ハイスクール・フリート 旭日のマーメイド   作:破壊神クルル

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プロローグ

20世紀は戦争の世紀と言える‥‥。

海に‥‥陸に‥‥戦火は絶えず、近代兵器の発達はその災禍を飛躍的に拡大させた‥‥。

 

 

昭和18年4月18日 連合艦隊司令長官、山本五十六はブーゲンビル島上空で米戦闘機、P-38 18機の待ち伏せに会い、機乗していた一式陸攻が撃ち落され、戦死した。

‥‥‥‥はずであった。

しかし、五十六の魂は現世の世界から後世の世界へと転生した。

そして、五十六は前世の記憶を引き継いだまま、後世の高野五十六として新たな人生を歩んだ。

転生し、目を覚ましたのは日露戦争の最後の決戦、日本海海戦の巡洋艦日進の医務室であった。

だが、五十六が驚いたのは、同海戦において左手の人差指と中指を欠損した筈にも関わらず、この世界では指を欠損していなかった事である。

そして大正時代、前世では旧長岡藩家老の家柄である山本家を相続したのだが、この世界では山本家の家督は相続しなかった。

指や山本家の相続等、前世とは違う事が五十六の身の回りで起きたが、この後世の世界も五十六が体験した前世の世界同様、戦争への道を歩んでいた。

これを危惧した五十六は戦争回避の為、自分同様、前世からの転生者を中心とした同志を集めた紺碧会を結成した。

勿論メンバー全員が転生者と言う訳では無く、五十六の考えに賛同する海軍将校の他に民間技術者、財界人も居た。

 

世間では、軍部の開戦派、右翼、政治家が米英討つべしと戦争気運が高まっていた。そんなある日、五十六は紺碧会の会合が終わると、会合に使用した料亭から出ると、

 

「高野閣下でありますな?」

 

一人の陸軍将校が五十六に話しかけて来た。

 

「そうだが?何か用かね?」

 

声をかけて来た陸軍将校の様子がどうも挙動不審なのを感じ取った五十六。

すると、五十六の背後から、短刀を手にしたヤクザ風の男が五十六に襲い掛かって来た。

五十六はそのヤクザ風の男を一本背負いで投げ飛ばす。

すると、最初に声をかけて来た陸軍の将校が五十六を銃撃してきた。

五十六は咄嗟に左手で防御すると、前世の日本海海戦で失った指と同じ、左の人差し指と中指を失った。

この五十六の襲撃は陸軍の暴論を押さえる結果となり、陸軍の開戦派は、自分で自分の首を絞める事となった。

しかし、五十六は自らの指の欠損からこの世界も前世と同じ世界の歴史を辿っていると改めて認識した。

 

海軍で五十六が紺碧会を結成したのと同じく、陸軍の方でも前世からの転生者、大高弥三郎が五十六と同じように陸軍内部に居た転生者を中心とした青風会を結成していた。

この二人は出会うべくして出会い、前世での戦争と歴史を反省し、この後世ではそれらの悲劇と失敗をせぬように海軍の紺碧会と陸軍の青風会による陸海軍共同のクーデター計画を立案した。

 

1939年 9月1日 独逸がポーランドへ電撃侵攻を行った。

 

これによりこの世界での第二次世界大戦の火蓋がきって落とされた。

 

1940年 9月27日 独逸は日独伊の三国同盟を締結した。

 

さらに翌年の1941年 8月 米国はその独自の太平洋支配戦略に基づき、対日石油の全面禁止を打ち出した。

 

同年 10月 対米強硬策を打ち出す南条内閣が設立した。

 

此処に至り五十六と大高は頑迷な指導者達に日本の将来を委ねないようにするために練りに練ったクーデター計画の実行を決意した。

 

明くる11月26日 択捉島 単冠湾に集結した高杉機動艦隊は密かに出撃。

 

(打つべき手は打った‥‥あとは攻撃命令を待つのみ‥‥)

 

機動部隊司令官の高杉英作は眼前の荒海を睨む。

艦隊旗艦比叡を始めとして各艦艇はこの日の為に最新のガスタービン機関へと換装され、名実ともに高速機動艦隊として一路ハワイへと向かった。

 

12月1日 この日、開戦決定の御前会議が開かれた。

 

帝都東京は厚い雲で日が閉ざされ、寒さが肌を打った。

開戦決定の知らせは連合艦隊司令長官となった五十六の下にも知らされた。

 

(帝国は12月上旬を期し、米英及び蘭国に対し開戦を決す・・やはり歴史は繰り返している・・・・だが、今夜から歴史は変わる)

 

この日の午後11時、大高率いる青風会の部隊が一斉に決起。

首相官邸、陸軍省、警視庁を占拠。

時を同じくして海軍紺碧会の将兵らも決起。

海軍省を占拠。

クーデターはあっけない勢いで成功した。

 

