英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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35話

 気づくとオーシャンは、花畑に佇んでいた。周りにはハリーもブラックもいない。森も、湖でさえ見えなかった。

 目の前に一本の小川が流れ、その向こう岸には、白い装束を身に纏った、祖父の宗玄がいた。

 「お爺様」

 「海。よくぞ、お前の大切なものを守った」

 厳格だった祖父らしく、その口調は生前そのままだった。

 「ってことは、ここって三途の川ってやつかしら」

 「ご明察だのう。さすが、我が孫じゃ」

 この川を渡れば、冥土が待っている、という事か。守護霊のまじないを使った術者は、皆ここを通ってきたのだろうか。

 

 「私、まだそちらに行きたくないのだけれども、行かなければ駄目なのかしら?」

 祖父は言った。「好きな時に渡るといい。しかし、守護霊のまじないを四回使えば、奪衣婆がそちらに迎えに行くから、まだこの川を渡りたくなければ、守護霊のまじないは使わない事だ」

 「では、何故お爺様はそこまで迎えに来て下さったの?」

 「海。お前に伝言を頼もうと思っての」

 「伝言?誰への?」

 「宗二朗じゃ」

 「父様へ?どんな?」

 「うむ…。あのな…そのぉ-あぁ、んん~」

 「…お婆様の事?」じれったくなって、海から聞いた。祖母の事を自分の口から話そうとすると、祖父は昔からこうなる。照れくささの現れなのだろうか。生前、二人はご近所でも有名なおしどり夫婦だった。

 

 「そう、鶴の事なんじゃが…ほら、数年前に宗二朗が、あれを封印してしまったじゃろ?儂からもきつく言っておくから、もうそろそろこちらに帰してくれんかの…?」

 そういう祖父は死者らしからぬ振る舞いで、頬を赤く染めて頭を掻いた。毎年お盆の季節になると悪戯に来る祖母を数年前に封印した壺は、まだ実家の蔵にある。幽霊になってもお熱い事だ。

 「…母様に頼んでみるわ。母様の頼みなら、父様も聞いてくれるでしょう」

 「おおっ、美空さんにかかれば宗二朗など屁でも無いわい!頼んだぞ!」

 先ほど見せた厳格さはどこへやら、どうやら祖父は死んでから少し性格が柔らかくなった様だ。それにしても、これがこの状況で孫に託す伝言なのか。

 

 

 

 

 

 「オーシャン…お願い、目を覚まして…」

 「こんな事ってないよ…」

 「先生、オーシャンは、大丈夫ですよね?そうですよね、先生?」

 「ポッター、こればかりは分かりません…。本人の生命力に任せるしか…。」

 「生徒の尊い命を奪うとは…ブラックめ」

 「私が発見した頃にはすでに遅く…。被害を受けたのが一人だけだったのが、不幸中の幸いといった所でしょうな…」

 そんな会話が頭上で飛び交っている中、オーシャンはパチリと目を覚まし、息を吸って跳ね起きた。ハーマイオニー、ロンとコーネリウス・ファッジ魔法大臣が悲鳴を上げた。スネイプ先生は眉をピクリと不快そうに動かした。

 マダム・ポンフリーがオーシャンの名前を呼びながら何か言っているが、それに答えられない程苦しい。彼女は溺れた直後の様に、荒々しい咳を繰り返した。

 

 一分程でようやく落ち着く。オーシャンは涙目で呟いた。「-ああ、苦しかった…。死ぬのがこんなに苦しいなんて思ってもみなかった…。眠る様に死ぬってあれ、絶対嘘ね…」

 -安らかな死なんて絶対無いわ-そう思いながら周りを見る。どうやらここは医務室らしい。オーシャンはベッドに寝かされていた。ベッド脇にはハリー、ハーマイオニーに加えて校医のマダム・ポンフリー、スネイプ先生、コーネリウス・ファッジ魔法大臣がおり、隣のベッドでは、ロンが足を吊られて座っている。

