英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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36話

 ハリーとハーマイオニーが医務室の真ん中で消え、次の瞬間に息を切らしてドアを開けて帰ってきたその後、オーシャンもロンも訳の分からぬまま、マダム・ポンフリーの看病を受けていた。その最中に肩を怒らせたスネイプ先生が医務室に乗り込んで来て、ハリーに何をしたと詰問した。どうやら、ブラックが逃げたらしい。

 「セブルス、いい加減に落ち着くんだ」スネイプ先生の傍らにいる魔法大臣が言って、二人の後ろにいたダンブルドア校長は、オーシャンに向かってさりげなく片目をつぶって見せた。それを見てオーシャンは悟る。ハリーとハーマイオニーに起きた不可思議な現象は、ブラック逃亡と何か関係があるのだ。

 

 「アズカバンを逃げ出した男だもの。ホグワーツから抜け出すくらい、わけもなくやってのけるのでは?」

 そう言ったオーシャンを向いたスネイプ先生の顔は、もはや阿修羅像の様だった。オーシャンは続ける。

 「先生にはもう少し、生徒を信頼するという事について考えていただきたいと思うのですが?」

 「その生徒が頑強な鎖を持って我輩を縛り上げたりしなければ、我輩もそれに答えるだろう」微笑んだオーシャンにスネイプ先生はぶっきらぼうに答えた。

 「あの時、私は錯乱していたものですから。そうでしょう、先生?」

 しばらく前のスネイプ先生の発言を逆手に取ったオーシャンに、先生は侮蔑にも似た表情を見せた。

 

 結局、先生は自分の主張を正当化する事が出来ず、肩を怒らせて出て行った。魔法大臣と校長の二人も、今後の対策を話し合いながら程無くして出て行った。またブラックが逃げたと世間が知れば、魔法省ではふくろう便の洪水が起きるに違いない。

 先生達が医務室を出て行き、マダム・ポンフリーも事務所へ戻ると、ついにロンとオーシャンはハリーとハーマイオニーが成し遂げた事の全貌を聞く事となった。二人はブラックを逃がしただけではなく、ハグリッドの小屋に繋がれて処刑の時間を待つばかりだった、罪無きバックビークの命も救っていた。ヒッポグリフの背に跨って、フリットウィック先生の部屋からブラックを救い出し、二人を自由な夜空へと送り出したのだった。

 

 あの吸魂鬼に囲まれた時、湖のあちら側から完璧な守護霊を出現させて全員を救ったのは、現在のハリーだった。道理で、呪文を唱えた声に聞き覚えがあったはずだ。

 今、名付け親を救ったハリーの顔は晴れ晴れとしていた。そんな大それた事をやってのけた後輩二人に、オーシャンは感慨深いものを感じたのだった。

 

 

 

 翌日にオーシャン以外は退院の許可が下りて、三人はオーシャンに励ましの言葉をかけて医務室を出て行った。

 「どうして、私だけ?今日は試験があるのですけど…」 

 マダム・ポンフリーの診察を受けながらオーシャンが聞く。マダムは「一週間と言ったでしょう!」と、厳しい顔をしている。「そうそう。『魔法薬』の試験については、免除だそうですよ」

 校医が事も無げに言ったのを聞いて、オーシャンの声が裏返った。

 「…は?め、免除って…O.W.L試験ですよ!?」

 「前代未聞ですねぇ。O.W.L試験が免除されるなんて。スネイプ先生がいらした時、苦虫でも噛み潰したような顔で言う先生に、思わず聞き返してしまったもの」 

 

 マダムの言葉に、昨日の記憶が蘇る。夜の校庭で先生を縛り上げた事。深夜にベッドの上から、先生に挑戦的な態度を取った事。スネイプ先生は確実に怒っている。O.W.L試験を私情で免除できるのかは知らないが、確実に怒っている。生徒の将来に関わる大事な試験を受けさせないとは。これは然るべき所に訴え出る必要がありそうである。

 「何て器の小さい真似をするのかしら…」

 反抗的な態度を取った自分の事は棚に上げて、オーシャンは呟いた。マダム・ポンフリーが診療記録に何かを書き加えていると、突然医務室の扉が開いた。

 

 「Ms.ウエノ。調子はどうかね?」

 微笑みを湛えながら悠然と入ってきたのは、ダンブルドア校長だった。

 「校長先生、おはようございます。もう何も問題ありません。元気ですよ」

 「嘘おっしゃい。まだ顔色が戻ってないわ」マダム・ポンフリーの一言は、校長の耳には届かなかった様だ。「それは重畳。今日は天気がいい。どうだね、少しわしと散歩を楽しまんか?」