クーデター部隊は帝都の要所を占拠し、戒厳令が敷かれた。

翌日、大高は多数の記者を集めて会見を開き、ハルノートの真の意味と検閲の撤廃を公言し、国内のジャーナリズムを味方につけた。

そして、大高は内閣総理大臣となり、アメリカに対し、新政権の樹立とハルノートに対する断固たる回答を示した。

 

12月8日 択捉島を出撃した高杉航空艦隊の空母から次々と艦載機が発艦、ハワイ諸島オアフ島アメリカ軍施設に向け、出撃。

真珠湾港湾施設、陸海軍の飛行場を空襲した。

真珠湾攻撃時、アメリカ海軍は日本軍への南方資源輸送阻害任務、「レインボー5号計画」の為、アメリカ太平洋艦隊はマリアナ方面に向け出撃中で真珠湾には居なかった。

そのアメリカ太平洋艦隊、主力艦隊司令官、キンメル提督はハルゼー機動部隊と合流し、日本艦隊との戦闘へと移ろうとしたが、ハルゼーは合流する時間も惜しいと言って、単独でハワイを目指した。

その最中、海中から謎の雷撃を受け、ハルゼーは乗艦の空母エンタープライズと運命を共にした。

またミッドウェーからの帰投中であった空母レキシントンも潜水艦からの雷撃を受け、沈没した。

 

一方、キンメル提督率いる主力艦隊はカウアイ海峡にて、高杉艦隊と交戦、その中、背後から坂元良馬提督率いる支援艦隊からの攻撃を受け、両艦隊に海峡内で挟み撃ちにされた。

駆逐艦、巡洋艦を次々と沈められ、戦艦部隊だけとなった時、海中から謎の魚雷攻撃を受け、戦艦アリゾナ、オクラホマが轟沈され、キンメルは降伏、ハワイ諸島は日本軍に占領された。

そして残存のアメリカ主力戦艦ネヴァダ、メリーランド、ペンシルヴェニア、カリフォルニア、ウエストヴァージニア、テネシーは全て日本軍に鹵獲された。

こうしてアメリカ太平洋艦隊は壊滅した。

だが、米国側の不幸はハワイ諸島の占領、太平洋艦隊の壊滅だけでは終わらなかった。

 

1月 日本の潜水空母艦隊の攻撃にてパナマ運河が破壊された。

米国自慢の工業力は大西洋側に集中しており、太平洋側への軍事物質の大量輸送にはパナマ運河を使用しての船舶での輸送がどうしても不可欠であった。

そのアキレス腱とも言えるパナマ運河が破壊された事でアメリカは対日、太平洋戦略の見直しを余儀なくされた。

 

こうした日本側の快進撃にヒトラーは再び日本との同盟回復を図るも日本側はそれに対し、明確な拒否は示さないまでも同盟関係の回復に対して、難色を示していた。

やがて、欧州諸国はナチス機甲師団の手により蹂躙され、英国は孤立状態となっていた。

ソ連も北よりレニングラード、キエフ、オデッサを結ぶラインまで押し込まれ、冬将軍の支援を待つ有様であった。

北大西洋では独国海軍が暴れまわり、今にも米本土への直接攻撃も間近な勢いであった。

 

1943年11月 日本は米国が復旧したばかりのパナマ運河に対して、再度攻撃を仕掛けた。

復旧したばかりのパナマ運河は再び破壊され、またコロンへと急行していた米海軍、カリブ海艦隊も日本の潜水艦隊の雷撃を受けて壊滅した。

こうした事態に危機感を抱いたルーズベルト大統領は原子爆弾の研究・開発、『マンハッタン計画』を急がせた。

しかし、日本はその原爆研究所のあるロスアラモスを空襲し、研究所を破壊しアメリカの原爆開発計画を頓挫させた。

研究所爆撃の報告を受けたルーズベルトは失意の余り、脳溢血で急死した。

 

翌年の4月 ナチスの手を逃れて来た大勢のユダヤ人達を日本は受け入れ、樺太の地を彼らに壌土し、此処に極東エルサレム共和国が樹立した。

 

同年8月 日本はナチス第三帝国に対し、宣戦を布告。

 

そして、超大型大艇富士によるナチスの原爆研究所を爆撃し、アメリカ同様、独逸の原爆製作を頓挫させた。

この攻撃の成功により、日英同盟が復活し、独逸のインド、アジア進出阻止の為、共同歩調をとる事となった。

 

米国では、急死したルーズベルト大統領の後釜となったトルーマンもアイゼンハワー、マッカーサー、リーガンら三将軍のクーデターを受け、失脚した。

そして、1947年10月 日本は占領したハワイ諸島を米国側に返還し、此処に日米講和は成立した。

今や世界の戦局は欧州全土を支配下に置きつつあるナチス第三帝国改め、独逸神聖欧州帝国皇帝ヒトラー対日・米・英との戦いに移行した。

 

