アメリカ海軍から強奪された新鋭艦による襲撃事件の調査の為、調査船と共に出航した櫛名田。
しかし、強奪艦の目標は調査船ではなく、櫛名田だった。
非武装の調査船ではなく、何故武装した櫛名田を襲って来るのか相手の目的は不明であるが、このまま何もせずに撃沈されるわけにはいかない。
だが、強奪艦はかなり優秀なステルス機能を有していた。
それらの事から櫛名田は今、逃げに徹して調査海域の近くで発生した低気圧の中へと入る。
当然、櫛名田を撃沈、もしくは拿捕しようとしている強奪艦も追ってきた。
しかし、優秀なステルス機能を有している新鋭艦も荒天の中ではその優秀なステルス機能も役には立たず、今は機能を停止して航行機能を優先している。
そのおかげで櫛名田は強奪艦の姿形、位置を特定することが出来た。
「針路はこのままを維持‥荒天を脱出しだい、敵艦を迎え撃つ」
もえかはこの低気圧を脱出しだい、強奪艦と戦闘を行うと言う。
「荒天を脱し、敵がシステムを再構築する前が勝負‥‥各員、戦闘配置!!」
「ま、まて、艦長」
そこへ葉山が待ったをかけた。
「なんですか?葉山法務官」
「相手はアメリカ海軍の最新鋭艦だ。そんな艦を傷つけたら、国際問題になるんだぞ!!分かっているのか!?」
「強奪艦の対処を何とかしろと仰ったのは法務官の方ではありませんか」
此処に来て葉山は強奪艦を傷つけるなと言う。
「そ、それはそうだが、此処は無用なリスクは負わず、やはり撤退をするべきだ」
葉山としては自分がいないときならば、強奪艦を撃沈しても構わないが今回は自分が乗っているので、それを見送れと言う。
彼の誤算はもえかが強奪艦を本気で攻撃しようとしていた事だった。
強奪艦を前にその艦の実力を見せられれば恐れをなして逃げるかと思っていた。
尻尾撒いて逃げて、このいけ好かない女艦長に嫌味を言い、今回の件での弱みを握り、もえかを愛人にでもしようと思っていた葉山。
だが、もえかは葉山の考えとは180度異なり逃げるどころか荒天を脱出しだい、強奪艦に対して攻勢する姿勢を見せた。
もし、此処で櫛名田が強奪艦を撃沈でもすればアメリカ海軍がクレームをつけてくる可能性がある。
何しろ、相手は試験艦とは言え、アメリカ海軍が多額の予算をかけて建造した最新鋭艦なのだから‥‥。
そうなった場合、勿論、艦長であるもえかにも責任が課せられるが、同時にその場に居た法務官にも責任が及ぶ。
葉山はその責任問題を恐れた。
これ以上、自分のキャリアに傷をつける事は許されなかった。
高校時代の時、葉山は両親からかなりきつくお説教をされ、もし今後葉山家の名前に泥を塗る事が有ればその時は勘当するとまで言われていた。
だからこそ、葉山はこれまで以上に責任やリスクを他人に押し付ける傾向を強くして今の地位に辿り着いた。
そして自分は間もなく、ブルーマーメイドの名門家である宗谷家の娘と結婚する。
宗谷家の娘と結婚できれば、ブルーマーメイド内での地位は確たるものとなる。
それをこんなつまらない任務で潰されてたまるか!!