 確かに、窓から入り込んでくる日差しに誘われていた事は否めない。だからってわざわざ、校長先生が誘い出しに来るにはきっと何かあるに違いない。

 「少しの間、許しておくれ、ポピー。大丈夫、少し散歩に付き合ってもらうだけじゃ」

 マダム・ポンフリーはもの言いたげだったが、やがてマクゴナガル先生の様にぎゅっと口元を結ぶと、事務所に下がっていった。

 

 校長と二人で医務室を出た。「ついておいで」と言って歩き出した校長の足は、門にも中庭にも向いていなかった。その背中が階段を上がりかけた時、オーシャンは尋ねた。

 「…ルーピン先生はどうされていますか?」

 校長は、オーシャンの顔を見ずに答えた。「荷物をまとめておるよ」

 「何故です?」

 校長は悲しそうな顔で答えた。「スネイプ先生が、今朝の朝食の席でうっかり話してしもうての。今朝一番で、退職された。本人の意思じゃ」

 その後二人は無言で階段を上がり、ルーピン先生の部屋のドアを叩いた。そこには先生とハリーがいた。部屋の中の荷物は片づけられて、がらんどうになっている。

 

 「リーマス、門のところに馬車が来ておる」

 ルーピン先生は校長に礼を言って、トランクを携えて部屋を出た。

 「じゃあ、ハリー。またいつか会おう。君に教える事が出来て、嬉しかった」

 「生憎と、この後予定が立て込んでいてな。代わりの者を見送りに行かせるから、許しておくれ」

 そう言って校長は、後ろに控えていたオーシャンを手で示した。ルーピン先生は少し驚いていたが、すぐにいつもの笑顔を見せてくれた。

 

 

 トランクを片手に階段を下りて行く先生の隣を歩きながら、オーシャンはどう声をかけるべきか迷っていた。先生、辞めないで?行かないで?もっと貴方に教わりたかった?

 退職が本人の意思であるならば、今更覆しようが無い。では彼の未来を祈って、明るい言葉で送り出すべきか?恐らく自分の手の届かない所に行ってしまうであろう、彼の未来を…。

 「あの…」

 オーシャンがようやく絞り出した声に、ルーピン先生は足を止めた。彼女を振り向く。

 「か、体に気をつけて…」

 声が震える。全身を突き抜ける悲しみに、鼓動が速くなる。もう少し、あと少しで、ルーピン先生はここからいなくなる。

 か細いオーシャンの声に、先生は静かに答えた。「-うん、ありがとう」

 

 もう、この声が聞けなくなる。もう、あの笑顔が見られなくなる。

 「ウミ…?どうしたんだい?何で-?」

 先生の言葉は、もう聞き取れなかった。ボロボロと落ちてくる雫は、拭っても拭っても止められない。すると先生は、涙を手で拭うオーシャンにポケットから取り出したハンカチを握らせた。微かに古タンスの匂いのするそのハンカチにオーシャンは顔を埋めて泣いた。

 涙の止まる魔法は、無い物だろうか。先生はオーシャンが落ち着くまで、じっと待ってくれた。

 

 涙が落ち着く。悲しみはあるが、心の臓はとりあえず落ち着きを取り戻しつつあった。ハンカチから顔を上げたオーシャンに、ルーピン先生が言う。

 「何でそんなに、悲しいんだい?」

 「悲しいに決まってるじゃない。先生がいなくなってしまうなんて」

 「すぐ新しい先生が来る。私よりも、ずっといい先生がね」

 「…貴方以上の先生なんて、いるわけがないじゃない」

 「ごまんといるさ」

 ぽつぽつと話しながら、二人は歩を進めた。門に着くと、一台の馬車が待っていた。羽が生えた、馬には似ても似つかない生き物が数匹、車に繋がれて出発を待っている。

 

 「じゃあ、見送りありがとう。ウミも元気で」

 振り返ってそう言う先生の表情に、また涙が流れそうになる。先生はトランクを置いて、手を差し出した。別れの握手に応じたオーシャンは、彼の手をぎゅっと握った。先生の節くれだった手は大きくて、オーシャンは両手を使って包み込んだ。離したくない、と、彼女の中の誰かが言っている。

 「…君に貰った花籠、大事にするよ」

 その言葉を聞いた時、心の臓が一つ、どくんと跳ねた。彼の微笑みが、全身に染み渡っていく。今この時、その胸に飛び込んで行けたなら、どんなにいいだろう-そう思った時、オーシャンは初めてこの感情を理解し、向き合った。この人がずっと笑顔で生きていける様な、そんな世界で、彼を守りたいとさえ思った。

 

 「…またいつか会えたら、その時は-」彼の手を固く握りしめ、彼の目をしっかりと見つめて、オーシャンは笑った。「-もっと素敵な花籠を持って、会いに行くわ。真っ黒い犬に乗って」

 先生が最後に見せたのは、笑顔だった。

 

 

 

