俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の巫女、話を変える

 

 ユダヤ教の旧約聖書と、キリスト教の新約聖書。どちらが優れているとか劣っているとかそう言う話は置いておくとして、この二つの大きな違いは語り手の違いであると言える。

 旧約聖書ならば、語る者は聖四字の神である。聖四字の神が何をしたか。聖四字の神によってどうなったか。聖四字の神に関わる事と、聖四字の神の言葉に埋め尽くされている。

 しかし、新約聖書の語り手はと言えば、基本的には救世主であるヨシュアである。視点こそ変われど多くの場合は弟子の視点から、救世主ヨシュアの行動や言葉が描かれている。

 そして、キリスト教においては多くの場合新約聖書が聖書として広まっているのに加えて旧約聖書も聖書として扱われているが、キリスト教の元となったユダヤ教では聖書として認められているのは旧約聖書のみ。そして同じユダヤ教から分裂したと思われるイスラム教では、紙に写したものは全て聖書ではなく、巨大な石に刻まれたコーランと呼ばれる聖典こそが唯一の聖書であるとされている。

 ……俺からすれば、書かれている内容が正確であり、しっかりと保存できて読みたい時あるいは読まなければいけない時にしっかりと読むことができるならば何に書かれていようと構わないような気がするんだがな。権威がどうこうって話もあるが、神格だったら権威の前に存在を知られることの方が大切な筈だ。存在すら知られていないものが信仰を受けたり崇拝されたりと言うことは余程の事がなければありえないのだから。

 今回の事はかなり洒落にならない嫌がらせになるが、同程度の規模で返すとなると聖四字の神に連なる存在を根切りにするとか、過去に遡って存在そのものを消してしまうとか、そういった少々どころでなくえげつない手をとらないと同程度とは言えなくなってしまう。なにしろかなり直接的に他の神話の神格の命を狙ったも同然の出来事だ。最低限その位やらなければ割に合わない。

 もしも成功されていたならば、それに他の神話の神格達が気付いた頃には時既に遅し。世界のかなりの神秘が聖四字の神に呑まれ、そして他の神話の神格達は弱体化していっただろう。それこそ、他の多くの神話の神格が手を結んで戦いを挑んだとしても勝利できないほどに。

 つまり、それをやられると俺ももしかしたら死ぬ可能性があった訳だ。聖四字の神を半分(物理)にしても仕方なかろう? むしろ殺し尽くさなかっただけ有情だと思っている。いつかこの甘さにつけ込まれて足元を掬われてしまわないか心配だ。

 

 まあそれはそれとしてイタメシ作ろうイタメシ。漢字で書くと炒飯(イタメシ)。なんか違う? 安心しろ、俺も何かが違うような気がしている。

 確か本来はイタリア飯でピザとかパスタがそれにあたるんだったか? 俺が生きていた頃にはもう使われなくなって久しい言葉だったからな。よくわからんのだよ。確かそんな感じの意味だったと思うが。

 で、作るのはピラフだ。カレーピラフじゃないからその辺り注意な。カレー以外にも美味いものはこの世界に溢れている。勿論不味い物も溢れているんだが、その辺りは経験しないとわからんもんだ。

 シュールストレミングも、臭い事ばかりが取り上げられているが食ってみれば多少は意見も変わる。臭いことには違いないし、不意にこの匂いが直撃したら死ぬだろうなと言う意見が新しく出てきたり、都心でやったら異臭騒ぎで警察が来たり消防が来たりすることにもなったりするが、まあその辺りに気を付ければ問題ない。

 ピラフと言ったらエビだよなエビ。アレルギーで食えない奴もいるみたいだが、非常に残念だ。食ったら死ぬとかアレルギーはマジで怖いからな。甘く見てはいけない(戒め)。

 


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