葉山としては何としてでも強奪艦への攻撃を止めなければならなかった。
「今更何を言っているんですか!?」
「この荒天を利用すれば逃げ切れるかもしれないじゃないか。今回は撤退しろ!!」
「性能からして本艦が逃げ切れる保証はありません。でしたら、この荒天を利用して敵を沈めます。それ以外、本艦が生き残る道はありません!!」
「そんな考えは浅はかだ!!やってもいないのに決めつけるなんて‥‥それに有史以前の蛮族ならともかく、僕たちはもっと知的で政治的な判断をするべきだ!!」
「法務官、艦では艦長の下した決断に従うのが‥‥」
幸子が葉山を説き伏せようとするが、
「逃げきれないのであれば、交渉をするべきだ!!相手が金銭を要求するのであれば、それをのんでもいい!!その為の資金もちゃんと用意がある!!話し合えば相手も分かってくれる!!」
「バカな、テロリストと交渉をするつもりですか!?」
「相手がテロリストでも人間だ。人間が人間と交渉をして何が悪い!?」
「テロリストには譲歩しない。これは国際常識の筈です。法務官も法律のエキスパートならば、それぐらいはご存知の筈です」
「政治的手段を講じるのであれば、上層部、外務省を通じて行えば困難な事ではない」
「では、その場合法務官自身がテロリストと交渉をするのですよね?」
幸子がテロリストと交渉するのであればその交渉役は葉山がやるのかと尋ねると、
「何を言っている?この艦の責任者は艦長ではないか。当然その役は艦長の役割だろう?」
葉山はテロリストと交渉しろと言うが、その時の交渉役はもえかがやれと言う。
彼のあまりにも身勝手主張に艦橋員は皆、顔を顰める。
「相手はアメリカ海軍の新鋭艦を強奪する程のテロリストです。そんな連中が金銭だけを目的とするでしょうか?」
もえかはテロリストが金銭のみを要求するのかと葉山に問う。
「どういう意味だ?それは?」
「相手は当然、金銭も要求するかもしれませんが、本艦自体も要求する可能性があると言う事です。ですが、私には艦と乗員の安全を守る義務があります」
「ふん、テロリストがこの艦を欲しがるのであれば渡してやればいいだろう?たかが巡洋艦一隻で僕達の命が助かるなら安いものだろうが!!奪われても保険でまた新しい艦なんて幾らでも替えがきくじゃないか!!死んだら元も子もないんだぞ!!」
葉山のこの言葉に堪忍袋の緒が切れたもえかは、
「黙れ、ド素人が!!」
これまでにない怒声で葉山を怒鳴る。
その態度にもえかと付き合いの長い者達も今のもえかの態度には驚いた。
「海から逃げて、海賊の恐ろしさも知らない、状況も読めないお前の様な青二才はさっさと自分のオフィスに戻ってエロゲーでもやってマスでも掻いていろ!!」
「艦長がエロゲーって‥‥」
「マス‥って‥‥」
もえかの口から思わず出た下品な言葉に驚く幸子達。
そんなもえかの発言を聞き、葉山はフルフルと身体を震わせる。
もえかは葉山に言いたい事を言って彼から視線を逸らす。
「戦闘準備は終わった?」
「は、はい」
もえかが幸子に戦闘準備が終わったのかを訊ねていると、
ガチャ
もえかの後頭部に何か堅い鉄の様なモノが押し付けられる。
「‥‥」
幸子達はその光景を見て思わず目を開き、驚愕の表情を浮かべる。
しかし、もえかは動じる様子はない。
もえかの後頭部には拳銃が押し付けられていた。
銃を押し付けているのは勿論、葉山だ。
「さっきの言葉を取り消せ」
「血迷いましたか?法務官」
「うるさい!!法務官である僕に先程の屈辱的言葉は許せん!!」
「こんな事をしてタダで済むと思っているのですか!?貴方の行為はれっきとした反逆行為ですよ!!これはっ!!」
もえかに拳銃を突きつける葉山に向かって幸子は怒鳴りつける。
鈴は唖然としながらも艦が航行しているので舵から離れる事は出来ない。
「法務官である僕と一巡洋艦の艦長であるお前の証言‥‥上層部は一体どちらを信じると思う?」
「ならば、私を撃ちなさい‥‥ただその後、貴方はどうする?拳銃一丁で乗員全員を掌握できるとでも思っているの?」
もえかは振り向き、葉山と対峙する。
彼女の問いに葉山は息詰まる。
この拳銃に込められている弾丸は全部で八発。
そして替えのマガジンは持っていない。
もえかをこのままヘッドショットで殺したとして残りの弾数は七発‥‥
一人一発にしても櫛名田の乗員はそれ以上いる。
艦橋員全員を殺しては運行に支障が出る。
もえかの言う通り、拳銃一丁で、櫛名田乗員の全員を掌握は出来ない。
