真霜と身体を重ねてから一夜が経った。
カーテンの隙間から朝日の光が差し込む。
「んっ‥‥うぅ‥‥ん?」
葉月がふと横を見ると、其処には幸せそうに眠る真霜の姿があった。
流石に宗谷家の他の家族が起きてくるまで真霜を此処に置いておくわけにはいかない。
真霜は宗谷家の長女であり、自分は居候の身‥‥。
真霜が自分を求めて迫って来たとはいえ、大切な宗谷家の長女を傷物にしたのだから‥‥。
「真霜さん、朝ですよ‥‥真霜さん」
葉月は真霜の身体を揺する。
すると、
「うぅ‥‥んぅ‥‥」
真霜が瞼をゆっくりと開けて、起動し始める。
「葉月‥‥?」
「はい‥おはようございます。真霜さん」
「おはよ~」
葉月と真霜は互いに挨拶をする。
「はぁ~づぅ~きぃ~‥‥んっ」
「んっ‥‥」
真霜は寝ぼけたように葉月に迫り、葉月の唇を奪う。
「んっ‥‥ん、ごちそうさま」
葉月とキスしたら一気に覚醒した様子の真霜。
その後、彼女はベッドから降り、床に散らばった下着と寝間着を着ると、
「それじゃあね、葉月」
「え、ええ‥‥」
ヒラヒラと手を振って真霜は葉月の部屋から出て行った‥‥。
「‥‥はぁ~」
真霜が部屋から出て行くと葉月は深いため息をつく。
真霜の勢いとその場の空気に呑まれて彼女とあんなことをしてしまった‥‥自己嫌悪に陥る葉月だった。
しかし、真霜以外の宗谷家の皆には気づかれる訳にはいかない。
その日の朝食の席で互いに顔を合わせても真霜も葉月も何事も無かったように普段通りの態度を貫いた。
ただ、真霜はその日オフィスにて、
「あれ?宗谷さん、なんか雰囲気変わりました?」
と、部下の一人からそんな質問が彼女にとんだ。
「えっ?そう?」
「はい‥何だか‥その‥綺麗になった感じが‥‥」
元々真霜は女性の中では美人の部類に入るだろう。
それが、僅か一晩で磨きがかかったように思う。
化粧や服飾に変化があったわけではないが、些細な表情や仕草にそれを感じていた。
「う~ん‥自分じゃあまりわからないわね‥‥」
真霜は自分の身体を見渡しながら、何処が変わったのかを確認するが、やはり何処か変わった様子は見られない。
しかし、この日からブルーマーメイド内で『宗谷真霜に彼氏が出来た』と言う噂が広まった。
ブルーマーメイド達は、あの宗谷真霜の彼氏がどんな人なのか気になり、
あの人じゃない?
いや、彼じゃない?
と、真霜の彼氏が誰なのかと言う噂でもちきりになった。
この日、知名もえかは、一人、街中を歩いていた。
親友である岬明乃はスキッパーの運転免許を取る為、教習所へと行っており、今日は自分一人だった。
そこで、街中を一人散策の旅に出たのだ。
この日は少し風があり、時々突風が吹いていた。
(ミケちゃん大丈夫かな?)
スキッパーの教習に行っている親友の事を心配するもえか。
実習は海の上で行われるので、突風で海上へ投げ出されないか、スキッパーが転覆しないか心配したのだ。
ヒュ~
「きゃっ!!」
時折吹く強風に舞うスカートと帽子を抑え、もえかはとりあえず、風が収まるまでどこか建物の中に避難しようと歩きはじめる。
しかし、スカートと帽子、更に髪を抑えなければならない状況なので、非常に歩き難いし、気を使う。
中学生とは言え、もえかも女の子だ。スカートや髪等の身だしなみはやはり気にする。
抑えながら歩いてはいるもののかなり歩き難い。
何かに気を取られると酷い事態になりそうだった。それでも突然の風を何とかやり過ごし、もえかは歩いていた。
そんな中、
ビュ~!!
