ジャスティン・フィンチ-フレッチリーと「ほとんど首なしニック」が襲われてから、四ヶ月が経過しようとしていた。次は誰か、と戦々恐々としている生徒は、もはや皆無だった。
季節は三月になり、マンドラゴラの成熟も近く、二年生は三年生に取る選択科目を選ばされ、何者かによる襲撃事件はこのまま鳴りを潜めるのではないかと思われた。
グリフィンドールは土曜日にクィディッチの試合を控えていた。対戦相手はハッフルパフだ。金曜の夕方、談話室は熱気付いていた。明日の試合は、学年末の寮対抗杯までかかっているという話だ。盛り上がっている寮生達の間を他人事の様にすり抜けて、オーシャンは鞄を置きに寝室へと戻った。
ドアを開けると、そこには今朝方までの面影は無かった。オーシャンのトランクの中身がぶちまけられ、ベッド脇の小机の中身も、床やベッドの上に散乱していた。天盖付きベッドのカバーは乱暴に剥ぎ取られて、床の上にはマントが無惨な姿で広げられていた。
地震が起きても慌てず騒がず、が鉄則の日本人である。寝室が大惨事に見舞われていても、さして驚きはしなかった。まず、大方室内を吟味する。結果、狙われたのはオーシャンの物だけだった。
「…やられたわね」
小机の引き出しがひっくり返されているのを見て、ピンと来た。調べてみたら、案の定である。
「リドルの日記を盗るなんて、酔狂な真似をするのは、一体誰なの…?」
次の日は気持ちの良い快晴だった。朝食の席では、グリフィンドールチームのキャプテンのオリバー・ウッドが、張り切って選手達の皿に料理を取り分けていた。
オーシャンは朝食を食べながら、同じテーブルに着いている同寮の面々の様子を、チラリチラリと盗み見ていた。
この中の誰かが日記を盗んだのは明白。グリフィンドール塔に入れるのは、合い言葉を知るグリフィンドールの生徒、その上、女子寮に入れるのは女子だけだ。
しかも荒らされていたのがオーシャンの私物のみであるところを見ると、犯人はオーシャンの鞄やトランクを知っている、ある程度交流のある人物である可能性が高い。犯人はかなり絞り込めていた。
リドルの日記が盗まれた事は、同じ女子寮のハーマイオニーだけに知らせていた。大事な試合前に、ハリーには余計な心配をかけたくなかったのだ。ロンに言うとハリーに漏れる可能性があるので、彼にも言っていない。
リドルの日記はもはやオーシャンにとってそれほど重要なものでは無かったが、しかし、ああいった「意志」を持った書物は大変危険だと、呪術師である父親から常々聞かされている。日記を速やかに見つける事が肝要だった。
競技開始の時間が近づいて、他の生徒達と共にオーシャンもクィディッチ競技場へ入った。
キョロキョロと回りを見回して適当な席を探していると、上の方の席からロンが手を振って呼んでいたので、オーシャンはロンの隣に腰を下ろした。
「珍しいわね。ハーマイオニーと一緒じゃないの?」
オーシャンがそう聞くと、ロンは「図書室に行っちゃった」と肩を竦めて言った。ロンの顔には「クィディッチの試合を観ずに、図書館に行きたいなんて言い出す奴の気が知れない」と、ありありと書いてあった。
「余程、急いで調べなきゃいけない事があったのかしら?」
友達が出場する試合を観ずに調べものをしに行くなんて、余程の急務が出来たに違いない。
ロンは、ハリーが城を出る前に、また「姿なき声」を聞いたという事を、オーシャンに話した。
すっかり鳴りを潜めたと思っていた「声」が再び聞こえたというのを聞いて、オーシャンの表情が怪訝なものになる。何故今再び?
