俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の女神、見納める

 

 人間と、神格。両者の間には、海溝よりも深く、山脈よりも高い隔たりが存在する。

 それは例えば物事に対する価値観であったり、そもそも保有する力の差であったり、あるいは存在としての強度であったりと様々だが、この場で最も大きなものと言えば『寿命』というものの存在であると言えるだろう。

 神には寿命など存在しない。およそ半分が神格である半神には、残りの半分である人間の身体の方に寿命が設定されているために時の流れに飲まれて死ぬこともあり得るが、その際に人間として死ぬか神として生き長らえるかを選ぶこともできる。ギリシャ神話のヘラクレスなんかは神として存在し続けるようにした例だな。

 

 要するに、神と人間の間に立ちはだかっている寿命と言う壁。これをなんとかしない限りは、大概の場合人間がどれだけ神を愛そうとも人間は神を置いて死んでしまい、神もまた慈しんだ存在を失うことで悲しむ。俺に言わせればそれもまた自然の摂理であり仕方のない事なんだが、それでも悲しい物は悲しい。割り切りができるかどうかと言うのはまた別問題だ。

 そして、アルカイオスやその妻であるメガラー、俺の最初の弟子となった人間のメディアにも、人間として終わりの時は来る。ガイアによって記録された中でも相当のイレギュラーとして喜ばれたが、それにしても人間の一生とは短い物だ。

 Lvを上げ、神にほど近い存在になり上がったとしても、それはけして神ではない。寿命は確かに長くなったし、身体自体はまだまだ動かすこともできるだろうが、残念なことに人間の精神は長い長い時を過ごすのには向いていないのだ。

 いつまでもいつまでも続く日常や、あるいはちょっとした驚きの続く日々。なんでもない事を楽しむことのできる心を持たなければ、長く生きることに耐えられはしない。そして、そう言った意思の燃え尽きたような状態で長く生き続けることを良しとできる人間もまたいない。

 時々、意思が自然に溶け込んでしまっているような頭のおかしい類の武人が居たりするが、そんな存在は早々いる物ではない。強さを求める英雄の多くは自然との調和を蹴り飛ばして自身の我をより強くする。それが最もわかりやすい力の付け方であり、わかりやすいが故に多くの存在から心服されやすい力でもあるからだ。

 英雄の中にはもちろん知識によって莫大な財を残したものや、発明や発見が人類に対して大きな影響を与えたとして歴史に名を残す存在も数多くいる。作家や音楽家、発明家に科学者。そう言った者達には当然のことながら戦闘能力はほぼ無いが、逸話や影響力によって様々な形の力を持つこともある。

 だが、やはりそう言った存在に比べて戦闘にばかり特化している存在は多すぎると言っていいほどに多いのだ。

 人間同士の関わり合いの中でも大きなものはやはり戦争だが、その戦争において多くの敵を殺し、名を上げる存在、あるいは絶対不利な状況をその智謀によってひっくり返した存在と言う物がより注目されるものであって、決して何の取柄もない一兵士が注目されることなどありえないのだ。

 

 益体もない事を考えながら、俺はメディアの身体を保存する。自身の身体、そして心の時を凍らせた魔女は、死んだように眠り続けている。

 眠れるメディアの身体から服を剥ぎ取り、ベルを入れておく筒状のベッドと同じ物に入れておく。目が覚めればきっと勝手に出てくるだろうし、内側から開けることのできる機構も取り付けてある。これで、起きたにもかかわらず外に出られずカレー摂取不足で身体が紫色の塵になって消える、などと言ったことは無くなるだろう。

 

 ……いったいいつになったら起きるつもりなのか、それは俺にはわからんが、とりあえず出てきた時に保存液を拭き取るタオルと、普段着ていた服だけはしっかりと用意しておこうと思う。これくらいしかやってやれることは無いしな。

 


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