オーバーロード ワン・モア・デイ   作:0kcal

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※このSSは10巻までの情報による妄想設定を基礎として書かれております。話が進むごとに妄想や捏造はどんどん増えます。予めご了承ください。


Dealing

  西街区中央通りの三階建ての酒場兼宿屋「鉄兜亭」は、エ・ランテルに三つある冒険者専用宿の中で最もランクの低い、初心者から半人前のねぐらである。宿代と飯代――ただし酒は除く――は冒険者組合からの援助によって、同程度の宿泊施設よりも安い。

 ちなみに宿としての評価は”飯が一食つく分、最底よりちっとはまし”と言われる程で、金に余裕がある冒険者にはまず選ばれず余裕ができ次第出てかれるような場末の宿屋である。

 

 その「鉄兜亭」の半分以上の宿泊客、すなわち準備のできた冒険者達が墓地へと向かったために妙に広く感じる酒場の隅の席で、ブリタは顔なじみであり直近の仕事を共に受けたパーティの野伏(レンジャー)でもある、ペール・オーリケと向かい合って黙り込んでいた。

 

(気まずい……)

 

 彼が離脱した後何があったかは、冒険者組合での聞き取り後に組合で話した。当然組合から口止めされた事項には触れないように。

 だが、組合からの帰り道にもう少し詳しくと請われ、自分だけ生き残った後ろめたさに断り切れずに隅の席で声を潜めて、周辺の様子を窺いながら先程まで説明していた。

 暗黙の了解で聞かれたくない話をする時に使われている席のため、声をかけたり耳をそばだてたりする常連はいない、筈だ。だが、冒険者組合で口止めをされた内容に触れずには出来ない話なのだから注意するのは当然だ。

 

 ペールは仲間の末路を聞いた後に、口止めされた吸血鬼(ヴァンパイア)の情報を強く希望した。やはり断れなかったが、やめるべきだった。

 そう思ったのは下位吸血鬼(レッサーヴァンパイア)を魔法で生み出したこと、銀の武器が効かなかった事、他に吸血鬼が二体潜んでいた事等を話した後に、なぜ君だけが助かったのか……わかるだろうか、と聞かれたからだ。

 

 辛かった。表情や声の調子からブリタに気を使っている事もわかったし、その声に責めるような響きはなかったが、それがまた苦しかった。

 

 自分を”デザート”と呼んだこと、逃げ出すまで攻撃してこなかったこと、魔法で捕縛され夜盗の本拠地に囚われていた女性達と共に置き去りにされた事、夜が明けても吸血鬼が戻ってこなかったので必死に逃げ出した事まで、なるべく細部を思い出さない様に話した。

 それでも冒険者組合で念を押して半ば……いや、明らかな脅迫で口止めされた”ポーション”の事だけは話していない。

 

 これで全部、とブリタが話を切り上げた時、ペールは哀しそうな表情を見せた後で礼を述べ……それから沈黙が続いている。それなりに長い付き合いである彼には、自分が隠し事をしている事が分かってしまったのかもしれない。

 

(あたしが黙ってても、おやっさんやあいつらに聞けばすぐわかっちゃうよね……)

 

 沈黙に耐えきれなくなり、楽になるための逃げ道を考え始めた途端、冒険者組合で殺気を放ちつつ、口止めをしてきた組合員の姿が浮かび震え上がる。

 しかし、話をした後で彼に聞き込みをしてもらい、口裏を合わせてもらえば自分が話したとわからないかもしれない。彼も組合から口止めをされているのはわかっている筈で、情報と引き換えにその位は引き受けるだろう。

 それに明日になれば冒険者をやめるのだし、あてが出来たらこの都市からも離れるつもりなのだから、数日間ばれなければ……そこまで考え意を決して、ブリタが口を開こうとしたその時、宿の扉が大きな音を立てて開く。

 

「主人、いるか!……これだけか?」

 

 声をあげながら飛び込んできた男は、顔だけはブリタも知っている。冒険者組合の使者をやっている男だ。いつもの半分も冒険者がいない酒場内を見まわし、困惑した様子を見せている。しかし、これは店に残っていた者も同じだ。この鉄兜亭に冒険者組合の使者が来るなんてことは、まずありえない。そんな様子を意に介さず、おやっさんがいつもの調子で使者に答えた。