「っ!?キャっ!‥‥あっ!?」
突然これまでにない大きな突風が吹いた。
しかし、一瞬対応が遅れ、被っていた帽子が飛んでしまった。
そんな中、もえかの正面から歩いてくる人が一瞬驚いた様子でとっさに帽子を掴もうとしてくれたのだが、あと一歩届かず木に引っ掛かってしまった。
「あぁ~‥‥ど、どうしよう‥‥」
もえかは帽子の引っ掛った木を見上げた。
帽子が引っかかった場所はそこまで高くはないが、自分の身長では届かない。恐らく手を伸ばしても無理だろう。
あの帽子はもえかのお気に入りの帽子だったので、もえかの落胆は大きい。
もし、この場に親友の明乃が居たのであれば、木に登って帽子を取りに行っただろう。
もえか自身も木に上って取りに行ったかもしれないが、あいにく今日の自分の服装はスカートを穿いている。
もし、下から誰かに見られたら、下着を見られてしまう。
年頃の女の子としてはそんな恥ずかしい醜態は見せられない。
もえかは困ったように帽子の引っ掛った木の下で、その木を見上げ、立ち止まってしまった。
だからこそ、横から突然声をかけられたもえかは驚いた。
「すまない。突然の事で掴めなかった‥‥っ!?‥‥巴‥‥?」
「っ!?えっ!?」
まさか、先程の人が自分の横に居るとは思ってもいなかった 。
しかも、逆に謝られもえかは困ってしまった。
ただ、その人は自分の顔を見て物凄く驚いていた。
服装はジーパンにワイシャツと男っぽい格好だが、顔立ちと胸部から女性であることを主張している膨らみがあるのを見る限り、横に居る人が女性だと判断できる。
(えっ!?私の顔に何かついていたかな‥‥?)
「あ、いえ‥‥。こちらこそスミマセン。‥‥気にしないで下さい」
もえかは逆に恐縮してしまい、その人に詫びを入れる。
「い、いや、掴みそこねた自分も悪かった‥‥ちょっと待っていて‥‥」
そう言うと、その人はスルスルと木に登り始めた。
この日、葉月は休みを貰い、未来の街中を散策していた。
真霜との一件があり、気分転換にもなるだろうと思ったからだ。
(照和の時代とは違い、木造建築も欧州風のレンガ調の建物も少ないな‥‥)
(それに日露戦争後、日本の本土が水没するなんてな‥‥でも、戦争が起きなかったのは人類の歴史にとっては奇跡に近い事だ‥‥)
途中とは言え、戦争の悲惨さを体験した葉月だからこそ、あの世界大戦がこの世界で起きなかった事に驚きが隠せなかった。
(大高総理や高野総長、大石司令がこの世界を見たら、驚くだろうな‥‥)
世界平和の為に奮戦していた男たちの事を思いながら、街中を歩いている、突然強い風が吹いた。
すると、前を歩いていた女の子の被っていた帽子がこちらへと飛んできた。
「っ!?」
葉月は一瞬驚いたが何とかその帽子を掴もうとしたのだが、ほんのタッチの差で帽子には届かず木に引っ掛かってしまった。
女の子は、帽子が引っかかった木を見つめている。
帽子を取れずに、木に引っかかってしまったのは自分のせいでもあるので、葉月はその女の子の下へと向かい声をかけた。
「すまない。突然の事で掴めなかった‥‥っ!?‥‥巴‥‥?」
葉月はその女の子の顔を見て驚いた。
何せ、その女の子の容姿がかつて男であった前世での許嫁の容姿とそっくりだったからだ。
「っ!?えっ!?」
女の子も驚いている様子だった。
「あ、いえ‥‥。こちらこそスミマセン。‥‥気にしないで下さい」
「い、いや、掴みそこねた自分も悪かった‥‥ちょっと待っていて‥‥」
そう言って葉月は木に登り帽子を取りに行った。
木に登っている最中、葉月はあの女の子がかつての許嫁そっくりなことにある推測をたてた。
この世界に存在したアドルフ・ヒトラーと前世の世界に居たハインリッヒ・フォン・ヒトラー。
自分の世界にて、軍令部総長を務めていた高野五十六とこの世界で鎮守府司令官からモナコで博打打となった山本五十六。
この二人がそれぞれの世界に存在し、容姿も瓜二つな事から、二つの世界にはそれぞれ似た人間が存在するのではないだろうか?
あの女の子はこの世界における許嫁だった女性と対を成す存在なのではないだろうか?
しかし、今の自分は女性であり、あの子とは何の関係もない赤の他人だ。
この帽子をとったら、それっきりの関係だ。
それでも、こうして許嫁にそっくりな人と一目会えたことに関しては、嬉しさを感じた。
葉月は木に引っかかっている帽子をとり、そこから飛び降りる。
「はい」
「あ、ありがとうございます!!」
その子は帽子を大切そうに抱える。
「それじゃあ‥‥」
「あっ、あの‥‥」
葉月は足早にその場から去って行った。
これ以上許嫁とそっくりなこの子と一緒に居るだけで胸が張り裂けそうになる。
前世で残して来た許嫁はどうなったであろうか?
