英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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アズカバンの囚人と、英語ができない魔法使い
19話


 暗く、狭い空間で、一人の男の背中が見えた。何かを覗き込みながら、ボソボソと喋っている。壁の一面が格子となっており、外には人の様な影がある。しかし男の言葉は、誰に聞かせるでもない独り言の様だ。

 男の言葉は理解できなかったが、その気迫だけは感じ取れた。ずっと探し求めていたものを見つけた喜び、驚き、そして執念…。

 

 

 

 

 

 

 上野海(英名、オーシャン・ウェーン)は滝に打たれて目を覚ました。

 「ー…いけない、眠ってしまったわ…」

 滝には打たれていたが、不思議と溺れていない。海は普段通りの朝を迎えた。普通の人間であれば、溺れていた所であった。

 

 英国随一の魔法学校ホグワーツでの第五学年になる海だが、自ら大蛇を退治しに行くという危険な事をした咎で、先学期の終わりに父親に連れられて日本に戻ってきていた。その日以来、父の監視の下、修行漬けの毎日だ。

 

 居眠りしていたのがよく父にばれなかったものだと、海が額に張り付く髪をかきあげながら父を見ると、父も胡座をかいて舟を漕いでいた。

 「ー変な夢だったわね…。妙にリアルというか…」

 

 そのまま滝行を続けるべきか悩んだが、どうにも今見た夢の内容が気になる。海は無言で滝の作り出した川から上がると、幸せそうに居眠りしている父を残して妹の寝所に向かったのだった。

 

 

 

 海の妹の上野空は、ホグワーツでの海の後輩にあたるあの有名なハリー・ポッターと同い年であった。今年で十三歳になる。魔術の中でも占いの才が特に強く、日本の魔術学校生でありながら、すでに占いの依頼が舞い込む程だという。

 妹の寝所へと向かうと、彼女は縁側で朝日を浴びながら瞑想中であった。姉は声をかける。「空、少しいい?相談があるの」

 

 海の妹・空の毎日は早朝の瞑想から始まる。姉は父からそうとでも命令されない限り、瞑想などした事は無かったが、妹の方は占いに傾倒し始めた頃から、早朝の瞑想を日課にしていた。曰く、心を拡げる事が星の海の神秘に繋がるのだとかなんだとか。姉にはさっぱり意味がわからないが。

 

 姉の声に妹は深く息を吸い、また同じ様にゆっくりと時間をかけて吐き出した。そして目を開け、姉の姿を見つける。

 「海ねえ、どうしたの?父様とまだ滝に打たれてる時間でしょ?」

 海は濡れた修行着のまま、縁側に腰掛けた。「ちょっと、気になる夢を見たの」

 「夢?」空は正座で海に向き直った。

 

 海が滝の中で見た夢について一頻り話すと、空は少し驚いていた。

 「驚いた、海ねえがそんな夢を見るなんて。…そうね、予知夢でも無いし、どちらかというと、警告夢に近いのかしら…?夢の中の殿方は、何かを訴えていたの?」

 「いいえ、こちらに背中を見せて独り言を言ってた感じ。でも何を言っているのか、分からないの」

 「何を言っているか分からない?英語だったんじゃない?」

 

 海の目から鱗が取れた。そう言えば、そんな気もする。海が合点がいった、という表情をしているのを見て、空は驚いている。

 「驚いた。海ねえがそんな夢を見るなんて。神秘的な分野は全くダメダメだったのに…」

 「一言余計なんだけど。」

 「はいはい。―可能性としては、警告夢か、魂の共鳴」

 「魂の共鳴?夢でそんな事があるの?」

 「強い使命を持っている術者にはよく出るって聞くわよ。歴史書の中では語られてないけど、明治には革命の立役者、山本太助が、革命家、御堂筋乱丸の夢を見たのをきっかけとして明治革命に参加したと言われているし。夢の中に出てきた殿方と海ねえには、何か共鳴する部分があるのかもしれないわ」

 

 そうは言われても、海の知り合いの英語を操る者の中に、あんな後ろ姿を持っている者はいない。ホグワーツの先生にもあんな男はいなかった。と、そこまで考えて一つの可能性に思い当たる。地下牢教室。

 最早ぼんやりとしか記憶に無いが、そう言えばあの背景は地下牢教室に似ているかもしれない。

 では、夢に出てきたあの後ろ姿は、地下牢教室の主、スネイプ先生だったのだろうか?