 

「久しぶりだな。ここに居ない飲んだくれ共なら、共同墓地に沸いてるっていうアンデッド狩りに出かけたぜ。なんだ?」

 

「その件だ!先に動いてくれていたのはありがたいが、今残ってる全員も参加してもらう!これはエ・ランテル冒険者組合からの緊急救援要請だ」

 

 その言葉に、ブリタは反射的に顔を伏せる。そんな事をしても意味がないのは頭ではわかっているのに、そうするしかなかった。墓場で発生した大量のアンデッド、その中心にはあの吸血鬼がいるのではないか?逃がした獲物を見つけて襲い掛かって来るのではないか?先程まで考えまいとしていたことが、急に現実の問題として襲い掛かって来た事に耐えられなかったのだ。

 

(緊急救援要請って……なんで!なんで今夜!明日にはプレートが返せるのに!)

 

 緊急救援要請。エ・ランテル冒険者組合の歴史でも数回しか記録は無いが、モンスターにより多くの人間の命が失われる危機にある、と組合が判断した時に出される断れば罰則の適用がある最上級要請だ。これはエ・ランテル冒険者組合独自の制度で、都市の特異性及び立地が大きく影響している。

 

 まず、敵対国家である帝国と接する最前線であるため、都市内部に儲けられた総面積一割強の巨大墓地を内包している。その巨大さゆえに、丁寧に埋葬しているにも拘らず、アンデッドが頻繁に沸く墓地と言うのがいかに危険かは言うまでもない。

 そして北にはドラゴンやジャイアントが生息するといわれるアゼルリシア山脈と、都市近郊部まで広がるトブの大森林。さらに南西には多数の亜人が生息するアベリオン丘陵の東端山脈と荒野、南東にはアンデッドの跋扈するカッツェ平野が広がっている。いずれも人間から見れば危険なモンスターを腹に納めた土地ばかりだ。

 事実、過去には大森林より亜人やモンスターの群れが、山脈方面からは亜人の一部族が、カッツェ平野からはアンデッドの群れが押し寄せた記録がある。エ・ランテルは帝国と法国という人類国家との最前線都市であり、複数の人類以外との最前線都市でもあるのだ。

 

 とはいえ、最後に要請が出たのは現役冒険者で要請を受けたことがある者はいない程昔の事で、形骸化した制度だと皆が思っていた。

 

「モンスターが多いのに、エ・ランテルにオリハルコン級以上の冒険者がいないのはどういうことだ?」

「緊急救援要請があるからさ。誰だって、金があったらささやかな支援と引き換えで強制なんかされたくない」「ちがいない」

 

 なんて冗談の種として使われてきた程だ。たった今要請を聞くまでは。

 

 だが、聞いた話では一人前と目される銀級以上ならともかく、初心者と半人前扱いの銅・鉄の冒険者にまで要請が出たことはない筈だ。衛兵では対処不能なモンスターに対処することを期待されているのだから、民兵より強くとも衛兵と大差ない鉄、それ以下の銅に要請する意味はないからだ。それなのに要請が出ているのは何故か。残っていた数組の冒険者達もざわめき始めている。

 おやっさんが、眦を釣り上げて皆を代弁するように使者に問いかけた。

 

「……こいつらまで、駆り出さなきゃいけねえ状況なのか?」

 

「人手が足りないんだ!墓地西門と南門に強力なアンデッドが率いる群れが押し寄せている。金級以上で何とか対応しているが、それで精いっぱいだ。墓地の壁を乗り越えるアンデッドも出てきていて、残りの連中と衛兵で何とか阻止しているんだ。このままでは城壁を越えられて街区に入り込まれかねない。いや、もしかしたらもう入り込まれてるかもしれん。急ぎ墓地へと向かって欲しい!」

 

 街区にモンスターが入り込むような状況と聞き、残った冒険者達も弾かれた様に装備や道具を整え始めた。向かいに座るペールも立ち上がったのが気配でわかるが、ブリタは下を向き続けた。

 その間も、おやっさんと使者のやり取りは続く。

 

「待て、正門方面は大丈夫なのか?」

 

「正門周辺には今現在、アンデッドの群れは押し寄せてはいない」

 

