真霜の手配により、宗谷家からの信認が厚い病院へと入院する事になった葉月。
みくらの医務室で打たれた鎮静剤から目が覚めた葉月は看護師に此処が何処なのかを尋ねる。
すると、看護師の口から意外な場所の名前が出てきた。
「横須賀よ‥‥此処は横須賀の氷川病院‥‥」
「横須賀?」
自分は確か大西洋に居た筈‥‥
それが何故、日本の横須賀に‥‥?
突然自分の性別が変わった事と言い、大西洋に居た筈の自分が何故、横須賀に居るのか?何が何だか分からなかったが、葉月にとってはそんな疑問はもうどうでもよくなった。
自分は大勢の仲間を失い、一人生き恥を晒してしまった死に損ないだ。
葉月はそれ以降まるで生きる屍の様になった。
みくらの医務室にて自殺未遂を起こした為、病院のガードマン、医師、看護師が頻繁に葉月の病室を巡回し、異常がないかを確認するが、今のところ、葉月が自殺をするような事はなかった。
真霜は病院の葉月の身を案じ、ほぼ毎日病院へ確認の連絡を入れている。
医師によると、自殺の様な行動は見られないが、食事は一切取らず、点滴のみを受けていると言う。
真霜が葉月の身を案じているそんな中、真霜は自身の妹であり、宗谷家の次女、宗谷真冬から通信を受けた。
「どうしたの?真冬」
「ああ、姉さん。なんでもつい最近、小笠原でデカイ不明艦を見つけたんだって?」
真冬も真霜や福内、平賀らと同じブルーマーメイドに所属していたので、小笠原諸島に現れた不明艦についての情報をどこからか得ていた様だ。
「え、ええ‥でも、どこからその情報を?」
「私にもそれなりの情報筋があるんだよ」
「そう、でもあまりその不明艦に関しては言いふらさない方が身の為よ」
「それぐらいは分かっているよ。ただ、気になったからこうして真霜姉さんに直接聞いているんだよ」
「現在調査中よ、それ以上は詳しく言えないわ」
「じゃあ、乗員は?どんな奴なんだ?」
「それに関してもノーコメントよ」
「そ、そうか‥一目会ってみたかったな‥‥」
「会ってどうするのよ?」
「そりゃあ、私好みのいい娘だったら、気合を注入してやらないと」
通信画面越しに真冬は手をワキワキと怪しい動きをしながら言う。
真冬の気合注入方法‥それは相手の尻を揉みしだく行為なのを当然、真霜は知っていた。
そんな事を今のあの娘(葉月)にさせてはならないと真霜はそう思い、呆れながらも真冬には不明艦の乗員に関してはノーコメントを貫いた。
真冬との通信を終えた真霜は席を立ち、葉月が入院している病院へと向かった。
真霜が葉月の身を案じているのと同じ様に福内と平賀の二人も葉月の身を案じていた。
みくらが不明艦の曳航後、定期検査のためドック入りとなったので、福内と平賀の二人は、葉月が入院している病院へと見舞いに来た。
病室の前に居るガードマンに身分証明書を提示し、病室の中へと入ると、ベッドの上には、憔悴しきった葉月の姿があった。
「「‥‥」」
その痛々しさに福内と平賀の二人は絶句した。
二人は医師に葉月の普段の様子を尋ねると、葉月は食事も一切摂らずに点滴のみで、昼夜ずっと病室に閉じこもりきりだと言う。
そこで、福内と平賀の二人は車椅子を借りて来て、葉月を強引に車椅子に乗せると、散歩に連れ出した。
病院内で車椅子を押す平賀とすぐそばで心配そうな表情で歩く福内。
葉月の目は虚ろで周囲が見えていない様だが、耳は周りから聞こえてくる日本語を拾っており、葉月はおぼろげながらも此処が日本なのだと思い始めた。
中庭へと出ると、そこから港が見えた。
カモメの声や船の汽笛が聴こえ、海には教育艦を始めとし、大小様々な船舶が見える。
港の様子、船の姿を見て葉月の目にはわずかに光が戻った。
その様子を見て、福内と平賀は葉月の回復の兆しを垣間見た様な気がした。
病院内の敷地を粗方散歩した福内らは葉月を病室へと戻そうとし、ロビーを歩いていると、
「貴女達何をやっているの?」
車椅子を押す平賀の姿を見つけた真霜が声をかける。
「む、宗谷一等監察官。こ、これはですね、一種の気分転換といいますか‥‥」
福内が真霜に説明するが睨みを効かせる真霜相手にどうもうまく説明が出来ない。
兎に角、病院のロビーでは話す事も出来ないので、皆は葉月の病室へと移動した。
病室に移動した後、真霜は葉月に自己紹介した。
「はじめまして、遭難者さん。私は宗谷真霜、海上安全整備局、安全監督室室長を務めているわ」
「‥‥」
真霜の自己紹介でも、葉月は無反応であった。
しかし、真霜は想定内だと言う確信と共に、形式的な質問を繰り返す。だが、どの質問に対しても葉月は無言のまま‥‥
その態度に真霜の機嫌がどんどん不機嫌なモノへと変わっていくのを福内と平賀の二人は感じ取った。
不機嫌な真霜を前に震える福内と平賀。
やがて、
「ああ、もう!!そんなに死にたいならさっさと死ねば!!ほら、これを貸してあげるわよ!!」
そう言って真霜は一丁の自動拳銃を葉月の前に放り投げる。
「なっ!?」
「っ!?」
真霜のあまりにも乱暴で彼女らしくない言動に絶句する福内と平賀の二人。
葉月の虚ろな目の視界が、自分の目の間に放り投げられた自動拳銃が入る。
そして、葉月はおもむろにその自動拳銃を手に取ると、自らの蟀谷にその銃口を当てる。
福内と平賀の二人が葉月を止めに入ろうとすると、真霜は手で二人を止めた。
(な、何故止めるんです!?宗谷一等監察官!!)