それが、葉月が前世で残して来た未練でもあったからだ‥‥。
木に登り始めたその人は器用に木を登っていき、帽子を取って来ると、なんとそこから地面へ飛び降りた。
「はい」
「あ、ありがとうございます!!」
もえかは帽子を取って来てくれたその人にお礼を言う。
お気に入りの帽子だけあって、もえかは無意識にその帽子をギュッと抱きしめる。
「それじゃあ‥‥」
帽子を取ってくれたその人はそう言って足早に去って行った。
「あっ、あの‥‥」
もえかはせめて帽子を取ってくれたその人の名前ぐらいは聞きたかった。
しかし、その人は振り返る事も、立ち止まる事も無く、立ち去って行った。
「へぇ~そんな事があったんだ」
寮に戻ったもえかは明乃に今日の事を話した。
「颯爽と現れて颯爽と去る‥まるでヒーローみたいだね」
「うん‥今度会えたら、もう一度お礼を言って、名前を聞きたいな‥‥」
「私も会ってみたいな‥‥」
もえかの話を聞き、明乃もその帽子を取ってくれた人に興味がわいた様だった。
それからしばらくして‥‥
明乃ともえかの通っている中学校は定期試験の期間となっていた。
二人が進学を夢見る横須賀女子海洋学校は日本でも指折りのブルーマーメイドの育成学校であり、当然将来のブルーマーメイドを目指す女子にとっては憧れの学校であり、その入学倍率は高い。
そのあまりの志願者の関係で、入試に関しても中学での成績に一定のレベルを定め、中学で定められたそのレベルの成績を収めなければ、横須賀女子海洋学校の入試さえ受ける事が出来ない。
ブルーマーメイドを目指す明乃ともえかはまずは横須賀女子海洋学校の入試を受けるために中学で横須賀女子海洋学校が定めたレベルの成績を収めなければならず、中学のテストでは優秀な成績を収めなければならない。
そして、今はその重要なテスト期間中‥‥。
明乃ともえかは参考書が揃っている図書館にて、テスト勉強を行っていた。
そんな中、明乃は参考書を探しに行き、棚の上に目当ての参考書があるのを見つけてその参考書を取ろうとする。
しかし、明乃の身長では手が届かなかった。
「んぅ~‥‥あと、5cm身長が欲しい!!少し、棚低くしてくれれば良いのに!!利用する皆が身長高い訳じゃないのに!!」
文句を言いながら必死に参考書を取ろうとする明乃。
すると、
―――スッ
明乃の後ろから腕が伸び、彼女が必死に取ろうとしていた参考書にその手が触れる。
「えっ?」
明乃が驚くのは当然だと思う。
彼女は慌てて後ろを振り向くと、一人の女の人が背伸びをして参考書を手に持っていた。
「はい、この本であっているだろうか?」
その女の人が明乃に参考書を差し出すが、彼女は驚いたまま見上げているだけだった。
「この本ではなかったか?」
「えっ!は、はい、スミマセン。合っています。ありがとうございます!!」
明乃はその女の人にペコリと頭を下げて礼を言う。
「テスト勉強かな?」
「はい、もうすぐテストなんです」
「そうか‥頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
明乃が再びその女の人に礼を言うと、その人はその場から去って行った。
「あれ?」
その人が去ってから明乃は床に定期入れの様なモノが落ちているのに気付いた。
さっきの女の人が落としたものだろうか?
「あ、あの‥‥」
明乃がソレを拾い、慌ててさっきの女の人を追ったが、既にその人は近くには居なかった。
そこで、明乃はその定期入れを調べてみる事にした。
もしかしたら、さっきの女の人の手掛かりがあるかもしれないと思って‥‥
二つ折りになっている定期入れを開けると、明乃は目を見開いた。
そこにはセピア色の写真が入っていたのだが、問題はその被写体だった。
(えっ!?これってもかちゃん!?)