 使者の言葉に、酒場に響いていた音が少し小さくなる。

 

「……正門は西門と南門の間だ、なのにそこは平穏無事だってのか?」

 

「正確には出現した。だが颯爽と現れた、二本の大剣を振う御方に全て倒され、助けられた……と衛兵側から報告が入っている」

 

「……おい、何を言っている?」

 

「煌めく炎から創られたが如き、見事な鎧を纏ったその御方はそのまま墓地に突入し、その後アンデッドの群れは押し寄せていない……そうだ。今は衛兵達で封鎖し警戒に当たっていると聞いた」

 

 今までの使者の話と隔絶した言葉に驚き、吸血鬼の幻影が霧散したことで、自然に顔が上がった。使者の言葉を信じるのならば、その人物は大規模なアンデッドの群れをほぼ単独で掃討し、そのまま大量のアンデッドが跳梁跋扈するであろう死地に突入していった事になる。現実とは思えない、まるで伝説の英雄譚、おとぎ話の類だ。そんな鎧を着た人物は、このエ・ランテルで一人しか見た事がない。他にいる筈もない。

 

「なんだと、それはまさか・・・・・手を止めんな!行くならさっさとしろ!」

 

 気がつけば、用意をしていた冒険者達も思わず手を止め、自分と同じくおやっさんと使者の話に耳をそばだてていたようだ。それに気がついた様子のおやっさんが大きな声を上げ、冒険者達が再び動き始めたのを確認し、先程よりも小さい声で再び使者と会話し始める。

 

「状況は分かった。だが全員動けってのは無茶だ。お前だって知ってるだろう?」

 

「知っている。だが、まだ彼らは冒険者だ。緊急救援要請である以上、従ってもらう」

 

「無理に動かしても、碌な事にはなんねえ」

 

 声に込められた怒気と会話の内容に再び驚き、ついそちらを見てしまった。ちょうど使者の目が隅にいた自分達に向き、慌てて顔をそらす。おやっさんが自分達を庇ってくれている時に褒められた態度ではないが、それは後で謝るしかない。

 

「言いたいことはわかる、だがな……」

 

「おやっさん、気を使わせてすまない。だが俺は大丈夫だ」

 

 (なにいいだしてんの!やめてよ!)

 

 ペールの言葉に裏切られたような気持ちが瞬間的に沸き起こり、口から罵声が飛び出しそうになるが、なんとか心の内で収める。冒険者としては彼の反応が正しいし、その事を非難すれば使者の心象が悪くなるだけってことも、いくら今の自分だってわかる。だが、せめておやっさんが使者と話している間は黙っていてほしかった。 

 

「だがおめえ……」

 

「いいんだ。こんな状況で凹んでて動かなかったら、それこそあいつらに笑われちまう」

 

「そうか、なら行ってこい。だが変に気負うんじゃねえぞ」

 

「ああ、行ってくる……出来れば上手く取り計らってやってくれ」

 

 ペールはこちらをちらっと見て装備を担ぎ、外へと飛び出していく。最後のおやっさんへの言葉だけはありがたいが、これで今、酒場に残っている冒険者はもう自分だけになってしまった。視線が痛い。再び吸血鬼の姿が頭にちらつき始め、とにかく断りの意志を口にしないと、との思いだけで震える口を開いた。

 

「あ、あたしは……」

 

「駄目だ。先程も言ったが、まだ君が冒険者である以上要請は受けてもらう。拒否するなら、最低でも規定通りの罰金を払ってもらう事になるぞ」

 

 有無を言わせぬ口調で懇願が切り捨てられ、涙が出そうになる。だがそれも向こうの立場を考えれば当然の事だ、と考える冷静な自分もいた。

 冒険者は冒険者組合によって、少なからず守られている。依頼の事前調査などがそれだ。その代わりに、所属組合規則を遵守することが義務付けられており、違反すれば罰則がある。主な罰則はランクダウンと罰金だが、違反を抑止する目的ゆえに一ランク上でも痛手になる額が設定されているのが通例だ。

 

 しかも、エ・ランテル冒険者組合は緊急救援要請等の設定、冒険者への依存度が高い等の理由で、専用宿への支援や薬草使用ポーションの廉価販売、果ては神殿治療代の助成すら行っているのだ。それゆえに罰金額も高く、要請拒否の罰金ともなれば手持ちの装備を全て売り払っても今のブリタが支払える金額ではない。