 

 頭を捻りに捻っている姉の様子に、妹は無言で腰をあげる。すぐ後ろの自分の寝所に入っていったかと思うと、またすぐに出てきた。その腕には羽織がかけられている。

 「そんな格好のまま考え込んでたら、風邪ひくよ?」そう言って羽織を姉の肩にかけた。まったく気の利く妹に育ったものである。

 

 「ありがとう」海が礼を言うと、空は再び海と向かい合った。

 「警告にしろ何にしろ、心当たりが少しでもあるのなら、やっぱり今年もホグワーツで何かが起きるのかもしれないわね」

 「不安を掻き立てる言い方しないでよ」

 「そんなに不安なら、未来でも見てあげましょうか?」

 

 海は「いいえ、結構よ」と応じるとその日、そのまま姿を消した。それに父が気づいたのは、家族が揃う朝食の席での事であった。

 

 

 

 

 

 

 日本から遠く離れたイギリスの空で、オーシャン・ウェーン(本名・上野海)はいつものからすに揺られていた。

 

 妹の言う通りなのだとすれば、もしかすると今年もかわいい後輩の身に何かが起きるのかもしれない。そう思うと居ても立ってもいられず、あれから一時間後には空港に瞬時転移して日本を出た。

 家族の誰にも言ってないが、言ったところで止めるのは父だけだろう。

 

 本当は飛行機ではなく優雅な船旅で海を渡りたかったが、そんな時間も惜しかったので意を決して苦手な飛行機を選んだ。耳がキーンとするのが嫌なのだ。

 英国の土(コンクリートだが)を踏みしめたオーシャンは、人気の無い場所を選んでからすを呼ぶ口笛を吹いた。一方の群れに腰を落ち着ける場所を設え、もう一方の群れにはトランクを結びつけて、飛び立った。そして今に至る。

 

 もう日が落ちて辺りは薄暗い。眼下の家々には、暖かな光が灯っていた。そういえば、お腹が空いたなぁ、今日の宿はどうしようかなどと考えていて、つい前方が不注意になってしまった。

 

 その事故は突然起こった。下から大きな風船の様なものが上昇してきて、オーシャンを運んでいたからすの群れにぶつかった。

 からす達は得体の知れないものにぶつかって、ギャアギャアと騒ぎだした。オーシャンの乗っているか細い板が、混乱しているからす達に揺られている。

 

 「ちょっと待って、あなた達…!落ち着いて―」

 オーシャンは自分とからすの間にある綱をしっかりと握りしめるが、駄目だった。からす達に振り落とされ、真っ逆さまに落ちていく。

 

 オーシャンは地面に激突する前に緩衝呪文を唱えようとしたが、杖がトランクの中にあるのを思い出した。もうだめだ。神よ、仏よ。

 

 

 

 

 墜落したのが住宅街で、余程庭師がいい仕事をしているらしい事が幸いした。

 オーシャンが落ちたのは、立派な生け垣の上だった。背後に立派な家が建っている。

 

 「―いたた…。…あの高さから落ちて生きてるのは、奇跡的ね…。このお家の人には悪いけど」

 見事だった生け垣は、オーシャンが墜落した衝撃でボロボロになっていた。オーシャンは生け垣から抜け出して身の回りを確認する。トランクは?

 ぐるりと見回して、探し物はすぐに見つかった。さほど離れていない街路樹に引っ掛かっていた。

 

 どうにかこうにか木の上からトランクを下ろして、オーシャンは一息吐く、と共に途方に暮れた。イギリスの見知らぬ街の真っ只中、独り取り残されたオーシャンは、ボロボロになったトランクを携えて、黒を増していく夜空を見上げて呟いた。

 

 「…さっきのは何だったのかしら…?」

 夜の彼方にもうからすの姿は無い。謎の球体は、影も形も見当たらない。

 一体なんだったのかと訝りながら、オーシャンは気を取り直して歩き出した。夜の非魔法族の住宅街で、ボロボロのトランクを携えた藍色のローブ姿の人間は、とても目立つ。

 

 しばらくとりとめもなく歩いていたが、やがてはたと立ち止まって考えた。これからの行程を、どうしよう。

 宿も決まっていない上に、移動手段も見当たらない。からすはこの時間、ねぐらに帰っている事だろうし、非魔法界のど真ん中である以上、瞬時転移は使えなかった。非魔法族は、移動にタクシーや人力車を使うそうだが、どちらにしろ日本縁(日本の魔法界の通貨)しか持っていない。そして何より、目的地も決まってないのに一体どこに行けと言うのか。

 

 そして、悩みは堂々巡りである。

 

 オーシャンは一つ深い深いため息をついて、トランクに寄りかかった。するとトランクが横滑りして、寄りかかっていたオーシャンごと倒れてしまっった。

 次の瞬間、バーン!とけたたましい音を立てて、一台のバスが現れた。オーシャンが目を点にしていると、ドアが開いて一人の青年が現れ、こちらに向かって深々とお辞儀をした。

 

 青年は長々挨拶の口上を捲し立てた後、地べたに倒れているオーシャンとトランクに気づいて「are you ok?」の様なことを言って手を差しのべた。オーシャンが今まで聞いた事の無い様な、独特な発音であったのだ。

 

