俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の巫女、見習う(?)

 

 全知にして全能の神がいる。しかし、実のところ神と言うのは権能が多いほどに存在に揺らぎができやすいものだったりする。権能に矛盾が起きると、信仰する人間に対しての対応が上手くできなくなってしまうのだ。

 例えば、破壊や破滅の権能を持つ神格が再生や医療を司るようになった場合、人間を殺すための戦争などで人間がなかなか死なないようになり、更に言えば様々なものが壊されても直ってしまうようになる。それではどちらの権能も完璧に扱いきることができなくなってしまう。

 権能を扱いきれない神格など、はっきり言ってかなり価値が無い。どのくらい価値が無いかと言うと、海辺の海水や岩山の石ころ、大気中の気体の水銀ほど価値が無い。気体の水銀とか価値が無いどころかむしろ邪魔でしかない。毒性強いわ体内に入ったらなかなか出ていかないわで非常に困る。使い道もそんなにないしな。

 ……まあ、復讐のために俺とカレーに魂を売った魔女が自分の可能性の一つを水銀を媒介にして呼び出していたり、水銀の分子一つ一つを使い魔にして大量に集めて群体にして単体の使い魔として運用していたりしたが、俺は態々そんな物を作りたくはない。熱で蒸発した物がカレー等々に入ったら大変なことになるしな。

 せめて悪性と善性を分けておけば早々矛盾を起こすことは無くなるのだ。互いに全能であるものの、破壊を担当するか再生を担当するかが分かれているだけで大きく違う。大理石を壊すことは破壊だが、その破壊を制御して狙った部分だけを壊して美しい像とするのは創造だ。ただ肉や野菜を切り刻み、炎で焼き払うのは破壊だが、一口サイズに切り分けた肉と野菜を炒めて肉野菜炒めを作るのは決して破壊とは言えないだろう。

 つまり俺の破壊の権能は料理にも応用できるんだよ!

 

『な、なんだってー!?』

 

 思った以上にノリが良くて俺は驚いている。なんでこいつらがこうなのに信仰している側はあんなにも無茶苦茶なことをやってるんだろうな? まだ時代的にやってないが。

 十字軍やら何やらと言うのは実に愚かな物だったと思っているよ。他の宗教を弾圧して、自分たちの宗教を広めるというのはねぇ……最初は自分たちが弾圧される側だったから相手にもやっていいとか思ったのかもしれないが、教義においてそれは認められているのか? 認められている訳もないよな? 『隣人に愛を』だもんな。

 そう言っても教会の奴らは自分たちに金が集まってきてほしいから『同じ神を信仰する者の中でも同じ派閥の者だけが人間である』とかいう理屈をつけて遠征を行い、先々で虐殺と略奪を繰り返したんだが。人間の欲は限りないって言う見本みたいなものだ。文字通りに限りが無さ過ぎて本当に厄介だが。

 ……こいつらの信仰する神がちゃんとしっかり裁いてくれればこんな事にもならなかっただろうに。それともあれかね、その神自体がそう言う認識だったとか言う救われない事実があったりするのかね。だったら困るねぇ。困って困って―――

 

 メディアを見習って呪ってしまうかもしれん。

 


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