 一括で払えなくとも、冒険者を続けるならば報酬から割合で天引きされる形で払うことも可能だ。だが、罰金を払い終わるまで昇格試験を受けることはできないし、なにより一番の問題は冒険者をやめることが出来ない。

 罰金を払わずに逃げた場合、各地の冒険者ギルドに手配書が回ってお尋ね者になるとか、暗殺者が差し向けられるという噂も聞いている。恐怖の板挟みで頭が混乱して、何か言おうとするが言葉にならない。

 

「……なあ、さっきもう街区に入り込んでるのもいるかもしれん、と言ってたな?」

 

 軽くため息をついたおやっさんが使者に話しかけてくれた御蔭で、視線が外れ少しほっとする。出来れば、このまま自分には話しかけないでほしい。

 

「ああ、だがあくまで推測だ」

 

「じゃあ街区に入り込んでるのがいるかどうか、見回る奴もちっとは必要じゃねえのか?全員で墓地に向かって、見逃したのが街区で暴れたら事だぞ」

 

「それは衛兵が……いや、今は衛兵も……なるほど一理あるな。それを彼女にやらせると?」

 

「一人だけじゃ逆に危ねえだろが。俺がこいつと一緒に見回る、報酬なんかは……まあ、こいつらと同じでいい。それで勘弁してもらえねえか」

 

「おやっさん!」

 

「大丈夫だ、引退したロートルだが元金級だぞ?まだお前ら程度にゃ負けねえよ」

 

 使者を説得してほしいとは祈っていたが、おやっさんの言葉は余りにも意外だった。確かに、その悪人然とした風貌に似合わない善人であることは知っていたが、ここまでお人よしだとは思っていなかった。 

 

「それより勝手に話進めちまって悪かったが・・・・・墓地に行くよかあ、ましだろ?」

 

「わかったわかった、では私も一緒に見回ろう」

 

 おやっさんに返答する前に、更に意外な言葉が使者から飛び出した。先程とは違う混乱が襲ってくる。

 

「城壁や墓地で姿を見なかったと言われた時、私が証言できる。それに、アンデッドが相手では戦士二人では対処できない場合もあるだろう」

 

「んだよ、折れるならさっさと折れとけよ、めんどくせえ。俺がかっこつけたのが霞むだろうが」

 

 やれやれといった様子の使者とおやっさんに、慌てて立ち上がり深く頭を下げる。床に涙がこぼれたが、これはさっき眼にたまった涙ではなく、安堵と感謝からくる涙だ。

 

「すみません、すみません、本当にすみません」

 

「ああ、ああ、あまり気にしないでくれ、これも仕事だから……それに大きな声では言えないが、特例を作って見逃す方が後が大変なんだ。それよりはどんな形であれ要請を受けてもらった、という形の方がいい。わかってくれたか?では急いで支度をしてきてくれ」

 

 

 

 

 急いで装備をとって来たブリタが外に出ると、短い杖を腰に差した使者が待っていた。すぐに、給仕の男に留守番を頼んだおやっさんが外に出てきた。

 

「待たせたな、どっからいけばいい?」 

 

「では街区を見回るとしよう、大通りから内側は見なくてもよいだろう。もし居れば大騒ぎになっている」

 

「城壁に面した区画もだな。流石にそこをうろついてるのは、城壁にいる奴らが気がつくだろう。となると貧民窟(スラム)の中を回ることになるな……それでいいか?」

 

 ブリタがこの中では一番経験に乏しいのに、意思確認をするのは自分が現役の冒険者だからだろうか。だが、自分は所詮鉄級。経験が豊富なおやっさんの指示に従ったほうがいい。

 

「おやっさんの指示に従うから、いちいち確認しなくていいよ」

 

「そうか、じゃあ俺が先頭で進む、次はお前だ。最後尾のそいつも元冒険者だが、魔法詠唱者だからな、腕っぷしは期待できねえ。急に物盗りかなんかが襲ってきたら、お前が守れ」

 

 おやっさんの言葉に使者が少しむっとした表情になるが、焼けてもいない筋肉が碌についていない細腕では、自分にも力で勝てないだろう事は明白だ。

 

