俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の巫女、撥ね飛ばす

 

 かつて俺が人間だった頃、聖書を読んで始めに思ったのは『天使は悪辣』と言うことだった。

 神については語られていないからともかくとして、神の使いとされている天使のやり方が非常に嫌らしいものだ。神の名の元に怪物が支配する町を人間ごと焼き払い、人を救うと言って直後に殺害し、悪魔相手にした約束を積極的に破る。かつての民は恐らく自分達が死にたくないから信仰を始めたのだろうなと思わせる内容だった。

 

 だが、今考えてみたら実に当然の事かもしれないと思い始めた。

 天使と言うのは人間と思考回路が大分違う。天使にとっての幸福とは神に従っていられることであり、神の言葉を聞くことであり、神の命令をやりとげることであり、神の近くに侍ることなのだ。

 人を救うと言いながら殺すのは、人の身で自ら命を断つこと無くすぐにでも神の身元へ届けると言うことであり、それを天使である自身が行うことによって天国へ行くことを確定させる儀式のようなものと言う考えであり、天使からすれば間違いなく相手の幸福を祈り、願うものなのだ。

 

 ……生きている人間からすればいい迷惑でしかない事が多いのも仕方がない事だ。種族間の認識が違うのだから、そこに理解が及ばないまま行動に移せば様々な形の不幸が双方を襲うことになるだろう。実際にそうなった例があるわけだしな。

 

 そんなわけで人間の事を理解しようとしないまま魂を神の元に運ぼうとしている天使を撥ねる。思いっきり撥ね飛ばしたが流石は天使と言うだけあって非常に頑丈だが、撥ね飛ばした直後に轢き潰せば流石に堪えたようですぅっと静かに消えていく。

 まあ霊体となっただけだから普通にもう一度轢いて、散りそうになった霊格を集めて圧縮して宝石のような石へと変える。幽体物質(アストラルストーン)とでも名前をつけておくとして、他の神話の領域から人間と魂を持っていこうとか何考えてるんだこいつらは。悪魔よりも悪辣だなこいつら。それが完全な善意から来る物だって言うんだからまた恐れ入る。いったいどんな教育をしてるんだ?

 ……してないのか。してないからそういうことになってるのか。神が完成形として作り上げ、忠誠を刻み付けた結果できたのがこの天使という存在。狂信を胸に神の言葉のみを聞いてそれを叶えようとする存在。なんとも恐ろしいことだ。

 聖書に曰く、神は炎から天使を作り、土から人間を作った。熱や光という形で他に影響しやすいエネルギーを持っているから炎を天使としたのだろうが、実の所炎よりも土のほうが保有するエネルギーは多かったりするんだよな。質量という見えない形で蓄えられているから気付かないかもしれないが、事実質量とは最高に効率のいいエネルギーを蓄える方法だ。問題はあまりに安定しすぎているせいでそこからエネルギーを取り出すことにも難儀するということだが、まあそれについては仕方なかろうよ。普通わからん。それに、反物質と言うのは自然にはほぼ存在しない。存在しない物を発見することはあの神にはできなかったんだろうよ。俺自身、存在していると言う事実を知らなかったら態々そんな物を司ろうとか考えなかったしな。

 

 ……もう少し、話し合いが必要かもしれんな。上の方は抑えたが、それ以前に作られていただろう天使たちの意識改革も進めておかなければ周りに凄まじい迷惑がかかるだろうことは間違いない。なんで俺が見ず知らずの馬鹿共の尻拭いをしてやらなくちゃならんのだ。

 

 


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