俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の女神、人を見る

 

 ようやく人間と言う存在が産まれてきた。まあ、俺から見るとまだ猿のようだし、他の神から見ても猿とそう変わらないように見えるようだが、それでもその猿が道具を使い始めたと言うのは大きな進歩と言えるだろう。それもある個体だけが使っているのではなく、その種のほぼ全ての個体が使っているとなればそれはまさに種族としての進化に他ならない。

 そして進化は続く。樹の上で生活するために発達して枝を掴むことができるようになった足は地上を歩くのに適した形に変わっていく。手先はより器用に。目は遠近間を認識できる範囲を広げるように前に移り、少しずつ人に近いものへと変わっていく。

 数万年、あるいは十数万年と言う時間をかけてゆっくりと変化していくそれは、まるで蝶の羽化のビデオをゆっくりと見ているかのようだった。人間的に考えればそんなもの面倒で見ていられないだろうし、神からしてもただひたすらにそれだけを見続けると言うのは苦痛に違いないが、俺の場合は他にもやることがあり、できることがある。

 例えば飲まず食わずで炉に向かって鉄を打ち続ける義娘の口にサンドイッチをねじ込んだり、月一で集まるオリュンポスの神々+αにカレーを作ってやったり、畑を耕すことに生きがいを感じ始めたギガースを緑あふれるタルタロスに招待したら嬉々として耕し始めたのを見てそいつらの家を作ってやったりとか、非常に多くのやることがある。

 それ以外にも、例えば老衰時にここに来る動物の肉を使ってベーコンや鳥ハムを作ったり、某料理漫画で出てきた料理の再現をしてみたり、自分にできることを確認しようとして色々やったら何故か新しい権能が入ってしまったり、やるべきこともやりたいことも山のように存在する。

 最近では、人間によって親が狩られてしまった動物の子を拾ってタルタロスに放したり、そう言った動物を食べるものも少しずつ増やしてバランスを取るようにしている。恐らく暫くするとある程度のところでバランスが取れて自然と弱肉強食の世界が作られることだろう。

 俺は孤児の庇護者だが、だからと言って何もしないで守ってもらう事だけを望む奴を救ってやるほど暇じゃないし、そのつもりもない。孤児である存在が努力して、必死に生き抜こうとして、それでも力が及ばない時に少しだけ力を貸してやる。その力でどうするかはその子供に任せているし、それでも駄目なら残念でした、でおしまいだ。子供だからと言って自然の掟に逆らわせるような真似はしないし、俺が守る相手は理不尽からだ。人間や動物の力ではどうにもならない理不尽、天災や戦争など、子供にはどうにもならないようなものに対してしか俺は守ってやることをしないし、同時に俺が守っているからと戦争を吹っ掛けに行くような奴まで守ってやるつもりは無い。俺は平和主義者だからな。

 ただ、こんな時代だ。平和主義者だからと言って力を持たないでいては色々と面倒事に巻き込まれかねない。面倒事を処理するにはほどほどの力も必要になってくるわけだ。まあ、今の俺の力くらいなら程々と言えるんじゃないかね。インドには喜びの舞を踊ってたらその余波で世界が崩壊しかけたなんて逸話を持つ頭おかしい神がいるわけだし、俺は踊ってみてもそんなことはできないしな。

 ちなみに、前世で見たことのあるMMDな動画の踊りを真似てみた。食って飲んで乱れ咲くだけな男たちの真夜中の歌なんだが、あれかっこいいんだよな。学校で何人か集めて文化祭で踊ってみたこともあった。その時一緒に何曲か踊ったが、一番は何故か某ただの人間に興味のない女子高生の出てくるアニメのダンスだった。まさか学校のほぼ全員が踊れるとは思ってもみなかった。俺の通っていた高校にはオタクが多いとは思ってたが、まさかそう言うネタが通じる率100%だったとは。

 ちなみに、先生方も踊れていた。いい年して何やってんだと言うツッコミはしないでおいたが、いい年して何やってんだろうな、ほんと。

 


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