「わかったよ、えーと……」

 

「オロフ・バーリマンだ、よろしくブリタ」

 

「バーリマン、……さん、よろしく」

 

 一行は静まった夜の西街区を、ゆっくりと進んでいく。裕福な家や施設が多い東街区ではこの時間でも家々に灯りが灯っているものだが、貧しい者たちが暮らす西街区ではあまり明かりが灯った家がない。

 空の西側、つまり城壁の方がいつもより明るいのは、篝火を余計に焚いているのだろうか。裏通りを少し歩いたところで、後ろから声がかけられた。

 

「……ところで、あいつの名前は知ってるのか?」

 

「おやっさんの名前?」

 

「その様子じゃ、知らないみたいだな」

 

 バーリマンの声には面白がるような響きがあった。その声を聞き、先頭を歩いていたおやっさんが振り返る。

 

「おい……何、人の事こそこそ喋ってやがる」

 

「いいじゃないか、臨時とはいえパーティなんだから。名前位互いに知っておくべきだろ。なあ、クリステル・ゲッダ・フリードリン殿?」

 

「……クリステル?あれ?」

 

 名前と姓だけではないという事は、平民じゃない。立ち止まってこちらを見ているおやっさん――クリステル・ゲッダ・フリードリンは、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。ランタンの明かりに照らされた禿頭、顔にある複数の刀傷、いかつい容貌は貴族というより、世闇に紛れて商人を襲う賊の親分にしか見えない。

 

「……おやっさん、いや、ええと、フリードリン、さんは貴族なんですか」

 

「称号ねえんだから、気がつけよお前も。ランクが上がれば、いずれ貴族と話す時が来るんだぞ……貴族出身ってだけだ。やめろ、その呼び方。気持ちわりい。今まで通り、おやっさんと呼べ……オロフ、手前後で覚えとけよ」

 

「専用宿なんて任されるのは、ある程度はって話だな。若者と話すとっかかりがないんだよ、黙ってるのが苦手なのはお前も知ってるだろう」

 

「状況わきまえろや、これだから魔法詠唱者は……」

 

「わきまえてるよ。危険地帯に入る前にコミュニケーションをとって、過度な緊張をほぐすのも大事なことだ」

 

「え?」

 

「ちっ……もう少し先からスラムだ、静かにしろよ」

 

 もしかして、自分の事を気遣って話しかけてくれたのだろうか。スラムに入ると辺りを警戒しつつ、静かに歩く。治安の悪いスラムでは可能性は低いとはいえ、最初に言われた通り集団の物盗りや、潜伏してる賊の集団に襲われないとも限らないからだ。

 先頭を歩くおやっさんを見れば賊の方が逃げ出すか、挨拶をしてきそうな気もするけど・・・・・と考えていると、そのおやっさんが立ち止まった。

 

「……よし聞け。今、白い靄があそこの路地を曲がった。幽霊(ゴースト)だと思うんだが、死霊(レイス)って事もあり得る」

 

「見間違いってことは?城壁にも神官様はいるんでしょ?」

 

「いや、ゴーストやレイスであれば十分にあり得る。どちらも空を飛べるし、音も出さない。闇に紛れるように姿を消すこともある厄介なアンデッドだからな」

 

「そいつのいう通りだ、見間違いじゃねえよ、何度も戦った。それでだ、どちらであっても普通の武器じゃ対抗できねえし、精神か負の攻撃が来る。それに、ここはスラムと言っても街区だ。騒ぎにして、飛び出してきた住民を巻き込みたくはねえ。武器への付与魔法と抵抗、あと消音を頼めるか?」

 

「出来るが、多人数に同時にかけることはできない……む?」

 

 バーリマンが何かに気がついたように言葉を切った。なんとなくその視線を追ってみるが、特に何もない。

 

「なにかいた?」

 

「いや、すまない。あー、それにだな、私自身には消音はかけられない。魔法が使えなくなってしまう。私は<フォースト・クワイエット/強制静音>でいいな?」

 

 <フォースト・クワイエット/強制静音>は音を完全に消し去るのではなく、抑制するだけの魔法と説明される。

 