そして、ヒトラーの魔の手は欧州だけでなくインドまで伸びつつあった。

インドには名将、コンラッド・フォン・ロンメル元帥率いる機甲師団がヒンドゥスタン平原に侵攻、これに対して熊谷直少将率いる夜豹師団と英印軍が迎え撃ち、海上からは高杉、紅玉、紺碧の三艦隊が(これ)を支援した。

この攻撃を受け、ロンメル機甲師団は800両の戦闘車両と10万の将兵を失い、ヒトラーはインド・亜細亜侵攻を一時諦めざるを得なかった。

また、北海海域でも独逸と米・英の熾烈な戦いに英国救援に赴いた旭日艦隊は目覚ましい活躍をした。

 

旭日艦隊のその艦隊編成は、索敵と哨戒を主な任務とする新型のア号型潜水艦5隻からなる第一潜水遊撃戦隊

 

その後方に虎狼型巡洋戦艦3隻、秋月型防空駆逐艦2隻、神風型対潜駆逐艦5隻の前衛遊撃艦隊。

 

装甲空母信長、信玄型航空戦艦2隻、利根型防空巡洋艦6隻、秋月型防空駆逐艦4隻、神風型対潜駆逐艦1隻の第一遊撃打撃艦隊。

 

そして旗艦である超戦艦日本武尊、天照 秋月型防空駆逐艦5隻、神風型対潜駆逐艦4隻からなる司令直衛艦隊の4段編成となっている。

 

米国は大石長官率いる旭日艦隊の強力な戦闘力に脅威を感じた米国国防省は旭日艦隊の壊滅を内包した日・米共同のニルバーナ作戦を米主導で展開した。

これに対して、大石長官は、米国との関係を損なわずまた旭日艦隊の艦艇を失わずに済む奇策、三方面同時作戦を似てパラダイム変更を行う「理性の術策作戦」を下した。

理性の術策の第一作戦は、ヒトラーの暗殺と独逸軍の指揮系統混乱、麻痺させる「鴉天狗作戦」

第二には霞部隊による独逸軍新鋭円盤戦闘機基地を破壊する「木霊返し作戦」

第三は旭日艦隊による「送り狼作戦」は原子炉爆弾水中航行艦ホズの鹵獲とホズの母港基地の破壊であった。

これら3つの作戦の内、ヒトラー暗殺以外の作戦は全て成功した。

ヒトラーの暗殺は失敗に終わったが、この襲撃でヒトラーは重傷を負い、彼の野望を遅らせる事には成功した。

そして、木霊返し作戦の成功により、空からの脅威がなくなり連合軍は史上最大の上陸作戦を決行し、独逸領ブルターニュに橋頭保の確保を成功した。

 

鴉天狗作戦で重傷を追ったヒトラーは、今回の作戦の失敗の咎を理由に国家元帥兼空軍長官であったエアハルト・ゲーリングを始めとし、大勢の高級将校・士官を粛清した。

これによりヒトラーの側近及び軍上層部には新貴族と称される金髪碧眼の青年将校達がポストにつき、独逸軍の命令系統は従来の陸海軍の3長官からヒトラー一人によって完全に統制される事になった。

しかし、国民的英雄のロンメル元帥を粛清するのは流石のヒトラーにも出来ず、ロンメルには名誉の戦死を与え、排除すべくヒトラーはロンメルに膠着状態となっているソ連のウラル要塞攻略の命を下した。

 

ヒトラーがまさか自分の粛清を目論んでいるとは知らないロンメルは自軍の機甲師団を東部戦線の部隊と呼応し、ウラル要塞に立てこもるスターリン軍を攻撃し、ウラル要塞の防衛網突破を成し遂げた。

尚、肝心のスターリンは行方不明となり、その生死は不明となった。

 

ロンメルによるウラル要塞陥落の報を聞いたヒトラーは直ちにロンメルの暗殺を指示。

しかし、この命令はベルリンに潜んでいたロンメル派の地下組織からロンメルの下へ知らされた。

敬愛していた国家元首がまさか、自分の暗殺を企んで居た事にロンメルは失意を感じた。

その時、大高の親書を携えた本郷少佐がロンメルの下に現れ、ロンメルはヒトラーに対し反旗を翻し、自軍とロンメルを慕う機甲師団を率いて戦線を離脱し、蒙古軍の協力の元、アルタイ山脈を越えてモンゴルのウランバートルに駐屯した。

 

1949年10月 東部戦線に一応の決着をつけたヒトラーは本格的に英国征伐へと乗り出し、「月の兎撃ち作戦」を下令した。

これに対して大石長官は「吉良邸討ち入り作戦」を発動し、ヒトラーの「月の兎撃ち作戦」を打ち砕き、第一次英国征伐作戦「トド作戦」に次ぐ、英国本土占領作戦は再度失敗に終わった。


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