二人が話している間に、ピッチには選手達が入場していた。ハリー達が箒に跨がり、今まさに試合開始のホイッスルが鳴ろうとしたその時、ピッチにマクゴナガル先生が現れた。
「この試合は中止です」
満員のスタジアムに響いたマクゴナガル先生の声に怒号が飛んだ。ウッドなどはこの世の終わりの様な顔をして、先生にすがり付いた。
「先生!後生です…!お願いします…この試合だけは…」
しかしマクゴナガル先生は取り合わなかった。
「全生徒は急いで各寮に戻りなさい。談話室で寮監から詳しい話があります。急いで談話室へ戻りなさい!」
「何があったのかしら」オーシャンは体を乗り出して、ピッチにいるマクゴナガル先生を見た。生徒達が先生の指示に従い、寮への帰路を辿り出すと、先生はハリーを振り向き何やら話していた。ロンも身を乗り出してその様子を見ると、ハリーはマクゴナガル先生の後に着いて歩き出した。
二人が先生とハリーに追い付くと、振り向いた先生は「そう、あなた達も、一緒に来た方が良いでしょう」と言った。「少し、ショックを受けるかもしれませんが」
医務室の近くまで来た時、オーシャンは悪い予感に打ちのめされていた。試合前にハリーが聞いたという「声」…突然告げられた試合中止…そしてこの三人が呼ばれたという事は、医務室に「誰」が横たわっているのか。心臓がうるさく脈打っている。
マクゴナガル先生がドアを開けて、三人は医務室に入った。
「襲われました…また、二人同時にです…。」先生が言いながら開けたカーテンの向こうでは、オーシャンの予感が的中していた。
「「ハーマイオニー!」」
ハリーとロンが叫び、冷たく固まった彼女に駆け寄った。ハーマイオニーの隣のベッドでは、レイブンクローの女子生徒が同じく石になって横たわっていた。
無惨な姿となったハーマイオニーを見つめて、動かず一言も発しないオーシャンを、マクゴナガル先生は気遣わしげに見つめた。
「ウエノ…大丈夫ですか…?言葉は通じていますか?」
オーシャンはひとつ大きく息を吸うと、マクゴナガル先生を向いてしっかりと答えた。
「…大丈夫です。ある程度予期した事態でしたので」
そう言うオーシャンの手が固く握りしめられて震えているのを、ハリーとロンは見た。
先生はベッド脇の小机に置いてあった丸い手鏡を取り上げた。
「二人は図書室の近くに倒れていました。近くにはこれが落ちていたのですが、どういう事か説明できますか?」
ハーマイオニーはそれほど自分の容姿を気にかけている人ではない。図書室の廊下で突然、彼女が手鏡を取り出して自分の顔を見る姿は、想像できなかった。
数瞬考えたオーシャンは気づいた。鏡の真意に。
「「スリザリンの怪物」が日本の大蛇だろうと私は思っていましたが、でも、どうして日本の大蛇がホグワーツに一千年もいるのかって、ずっと違和感を持っていました」
いきなり「秘密の部屋」に眠るという「怪物」の話を始めたオーシャンに、先生は怪訝な顔をした。
「ウエノ、今はそんな、根も葉もない噂話について話している時では…」
「先生、今がそれについて話す時です!現に生徒がその「怪物」に襲われているんだもの!そして「怪物」は、日本の大蛇じゃない…バジリスクよ…!」
オーシャンの鬼気迫る表情を見て、先生は口を閉じた。オーシャンは続ける。
「日本の大蛇であれば、目を見ても石になるだけ…でも、バジリスクの目は、人を一瞬で死に至らしめるわ。ハーマイオニーはそれに気づいて、直接バジリスクの目を見ないように、手鏡を見ていたのよ、きっと。目を直接見なければ、石になるだけだもの」
オーシャンの言葉を聞き終わった先生は、しばし彼女と見つめあった。彼女が正気かどうか見定めている訳では無さそうだ。
しばらく二人は見つめあった後、先生がひとつ息を吐きながら言った。自分一人では到底抱え込みきれない…そんな吐息だった。
「…その件については、ダンブルドア先生と話し合いましょう。三人とも、私が寮まで送り届けます。ついておいでなさい」
三人が戻ったグリフィンドールの談話室で、マクゴナガル先生の口からまたも事件が起こった事が説明された。夕方の外出とクラブ活動の一切は禁止、クィディッチの練習と試合も全て延期、授業に向かう際は先生が必ず一人引率し、トイレに行くのも先生についてきてもらう様にとの事だった。
このまま犯人が捕まらない限り、学校を閉鎖する恐れもあると言い残して、先生は談話室から出ていった。途端に生徒みんながさざめきあう。
「これで四人やられた。グリフィンドール生一人、レイブンクロー一人、ハッフルパフなんて二人だ。なのにスリザリンの生徒は一人も襲われてない。なんで先生達は、スリザリン生を全て追い出しちまわないんだ?」
リー・ジョーダンの演説に何人かから侘しい拍手が送られた。ロンはハリーとオーシャンに聞いた。
「ハグリッドが疑われると思う?」
オーシャンが答えてため息を吐いた。
「そうなるでしょうね…。ハグリッドが本当に秘密の部屋を開いたのかは別にして、五十年前の前科があるかぎり、ハグリッドが一番疑われやすい位置にいるのは確かだわ」
「ハグリッドに会って、話さなくちゃ」
ハリーがすっくと立ち上がって、ロンと一緒に透明マントを取りに部屋へ上がった。マントを被って透明で降りてきた二人の足音に、オーシャンは声をかけた。
