宗谷真霜との交渉の末、天照共々海上安全整備局の指揮下に入る事になった葉月。
現在、入院中であるが、退院後は真霜の実家である宗谷家にお世話になる事も決まったが、入院当初、衰弱が激しかったため退院するのはもう少し先になるとの事だ。
そんなある日、葉月の病室に福内と平賀の二人が見舞いに訪れた。
真霜同様、二人は時間を見つけては、何かと葉月の事を心配して見舞いに訪れてくれる。
「こんにちは、広瀬さん」
「こんにちは」
「いらっしゃい、福内さん、平賀さん」
病室に来た福内と平賀は葉月に現在適用されている航海に関する法律や現在使われている信号等の通信関連が載った参考書など、葉月がこの後、海上安全整備局で働くのに困らない様に勉強を見てくれたりしているのだ。
三人が勉強会をしてしばらくした後、
「ちょっと休憩しましょうか」
福内が休憩を提案した。
「そうですね」
葉月もその提案に乗り、
「ふぅ~‥何だか学生時代を思い出します」
平賀は学生時代の事を懐かしみながら、一息ついた。
「あっ、そういえば‥‥」
すると、平賀何か思いだしたかのように持って来た紙袋をゴソゴソと何かを探すかのように漁ると、
「私、あのコーヒーサイフォンでどうやってコーヒーを淹れるのか気になって、コーヒー豆を買ってきたんですよ」
そう言って平賀は紙袋から一本の瓶を取り出した。
「あっ、でも豆を挽く手間を考えて、既に挽いてあるモノを買ってきました!!ジャーン!!」
平賀は得意そうに葉月の前に挽いてあると言うコーヒー豆を取り出す。
しかし、そのコーヒー豆は挽いてあるにしては随分と明るい色‥黄土色をしており、妙に思った葉月はその瓶をよく見ると、ラベルの裏側にこう書かれていた‥‥
『インスタントコーヒー』
と‥‥
そして、ラベルには淹れ方も絵で描かれていた。
それによれば、このインスタントコーヒーはカップに瓶の中の粉を適量入れてお湯を注げばコーヒーが出来る様だった。
「「‥‥」」
この方法を見る限り、このインスタントコーヒーではコーヒーサイフォンの出番は無い様だ。
必要なのはカップとお湯だけ‥‥
葉月も福内もインスタントコーヒーの瓶を見て固まるが、平賀は目をキラキラと輝かせている。
(うわぁ~恥ずかしいなぁ~もう~)
インスタントコーヒーを挽いたコーヒー豆と間違えるなんて同僚として恥ずかしいと思う福内。
「あの‥平賀さん‥‥」
「何でしょう?」
「これはコーヒー豆を挽いたモノではないので、サイフォンでは、淹れられません」
「えっ?」
葉月が真実を告げると、平賀はピシッと固まる。
平賀はよほどサイフォンで淹れたコーヒーを飲みたかったのだろう。
「あんたねぇ~、インスタントコーヒーを挽いたコーヒー豆に間違えるなんて、恥ずかしいじゃない」
福内が呆れながら平賀に言う。
「し、仕方ないじゃないですか!!コーヒーなんて、レストラン以外じゃ、自販機かドリップぐらいしか知らないんですから!!//////」
(あんた、どんだけ世間知らずなのよ!?)