なんと、写真に写っていたのは、親友である知名もえかとそっくりな女性だったのだ。
(いや、でも、写っているのはもかちゃんよりも年上っぽい‥もかちゃんのお母さんかな?‥‥でも、写真がセピア色だし、なんでさっきの女の人がこの写真を持っているんだろう?もかちゃんの親戚の人だったのかな?あれ?でも、もかちゃんも私と同じでもう家族の人とかは居ない筈だし‥‥)
二つ折りの定期入れはその写真以外入っておらず、さっきの女の人の手掛かりはなかった。
もしかしかた、もえかの親戚の人かもしれないと思った明乃であったが、もえかは既自分と同じ天涯孤独の身‥だからこそ、自分と同じ養護施設で出会ったのだ。
それでも何か知っているかもしれないと思った明乃はもえかに尋ねる事にした。
その日、葉月はこの世界の歴史と技術を知る為に図書館にやって来て、歴史書と技術書関連の本を読みふけっていた。
そして、帰り際、セーラー服の女の子が棚にある参考書を取ろうと必死に手を伸ばしている場面に遭遇した。
女の子の身長ではお目当ての参考書には届かない。
踏み台を使えばすぐに取れるのに、どうやらその子は踏み台の存在に気づいていない様だ。
葉月は余計な御世話かもしれないが、近づき、取ってやることにした。
その子のお目当ての参考書は葉月も背伸びをしてとれるくらいの高さにあった。
(此処の図書館、品揃えは良いが、もう少し利用者に配慮するべきじゃないだろうか?)
そう思い、女の子が取ろうとしていた参考書を取り、その子に手渡す。
「えっ?」
葉月から参考書を手渡されたその子は驚いた顔をしていた。
「はい、この本であっているだろうか?」
葉月の問いにも彼女は驚いたまま見上げているだけだった。
「この本ではなかったか?」
もしかしてこの参考書の隣にある参考書だったのだろうか?
葉月がそう思っていると、
「えっ!は、はい、スミマセン。合っています。ありがとうございます!!」
その子は葉月にペコリと頭を下げて礼を言う。
「テスト勉強かな?」
葉月はその子に何気なく参考書の使用目的を尋ねると、
「はい、もうすぐテストなんです」
どうやら、近々この子の通っている学校ではテストがあるらしい。
(そう言えば、真白ちゃんもテストが近づいていると言っていたな)
「そうか‥頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
葉月が彼女に声援を贈りつつ参考書を手渡すと、その子は再び礼を言った。
そして、葉月はその場を後にし、帰宅の途についた。
ただ、葉月はこの時気づかなかった‥‥。
許嫁の写真が入った写真入れを落したことに‥‥。
「もかちゃん」
「あっ、おかえり、ミケちゃん。参考書あった?」
「うん‥それよりも、もかちゃん、コレ見て、コレ」
「ん?なに?‥‥っ!?」
明乃はもえかに先程拾った二つ折りの定期入れ(写真入れ)をもえかに見せる。
もえかはその中身を見て、目を見開いて驚いた。
そこには自分‥いや、正確には今の自分をもう少し年上にした感じの女性が着物姿で写っている写真が入っていたのだから‥‥。
「ねぇ、この写真に写っているのって、もかちゃんのお母さん?」
明乃はもえかに、死別した母親なのかと尋ねる。
「う、ううん‥お母さんの写真でこんな写真は無い‥‥」
もえかはこの写真の女性は死んだ自分の母親では無いと言う。
それにカラー写真ではなく、セピア色の写真なんてもえかが所有するアルバムの中でそんな写真は一枚も存在しない。
「ミケちゃん、この写真どうしたの?」
もえかは明乃に何処でこの写真を手に入れたのかを尋ねる。
「さっき、この参考書を取ってくれた女の人が多分落したんだと思う」
「その人ってどんな人だった?」
「えっと‥‥」
明乃はもえかに先程、参考書を取ってくれた女の人の特徴をもえかに話した。
「その人だよ、この前、私の帽子を取ってくれた人は」
明乃が話した参考書を取ってくれた女の人と以前、自分の帽子を取ってくれた人と特徴が一致したので、もえかにはその人物が同一人物であると言う確信があった。
「ええっ!!あの人だったの?でも、なんでその人がもかちゃんとそっくりな女の人の写真を持っているんだろう?」
明乃はてっきりもえかの親戚の人だとばかり思っていたのだが、事態は予想外な展開となった。
写真に写っている人物はもえかの母親ではなく、持っていた人物も、もえかの親戚では無い。
「‥‥あの人にはお礼の他に聞きたい事が出来ちゃったな」
もえかはセピア色の写真を見つめながら、ポツリと呟いた。