(もし、彼女が自殺すれば、宗谷一等監察官の責任問題に発展するんですよ!!)
小声で真霜に何故この様な事をするのかと問う福内と平賀の二人。
(いいから黙って見ていなさい)
真霜には何らかの確信があるのか、二人に黙って見ていろと言う。
福内と平賀の二人は真霜の言葉を信じつつも心配そうな表情で拳銃を持った葉月を見る。
自動拳銃を持つ葉月の手はカタカタと震え、なかなか引き金を引かない。
みくらの医務室にて自殺未遂を起こし、今も憔悴しきっている葉月であるが、先程平賀たちと院内を散歩して、周りの風景を見る程の余裕は無かったが、聞こえて来たのは紛れもなく日本語‥‥
その事実が、此処が改めて日本なのだと実感させる。
もう、二度と踏む事は無いと思っていた故郷日本‥‥
葉月の中で郷里愛が戻り、自殺を思い留まらせているのだ。
銃口を蟀谷にあて、後は引き金を引けば簡単に命を絶つことが出来るのに、引き金が引けない。そして、銃口を押し当てている葉月の脳裏に再び走馬燈の様なモノが蘇る。
その中には当然、許嫁の彼女の姿も映った。
そして、上司である大石元帥の訓示も聞こえて来た。
「うっ‥‥あっ‥‥」
葉月の目からは無意識なのか涙が流れ始め、手に持った自動拳銃はするりと葉月の手から離れ、ベッドの上にポトッと落ちた。
「‥‥な‥‥さい‥‥」
すると、葉月はポツリと言葉を発し始めた。
満足に水分補給をしていないせいか声はかすれた様な声であるが、それでも真霜にはしっかりと葉月の声が聞こえた。
「‥‥ごめ‥‥さい‥‥いき‥‥て‥‥生き残って‥‥ごめんなさい」
拳銃を落した葉月は両手で両目を覆い泣き始める。
「「っ!?」」
「‥‥」
葉月から発せられた言葉は福内と平賀の二人も聞き取れ、その内容に目を見開く。
そんな葉月に真霜は近づき、葉月を優しく抱きしめた。
「そんな事ないわ‥‥生き残ってくれてありがとう‥‥」
そして、葉月にそっと呟く。
真霜の呟きを聞き、葉月の涙腺は決壊し、
「う‥うわぁぁぁぁー!!」
葉月も真霜を抱きしめながら大声をあげて泣いた。
二人の様子は、生き別れとなった姉妹の再会の様にも見え、福内と平賀の二人も思わず涙ぐんだ。
一通り、泣きはらした葉月の目には漸く光が灯り始めていた。
「‥‥ご迷惑をおかけしました」
此処で漸く葉月がまともに真霜達に口をきいた。
その様子にホッとする真霜達。
生きる気力を取り戻したのであれば、葉月はこの先、自殺をする事はないだろうし、食事もきちんと摂ってくれるだろう。
真霜達は今日の内は、このまま帰り、事情聴取は後日と言う事になった。
「あ、あの‥‥」
真霜達が病室を出る直前、葉月が真霜達に声をかけて来た。
「ん?何かしら?」
「‥‥に、荷物は‥‥自分の荷物は‥‥どうなりましたか?」
「多分、貴女が乗っていた艦の中にあるんじゃないかしら?」
「何か大切なモノがあるんですか?」
「は、はい‥‥出来れば、すぐにでも引き取りたいのですが‥‥」
「分かったわ‥それはこちらで手配しておきましょう」
真霜は葉月の頼みを快く了承してくれた。
「ありがとうございます‥‥もし、あるとしたら、『航海長補佐室』と言う部屋が自分の部屋ですので‥‥」
「ええ、分かったわ」
そう言って真霜達は病室を後にした。
病室を出て玄関口を目指している中、
「でも、さっきのやり取りは、ホント心臓に悪かったですよ」
「そうですよ。もし、彼女が引き金を引いていたらどうするおつもりだったんですか?」
福内と平賀が先程の真霜と葉月の病室でのやり取りに関して、アレはかなり危険なやり取りだったという。
「ああ、アレね‥大丈夫よ。例え引き金を引いても彼女は死ななかったわ」
そう言って先程、葉月に放り投げた自動拳銃の弾倉(マガジン)を見せると、其処には弾は装填されていなかった。
「ブラフ‥ですか?」
「流石に自殺幇助なんてしたら、私一人の責任じゃすまなかったし、母さんにも大迷惑をかけるしね」
