俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の巫女、事前準備

 

 感情。理論。立場。目的。状況。様々なものが折り重なることで社会とは出来上がるものであり、同時にそういった物が対立し、ぶつかり合い、否定し合い、時に和解し、受容し、様々な形状へと変化する。

 聖書の神が作り上げた世界がいつからの物かはわからないが、この世界も変わる時が来たのだろう。変えるために俺がここにいるのだから変わってもらわなければ困るしな。

 神とは基本的に傲慢なものだ。世界を作り上げたと言うのだったらそれもある意味当然だと言えるが、それでも人間から見れば傲慢に見えるだろう。

 だが、こう考えてみれば分かりやすいかもしれない。漬け物を漬けるための甕を作ったら、いつの間にか雑菌が沸いていた。放置しておくと漬け物が駄目になるので、雑菌の繁殖を押さえて必要な菌だけ選別して残してあとは殺菌する。つまりはそう言うことだ。

 人間ですら自身が作るもののためにそう言うことをしているのだ。神が同じことをしたとして、傲慢だと言えるだろうか? 俺は少なくとも、自分で作った世界の中で行う分には問題ないように思うわけだ。

 ……他の神が作った世界にまで手を出してくるのが問題なわけで。

 

 こういう時に初めにやるべきことは、意思の疎通を図ること、だ。お互いに相手が何を言っているのか理解できないようではそこから先に友好が結べるとはとても思えない。友好なんて結ぶ必要が無いと思うんだったらそれでもいいが、自分たちが最も進んでいる存在だと確信できているうちはそれでいいかもしれないが後々困るのは否定したそいつらだったりする。

 何しろ、どこまで進んでいるといっても所詮は人間だ。過去には神との混血や精霊との混じり物、妖怪との混じり物といった人間以外の存在でありながら人間と共に生活できる存在がいたかもしれないし、人間も神秘に慣れていたためにそれなり以上に差がついていた時代もあるが、未来において神秘が薄れた結果どいつもこいつも一定以上の力を出すことが難しくなっている。要するに、殺しても死なないような奴が王をやっていた時代に比べて組織を率いている人間を殺しやすくなっているということだ。殺せば死ぬような存在など、どれだけ組織が大きくなろうとも大して恐ろしくはない。何しろ殺せば死ぬのだからな。

 最も面倒臭いのは、殺したら死ぬが消滅しない存在だな。殺した結果俺に関わることができなくなるならともかく、殺しても後々俺に何らかの形で実害をよこしてくる奴ほど面倒な存在はいない。たまにいるんだよな、そういうやつ。生前に色々と残しておいたわけではなく、死んだ後に色々とやってくる奴が。

 

 ……まあ、そういう時にはその存在ごとエネルギーに転換して吸収してしまえばそれで終わるんだがな。

 


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