一枚の大きな黒曜石が見つからなかったので一度粉々になっていたり破片になっていたりした黒曜石をすべて溶かしてから冷まして一枚板を作り上げ、そしてその一枚板を片面しっかりと磨き上げて鏡を作り上げ、額に嵌め込んで彫金を施す。
鍛冶の一環として多少の彫金はできるが、かなり久し振りで腕が落ちていることが自覚できる。これは鍛冶の方も慣らしが必要かもしれないと思いつつ、今は鏡の方に集中する。
鏡には術を込める。しかしここで一つ思い付きが頭を過っていったので、それを実現するために意匠の同じ黒曜石の鏡をもう一枚作る。ただし、一枚目の大鏡と違って二枚目は手鏡だ。
二枚の鏡にかける術は基本同じ。対象を選定し、選定をクリアした対象に知識を刻み込む。大きな鏡は祭壇に飾られることも考えてしっかりとセーフティを作っておいたが、手鏡の方はある程度緩くしておいた。と言っても分霊を憑けてそいつが判断するから基準をどうするかの違い程度しかないんだが。
そして、大鏡と手鏡を向き合わせて合わせ鏡をすると、その間にいる存在に分霊の意識を一時的に憑依させる。そして身体を動かして敵対者を葬り去って……まあ、身体の持ち主はよほど運がよくないと死ぬかもしれんが、全体が死ぬ瀬戸際ならやる奴はいるだろう。勇気ある選択と言うべきか、はたまた哀れな生贄と呼ばれるか……実際にはしっかり鍛えていれば助かる可能性もあったりするんだが、気付く奴はそういないだろう。巫女に身体能力を期待する奴なんて早々いない。ゲームじゃあるまいし。
巫女に求められるのは戦闘能力ではなく神との相性。それも、できるだけ多くの人間の役に立つ神との交信能力だ。戦闘とはかけ離れている。それが必要だと、いったい誰が気付くだろうか。
……居るんだよなぁ、そう言う奴。なんだかわからんが様々な方法で検証を続けて、僅かにしか残されてない情報の断片のそのまた断片を組み合わせた物から正確に状況を理解した挙句に解決策まで思い付く、生粋のキチガイが。人間だった頃から思うんだが、そう言う奴ってどんな頭の作りをしているんだろうな。神になって性能が阿呆みたいに上がった俺でも、情報が足りなかったらわからないことがあるんだが、普通は足りない情報を推測と推理でおよそ正確に引っ張り出してくる。マジで気狂いだわあいつら。
まあ、そう言う奴らに解明される前に、一応巫女になる奴には『体を鍛えておくように』と言っておくか。そう言うのがあるだけでもこっちとしては言い訳が立つもんだし。
はい、インストーラーの構成完了。これでよし。