「私は「嘆きのマートル」に会いに行ってくるわ」
突然、ハリーとロンの目を丸くした顔が目の前に現れた。談話室の誰もが事件の話に夢中になっており、誰にもその瞬間を見られなかったのは奇跡と言っていい。
「「嘆きのマートル」?何で今?」
「マートルのトイレになんてもう用は無いじゃないか!」
二人が口々に、ロンに至ってはマートルの嘆きの種を増やす様な事を言った。しかしオーシャンは首を振った。
「五十年前に「秘密の部屋」が開かれた時、女子生徒が一人死んでいるの。マートルは何年前から、あのトイレにいるのかしらね」
ハリーとロンは「透明マント」を被ってハグリッドの家に向かい、オーシャンは一人「隠れ蓑術」を使って「嘆きのマートル」のトイレに向かった。
トイレ前の廊下にはいつものようにフィルチが陣取っており、犯人が再び訪れるのを今か今かと待ち構えている。オーシャンは静かにフィルチの前を横切って、トイレのドアにたどり着くと、フィルチが座っている椅子に魔法をかけた。
「ロコモーター・チェア」
発音がうまく行くか不安だったが、何とか呪文は効いたようだった。しかしオーシャンの計画では、椅子はフィルチを乗せて向こうの階段側へ移動していくはずが、何故かその場でひっくり返ってしまった。
しかし一瞬だけでもフィルチの注意が削がれればよかった。計算通りとはいかなかったが、オーシャンはフィルチが床にキスをした一瞬の隙に、ドアを開けてマートルのトイレに入り込んだ。
「マートル、いる?」オーシャンがそう囁くと、マートルはいつもの哀れっぽい声を出して「誰…?」と現れた。
オーシャンが「隠れ蓑術」を解くと、マートルは「なんだ。アンタなの」と無感動な声で言った。オーシャンは彼女に「お話しましょう」と言った。マートルは答えず、そっぽを向いて窓の辺りでふわふわと漂った。拒否の意ではないと感じたオーシャンは、そのままマートルに聞いた。
「貴女、何時からここにいるの?」
マートルは答える。「分からない。もう年月の感覚なんてとっくに無いわ」
オーシャンは「それもそうよね、ごめんなさい」と謝った。幽霊だって時間の感覚はあると思ったオーシャンだが(自分の命日にパーティを開いたりする程だから)、しかしマートルはこのトイレからほとんど外に出ないので、そういった感覚は無いらしい。
「じゃあ、貴女の死んだ時の話を聞かせてちょうだい」
この質問はマートルの心を動かした様だった。まるで誇らしい功績を語り出す様な口調に、オーシャンは少し呆気にとられた。
「オォォー…恐かったわ…。そうよ、丁度この個室だったわ…オリーブ・ホーンビーが私の眼鏡の事をからかってくるものだから、私、ここで一人で泣いてたわ。そうしたら、トイレに誰か入ってきて、何か言っていたの。外国語、だったと思うわ。とにかく嫌だったのは、喋っていたのが男子だったって事。だから、出ていけって言うつもりで、私ドアを開けてそして-死んだの」
オーシャンはマートルの話を聞きながら、その様子を思い描いた。マートルが個室で啜り泣いている様子、そして、少年がこのトイレに入ってくる-確証は無いが、その影はトム・リドルとピッタリ重なった。
そして彼は「スリザリンの怪物」を呼び出し、シューシューと話しかける。そこに、マートルが個室のドアを開けた-そちらを向いた怪物の目が、マートルと合う…。
「酷い最期だわ…」
オーシャンは手を合わせて、拝礼した。マートルは不思議そうにオーシャンを見ている。
数分で顔を上げたオーシャンは、マートルに再び聞いた。「辛い思い出を話させてごめんなさい。もう一つだけ教えて…。犯人がいたのは、具体的にどの辺りか覚えているかしら?」
マートルはゆっくりと、忌まわしい思い出の場所を指差した。「確か…あの辺り」
オーシャンはマートルが指差した辺りを振り向いた。そこは手洗い台だった。
「ありがとう」オーシャンは手洗い台に近づいて隅々まで調べた。そして、蛇口に小さく彫ってある蛇の形に気づいた。
「ここが入り口なのね…。これって、開けゴマ的な仕掛けなのかしら」
日本で解錠の呪文と言えば、それだ。そんな日本式の解錠の呪文は、思春期の青少年・少女は恥ずかしいと感じる様で、年若い日本の魔法使いにはまるで禁呪扱いされている。
それを、オーシャンは堂々と唱える。
「開門!開けゴマ!」
オーシャンの凛とした声がトイレに木霊した。疑惑の手洗い台はピクリとも動かない。マートルが失笑したのが聞こえてきた。
「…やっぱり蛇語じゃないとダメなのね」
オーシャンは一つため息を吐いて、出来るかどうか挑戦してみる事にした。蛇無しで蛇語を操るのは、蛇使い検定一級の時の試験の時以来だ。久しぶりなので出来るかどうか分からなかったが、ここまで来たらやるしかないと思った。
頭を過ったのは、冷たく固まったハーマイオニーの姿。そして、これ以上仲間を犠牲にさせないという思いだった。
扉が開くまで何度も挑戦するオーシャンの後ろ姿を、マートルは見つめていた。
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そろそろ秘密の部屋編佳境になります。ここで初めて、ハリー達の一歩先を行くオーシャンさん。トム・リドルとの対決は!?それより、扉は開くのか!?頑張れ、蛇使い一級生!