俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の巫女、黄昏る

 

 思い切り殴れば道は開けると言った阿呆がいるが、それはある意味では間違いではない。あらゆる障害を殴り壊すことができるだけの力があるのならば、その言葉は真となるだろう。

 力は全てではないが、全てにおいて力は重要なファクターとなりうる。研究職ですらそうなのだから、この時代における様々な存在が力に傾倒するのもある意味では仕方の無いことだと言えなくもない。愚かだとは思うがな。

 力だけでどうこうできる物ではない。まずは力の使い方を学ばなければな。

 

 具体的に言うならば、世界を支配するという望みを持つのは構わんがそれを実行しようとするなら様々な障害によってその望みが妨害される事を覚悟するべき、と言う話だ。自分が意思を無理矢理押し通し、同時に他者の意思を踏みにじっているのだから、自分も同じように他者の意思によって踏みにじられても文句は言えない。勿論文句の一つ二つは言うだろうし足搔くだろうが、それもまあ当然のことだ。

 大邪神ゾーク。ヘスティアから見ると実際大したことの無い架空の神。だが、神が手ずから作り上げただけあって人間にとってはかなりの強大さを持つ。まあ所詮人間相手だが、それでも元々神格を相手にすることを考えていないのだから問題ないのだろう。

 この世界は神の作った疑似世界。人間も居れば他の生き物もいるが、基本的にこの世界の中の人間とは心の中で魔物や精霊を育てる養分のようなもの。そしてそうやって育った魔物は、宿った人間が死んだ時に神の手によって刈り取られてカードとして扱われることになる。

 そうしてできたのがこの世界に来る前に色々ルール的に許されていることを逆手にとって荒らしまわったあのカードゲームだ。同じカードなど一枚もなく、上位互換やら下位互換のカードが無数に存在する。人間の世界でそんなことをやったらかなりの物議があるだろうな。

 だからこそ、この世界をゾークが支配したところで特に神が困る訳では無い。この世界の人間も全てが死に絶えると言う訳では無いだろうし、一応それなりのカウンターは用意してある。だが、そもそもとして世界がある程度混沌としていた方が強い魔物が成長しやすいのもまた事実。そのためにわざわざゾークなどと言う存在を作ったとも言える。

 世界は悲しみに満ちていた方が魂は強く育ちやすい。絶望は駄目だ、あれは魂も意思も精神も腐らせる。希望があって、喜びがあって、それでも悲しみで満ちていた方がいい。

 さて、それではこの世界がいったいどんな終わりを迎えるのか、とても楽しみにさせてもらうとしようかね。

 

「黄金おかわり!」

「お前いつまで食ってるんだよ仕事しろ仕事」

 




 
 今回のバクラ&アテム

アテム「うぉぉぉおおおバクラぁぁァァァ!!」
バクラ「叫ぶな、傷に響く」
アテム「あ、すまん」
バクラ「マジでな」

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