英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

22 / 98
21話

さて、休暇が明けるまであと二週間というこの中途半端な時期にオーシャンが何故帰ってきたのか。それはあの夢に嫌な予感を覚えたからに過ぎない。

 

けれども、妹は魂の共鳴か警告夢であるという。どちらであっても、オーシャンにとって無視できるものではなかった。神秘的な事柄を見抜く眼は、オーシャンは妹の足下にも及ばない。

 

しかし、それを聞いたハリーは、どこ吹く風だった。確かに、魔法省大臣がたかが未成年の魔法使用の案件で出て来た事については、首を傾げていたが、オーシャンの見た夢の内容については、

「ただの夢じゃないか」

の一言で終わってしまった。そして、オーシャンが妹と話し合っていた内容を語っている内に、ハリーは疲れきって眠ってしまった。ハリーの真っ白なふくろう・ヘドウィグが、静かにしろ、とでも言いたげにオーシャンを睨んでいる。

 

オーシャンは深くため息を吐くと、日の出までの数時間を眠るために、店主のトムが急ごしらえしてくれた部屋の隅の寝床に潜り込んだ。横を向くと、背中に板壁が直接当たってヒヤリと冷たい。背中に固い感触を感じながら、オーシャンは眉を潜めた。

「…ちょっとこれ、隅すぎじゃない?」

 

 

 

 

 

ハリーは自由な毎日を、戸惑いつつも楽しんでいる様だった。ダーズリーとかいう非魔法族の家では、どんな待遇を受けているのだろうか。オーシャンは知る由も無かったが、ハリーが輝く様な笑顔でいてくれる事こそが一番だと思った。そう考えると、この夏に彼が家出してきたのは正解だったと言える。

 

ハリーが散歩に出掛けている間、オーシャンは店主のトムに用事があった。宿代についてだ。

ハリー・ポッターともなれば二週間宿代をタダにすることも出来ようが、英語のできない日本人相手にはそうもいかないだろう。生憎と、二週間も宿の一室を借りられる程の金は、持ち合わせていなかった。

 

例年ならば、日本から家族が送り出してくれる際に、少し多目にお小遣いを渡してくれる事もあるが、今回は両親にも黙って出てきたので、余分には持ってこれなかったのだ。

 

ハリーに聞いた話では、ウィーズリー一家は一週間後にエジプトから帰国するという。ハリーにヘドウィグを貸してもらい、ウィーズリー家にお世話になれるように連絡をとってみよう。

ウィーズリー家には悪い事をするが、そうすれば、考えればいいのは一週間分の宿代だけだ。それでも結構な金額であることに変わりはないが、倍の期間のそれよりは全然安いものである。

 

とはいえ、やはり一週間分の宿代は払えるものではないので、オーシャンは最終手段をとった。

「一週間、バーで働かせてくれないかしら。宿代分は労働で返す事にしていただけると、ありがたいわ」

店主はありがたくもこの条件を飲んでくれた。

その日の夕方、帰宅したハリーにその様に話がまとまった事を打ち明けると、彼は「そんなややこしい事しなくても…」と言ったが、決まったは仕方がない。

 

フクロウ便は長旅になるが、ヘドウィグなら大丈夫だろうとハリーは請け負った。ウィーズリー一家に宛てた手紙をヘドウィグの足に括りつけながら、「頼んだよ」と白いふくろうに声をかける。オーシャンもその暖かい羽毛をひと撫でして、ヘドウィグを夕暮れの空に送り出した。

 

次の朝から、オーシャンの一週間に渡る労働の日々が始まった。ハリーが目を覚ますより先に静かに一階のバーに降り、朝食の支度を始めている店主を手伝う。朝は断然に米派のオーシャンが果たして洋食の用意などできるものか、と内心不安に思っていたのだが、ありがたくも朝食は簡単なものだった。トーストにスクランブルエッグ、ベーコンを焼いただけのワンプレート。紅茶とミルクがついている。

 

出来上がった朝食を宿泊客の部屋へ持っていくのは、オーシャンが仰せつかった。オーシャンは張り切って杖を取り出そうとして、はたと思い立った。物を動かす呪文はホグワーツで習ったが、いざ実践では動かそうとした物体はひっくり返ってばかりだ。つい先学期も、フィルチが腰かけている椅子を廊下の端まで動かそうとして、その場で豪快にひっくり返してしまった。

 

自分のための朝食ならいざ知らず、ハリーの為の朝食、しかもこれが仕事となれば、失敗するわけにはいかない。オーシャンは静かに杖を懐に仕舞って、ごまかす様に柔らかく微笑んだ。

「店主、お盆はあるかしら?」

 

 

 

 

 

 

労働六日目、散歩から帰ってきたハリーの元気が無かったように見えたので、部屋に帰ったオーシャンは「どうしたの?元気が無いようだけれど」と聞いてみた。オーシャンの方も馴れない仕事に疲れが見えてきた頃だった。

 

ハリーは自分のベッドに腰かけていた。

「いや、何でもないよ。君も疲れているみたいだね」

ハリーに言われて、オーシャンは軽くため息を吐いた。「私の事はどうでもいいのよ」

実際オーシャンは疲れていたが、そんな泣き言を後輩の前で言ったところで、どうなるものでもない。

一週間限定の仕事であるからには、オーシャンの仕事は食器洗いと、決して広くはない店内での配膳に従事することだった。

日本の実家でのお茶運びならお手のものだが、狭い店内で飲み物(主に酒)を運ぶ作業が存外難しく、今日は一回お盆の中身を床にぶちまけそうになってしまった。因みに、一昨日は酒とつまみ各種を完全に床にぶちまけている。