「すまん。その辺はまかせる。それよりも、見失わねえうちに先行して追跡するから、まず俺にかけてくれ。″燐光液”を垂らしておくから、お前たちは後から追って来い」

 

 燐光液は空気に触れると蒸発するまでの間、微かな光を発する錬金液体だ。垂らす量によって発光時間を調整でき、調合により色を変えることもできるので愛用者も多い。ただし光量は本当にわずかなので、夜間の目印に使われるのが主だ。

 

 

「<マジック・ウェポン/武器魔法化><レジスタンス/抵抗力>、<サイレンス/消音>」

 

 

 支援魔法を受けたおやっさんがスルリ、と戦士らしからぬ動きで路地の先へと進んでいく。消音の効果がなくとも、音が殆ど出ないと思われる動きだ。

 

「おやっさん、戦士じゃなかったんだ……」

 

「あいつは戦士だ……が、野伏の技術も修めてるんだ。さ、魔法をかけるぞ、気を楽にしてくれ」

 

 

 

 

 ほぼ一定間隔で垂らされた燐光液をたどって、ブリタとバーリマンは静まり返った深夜のスラムを進んでいく。目立たぬ様にランタンのシャッターを降したため、月明りと燐光液だけが頼りだ。バーリマンの速度に合わせているためか、結構進んだのに先を行くおやっさんの姿はまだ見えない。このままじゃ、もしかすると……。

 

「戦闘になるまでに、追いつけないかもしれないか……よし、先に行ってくれ。支援魔法が切れては元も子もない」

 

 バーリマンも同じ事を考えていたようだ。振り向いて賛同の意を示すため大きく頷き、勢いよく駆けだす。消音の効果で、走っているのに自分の足音も息づかいも感じられないのが、少し変な気分だ。無音の路地を進み、二つ目の角を曲がったところで、先の曲がり角を曲がるおやっさんらしき影が見えた。やっと追いついた、足に力を込めて走って角を曲がる。

 

(あれ?……行き止まり?)

 

 角を曲がると、少し先は袋小路だった。こちらに背を向けたおやっさんが、壁の少し手前で周囲を警戒するように見回している。アンデッドを見失ったのだろうか。

 

「~~~~~?」

 

(おやっさん?……あ、声は出ないんだっけ)

 

 つい声をかけようとして、まだ魔法の効果が残っている事に気が付く。近付いて肩をたたこうとも思ったが、叩く方向や位置を決めていない。たまに聞く事故の様に警戒してるおやっさんに不用意に近付き、触って反射的に攻撃されてはかなわない。軽く音を立てようにも、魔法の効果で息の音もしない。こういう時は、どうすればいいのだろうか。

 

(仕方ない、か)

 

 間合いを十分に取って周囲を見回し、なるべく小さな石を拾い、おやっさんにむけて軽く放る。ちょっと怒られるかもしれないが、他に思いつかないのだから許してもらおう。

 

 

 小石が当たり、おやっさんが振り向いた。

 

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」

 

 

 ブリタの口から、音にならない悲鳴が上がる。

 

 振りむいたおやっさんの顔は――鼻も、眉毛も、眼球も、唇も、歯も、舌も無い。ただ、三つの黒い穴が開いているだけだったのだ。

 

 

 

 

 

 

(なに?なんでおやっさんが化け物に?アンデッドに憑りつかれた?)

 

 向かってくるおやっさん――らしきものから慌てて逃げ出したが、様々なことが混乱した頭の中を駆け巡っていく。顔以外は全て先刻までと変わらぬおやっさんだった、間違いない、気持ち悪い。

 走ったまま後ろを振り返れば、角を曲がってあの化け物が姿を見せた。

 

(ひっ!)

 

 やはり見間違いではない。服も装備もおやっさんなのに、顔は黒い穴が三つ開いているだけだ。殆どが見知った人と同じなのに、決定的に異様な部分があることが、背筋を毛虫が這ったような怖気が襲ってくる。

 

 自分にはあれが何なのか、どうしたらいいのかわからない。とにかく逃げ、逃げないといけない。まだ道に燐光液が残っている、これをたどれば途中までは何とか――

 

 

「うおっ!?」

 

「うぁっ!?」

 

 

