火雲邪神。それはある小説から生まれた人物の名であり、そして同時に一つの伝説の名でもあった。それは非常に強い力を持った拳法家であり、同時に異常なほどの悪意をその身に秘めた者でもあり、その小説においては主人公に倒されるまで一度も負けたことが無いと言われるほどの絶対的強者であった。
立ち位置で言うならばラスボス。一度主人公はその男に倒され、仲間の命と引き換えに救出され、そして仲間の命が失われたと知って怒り、悲しみ、修行を繰り返してついには火雲邪神を打ち倒す。そんな王道展開は昔からあったらしい。
そこで少し考えてみてほしい。これが小説や漫画ならば主人公が悪の親玉を倒してそれで終わり。めでたしめでたしで幕が降ろされてその先のことは語られることは無いだろう。だが、もしもその話が現実で起きていたとしたらそれだけで終わるようなことは無いと言えるだろう。俺が今こうして存在している世界はギリシャ神話と言う空想の可能性の高い世界だが、それでもそう簡単には終わらないはずだ。
まず、個人の力で世界を支配すると言うこと自体が荒唐無稽なことである。特に前世では武器が発達し、姿を見せないままいついかなる時でも殺せるようになってしまったために余計にあり得なくなっている。
しかし、武器の発達が無かったとしても金属製の剣や槍、弓矢によって武装した軍勢を一人で殺し尽くすことができるかと言われればそれこそ無理だとしか言えない。それを実行できるものこそ、伝説の武闘家、最強の拳法家、絶対強者、火雲邪神である。
そんな者が存在していたとすれば、主人公が倒すまでに一体どれだけの存在がその手にかかったことだろうか。主人公の視点で見れば『数万の軍を一方的に虐殺し、城を落とし、国を崩した最強最悪の拳法家』。読者からしてみれば『主人公の前に立ちはだかる壁にして、最強と言われている敵』。それまでに数多くの人間を殺していると書かれていたり、国をいくつも滅ぼしたと書かれていても、そこに実感が備わることは無い。
だがしかし、俺はここに存在する。俺はここにいる。殴れば痛みを与えることもできるし、作った物を使うこともできる。食事をすれば感想の一つや二つを引き出すこともできるし、相手の攻撃に当身を合わせて反撃したりすることもできる。躾のなっていないクソガキにハメ技ぶち込んで半死半生にした挙句手足の筋腱を切り取ってホルマリンによく似た薬の入った瓶に漬け込んだり燻製にしたり塩漬けにして保存してやることだってできなくはない。今まさにやっている所だしな。
「……姉さん。まだ許してあげないの?」
「ん? ちゃんと
「いやなんと言うかもうその字を使ってる時点で治してないと言うか治療じゃなくて修理って言ってるしもう隠す気ないよねまだ怒ってるよね許す気なんて初めから欠片もないよね」
「許す気が無かったら手足の筋腱を瓶詰めや燻製やら塩漬けやらにして保存してたりなんてしないっt……ハデス、その辺りにあったと思うんだが
「……そう言えば、ヘラ姉さんがお酒と一緒に何か食べてたような……」
「……肉らしい物だったか?」
「……たしか」
「……そうか。俺はここで肉を使った料理は一度もしてないはずなんだがな。塩漬けと燻製を保存処理としてやったから料理には含めないとするんなら、だが」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
……ギリシャ神話・オリュンポス十二神の強さランクの上から二番目。海神ポセイドン。姉に大腿二頭筋を食われて立てなくなり、リタイア!
…………流石に洒落にならんな。神の身体は切り落とされたりして一部を失ったとしても切り落とされたそれがあれば治せるが、流石に食われたら治せんなぁ……。
しゃーない。ちょいと拡大解釈が過ぎるような気もするが、ほんの欠片でもあればそこから培養するなりなんなりすれば作り直せるだろうし、最悪IPS細胞的なものを
……培養槽、用意しとくか。錬金術は便利だなまったく。