 ハーマイオニーはオーシャンに飛びついた。泣いている彼女を受け止めながら、色々な記憶が戻って来る。オーシャンは乾いた唇で、ハリーに言った。

 「貴方達は無事だった様ね。よかったわ」

 「よかったはこっちのセリフだよ。あんなに嫌がってたのに、日本の守護霊術を使うなんて」

 「お陰で少しの間お爺様に会えたから、大丈夫よ。気にしないで」

 「気にしないでいられるものですか!」マダム・ポンフリーが物凄い剣幕で割って入った。ハーマイオニーを引きはがしてオーシャンに詰め寄る。

 

 「体がこんなに冷え切って、顔色なんて今にも死にそうに蒼白!ポッターから聞きましたが、日本の守護霊呪文は、術者が死に近づく恐ろしい魔法だそうじゃないですか!一週間、チョコレートを食べて絶対安静!いいですね!?」

 「一週間もチョコレートなんて食べていたら、歯が全部黒くなっちゃうわ」

 オーシャンのそんな反論を曖昧な笑顔で「まあまあ」と制して、コーネリウス・ファッジ魔法大臣が言った。

 「命が無事だった様で何よりだ。マダム・ポンフリーの言う事を聞いて、しっかりと休養を取りなさい」

 「休養なんて、とっている暇は無いわ。ブラックはどうしたの?」

 魔法大臣相手に強気に質問したオーシャンに、スネイプ先生が「口を慎め」と吐き捨てる様に言った。

 

 「シリウス・ブラックは我輩が確保した。案ずる事は無い。今頃大人しくディメンターのキスを待っている事だろう」

 「何ですって…!?」オーシャンが絶句したそこに、ハリーが割って入る。「だから何度も言っているように、逮捕する人を間違っています!あの人は無実です!」

 

 

 スネイプ先生は口の端を上げて、大臣を向いた。

 「-大臣。ご覧になっている通り、彼らはブラックの術によって錯乱しております。罪無き生徒に術をかけるとは、全く許しがたい」

 大臣が重々しく頷いた。ハリーが叫ぶ。「僕たち、錯乱なんかしていません!」

 「黙れ!我輩がマクゴナガル先生の要請を受けて、寝室を抜け出した貴様らを捜索してやらなかったら、今頃貴様らはまとめてブラックの餌食になっていたのだぞ!」「まあまあ、セブルス」捲し立てるスネイプ先生を、大臣が制した。

 「この子達には休養が必要なのだ。あまり興奮させてはいけない」

 「その通りです」大臣の一言にマダム・ポンフリーが賛同する。「この子達には手当てが必要なのです。ですから大臣、お願いですので、今日の所は出て行ってください-」

 

 その時、医務室の扉が開き、ダンブルドア校長が姿を現した。その姿を認めるなり、ハリーが声を上げた。「ダンブルドア先生!」

 マダムは患者たちを看病させてくれない事に苛立っていたが、校長は穏やかに言った。

 「すまないが、ポピー。少しポッターとグレンジャーの二人と話をさせておくれ」そして何か言いたそうに口を開いたマダムを差し置いて、ハリー達を向いた。

 「たった今、シリウス・ブラックと話をしてきたんじゃよ。ブラックは無実を訴えておった」

 「さぞかし、ポッターに吹き込んだのと同じ与太話をお聞きだったでしょうな?」スネイプ先生が不機嫌に嘲った。「ペティグリューとか、ネズミがなんだとか」

 「いかにも。ブラックの話は、正しくそれじゃった」ダンブルドア校長は事も無く肯定する。スネイプ先生の眉間には、これでもかというくらいに皺が刻まれていた。

 

 「校長は、我輩の証言をお信じになっていないと?」スネイプ先生は校長の鼻先に詰め寄った。そして、長年の怨嗟を吐き出す様に言った。「覚えておられませんか?奴はすでに十六歳の頃に人殺しの才覚を顕した事を。この我輩を殺そうとした事を?」

 校長はそれに、わしの記憶はまだ衰えておらん、とだけ答えた。「悪いが、皆出て行ってくれぬか。わしは生徒達だけと話をしたい」

 マダム・ポンフリーは事務所に引っ込み、魔法大臣はドアを開けてスネイプ先生にも出る様に促していた。しかし、スネイプ先生は動かない。ダンブルドア校長を睨みつけるばかりだった。

 

