俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の女神、最低基準

 

 だが、俺が作った世界に他の神を呼ぶとなると、最低限の制限は必要だ。

 基本的に神として権能を使うのは制限しなければならない。特に俺と範囲が被っている権能では、そいつが使うだけで世界が歪む。それは流石にまずい。本当にちょっとしたことならともかく、派手に使われたらそこから世界が捻れて砕け散るなんて事もあり得るしな。

 しかし、神の力を使わない範囲で行うこと、例えば魔術の神が権能無しで魔術を使ったり、武の神が武術を使ったりするのにまで制限をかけることはない。当神がそれまでに得た経験や知識に差があるのだから、それらを全て排除してしまってはつまらないし、自分が動いていると言う感覚が鈍くなってしまう。

 ……そうだな。全知全能に近い神々だからこそ、無知零能と言う人間とそう変わらない状態で世界を楽しむと言うのは悪くないんじゃなかろうか。

 一般的な人間にできることしかできない身体で、ほんの僅かにしか使えない神の権能をもって人間達と共に生きる。……まあ、悪くはないだろう。特に暇を持て余している奴等には喜ばれそうだ。

 不老不死と言うのはなってみればわかるが面倒なものだ。死なないからこそ危険なことでも簡単にできてしまうし、いつまでも存在し続けるからこそ日々に潤いがなくなっていく。退屈こそ不死者を殺す毒だと言うが、間違いない。退屈すぎて神を全て巻き込むような戦争を起こされたりしたら非常に困る。態々退屈しのぎをするための物を用意しているのだから、せめてそれにも飽きるまでは待ってもらいたいものだ。

 ともかく、様々な形で迷宮を作ろう。まずは一つ大きな物を作って、あとから追加するかどうかを決める。どうせなら何も言わずに二つに分けて競わせるのもありかもしれないが、どうするか。

 星を貫通して作られている迷宮を、両側から攻略させるのも……作るのが面倒だな。却下。と言うかいくつも迷宮を作るのは手間がやばい。何がやばいって保全やらゲームバランスやらを考えるのがやばい。俺はワーカーホリックじゃないんだ。やっぱり作るダンジョンは一つでいいか。一つで延々遊べるようにしてやる。元は日本人だ。変なところで凝るのもまた日本人。カレーに凝るのもその一貫だったりしてな。

 なんで『やらなくちゃいけないこと』だと面倒臭いのに『やらなくてもいいこと』だとこうもやる気になるのか。実に不思議なことだ。それこそが娯楽だと言ってしまえばそれで終わりだが、精神活動についても色々と知っておきたい。人間が相手ならそこそこ読めるんだが、神相手だとちょっと経験が足りない。

 ロキのように数々の神を相手に様々なことをやらかしてきたわけでもないし、俺はギリシャ神話圏内なら知らない者がいないレベルで有名だと言う自信はあるがその外ではイマイチを通り越してかなり無名だ。弱々しい竈の女神、しかも特筆して美しい訳でもない奴なんて有名になるはずもないし、有名でないなら声をかけられる頻度も下がる。そう言うものだ。

 ちなみにカレーに関してはそこそこ有名で、インドの方にも知られているらしい。

 そろそろ世界もしっかりと融合する頃だし、神界の行き来も楽になるだろう。北欧神話と繋げると神々の黄昏(ラグナロク)に巻き込まれないか若干怖いところがあるんだが、まあ恐らく大丈夫だろう。防ごうとすれば防げないわけではないし、気を逸らす方法もなくはない。なくはないが……これと平行するのは面倒だ。

 どうするかね。

 


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