英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第9話 動き出す刻

 今までは偶然に過ぎなかった早朝のトレーニングは、何時しか龍玄と一輝の二人からステラを含めた三人へと変化していた。

 当初は鍛えているとの弁からステラも同じ様に参加していたが、一輝の二十キロにも及ぶ速度を変えたランニングはこれまで経験した事が無い程の負荷を与えたからなのか、体力に自信があると豪語したステラは即時撃沈していた。

 

 

「ちょっと……待って……少し……休ませて」

 

「やっぱり距離は最初は短い方が……」

 

「良いの!私が決めた事なんだから」

 

「だそうだ。これ以上は皇女様に逆らわない方が身の為だぞ。一輝、折角の奴隷を失いたくないだろ?」

 

「あれは、言葉のアヤであって……」

 

 息も絶え絶えのステラを横目に何時もと変わらない態度の一輝と龍玄は息一つ乱れていなかった。元々ランニングをしていた一輝に対し、未だ龍玄はどこを走っているのかを教えないからなのか、二人は何も分からないままだった。

 

 

「そう言うあんたは……どこ走ってるのよ…私、見た事無いわよ」

 

「当然だ。ルートが全く違うからな」

 

「どうせ……その当たりを適当に……走ってるんじゃ……ないでしょう…ね」

 

 ステラの言葉に一輝もこれまでずっと疑問を抱いていた。

 元々一緒になったのは偶然の結果であって、これまで一緒に走った記憶は無かった。

 そもそも破軍の敷地内は広大ではあるが、ランニングをするコースとなれば必然的に限定される。余程の事が無い限り、どこかですれ違うだろうと思った事は何度かあったものの、実際にそんな事は一度も無かった。

 走る一輝も大よそながらコースの全貌は知っている。だからなのか、ステラの質問に答えようとする龍玄を今は見ていた。

 

 

「何でそんな軟な場所を走る必要がある?俺のルートはこの敷地全域に決まってるだろ?場所も全部覚える事が出来るし、一石二鳥じゃないか」

 

「ちょっと待って。ここは走れる場所は限られたはずだよ。それに、全域って、ここは校舎の様な建物もあれば多少は森林の部分に池の様な場所もある。それを走ってるって事?」

 

 何気無く話した言葉ではあったが、一輝からすればあり得ないと判断するに等しい内容だった。

 建造物が邪魔になれば当然ルートの変更は必要不可欠でしかない。ましてや水がある場所はそれなりに大きい。迂回以外にルート無い事を知っているからこそ驚いていた。

 

 

「水の上を走るなんて簡単だろ?まさかとは思うが、お前達走れないのか?」

 

「そんな非常識な事出来る訳ないでしょ。忍者じゃあるまいし」

 

「そうか……皇女様は出来ないのか。残念だ。こんな物は只のパルクールと同じなんだがな」

 

 忍者の言葉に龍玄は僅かに反応はしたものの、冗談めいた言葉だと判断し、そのまま流していた。

 元々ランニングだけではゲリラ戦になった場合、平衡感覚を失えば自分の命が無くなるからと、同じ行動を一つするにも常にあらゆる可能性を想定した動きを取っている。それだけではない。

 仮に苛烈な動きを使用とすれば精神と肉体の結びつきが弱ければ、最悪は自身の肉体にダメージが帰ってくる可能性もある。精神が幾ら優れようとも、肝心の抜く体がそれについて行けない時点で無意味でしかない。

 その一環としての行動が故に、その動きを異常だと考えてはいなかった。

 

 

「流石に僕も水の上は走れないかな」

 

「慣れると案外と簡単だぞ。因みに魔力なんて物は使わんがな」

 

「あんたが変なだけでイッキは普通なのよ。それと私の事は皇女様じゃなくてステラで良いわ。何だか馬鹿にされてる気分になるから」

 

「そうか。でも良いのか?一輝以外の人間が名前呼びなんて」

 

「そ、そんな事…今は関係無いでしょ」

 

「そう言うなら俺としては構わんが」

 

 漸く呼吸が戻ったのか、ステラは何時もと同じ様になっていた。それを見たからなのか、一輝だけでなく龍玄もまた同じく次の工程へと移る。龍玄の手には珍しく見た事が無い物が握られていた。

 

 

「龍、それって日本刀?」

 

「そうだ。刃引きはしてあるから殺傷能力はそれ程でも無い。真剣だと何かと手続きが面倒なんでな」

 

 龍玄の手には一振りの日本刀の様な物が握られていた。漆黒の鞘に簡素な鍔と柄が付けられたそれは美術品ではなく、どちらかと言えば実戦的な代物。龍玄の固有霊装が籠手であった事を考えれば、日本刀はどこか不自然にも見えていた。

