【Original】藤野夫妻で小説の練習(リハビリ)   作:つきしろ

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パン屋と騎士と
第1話


 

 うららかな午後、という言葉が酷く似合う日だった。天気が良ければ反比例して彼女の機嫌は悪くなる。レジ前の定位置に置いた椅子に深く腰掛けながらガラス張りの扉の向こう側を見る。

 

 暖かな陽気に照らされて平日の昼間から暇そうな人たちが歩いている。彼女の居る店の中を覗く人もいれば、店の存在にすら気付かない人たちも居る。いつもどおり、気まぐれな人と常連たちが何人かやってきてパンを買っていくのだろう。

 

 彼女は両手を伸ばして大きくあくびをこぼすと壁際と部屋の中央に並べられたパンを眺めた。店主は得意先へ配達に向かっている。一個くらい食べても、そう思い重い腰を上げた瞬間、この時間にしては珍しく扉の開いた鈴の音が鳴った。

 

 目を向けるとこの陽気にもかかわらず、真っ黒な装束に身を包んだ赤い髪の男が店の中を見回している。首元までを覆う黒い服。どこか宗教を思わせる白いラインの入ったその服に覚えがある。

 

 なんで騎士が真っ昼間からこんなところにいるの。

 

 彼女は無意識に思い切り眉を寄せた。入ってきた男は彼女の表情に気付いたのか表情を緩めるように穏やかに笑う。

 

「店主は居るかな、オネエサン」

 

 思ったよりも丁寧な口調で男はレジに近付いてくる。

 

 外の陽気とは違う白い光に彼の瞳の色がさらされる。深い紫の。

 

「留守よ。今はパンを配達中」

 

 彼女が答えると男はまいったな、とわざとらしく肩をすくめた。慣れているな、と感じる。こうした人と話すことに。

 

「多分、もうすぐ帰ってくるけど、どうするの? 待つなら椅子くらい貸すわよ」

 

 そう声をかけると彼はまた大袈裟に驚いたように表情を固めた。自分の姿に全くいい顔をしなかった女性が歓迎するような事を言っているのだから当たり前といえば当たり前だ。

 

 彼はすぐにまた穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、じゃあそうす――」

 

「もちろん、パンは買っていってね」

 

 負けじといい笑顔を浮かべて言い放ってやると彼は一瞬動きを止め、少しうつむいたかと思えば肩を震わせ、大声で笑い始めた。

 

 やっぱり、さっきのは外向きの笑い方か。

 

 彼女は自分の座る椅子の横に備え付けた椅子をずるずると引きずる。

 

「ああ、椅子はいいよ。パンだけ買って行こうかな。オネエサンのおすすめは?」

 

「貴方仕事中でしょ、匂いの少ないパンならそっちに並んでるわ」

 

「んー、ありがと」

 

 先程までよりも幾分か砕けたような口調に彼女はレジの前に座り直した。警戒するほどの人じゃない。

 

 赤い髪の男は言われたとおり、壁際のパンをいくつか選んで精算用のトレイに乗せている。自分の分だけとは思えない。部下か、同僚か。誰かの為に買っているのだろう。それが大事あ人のためであれば少し嬉しい、とらしくもないことを考えて彼女は溜息をつく。

 

「仮にも客の前で溜息かよ」

 

 幾つかのパンが乗ったトレイをレジ横へと置いた男はそう言って彼女に笑いかけた。

 

「騎士が好きじゃないの」

 

 慣れた手つきでパンの料金を打ち込み、合計金額を提示する。男は小さく笑いながら提示された金額ピッタリの金を出す。高給取りのくせに細かいお金もあるのね、なんて嫌味を言うが彼はあまり気にしていないらしい。

 

 袋に入れられたパンを受け取り笑う。

 

「嫌いな奴に売ってもらって悪いね。店主によろしく言っといてくれるか、今回はこのパンでいいよ、ってな」

 

 じゃあ、またね。

 

 その黒い姿に似合わないファンシーな袋を片手に引き下げ、彼は他の客がそうするようにゆっくりと店の扉をくぐった。

 

 何アレ。らしくない騎士が居るんだ。

 

 レジに肘を付け、手のひらで頬を支える。

 

 今の騎士は皆、腐りきったようなやつだと思っていた。権力と腰に下げた剣を盾に好き勝手をするような、気まぐれで仕事をするような。ああいやでも。真っ昼間からこんな郊外のパン屋にクルような騎士だ、まともに仕事をしていないのかもしれないな。

 

 ふふ、と思わず声に出して笑い、笑った自分に驚いた。

 

 なんで笑った? 騎士を思い返して笑う要素があったのか。

 

 考え事をしていると扉の鈴が鳴る。見れば店主が疲れた顔を引き下げて立っている。

 

「ただいま、遥さん」

 

 名を呼ばれて彼女はいつもの様に不機嫌な表情を返した。

 

「さっき、貴方にお客が来たわ。赤い髪に紫の目のちょっと偉そうな騎士」

 

「げ、龍騎の奴店に来たのか」

 

 いつも柔和な店主がこんな顔をするなんて珍しい。

 

「『今回はこのパンで良い』っていくつか買っていったけど」

 

「え。珍しい。まあ、それでいいならいっか。あー、アイツとは昔からの腐れ縁で、物の貸し借りとかしているんですよ。今は借りを作ってんでいたんですけど……」

 

 ほんとうにパンで良いのか。店主は悩み悩み店の奥にある休憩室へと向かっていった。

 

 ただのパン屋が騎士と腐れ縁なんて、珍しい。

 

 彼女、遥は新たにやってきた客に気を取られ、考え事を止めた。

 

 

 龍騎は片手に持った買い物袋を部下に渡した。

 

「うっわ、すげーいい匂い。これ食べて良いんすか?」

 

「俺の分も多少残せよ」

 

 少年のようなあどけなさを持った龍騎の部下はパンの袋を持ったまま騎士の隊舎へと走りこんでいった。これで俺の分がなかったら俺の分の報告書も書き上げさせよう。

 

 龍騎はフワリと香った食欲をそそるパンの匂いを振り払うように自分の部屋へと歩みを進めた。思い出すのは腐れ縁の友人を訪ねた店に居た無愛想な青い髪の女性。

 

 短い青い髪、快晴の空を思わせる空色の瞳。我ながらあの短時間でよくそこまで覚えているものだ。

 

――騎士が好きじゃないの。

 

 事も無げに言い放たれた言葉に多少なり揺れた。パンを買う客の目の前でため息をついたかと思えば客の職業が好きではないという。

 

 だが何故だろうか。

 

 龍騎は彼女が嫌いではない。

 

 腰に下げた剣を机の横に立てかけ、少しだけ不在をしていただけで机の上に貯めこまれた書類を手にとった。手荒な仕事が無いのは良いことだ。ただ忙しいことに変わりはない。

 

 明日も簡単な食事で済ませてしまいたいところだが、思い出すのは先程のパン屋。

 

 小さなパンから惣菜になるパンまで、色々あった。あの場所は龍騎が巡視を担当する区域からそんなに離れていもいない。巡視途中で立ち寄ることは出来るだろう。

 

 彼女の無愛想な顔が不機嫌にゆがむのを見るのも、悪くない。

 


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