俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の女神、創造する

 

 聖書。それはとある宗教における神の行いを記したものであり、同時に神と人との関わりを、あるいは神と悪魔の、人と悪魔の関わりを記した本でもある。

 しかし、知っている者はそうはいないだろうが、一番初めに書かれた聖書において、悪魔と言う存在は聖書に記されていなかった。聖書には文字通り、神の行いのみが記され、人間に対しての道徳的な意味などまったく存在しない、いわば神自身が付けた日記帳のようなものでしかなかったのだ。

 それがいつの間にか信者の中で大流行りし、いつの間にか世界で最も多く出版された本として一大ベストセラーに。恐らくその本を書いた神、あるいはその神の行動を記録した者も、そこまでの大事になるとは考えずにそんなものを書いたのではないだろうか。

 結果的に聖書は多くの人間を救うこととなったが、同時に多くの人間を戦場へと送り込み、多くの人間を殺す切っ掛けにもなった。俺に言わせればどいつもこいつも愚か極まりないことだ。血を流すような争いなど無い方が良いし、あったとしても後味が悪くなるようなことにはならないようにするべきだ。

 だがまあ、それで済むはずがないのが人間であり、人間に信仰されるようになった結果として人間味を増してしまった神々である。オリンピックはそんな中でもかなり出来のいい戦争の代替手段であり、殺し合いに発展しない程度に、あるいは代表を選出することによって死者を最小限にすることができ、かつ多くの者が納得することのできると言う点において非常に効率のいい手段と言えるだろう。

 

 しかし、そう言ったゲームをする時に、二十世紀のゲームのように画面に映ったキャラクターがゲームの中で敵を倒すのをただ見ているのと、俺が人間であった頃にライトノベルであったようなVRゲームと呼ばれる体感型のゲームで自分の身体を動かすようにするのでは恐らく楽しみ方や楽しいと思う感覚は大きく違ってくることだろう。

 オリンピックも、ただ見ているだけでも楽しめるが、もしも自分がオリンピックに参加できるだけの実力があるにも関わらず、あるいはオリンピックに参加する方法があるにも関わらず、自分が参加しないで誰かが競技をこなして行くのをただ見ているだけと言うのは物悲しいものだ。

 

 そこで俺がやるのが、錬金術の権能を使うことによって俺の細胞から俺の人形を作り出し、電子の神の権能や生命の神の権能によってその身体をゲームのキャラクターのように動かすと言う方法だ。

 ただ、神としての俺の身体はここにある俺の分しか存在できないので、俺が作ったのは純粋な神としての身体ではなく、半分は神としての俺だがもう半分は人間としての俺のデータを入れて作り上げた。ヘスティアとしての俺の存在は薄まらないまま、俺の人形のようなものが出来上がったわけだ。

 しばらく時間が過ぎて地上に人間と言う種が生まれ始めたら、この身体を使って色々な場所を見て回るのも面白い。出力はともかく、完全に技術として確立されている物で俺にできる事ならばこの人形も同じことができる。流石に神としての権能は持っていないし、もしも俺がこの身体を使って地上を歩くことになったら名乗る名前は『ヘスティアの巫女』と言うことになるんだろうが……それはそれで面白い。

 ただ、キリスト教やその前身であるユダヤ教が広まり始めるとヨーロッパ辺りは歩きにくくなる。俺は黒髪で、黒髪は悪魔の印。黒子は悪魔の口付けの痕。黒い瞳は魔に魅入られた邪眼。そんな風に言われているような所に態々行きたいとは思わないし、キリスト教の奴がちょっかいを出してきたりしなければ俺だって態々喧嘩を売ったりする予定はない。もしかしたら神の子を殺したいと言う理由で国中の三歳以下の子供を皆殺しにするとか言う頭の悪い命令をする王が居たりするかもしれないが、それも知ったことじゃない。孤児が居たら拾ったりもするかもしれないが、他の神話体系に近付いて痛い目を見るのは嫌だ。俺は痛いのは好きじゃないしな。我慢しなくちゃいけないなら我慢することはできるが。

 


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