真霜は福内と平賀にウィンクしながら言って、福内と平賀は「この人には敵わないな」と思った。
その後、真霜は大型船ドックへ連絡を入れ、現地へと赴き、葉月の言った航海長補佐室を調査した結果、灰色の小さなトランクと焦げ茶色の大きなトランクを見つけた。
不明艦調査の折、真霜は乗員区画においては、部屋を一見し、乗員がいないか確認だけにとどめる様に乗員の私物に関してはそのままにしておくようにと指示を出していた。
あり得ないと思うが盗難防止を考えての処置であった。
ブルーマーメイドが他船の乗員の私物を窃盗だなんて、大スキャンダルになりかねない事態だからだ。
よって葉月が言っていた様に航海長補佐室には葉月の私物と思えるトランクがこうして残っていたのだ。
(あの娘が言っていた荷物はコレね‥‥)
真霜はそれらのトランクを持って行った。
翌日、真霜、福内と平賀の三人は再び葉月の病室を訪れた。
その際、真霜は昨日葉月に頼まれた荷物を持参して来た。
医師の話では、昨日の夜から漸くまともに食事を摂ってくれたらしく、病室の葉月は昨日よりも血色が良さそうであった。
「はい、コレ‥‥貴女の部屋にあった荷物よ」
真霜は灰色のトランクを葉月に渡す。
「ありがとうございます」
葉月は真霜に礼を言ってトランクを受け取る。
「それ、中に何が入っているんです?」
平賀がトランクの中身を聞いてきた。
「この大きなトランクには服や本とかが‥それでコッチは‥‥」
葉月が言うには焦げ茶色のトランクには着替え等が入っており、続いて葉月が灰色のトランクを開けるとその中にはコーヒーサイフォン一式とコーヒー豆を挽く手挽きミルが入っていた。
「何ですかこれ?理科の実験道具ですか?」
コーヒーサイフォンを知らない平賀は頭の上に?を飛ばしながら、何なのかを聞く。
「これは、コーヒーサイフォン‥コーヒーを淹れる為の道具です」
「ええっ!?これでコーヒーが出せるんですか!?」
「は、はい‥‥」
「でも、なんでコーヒーサイフォンが?」
福内が何で軍艦にコーヒーサイフォンを持ち込んでいるのか疑問に思い葉月に尋ねる。
「自分の上官がコーヒーを淹れるのが物凄く上手い人で、自分は将来、許嫁と祝言をした後、喫茶店をやりたくて‥‥その方からコーヒーの淹れ方を教えて貰っていて‥‥このコーヒーサイフォンもその方から頂いた大切なモノなんです」
葉月は愛おうしそうにコーヒーサイフォンをトランクから取り出し、手で撫でる。
その様子から葉月がこのコーヒーサイフォンを大切にしているのが分かる。
コーヒーサイフォンをトランクへそっと戻し、真霜達は葉月への事情聴取へと取り掛かった。
「では、改めて‥私は海上安全整備局所属、安全監督室 情報調査隊の宗谷真霜よ」
「同じく海上安全整備局所属所属、インディペンデンス級沿海域戦闘艦みくら艦長の福内です」
「海上安全整備局所属所属 安全監督室の平賀です」
真霜達は葉月に自己紹介を行う。
葉月は真霜達の所属に関して聞いたことのない組織に戸惑いつつも、
「大日本帝国海軍中佐 旭日艦隊所属 戦艦天照航海長補佐の広瀬葉月です」
葉月も真霜達に自己紹介をする。
葉月が真霜達の所属に疑問を感じたのと同じく、真霜達も葉月の所属を聞き、疑問を抱いた。
(大日本帝国海軍?それってずいぶん昔に解体された組織じゃない)
(中佐って、旧軍の階級よね?)
(旭日艦隊ってなに?)
(む、宗谷さん、この娘、軍事マニアか何かかしら?)
福内が真霜に耳打ちする。
(い、いえ‥この娘の様子から、嘘を言っている様には見えないけど‥‥)
(でも、旧軍では、女性は軍人にはなれなかった筈では?)
一方で葉月の方も、
(海上安全整備局?そんな組織聞いたことがないぞ‥日本を留守にしている間に新たに新設された組織なのか?でも、女性の艦長なんてよく採用されたな‥‥)
互いに疑問を抱きながらも事情聴取は始まった。