平賀の発言に福内が心の中でツッコム。
「ま、まぁ‥これはこれで、興味深いですよ‥自分、インスタントコーヒーは飲んだ事が無かったので‥‥」
インスタントコーヒーは1940年代にはちゃんと存在していたが、葉月はこれまでの人生でインスタントコーヒーを飲んだことは無かった。
葉月は葉月なりで平賀をフォローしたが、あまり意味なしていない様だ。
病室が少し気まずい空気となる。
そこへ、
「はぁ~い、葉月、元気?」
真霜が葉月の病室を訪れた。
彼女はあの交渉以降、プライベート時には葉月にフレンドリーな態度で接するようになった。
「おっ?ちゃんと勉強していたんだ」
真霜はベッドテーブルに広げられている参考書を見て、葉月が先程まで勉強している事が窺えた。
「葉月は偉いねぇ~」
そう言って真霜は葉月の頭を撫でる。
「ちょっ、真霜さん!!子供扱いしないで!!」
「えぇ~私より年下なんだから、お姉ちゃんに甘えて良いんだよ」
「いや、実年齢は貴女よりも自分の方が上ですから」
「あっ、そうだったわね。でも、見た目は私の方が年上よ」
そう言って真霜は再び葉月の頭を撫でまわした。
「ちょっ!!だから‥‥」
葉月は再び真霜に抗議しようとしたが、無駄だと思い止めた。
「それで、今日はどういった御用件で?」
そして、真霜が今日此処へ来た要件を聞いた。
「あっ、そうだ。今日は私のお母さんが、葉月に会いたいって言って、来ているのよ」
「「えっ!?」」
真霜の母親が今この場に来ていると聞いて驚く福内と平賀。
そして、病室の扉が開くと、そこから一人の女性が葉月の病室に入って来た。
福内と平賀は反射的にその女性に対して敬礼する。
女性も二人に返礼し、福内と平賀は手を下ろす。
そして葉月はその女性を出迎える為にベッドから起き上がろうとすると、
「あっ、そのままでいいわよ」
真霜の母、宗谷真雪は起き上がろうとする葉月を制するが、
「いえ、大丈夫ですから‥‥」
と、葉月は起き上がり、真雪の前に立つ。
真雪は葉月の律儀さに感心しつつ、
「‥宗谷真霜の母、宗谷真雪です」
と、葉月に自己紹介をした。
「広瀬葉月です」
そして、葉月も真雪に自己紹介をした。
「娘から‥真霜から貴女の事は聞いたわ。この度は色々大変だったわね‥でも、退院後の生活は私達がちゃんと面倒をみるから安心してね」
「は、はい‥ご配慮感謝いたします」
葉月は真雪に深々と頭を下げて彼女に礼を言う。
真雪との顔合わせが終わると真霜が、
「ねぇ、葉月」
「何でしょう?」
「実は、今日此処に来る前にコーヒー豆を買ってきたのよ。それで、葉月にコーヒーを淹れてもらいたいなぁ~」
「「「っ!?」」」
真霜の頼みに固まる葉月達。
このやりとりは先程あったばかりなので、福内と葉月はまさか、真霜が買ってきたコーヒー豆もインスタントコーヒーなのではないかと疑った。
「あ、あの‥宗谷一等監察官‥コーヒー豆ってまさかコレじゃないですよね?」
平賀がインスタントコーヒーの瓶を真霜に見せる。
「それって、インスタントコーヒーじゃない。違うわよ、ちゃんとしたコーヒー豆よ。ホラ」
真霜が袋から出したのは紛れもなく、挽く前のコーヒー豆だった。
「でも、なんで平賀はインスタントコーヒーを持って来たの?」
真霜は平賀がインスタントコーヒーを葉月の病室へ持ち込んだことに首を傾げる。
コーヒー豆を持って来たら、葉月が淹れてくれるかもしれないのに‥‥
「あっ、それはですね‥‥」
福内が真霜に何故、インスタントコーヒーを平賀が持ち込んだのか言おうとすると、
「インスタントの方が手軽ですし、その方が広瀬さんに負担がかからないと思いまして‥‥」