 

本日の自分の仕事ぶりを思い返して、オーシャンは少しの間恥ずかしさで顔を覆ったが、すぐに気を取り直して「それで?」とハリーに聞いた。

 

「僕?何でもないよ」

「そうは見えないわ」

オーシャンが言って、ハリーの隣に腰かけた。ハリーはしばらく少し迷っている様にもじもじしていたが、オーシャンが聞く姿勢をとっているのを見て、やがて語りだした。

「今日、教科書を揃えに行ってきたんだ。それで、その…占いの本を見つけて」

「へえ?」

「それでーあの、オーシャンは死の前兆とかって見たことある?」

思いもしなかった質問にオーシャンは一瞬面食らってしまったが、何とか「-残念ながら、まだ無いわね」と返した。先学期にバジリスクと相対した時でさえ、そんなものは見られなかった。まあ、結果は死んでいないわけだが。

 

「僕、その占いの本の表紙に描かれていた犬を、マグノリア・クレセント通りで見た気がしたんだ」

オーシャンは質問する事をせず、ただ頷いて聞いていた。

「―気のせいだと思うんだけど」ハリーはそう、強調して付け足した。「でも…でもどうして僕の前に…」

ここでオーシャンはハリーの話を遮った。

 

「私も、不思議な夢を見てね。知らない男の人が独り言をブツブツ言っている夢なんだけど…」

「その話はもう聞いたよ」

「でも、そんな不思議な事があると気になるじゃない。ね?」

微笑を湛えて同意を求められて、ハリーはオーシャンの言っている事に気がついた。不思議な事象が自分に降りかかれば、気になってしまう。無視はできない。

 

「私は、あんまりに馬鹿馬鹿しいと思える様な事でも、自分の直感を無視するべきではないと思うわ。私の見た夢と、貴方の見た影にも関係性が無いとは言い切れないと思わない?」

「そんなこと、分からないよ」

「分からなくていいわ。貴方を見守るのは、私が勝手にやっている事だから。貴方はそのままでいてくれればいいの」

 オーシャンがそう言った直後、窓辺に真っ白いフクロウが一羽舞い降りた。ヘドウィグだ。足にウィーズリー一家からの返信が、しっかりと結えられている。

 

 ハリーは手紙を出す時、自分の詳しい現状は書いていなかった。世界一親切なウィーズリーおばさんに心配をかけたくなかったし、ロンに事情を知られればすぐにハーマイオニーにも知られるに決まっている。

 よって、ハリーは自分自身の事は一切書かずに、オーシャンがお金を持たずに宿を取れないという現状だけを手紙に記した。結果、少々不思議に思われてもおかしくはない文面が出来上がり、ハリーはオーシャンと一緒にヘドウィグを送り出しながら、帰ってくるであろう手紙の面積のほとんどは、自分を心配するものにならないだろうか心配していた。

 

 ところがオーシャンと一緒に返信を読んでみると、ハリーの懸念は杞憂となった。そこにはハリーの身を案じているという文章はどこにもなかった。ただ、騒がしい家だが、オーシャンが遊びに来てくれるなら喜んで歓迎するという旨の文章が、書いてあった。ハリーは拍子抜けしている。良かったような、

少し寂しい様な。

 

 「-よかった。どうやら大丈夫だったみたいね」

 ハリーの隣で、オーシャンが安堵のため息を吐いた。英語力は決して高いとは言えないオーシャン・ウェーンだったが、この文面を見て質問の答えがイエスかノーかを判断する力は、長いホグワーツ生活で身についていた。

 

 「オーシャンが来てくれるなら、喜んで歓迎するって書いてあるよ」

 「本当?嬉しいわ。おばさまとおじさまが迷惑がるんじゃないかって、内心心配だったの」

 文面から読み取れなかった情報をハリーが補填してくれて、オーシャンは肩の力がすっと抜けた心地がした。 

 

 

 

 翌日の早朝、オーシャンがすっかり旅支度を整えて一週間世話に

なった部屋を出ようとすると、背後でハリーのベッドがもぞもぞと動いた。気配に気づいてオーシャンは振り返る。ハリーが寝ぼけ眼で起き上がっていた。

 

 「ハリー、まだ起きるには早いわよ。無理しないで、もうひと眠りしなさい」

 オーシャンは言うが、ハリーは子供のように目を擦りながら首を横に振った。

 「-眠ってられないよ。オーシャンこそ、『隠れ穴』までの道は分かるの?」

 

 「からすに乗って行くから大丈夫。からすって、とっても頭がいいのよ。行き先を告げれば大抵の場所には行ってくれるわ。あと、万が一道に迷っても、森の蛇にでも聞くから大丈夫よ」

 二人で階段を下りながら、そんな会話をしていたところ、キッチンに人影が見えた。店主のトムである。

 

 「店主、おはようございます。仕事を始める時間には、まだ早いのでは?」

 オーシャンが言うと、トムは一つの包みを持ってキッチンから出てきた。そして店の出入り口に向かおうとしているオーシャンに、その包みを差し出したのだった。

 「朝と昼の分作ってある。どうやって友達の家まで行くのか知らないが、気を付けて行くんだぞ。君にもう店の備品を壊されないから、こちらとしては安心だ」

 「大変お世話になりました」

 オーシャンが包みを受け取って微笑むと、トムは仕事に戻っていった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。