だが、此処まで来てはもう引くに引けない。
拳銃を握る葉山の手がカタカタと震えているのが見える。
ちっぽけなプライドで道を踏み外した葉山。
その間、もえかは幸子達にハンドサインを送っていた。
勿論、葉山はもえかのその行動に気づいていない。
「‥‥」
葉山とは異なり幸子はもえかのハンドサインに気づいていた。
彼女のハンドサインはバラストタンクを排水しろと言うモノだった。
現在、櫛名田は荒天を航行中で艦の重心を深くする為、両舷にある半潜航行用のバラストタンクには大量の海水が入っている。
もえかはそのバラストタンクに入っている海水を出せと言うのだ。
幸子はもえかの思惑を読み取り、葉山にバレない様にそっと航海計器の前へと移動する。
葉山の注意はもえかが引き付けてくれている。
そして、幸子はバラストタンクを排水するレバーを引く。
艦が揺れたが、それは荒天のせいだと葉山そう思い、バラストタンクの海水が排水されたのに気づかなかった。
しかし、次第に揺れが強くなり何かに掴まらなければ倒れてしまう程の揺れが櫛名田を襲う。
「ぬおっ!!」
「くっ」
もえかは手近の手すりに掴まり、転倒を免れるが片手に拳銃を持っていた事と突然の揺れでバランスを崩して床に倒れる。
その隙をもえか、幸子、内田、山下は見逃さずに一気に飛び掛かり葉山を取り押さえる。
収束バンドと縄で葉山の身柄を拘束し、内田と山下が船倉へ葉山を放り込んだ。
葉山を取り押さえるのと同時に再びバラストタンクに海水を注水して艦の安定を保つ櫛名田。
櫛名田にてまさか、法務官である葉山が一人で反乱を起こして鎮圧された事など知る由もない強奪艦のテロリストは未だに自分達が狩人であることを信じて疑わない。
強奪艦の艦橋にてその場に似合わない白いフードマントを纏った人物にテロリストのリーダーがコインを投げ、
「賭けをしないか?ラム」
床で回っているコインを拾い話しかける。
「この勝負に‥‥」
リーダーは手の中でコインをまるでペン回しをするかのような見事な指裁きでコインを弄り、最後は手品の様に手のひらからコインを消した。
「まぁ、貴様の薦めにより手に入れた艦だ。こちらに賭けたいと言うのが人情であるが、それでは賭けにならん。ヌハハハ‥‥ワシもこの艦に乗る全員も我々の勝利に微塵の疑いもないのだからな」
「‥‥」
リーダーからラムと言われた白いフードコートを纏った乗員の一人は、フード越しにリーダーを冷めた目で見ていた。
自信があるのは構わないが、今のリーダーは完全に慢心していた。
そんなリーダーの姿をラムはまるで見下した様に見ていたのだった。
櫛名田は強奪艦よりも先に荒天を脱し、横腹を荒天に横腹を見せるような位置で停止する。
航行中と違い、まして荒天に横腹を見せているこの状況で、櫛名田はバラストタンクとフィンスタビライザーでかろうじて船体維持を保っている状態であり、長くこのままの状態が続けば転覆の危険もある。
勝負は一度っきり‥‥一発で決まる。
「敵艦と邂逅との予想時間は?」
「192秒後です」
「測的、射撃管制準備よし」
「敵艦の予想針路が出ました‥‥しかし、二つあり、どちらから来るのは不明です」
CICから送られてくる情報が幸子のタブレットに転送され、もえかはタブレットに表示される強奪艦の予想針路を見る。
一つは風上から、もう一つは風下からのコースだ。
「‥‥」
予想針路をジッと見つつ、もえかは決断を下す。
「敵は風上のコースを通る筈‥‥」
「なぜ、そう言えるのですか?」
「櫛名田の行動を見て、相手は自分達が勝っていると慢心している‥‥そうした慢心している連中が用心深くパターンを外して裏をかくなんてまどろっこしい事はしない。それに相手はあの優秀なステルス機能を直ぐに再構築したい筈‥‥ならば、艦を風向きに対して立て少しでも早く艦の安定のため、セオリー通りの動きをする筈‥‥ン式弾発射準備!!」
櫛名田は着々と強奪艦を迎え撃つ準備を整える。
一方、船倉に放り込まれた葉山にも櫛名田が強奪艦との戦闘を準備している報告が艦内放送によって聴こえている。
「こ、これは‥僕の責任じゃない‥‥皆‥‥皆‥あの艦長の責任だ‥‥」
此処まで来ても彼は責任から逃れようと現実逃避していた。
そして、荒天から強奪艦も出てきた。
もえかの予想通りのコースを通って‥‥
「荒天を間もなく脱します。気象解析フェイズに移行中‥‥」
「最適化モデルを構築後、システムを再起動します」
「システム稼働まであと45秒」
