産まれて初めて見た顔は、とても綺麗な歪んだ顔だった。
複雑な感情がその瞳に浮かび、
彼女……恐らく私の母親は、私をそんな複雑な目で見つめると、ふいと目を逸らしてしまう。まるで汚い物を覆い隠そうとするように手早く、しかし同時に宝物を守ろうとするように厳重でありながらも手厚く、何度も布を巻き付けていく。
そして、私は―――捨てられた。否、正確には預けられたと言うのが正しいのだろうか。今では顔も覚えていないあの母親から、この見知らぬ誰かに。
母親の顔は覚えていない。顔よりもその瞳の感情に目を引き付けられ、顔よりも意識に残っていたからだ。だから私は、私を抱き上げる彼女に顔を知らない『母親』を求めた。愛情を求めた。
彼女は、ただ預かっただけの私をしっかりと愛してくれた。本来必要は無くとも食事を作ってくれたし、服も作ってくれた。いつでも一緒にいてくれた。私の醜い顔に、唇を落としてくれた。
私は試した。夜に時間を考えず泣いたし、大小便も漏らした。まあ、流石に後者の方は私も気持ちが悪かったのでほんの一、二回しかしなかったが、彼女は私のためにたくさんのことをしてくれた。
私を置いて行動することは殆ど無かった。身体を洗おうとするときに服を脱ぐ。その時以外には身体から離れることは無かった。どんな時でも、私を抱きかかえていてくれた。
眠る時には優しく歌を歌ってくれた。食事は手ずから食べさせてくれた。そして、私にちゃんとした足をくれた。
私は、彼女を信じることにした。私の中に存在する神として必要な最低限の知識に彼女の存在はなかったし、本来一番に私を愛して守ってくれるはずの母は私を捨てた。知識の中で一番であるはずの母すら私を捨てたのだから、私は誰にも好かれることはないと思っていたのに、彼女は私の事をちゃんと愛してくれた。
だから、もう一度……もう一度だけ、誰かを信じてみる事にする。きっと彼女なら、私を捨てるようなことはないはずだから。
私はもらった脚を撫でる。柔らかくて、自分で動かすことができて、立つことのできる脚。彼女と同じ、自分の力で歩ける脚。
きっと、私は歩く度に思い出すだろう。こうして歩けていることが、彼女のおかげであると言うことを。
私が見る世界には闇がある。醜い顔と、萎えた脚。そしてそれを見て笑う多くの神。憎々しげな表情の母の瞳。私に向けられる数々の悪意。そして私自身の嫌悪感。そんな闇が私の周りにはいつだって存在している。
けれど、私の世界には光がある。目を開いてみれば、私の前には優しげな笑顔を私に向ける彼女がいる。
「……どうした。眠れないのか?」
私はその言葉に答えず、ぎゅっと彼女に抱き着いた。
「やれやれ。身体は大きくなっても、まだまだお前は子供だな」
彼女は苦笑を浮かべながら、私の頭を優しく抱きかかえるように撫でる。
傷ついて少しだけごつごつした手が、私の髪を梳く。抱き寄せられた私の鼻に、彼女の香りが満ちる。とくん、とくん、と彼女の心音が微かに鼓膜を震わせる。そんな温かな場所で、私の意識は少しずつ暗闇に落ち込んでいく。
しかし、私に恐怖は無い。以前は恐れた暗闇も、彼女がこうしていてくれるのならば怖くない。
「―――おやすみ。ヘファイストス」
おやすみなさい。
―――『お母さん』