 突然衝撃に襲われて、視界が急転し、また強い衝撃に襲われる。夜空と路地の壁が目に入ったかと思うと手にべちゃり、と液体がついた感覚。角を曲がった所で、何かにぶつかって跳ね飛ばされたのだと遅れて理解するが、頭がくらくらする。

 

「おい、大丈夫か?なにがあった?」

 

 声の方を見上げれば、バーリマンがこちらをのぞき込んで手を伸ばしている。のろのろと手を伸ばすと、腕を掴まれてぐいっと引き上げられた。腕が痛い。

 

「おい、聞こえてるか?」

 

 痛みと声で、思考が覚醒する。と同時に、自分の置かれていた状況が蘇った。急いで逃げようと体を動かすが、腕を掴まれていて走れない。

 

「お、おやっさんが、化け物に!早く逃げないと!」

 

「おい、何を言ってるんだ?ちゃんと説明しろ!あいつに何があった!」

 

 何でわからないのか、自分の後ろには化け物が来ているのに。だが腕を振りほどこうとしても全く振りほどけない。

 

「化け物が追ってきてる!離して!逃げないと!」

 

「……何もいないようだが?」

 

「えっ?」

 

 バーリマンの声に後ろを振り向く。そこには燐光液が点々と光る路地があるだけで、あの気持ちの悪い化け物の姿はなかった。

 

(バーリマン、さんを見て、逃げた?)

 

「何もいないな?さ、何があったか説明しろ」

 

「は、はい。ええと、あの角を曲がったところにおやっさんがいて、それで、おやっさんが振り向いたら、憑りつかれたのか、化け物になってたんです」

 

 自分が上手く説明ができない事にいらだったのか、バーリマンが眉を顰める。

 

「化け物というのは、あいつのことか?」

 

「そうです、顔が無くなってて、なんて言ったらいいか、目も、鼻も、口も無くなってて穴が三つ空いてるような」

 

「なんだと!それは、まさか……」

 

 バーリマンの眼が、驚きで大きく見開かれる。これは何かを知っている反応だ。だとすれば、何とかなるのかもしれない。

 

 

 

 

「――こんな顔ではないか?」

 

 グニャリ、とバーリマンの顔が崩れ、”あの顔”があらわれた。

 

 

 

 

 悲鳴を上げる前に背後から長い、節くれだった指を持つ化け物の掌がブリタの顔を掴んだ。

 凄い力で口が塞がれ、声が出せない。目を動かして背後の何者かを見れば、それはやはりあの化け物だった。

  

(嫌だ!なに、一体なんなの!おやっさんもバーリマンもどうなっちゃったの!)

 

「死にました」

 

 目の前の化け物からでも、背後からでもない、ブリタの視界外から声が響いた。

 

(嘘!だって、さっきまで……)

 

「本当です。こんな出来では彼らも浮かばれないでしょうが……さて、そろそろ閉幕です。しかし、貴女は運がいい」

 

 ブリタの思考を読んでいるかのような謎の声、その言葉は意味の分からない部分ばかりだが、真実なのだろう。

 いつの間にか目の前の化け物は人間ですらない、何か違う化け物の姿になっており、空いた方の手には細身の剣が握られている。体に力が入らない、まるで命そのものを吸われているようだ。

 

 

「あれだけの事をしながら、この程度の罰で永遠の苦痛を自覚せずに済むのですから」

 

 

 やはり言葉の意味は分からなかった。涙が溢れ、視界が閉ざされる。

 

 

 あたしは何をしたんだろう。あたしの何が悪かったんだろう。 

 

 

 風を切る音がブリタの耳を打つ。

 それが、ブリタの最後の感覚となった。

 

 

 路地裏に、虚空から再び声が響く。

 

「貴女は運が悪かった。ただ、それだけです。世界の終わりまで……安らかにお眠りなさい」

 




 アインズ様の出番が全くない話を投稿するとか、不遜すぎてびっくりするーっ!

 前回に引き続き言い訳の後書きです。
 まさかのアインズ様出番なしに戦慄し、いっそのこと外伝か何かにしてしまおうかと一度はBOXに放り込んだのですが、気になって続きが書けないので投稿してしまいました。


3期のPVが昨日公開されたのでテンションは上がっています。
3期も10日から放映されますし、楽しみですね。
次話はもう少し早く書けると信じて……過度な期待はせずにお待ちください。

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