俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の女神、地に降りる

 

 人間が集落を作り、柵で村を囲って野生動物から身を守るようになった。そこで俺はそろそろ人間と言う種族に一度顔を見せておくことにした。

 一度顔を見せておけば、少なくとも俺と言う存在を認識するものが産まれる。信仰すると一言にいっても、信仰には様々な種類があるのだ。

 その一番初めの段階こそが、知ると言うこと。あるいは、知らない物を知らないままに恐れると言うこと。それなりに物を知ってしまったが故に自身の知らない物を恐れると言うのは人間ならば、あるいは自意識と理性を持つ存在ならばおかしい事ではない。極自然なことだ。俺だってわからんものにわざわざ触れたいとは思わない。ある程度分かって安全だと言うことを確認できてから触れるだろう。

 それはそれとして、神としての姿を見せるのならばそれなりの姿をしていなければいけないが、今は神代。神が神として地上に降りても地上が崩壊することが無いほどに強力な神秘に満ち満ちている時代だ。直接降りなくても巫女や司祭のような才能を持つ者が当然のようにいるのがこの時代なのだ。

 

 そう言う訳で、適当な場所の適当な人間を探してみれば、居るわ居るわ神との交信の端末を持った人間が。こういうのを見ていると、俺が人間として生きていた時代に居た神子とかそういうのが本物だったのかもしれないと思えてくるな。実際に本物なのかどうかは知らないが。

 その中から俺に相性の良い奴を選んで……俺が処女神だからか年端も行かない娘が多いが、それはそれだ。昔の俺ならともかく、今の俺は間違いなくヘスティアだからな。そう言うもんなんだろうよ。

 

 そしてその娘とちょいと話をして、身体を一時的に借りて、言葉を話す。周りにいる成人はこの娘の言葉を聞こうともしなかったが、俺の言葉になると途端に聞き訳が良くなる。これはいったい何なんだろうな? 見た感じではどうも委縮しているように見えるんだが……これが神威と呼ばれるものなのかもしれないな。知らんが。

 まあとりあえず、いくつかの村を回って俺の存在を知らしめて、ちょっとした加護を与えておく。加護の内容は、『この場に住む者の守護の意識や俺に対する畏敬や信仰が強ければ強いほど頑丈な結界を柵の周りに張る』だ。勿論それは自分達が攻め入った時には解除されるし、信仰や意思が弱ければ大した結界は作れない。自分達が攻め入るなら攻め入られる覚悟もしてあるだろうから当然解除されるのはわかるだろうし、もしもの話だがそう言った村がいくつも作られ、俺を祀る場所が増え、そう言った村や町が集まって国家となれば国境にそう言った結界を張ることもできるようになる。

 ただ、国境に結界を張る場合にはちょっとした獣や魔獣は通してしまう。なぜなら国境と言うのは人間が定めた物であって獣にはそんなものまったく関係のない話だからだ。代わりに獣は家の周りや村の周りに張られた結界を通過することはできない。人間と共存するようになったなら話は別だが、暫くはそういう話は出てこないだろう。今の人間にとって獣は敵であり、同時に食料であり、天敵でもある存在だからな。

 

 まあ、こうしておけば人間がこの世界に少しずつ増えていくことだろう。毎年秋に小さな祭を開いて俺にちょっとした供え物をしておくように言っておいたから信仰が無くなることもないだろうし、その祭ももう本当に小さなもので良いし、俺への捧げ物も大したものでなくとも構わない。何かを俺に捧げることで俺とその場所との間に繫がりを作ることが目的の物だからな。捧げたと言う事実そのものが大切なのだ。

 また、なぜ祭を開かせるのか。祭とは、奉りであり、祀りである。祭を行うことで祀る神、この場合は俺への信仰を見せることができ、祀っていると言う事実そのものを形として表すのに非常に便利であるわけだ。

 それに、俺の加護には作物の実りを良くする物もある。勿論毎年毎年実らせ続けるならばそれなりに手を入れることが必要だが、そのくらいのことは自分達でやってもらおう。人間、仕事が無いと腐るからな。

 


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