平賀は福内の口を手で塞ぎ、葉月には目線で「余計なことは喋るな」と警告してきた。
「あら?そうなの?」
真霜は平賀の言葉を真に受けた様だった。
その後、葉月は真霜からコーヒー豆を受け取り、コーヒーを淹れ始めた。
平賀が給湯室へ行き、お湯を沸かしている間、葉月はミルでコーヒー豆を挽く。
尚、平賀が給湯室へお湯を沸かしに行く際、葉月はバケツか洗面器、布巾も用意してくれと頼んだ。
コーヒー豆を挽き終えてお湯が来ると、葉月はネルフィルターを準備する。
金属製の濾過器に、円形に型抜かれたネルフィルターをロートにセットする。この時、フィルターが斜めになっていないかを注意していた。
そしてお湯をかけ、フィルターを温める。
フラスコに溜まったお湯をバケツに捨て、水分をしっかりふき取る。
ふき取った後、フラスコにお湯を注ぐ。
アルコールランプに火を点け、フラスコを熱する。
此処までの工程を見て、平賀は、
(やっぱり、理科の実験みたい‥‥)
そう、思っていた。
真霜と福内は始めて見るコーヒーサイフォンでのコーヒーの淹れ方を興味津々と言った様子で見ており、真雪もジッと葉月の動きを観察する様に見る。
フィルターがセットされたロートにコーヒーの粉を入れ、フラスコの湯の沸騰を確認し、ロートをしっかりと差し込む。
お湯がロートの方に上昇すると、葉月は手慣れた手つきで竹べらでコーヒーの粉とお湯をなじませるように、素早く円を描くように数回攪拌する。
「「「おおおぉぉぉ~」」」
お湯がロートの方に上昇する光景を見て、思わず声が出る真霜達。
お湯が上がり切った状態で、20~30秒ほど待ち‥‥
ロート&フラスコを火から離し、アルコールランプの火を消す。
そして、もう一度竹べらで、丁寧にコーヒー粉を混ぜる。
「ま、真霜さん」
「なに?」
「コーヒーの粉が混じっていますけど、まさかアレをカップに入れて飲むんじゃ‥‥」
平賀が不安そうに真霜に小声で尋ねる。
「いや‥それはないんじゃない?」
粉っぽいコーヒーなんて想像するだけで飲みにくそうだ。
それともコーヒーサイフォンで淹れたコーヒーはそんな感じなのだろうか?
真霜達の中に不安が過ぎる。
すると、
ロートの中のコーヒーがフラスコの中へとゆっくり落ち始めた。
「コーヒーが‥‥」
「フラスコに落ちている‥‥」
やがて、コーヒーの抽出が終わり、葉月は上の部分のロートを外した。
そして、平賀が用意していた紙コップへとコーヒーを注いでいく。
(本当は温めたカップに淹れるのが理想なんだけど、大丈夫かな?)
葉月は温められていない紙コップでも大丈夫かと不安になる。
「では、どうぞ‥‥」
紙コップに注ぎ終え、真霜達にコーヒーを振舞う。
真霜達が紙コップを口にあて、中のコーヒーを飲む。
その様子を葉月はドキドキしながら見る。
「‥美味しい」
「ホント、深いコクと味わいがあるわ」
「うん、普段飲んでいるコーヒーとはひと味違う味がする‥‥」
「同じコーヒーなのにどうして違うんだろう‥‥?」
「‥‥」
真霜達が葉月の淹れたコーヒーを褒める中、葉月は自分の淹れたコーヒーを一口飲むと難しい顔をする。
「ん?広瀬さん、どうしました?」
真雪が葉月の様子に気づき、何故そんなに難しそうな顔をするのかを尋ねる。
「うーん‥‥まだまだだ」
落胆した感じで紙コップをテーブルに置く、葉月。
「えっ?まだまだって?」
「自分の上官‥このコーヒーサイフォンをくれた方の淹れたコーヒーと比べると、味が追いついていない‥‥」
「そんなに美味しいの?その人が淹れたコーヒーって‥‥」