 オーシャンは青年に助け起こされると、いつまで経っても上達しない片仮名英語で「サンキュー」と礼を言った。青年は笑顔を返すと、再び何事か捲し立てて来たが、生憎突然現れたバスに精神混乱中のオーシャンは、それを聞きなれた言葉として理解する事が出来ない。

 

 さて、どうしたものかと視線を泳がせて言葉を濁していると、青年の背後からひょっこりとハリー・ポッターが姿を見せた。

 「ocean!」

 呼ばれて、オーシャンも親しげに「ハリー」と呼び返す。青年は後ろのハリーを振り向き、英語で長々と話していたが、やがて話が纏まるとオーシャンのトランクを車内に運び入れた。

 オーシャンが状況を飲み込めずにキョトンとしていると、ハリーが車内に招き入れて自分の隣に座るようにすすめてくれた。車内には座席ではなく、寝台が並んでいた。

 

 オーシャンがハリーの隣に腰掛けるとまたバスが、バーン!と音を立てて走り出した。あまりの衝撃にみんな体勢を崩し、ココアを飲んでいた客は哀れにも顔面が思いきりココアまみれになってしまった。

 姿勢を直したオーシャンが窓の外をチラリ見ると、先程いた場所とは景色が違っていた。あのバーン!という音と衝撃の正体は、瞬時転移のものだったのか。

 

 

 決して安全な運転とは言えないバスの旅だったが、時間が経つに連れて慣れてきて、オーシャンの精神は平静を取り戻していた。

 彼女自身がそれに気がついたのは、よく見れば車掌風の服装をした青年が、ハリーに向かって「次はネビルの番でぇ。いってぇどこに行きてぇんだ?」と聞いた時だった。

 

 ハリーが「ダイアゴン横丁」と答えを返したのと、オーシャンが「ネビル?どうして貴方がネビルと呼ばれているの、ハリー?」と声に出したのは、ほとんど同時だった。

 

 車掌風の彼がオーシャンを向いた。

 「おっ。そっちの綺麗な顔した嬢ちゃんもようやく口をききなすった。いってぇ何で今まで喋らんかったんでぇ?」

 しかしその質問にオーシャンが答える事は出来なかった。何故なら、隣のハリーの手がオーシャンの口を塞いだからだ。オーシャンは横目でハリーを睨むが、ハリーは車掌風の青年に話していた。

 「オーシャンはちょっと…いや、かなりかな。英語が苦手で」

 「それにしちゃあ、さっきは流暢に喋ったよなぁ?」

 「気のせいじゃないかな」

 

 ハリーは手短に青年との会話を切り上げると、青年に背を向ける様にしてオーシャンに耳打ちした。

 「頼むから、スタンの聞いている所で僕の名前を呼ばないで!」

 オーシャンが「何故?」と聞くとハリーは「今は言えないけど。頼むよ」と言って、すぐ話題をそらした。車掌風の青年、スタン・シャンパイクが聞き耳を立てていたからだ。

 

 「―ところで、君はどこへ行くの?」

 何気ない風のハリーの質問に、オーシャンは素直に答える。

 「さあ、どこへ行こうかしら。宿の宛も無いまま、途方に暮れていたの」

 そう言うとハリーは、どこか勇気付けられたような顔をした。「あぁ、僕も同じだ」

 

 「何で?貴方には、少なくとも国内に帰る家があるじゃない」

 オーシャンが言うと、ハリーは再びスタンに背を向ける様にして、オーシャンに耳打ちした。

 「それが、帰れないんだ。まずいことしちゃって。まぁ、帰る気も無いんだけど」

 

 オーシャンが先を聞こうとすると、バスが乱暴に止まって、全ての寝台が三十センチほど前につんのめった。窓の外にはくたびれたパブ「漏れ鍋」がある。

 「ほい。到着だ、ネビルさんよ」

 スタンに声をかけられて、ハリーは降車の準備をした。「じゃあ、また」と別れていこうとするハリーを前にして、オーシャンが素直に送り出せる訳が無い。

 「私も降りるわ」

 

 バスから降りたハリーとオーシャンは、漏れ鍋の前に一人の人物がいるのに気づいた。じっとこちらを見つめて、歩み寄って来る。

 「誰かしら?」

 オーシャンの問いに、ハリーの声が物語っていた。悪い人物に見つかってしまった、と。

 「―魔法省大臣だ…」

 






やっと!やっとアズカバンの囚人編の更新でございます。いつもお世話になっている読者様、読んでくれてありがとう。

仕事が忙しくなり、健康で文化的な生活を過ごすのもギリギリの中、何とか執筆の時間を捻出しようと早起き練習の真っ最中でございます。(生活がだらけすぎ)

出来る範囲でゆっくり更新していきたいと思います。急いては事を仕損じる!
読者様には寛大な心でお付き合い頂ければ幸いです。

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