その無邪気な笑顔に、僅かばかりの良心が傷んだような気がして、
「うん、じゃあ注文するね」
やはりそんなのは気の迷いだと、陽向は笑顔を貼り付けた。
そう、これでいい。深く立ち入っては互いにとって良くない。
そう、思っていたのだが。
「ここには魔術はないの?」
……このシスター、科学サイドの一般学生である陽向に、魔術サイドの情報をペラペラ喋る。
あり得ない。だが『原作』でも、迷惑をかけないと心に決めていたはずの上条当麻に、魔法名やら
もしかしたら予想以上にこの少女は口が軽いのかもしれない。関わらない事が思ったより難しいミッションになりそうで、陽向は頭痛を覚えた。
「……ま、じゅつ?さあ……ないと思うよ?」
あくまでも無知。自分は無知な幼女自分は無知な幼女……と暗示のように言い聞かせる。本当は前世の記憶を抜きにしても魔術の知識はあるのだが、そんな素振りを見せれば一発で終わる。
そんな陽向に、目の前のシスターはオムライスを頬張りながら告げた。
「そうなんだ……この街、教会も見当たらないし、魔力の気配がそもそも薄いかも」
魔力って。
絶対に魔術を知らない人間の前で言っていい事ではない。この腹ペコシスターはそんな事も分からないのだろうか。
「(……いや、本当に分からないのか)」
彼女は魔術により記憶を消されている。例の魔導書十万三千冊以外の記憶を。きっと消された記憶の中に、魔術サイドの人間としての常識もあったのだろう。
目の前の少女が改めて哀れになって、けれど陽向は素知らぬふりを続けた。
「……?教会に行きたいの?」
我ながら流石にこれはないかと思ったが、インデックスは今度はデザートのパフェに夢中らしい。
「うん……教会に行けば、保護してもらえるはずだから……」
どこから食べるか迷いながら、まるで独り言のように呟くインデックス。その言葉に突っ込まないのは不自然だろうかと思いつつも、陽向はあえてスルーした。
「ふーん……?だったら、この街の外に出た方がいいかもね。ここにはあんまり宗教関連の施設はないから」
端から聞くとまるで成り立っていない会話。それに対するツッコミさえ放棄して、陽向は半ば自棄になって微笑んだ。
「そうなの?」
どうやら上から順に食べる事にしたらしく、インデックスはパフェのアイスをつつきながら顔を上げた。
「うん。外まで案内してあげようか?」
陽向の言葉は嘘であった。心優しい少女が、自分を巻き込む事を恐れて断るのを見越しての、真っ赤な嘘だった。
そして、予想通りにインデックスは首を振った。
「……いいや。ひとりで大丈夫かも」
いつの間にやら食べ終えていたパフェの器を置き、インデックスは窓の外をちらりと見る。
その視線につられないようにしながらも、陽向は魔術の気配を感じていた。超能力者には魔力を練ることはできないが、練れなくても魔力を感じる事はできる。
きっと、これは
白昼堂々仕掛けてくる事はないだろうが、人払いのルーンが存在する以上、油断はできない。そんな状況で心優しい少女は、陽向を、一飯の恩のある相手を巻き込むまいと、席を立った。
「じゃあ、私は行くね。ごはんありがとう!」
「うん、……じゃあ、縁があれば、またね」
それも嘘だった。陽向には、これ以上主人公達に関わる気など更々なかった。
それに気付く様子もなく、インデックスは笑顔で手を振り、建物の外へと走っていった。
嘘吐きな陽向と、優しいインデックス。すれ違った二人の出会いは、ここに終わりを告げた。
「……っあー……」
インデックスの姿が消えた途端、陽向は全身の力を抜いてテーブルに倒れ伏した。
やった。やりきった。やり遂げた。乗りきったのだ、あの状況を。巻き込まれる事なく。
「……はは……」
奇妙な達成感が、雀の涙程度の罪悪感を伴って沸き上がり、陽向は乾いた笑いをこぼした。
自分が望んでやった事だ。この方が、互いにとっても良かったんだ。何より、全てはもう過ぎた事。今更何を思っても変わらない。
だから、陽向は一つだけ呟いた。
「あのシスター、食べるの早すぎだろ……」
たった十分ほどでサラダからデザートまで食べ尽くした少女の未来の