「索敵レーダーが復帰次第、直ぐに噴式弾の発射準備に入れ」
「アイサー」
「この荒天を出たばかりだ。そう遠くへは逃げてはおるまい」
リーダーは、櫛名田はまだこの近海を逃げている判断している。
「‥‥」
しかし、ラムはその判断に懐疑的な視線をリーダーに送っていたが、ラムは敢えて何も言わなかった。
「さあ、狩りのクライマックスだ」
リーダーの興奮は最高潮に達している。
獲物をしとめるその瞬間が、何よりの興奮と気分を高める。
しかし‥‥
「予測海域区内に艦影を捕捉」
「気象、海象の影響でミサイルの命中率が20%ほど低下します」
「構わない。それで十分!!ン式弾撃ち方始め!!」
「撃ち方始め!!」
櫛名田の後部にあるン式弾の発射機から三発のン式弾が発射された。
「熱源探知!!敵の噴式弾です!!」
強奪艦のレーダーが櫛名田のン式弾を捉える。
「な、なに!?」
「敵艦、距離、5マイルの地点で停船しています!!」
「ば、バカな!?待ち構えていたと言うのか!?こ、こんな事‥ありえん!!この荒天の中、転覆の危険も恐れず、立ち止まっていたと言うのか!?」
「敵の噴式弾、本艦に着弾まであと20秒!!」
「迎撃しろ!!」
「ダメです!!測的不能!!」
「それに艦の安定が‥‥」
「いいから撃て!!」
強奪艦はミサイルではなく搭載している砲でン式弾を砲撃するが、何もかもが手遅れで、櫛名田のン式弾は強奪艦の左舷に二発、右舷に一発命中する。
「ン式弾、ターゲット上での爆発を確認」
「敵艦、航行不能に陥った模様」
「八木さん」
「はい」
「敵艦に降伏勧告を通達」
「了解」
八木が強奪艦に対して降伏勧告を送ると、強奪艦はすでに浸水し、航行不能となっていた為、強奪艦のテロリスト達はあっさりと櫛名田に降伏した。
強奪艦は沈んではいないが、大破、漂流中だったので、もえかは八木に援軍の要請もしてもらい、強奪艦を近くの港まで曳航してもらうように手配を取った。
テロリストの武装解除と身柄の拘束が終了し、援軍であるブルーマーメイドの艦艇が到着した事で、もえか達は漸く一息つくことが出来た。
新人の乗員の中には未だに興奮している者もいる。
「ふぅ~‥‥」
もえかは艦橋の椅子に溜息をつきながら座る。
「お疲れ様です。艦長」
そんなもえかに幸子はコーヒーが入ったマグカップを差し出す。
「ありがとう、納沙さん」
幸子からマグカップを受け取り、一口コーヒーを飲む。
そして、幸子もマグカップに口をつける。
「‥‥うーん‥やはり、先任の淹れたコーヒーにはまだまだ及びませんねぇ」
幸子は自分が淹れたコーヒーは昔、葉月が淹れてくれたコーヒーにはまだまだ味が及ばない事にがっかりした様子で言う。
「‥‥」
幸子が葉月の名前を出した事で、もえかも葉月の事を思い出す。
葉月はよくコーヒーサイフォンでコーヒーの研究をしていた。
自分も幸子も高校の実習中はよく葉月の淹れたコーヒーを飲んでいた。
あの味は今となっては懐かしい味だ。
「あの‥‥艦長‥‥」
もえかと幸子がコーヒーを飲みながら援軍の手によって曳航準備されている強奪艦を見ていると、幸子が徐にもえかに声をかける。
「ん?なに?」
「私、ブルーマーメイドに入ってからずっと先任を探しているんですけど‥‥先任‥見つからなくて‥‥」
「えっ?」
「艦長は先任の配属部署とか知りませんか?」
高校の実習の時、葉月がブルーマーメイドに所属している事は聞いていたが、どの部署に所属しているかは聞いていなかった。
その為、幸子はブルーマーメイドに入ってから彼女はずっと葉月の事を探していた。
しかし、未だに葉月は見つからない。
それもその筈だ‥‥
葉月はもうこの世に居ないのだから‥‥
高校を卒業してからも葉月の死は未だに一部の人間以外は知らない事実だった。
「‥‥ごめん‥私も知らない」
もえかは心苦しいが幸子に嘘をつき、葉月の行方は知らないと答えた。
「そうですか‥‥」
幸子は残念そうに答えつつ再びマグカップに口をつけた。
(ごめん‥‥納沙さん‥‥)
もえかは心の中で再び幸子に謝り、マグカップに口をつける。
強奪艦による被害調査は後日改めて行われるだろう。
そして、強奪艦自体の調査は十中八九アメリカ海軍の手に委ねられる。
しかし、その前に必ず、あの葉山が何らかの行動を示してくるのは目に見えている。
あのプライドの塊の様な男があそこまでされて黙っている筈がない。
もえかと葉山の戦いはまだ続きそうだった。
※強奪艦の外見イメージや設定は『設定』に記載されています。