 「セブルス」校長が言った。「悪いが、事は急を要する」

 言われたスネイプ先生は憎しみを込めて校長を睨みつけると、荒々しい足取りで出て行った。校長の背後で扉が閉まる。

 「さて…」扉が閉まったのを確認した校長がハリー達に向き直ると、ハリーとハーマイオニーの口から洪水の様な言葉が溢れ出した。二人とも一生懸命に、シリウスの無実とピーター・ペティグリューが真犯人だった事を訴えた。

 「今度は君達が聞く番じゃ」二人の顔の前に手を上げて、校長が静かに言った。洪水が止まる。

 

 「シリウスの言っている事を証明するものは、最早何も無い。十代の魔法使いが何を言った所で、誰も相手にはせん。みんなスネイプ先生の語る真相を信じるだろう」

 「まだ、ルーピン先生がいます。ルーピン先生が真相を話してくだされば-」ハリーの藁をも掴む一言は、校長が首を横に振った事で途絶えた。

 「ルーピン先生は今、森の奥深くにいて話せる状態には無い。再び人間に戻る頃には全ては遅すぎるじゃろう。それに、我々の仲間内のほとんどは、狼人間を信用しようとはしない…」

 最後の一言に、オーシャンは人知れず心を痛めて俯いた。

 きっと彼は、子供の頃から誰からも信用されず、その体に持つ秘密に怯えながら暮らしてきたのだろう。この学び舎で得た無二の親友の一人を永遠に無くし、真相を知っても、彼の口から語られる言葉は世の魔法使い達の信用に値しない。それがどんなに悔しく、口惜しい事か、想像するのも恐かった。

 

 不意に聞こえてきた言葉が、オーシャンの意識を現実に引き戻した。ダンブルドア校長の言った一言に、ハーマイオニーが声を上げる。「必要なのは、時間じゃ」「-あっ!」

 何か気づいたハーマイオニーに校長は目くばせをして、ブラックの囚われている部屋の窓を教えた。そして、首尾が良ければ、また一つ命を救える事になるだろうとも。

 ハーマイオニーだけが事を理解したまま詳しい説明は無く、校長は医務室を出て行こうとしていた。ドアに手をかけた所で、ベッドの中のオーシャンが口を開く。

 

 「一体、どういう事-」しかしそれを遮って、校長はその場で振り返って言った。「君達を閉じ込めておこう。今は真夜中の五分前じゃから、ミス・グレンジャー、三回ひっくり返せばいいじゃろう。幸運を祈る」

 「「幸運を祈る?」」ドアを閉めて出て行った校長を見送ったハリーとオーシャンの声が重なった。さっぱり訳が分からない。オーシャンは隣のベッドのロンを見たが、彼も首を竦めていた。事はハーマイオニーだけが知っている。彼女はローブの中から金の鎖を引っ張り出して、ハリーにもう少し近くに寄る様に促した。鎖の先には、輝く砂時計が繋がれている。

 

 ハーマイオニーはハリーの首にも鎖をかけて、意を決した様に言った。「…じゃ、ハリー。準備はいい?」

 「準備って…」

 ハリーはそう言ったが、ハーマイオニーは自分の手先で何かをしている。砂時計をひっくり返した様に見えたが、見る見る間に二人の姿が溶ける様に消えて無くなった。

 

 二人が消えた場所を見て、ベッドの上にいた二人は目を丸くして腰を浮かせかけた。

 「…えっ!?」

 「何が起こったんだ!?ハリー、ハーマイオニー!」

 しかし次の瞬間、今さっき消えた二人が息を切らしてドアを開け、戻ってきた。背後に見えるダンブルドア校長が、にこやかな顔で言った。「今度こそ、鍵をかけておこう。ゆっくりおやすみ」

 目を丸くして状況が呑み込めていないロンとオーシャンとは対照的に、一瞬で帰ってきた二人は何かをやり遂げた清々しい顔をしている。ロンが言った。「一体何が起こったんだ?」

 ハリーとハーマイオニーは、顔を見合わせて微笑んだ。二人が成し遂げた事を知る時間は、事務所から戻ってきたマダム・ポンフリーに奪われた。

 「はぁ、もう!先生方には困ったものだこと!ほらほら、ベッドに戻りなさい!」

 




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