 オーシャンはきっかり一週間医務室に入院し、退院したその日に特別に魔法薬学のO.W.L試験を受けた。学期末に張り出された試験の結果は、可もなく不可もなくと言った所だった。

 ホグワーツ特急に乗ってみんなが家路を辿る日、同じコンパートメントにいたフレッドが言った。「おい、なんて顔してんだよ」

 「え?私、どんな顔してたかしら?」

 ジョージは砂でも吐き出しそうな顔をして、こっちを見ている。「何か考え事をしていたと思ったら、突然自分の手の平を見つめて気味悪く笑ってた」

 なぁ?とジョージがリーに聞くと、リーも面白そうに肯定した。

 

 「失礼しちゃうわね」

 そう言ったオーシャンがふいとガラス戸の方に顔を向けると、通路にロンが立っているのに気づいた。何やら手招きをしている。

 「お呼ばれしちゃったから、行ってくるわね」

 双子に野次られながらコンパートメントを出ると、ロンが声を潜めて言った。「シリウスから手紙が来たんだ」

 

 ロンと一緒にコンパートメントに行くと、嬉しそうに手紙を広げているハリーと、愛猫のクルックシャンクスを膝に乗せて毛並みを整えているハーマイオニーがいた。

 「手紙が来たそうね、ハリー?」

 そう声をかけられたハリーは、盆と正月がいっぺんに来た様な顔をしていた。ファイアボルトはシリウスが買ってくれた事、ホグズミード行きの許可証を送ってくれた事を嬉しそうに語ってくれた。手紙を届けてくれたすずめくらいの大きさのふくろうは、ロンにくれたそうだ。ふくろうは新しい主人の膝の上を、せわしなく歩き回っていた。

 「オーシャンの事も書いてあったよ」

 ハリーが言うので、あまりいい予感はしないが聞いてみた。「あら、なんて?」

 

 ハリーは手紙を広げて、ニヤッと笑ってその部分を読み上げた。「『自分の気持ちからは逃げちゃダメだ。幸運を祈る』」

 「うるさいわね、駄犬の癖に。逃亡したのは貴方の方じゃない」

 言いながら、オーシャンの手にはルーピン先生の手の温もりが蘇っていた。もう何日も前の出来事なのに、あの瞬間の空気、匂い、感情までが一気に蘇ってくる。

 「…オーシャン、大丈夫なの…?」

 ハーマイオニーにそう聞かれてハッと我に返ると、後輩三人が怪訝な顔をして自分を見つめていた。それと同時に、自分の頬が緩みきっている事に気づいたオーシャンは、顔を両手で包み込み愕然として呟いた。「…こういう事だったのね…!?」

 

 

 

 キングズ・クロス駅に到着すると、母と妹が迎えに来ていた。

 「海、おかえり」「どうだった?海ねえ」 

 「母様、ごめんなさい。勝手にいなくなったりして」

 「無事に帰ってきてくれたんだから、そんな事はどうでもいいわ。-それより、海。少し雰囲気が変わったわね」

 「え?」

 「何だか大人になったっていうか…うん、綺麗になったわね」

 母がまじまじと自分を見るので、海は照れくさくなって顔を背けた。「やだ、母様ったら」

 すると、妹の空までもが口を揃える。「本当よ、海ねえ。何かこう、磨きがかかった、って感じ」

 「空まで。からかわないで頂戴」

 誉め言葉を頑として受け取らない海に、空は口を尖らせる。「本当だって言ってるのに。それで、あの夢の件はどうだったの?今年は何かあった?」

 「ああ…そんなに大した事じゃなかったわ。ただちょっと、今年は母様のファンに会ったわ」

 母の美空は目を丸くして、嬉しそうな顔をした。「え、本当?」

 「本当よ。昔、歌っている姿を見たことがあるだとかで。プロポーズまで考えたっていう熱狂的なファンだったわ」

 「いやだ、あんな昔の事。でも、嬉しい。是非お礼の手紙を書かなきゃ」

 「やめて。そんな事したらあの駄犬、調子に乗るに決まってるんだから」

 「海、人の事をそんな風に言ってはいけないわ。-あ、その話、お父様には内緒よ?やきもち妬いちゃうから。うふふっ」

 

 嬉しそうに笑う母に、どのタイミングで祖父の願い事を切り出そうかと考えあぐねていた海は、駅を出る頃に重大な事態に気づいた。祖父に会ったと話せば、一回死んだ事がバレるではないか。

 





これにてアズカバン編終了になります。読んでくださった皆々様、ありがとうございました!
O.W.L試験については完全に想像で書いているので、見苦しい所が多々あったかと思います。
防衛術の試験風景とかも出来れば書きたかったなあ。

次はついにヴォル様が復活!炎のゴブレッド編にもお付き合いいただければ幸いです。

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