真霜が葉月にコーヒーサイフォンを贈った人物が淹れるコーヒーそこまで美味しいのかを尋ねる。
真霜にとって、今葉月が淹れたコーヒーも十分に美味しいレベルなのだが、そのコーヒーよりも更に美味しいと言うのだから、一体どんな味なのか想像もつかない。
「ええ、あの方のコーヒーを飲んだら、もう、その他のコーヒーは飲めませんよ‥それくらいの美味しさです」
葉月の言う通り、旭日艦隊司令長官の大石が淹れたコーヒーは艦隊内でも有名であった。
葉月自身も何度か大石の淹れたコーヒーを飲んで、その味に感動し、退役後は許嫁と共に喫茶店を開くと言う夢を抱いたのは大石が淹れたコーヒーが切っ掛けであった。
今日、淹れたコーヒーの反省点を葉月は早速メモ帳へと記入する。
真霜がチラッとメモを見ると、其処にはコーヒーの淹れ方がびっしりと書かれていた。
コーヒー豆の挽き方、
しかも豆の種類よってそれぞれが異なる挽き方が書かれていた。
お湯の温度やお湯を沸かす時間、
文字の他にも簡易的だが、絵も描かれていた。
(どれだけ、コーヒーの淹れ方にこだわっているのよ?この娘、本当に元軍人?喫茶店の店員だったんじゃないの?)
メモを見て、真霜は本当に葉月が元軍人なのか疑問を抱いた。
そんな真霜の疑問を余所に葉月は、
(うーん‥やっぱり、温めたカップで無かったのが要因か‥‥いや、今後はこの紙製コップでもあの味を出せるように研究するか‥‥いつでも陶器製のカップがあるとは限らないからな‥‥)
と、新たなコーヒーの研究テーマを見出していた。
その後、コーヒーを飲みながら、雑談をしていると、
「ねぇねぇ、葉月」
真霜が葉月に声をかけて来た。
「何でしょう?」
「葉月って男の時はどんな顔をしていたの?」
「えっ?」
「あっ、ソレ私も気になる」
「わ、私も‥‥」
真霜は葉月の男時代の時の容姿が気になり、尋ねて来た。
福内も平賀も気になった様で、真雪もそれなりに興味がある様だ。
真雪は事前に真霜から葉月が異世界人である事、そしてこの世界に来た時に性別が入れ替わった事を聞いており、驚く様子は無かった。
しかし、始めに真霜から性別が入れ替わった異世界からの人間と言われて困惑はした。
今日、真雪が来たのは、真霜が言って居た事が事実なのか?
そして、この後の同居人となる葉月の人となりを見に来たのだ。
真霜からの要望を聞き、葉月は焦げ茶色のトランクから何枚かの写真を取り出した。
写真は白黒またはセピア色の写真で、写っているのは天照にて撮影した写真で、前甲板で乗員全員の集合写真と幹部のみの集合写真を真霜達に見せた。
「どれが、葉月なの?」
「此処に居るのが、自分です」
と、葉月は男時代の自分を指さす。
「へぇ~なかなかいい男だったんじゃない葉月は」
「ホント‥‥////」
「う、うん‥‥////」
真霜は男時代の葉月の容姿を褒め、福内と平賀はほんのりと頬を赤らめた。
(確かにいい男じゃない。この容姿で来ていたのなら、真霜か真冬のお見合い相手に出来たのに残念だわ)
真雪も男時代の葉月の容姿を見て、もし、性転換をしていなければ、自分の娘達のどちらかの見合い相手にしようとしていた。
面会終了時間となり、各自はそれぞれ帰路についた。
帰りのタクシーの中で、真霜は、
「どうだった?あの娘?」
真雪に葉月の印象を尋ねた。
「いい娘ね‥まだ、今日一回しか会っていないけど、面白い子だわ。それにコーヒーの淹れ方も上手いし‥‥」
「そうね‥‥」
真雪も真霜同様、葉月を気に入った様だ。
「家に来るのが楽しみだわ」
真雪は葉月の退院を楽しみに待っている感じでその声は明るかった。