俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の女神、己を知る

 

 自己を知ると言うことは高みを目指すことにおいて非常に重要なことだ。自身にできることとできないこと。得意な事と苦手な事。経験則でもできることとできないことを理解し、出来ない事をできるように、できる事はより上手くできるようにと進んでいくことが必要だ。

 停滞とは、退化と変わらない。進化し続けていなければ、何であろうと置いて行かれてしまう。どんな物であってもそういうものなのだ。

 

 そう言うことでいろいろと書き出してみたのだが、やはり俺の持っている権能の種類が非常に多い。多すぎると言っても良いほどに多い。はっきり言おう。多すぎる。

 まあ、少なかったり全く無かったりするよりはずっといいんだが、ここまで多いと自分を鍛え上げて行くだけであと数億年は暇しないでいけそうだ。神にとって数億年と言う時間がいったいどれだけの物かはよくわからんが、少なくとも俺にとっては打ち込めるものがあれば一瞬とそう変わらないと言う事だけはわかる。むしろ打ち込みすぎて時間が足りないことはあっても時間が有り余ると言う感覚はよくわからん。

 

 ……そうそう、それと面白い事実が見つかった。具体的にどう面白いのかと聞かれると困るが、個人的にはちょっと涙が出てきてしまいそうな面白さだ。

 ギリシャ神話において、割と男性同士の同性愛は普通に存在することは知っているだろう。実は、女性同士で愛を育むと言うのも普通とは言わないが存在しないことは無いらしい。男性同士の愛情はそれがそれなりの歳の男と年若い少年の間に結ばれるものならば普通と言われるのだが、その理由は年長者が若者を導くためと言うもの。つまり、年長者が子供を導くために愛情を向けるのは正しいと言う形であるために非生産的な形の愛も許されていたと言うことだ。

 では俺はと言うと、どうにも男であると言う意識が抜けない。三つ子の魂百までとはよく言うが、二十幾つを超えて生きていたのだからある意味では仕方ないのかもしれない。それに、女として振舞おうと言う意識も全く無いのだからこうなるのも仕方ないし、俺が恋愛の対象に男を入れられないのもまた仕方がない。そして、女相手にも本気で恋をすることはどうにも出来なさそうだ。

 はい俺処女神決定。別にそういう行為をしないでも子供ができるのがギリシャ神話の神だし、やろうとすれば女同士だろうが関係なく子供を作ることくらいはできそうだが、しかしどうしてもそう言う気分にはなれそうにない。子供は嫌いではないし、嫌いだったらそもそもデメテルやヘラ、ハデス、ポセイドンと言った癖のある子供たちを育てようとはしなかっただろうが、自分が子供を作るよりも誰かが勝手に作って捨てたり、残したりしている子供を育てるので精いっぱいだ。子供を育てるのなら、世界から俺以外の生き物がいなくなることがあったら自分一人で作ってみようと思わなくもないが、それまではなぁ……。

 

 無数の権能。権能から派生する概念。そう言った物を組み合わせれば俺だけでも新しい世界を作ることくらいならできそうではあるが、わざわざ新しく世界を作るのも面倒臭い。今あるものに不満があるわけでもないし、満足かと言われれば首を傾げるが不足している物は無い。あっても大概のものはその場で少し作ってしまえば終わる話だし、その機会自体が早々あるものではない。

 そう言うことで、とりあえず俺は恐らく誰かと結婚をすることは無いだろうし、子供を作ることもまずないだろう。それは俺の知るギリシャ神話ではヘスティアが処女神だったからと言うだけではなく、俺自身が結婚したり子供を作ったりする気が全くないからだ。未来では考えが変わっているかもしれないが、変わったならその時また考えればいい。きっとその時なりの考えが浮かぶだろうさ。

 


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