 

 

「前に言ったろ?嗜む程度だって」

 

 そう言いながら龍玄は少しだけ場所を移動していた。周囲にあるのは雑木林特有の生い茂った木々。少しだけ蹴りを入れた事により、上空から数枚の葉が落下していた。

 自然体から居合いの体制へと移る。その瞬間だった。龍玄の周りの空気がまるで停止したかの様に重苦しくなっている。これから何が起きるのかを知っているのは本人だけだった。

 膨大に膨れ上がったはずの龍玄の気力はまるで萎んでいくかの様に小さくなり、やがて周囲と同化したかの消え去っていく。これから何が起こるのか。二人はこれから何が起こるのかを確認する為に、見るだけに留まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステラが一輝と同じ様にランニングをしているのは色々な意味を持っていた。

 一つは自信を打ち負かした黒鉄一輝と言う人間をもっと知りたいと言う感情。自称妹のお蔭で色々と痛い目にあったのは黒歴史だが、それと同時に、もう一人の男の存在が気になっていた。

 自称妹と名乗った珠雫と対峙した際に乱入された事はステラにとっても驚愕の一言だった。幾らお互いが睨むように対峙しているとは言え、周囲の行動を感知出来ない訳では無い。

 事実、自身の魔力を身に纏う事が出来るように周囲を探索するのは然程難しい芸当ではない。ましてや、あれ程の距離であれば尚更だった。

 しかし、事実は事実。自分が気が付かない間にそれぞれの中心に乱入され、手首を掴まれてからは動かす事すら困難となっていた。

 あの後、一輝から聞かされたのは手首の関節を極められた結果だと言う事実。

 

 身体能力を倍加させる事は魔導騎士によっては当然の内容ではあったが、倍加して効果をはっきするのはあくまでも肉体の稼動に関する内容。その為に関節を極めると言った行為はその倍加の内容には当てはまらなかった。

 それと同時に、自身が体験した事が無い速度領域へと簡単に動かせる事は困難を極めていた。それを決定付けたのが理事長の言葉。

 日本に来る際に勉強した言葉の『井の中の蛙大海を知らず』を地で行くそれはステラにとっても面白い物ではなかった。自身のAランクの能力は一般的には歴史に名を遺す程の逸材であると言うのはこの世界に魔導騎士の概念が出来てから常に言われ続けている言葉。

 ステラ自身、驕るつもりはないが、それでも自身の魔力量の多さはそれなりに自信があるが故の能力。だからこそ、一輝とは違った考えと能力を持つ龍玄がどんな人間なのかをこの目で見たいとも考えていた。

 そんな中で早朝に会うからと言う言葉も踏まえ、自身の思惑も踏まえつつステラも参戦していた。

 

 

「本当にそれで嗜んでるって言うの?」

 

「当然だ。この程度の業、恥ずかしくて見せれるレベルじゃないからな」

 

「……そう」

 

 その言葉にステラはドン引きしていた。居合いがどれ程の技量が必要なのかは知識としては理解している。

 抜刀術の中でも一撃必殺の刃は万が一失敗すれば大きな隙が出来る。これが戦闘中であれば命を失う可能性すら孕む物。

 しかし、瞬時に放たれた抜刀と同時に、納刀すらも神速とも言えるからなのか、鯉口の鋭い音が二度響くだけ。その結果、二枚の葉は一番太い葉脈を中心に切断されていた。

 龍玄の持っていた刀は刃引きされている。勿論完全な日本刀では無いからと言われればそれまでかもしれないが、その技量は感嘆に値する物だった。

 ヒラヒラと数枚の葉が舞い散る中で、龍玄は瞬時に落下する葉を一刀両断している。

 ステラとて自身の剣術には自信があったが、今のそれは明らかにそれを凌駕していた。

 

 周囲に溶け込むかの様に自分の存在を打ち消すと同時に放たれた刃は息をする事も許されないと思える速度。これが通常の抜刀であれば、距離を置くなど対抗手段はあるかもしれないが、問題はこれが暗闇の中で行使された場合だった。無意識の内に斬られるとなれば既に対峙した瞬間、自身の命の灯が言える事を意味している。

 余りにも見事な抜刀故に誰もが気が付かないが、これが暗殺の場であれば、この業がどれ程規格外のなのかを思い知る羽目になる。

 気配を感じさせない本来であれば自身の固有霊装に馴染む獲物であれば納得できるが、龍玄の霊装は篭手。所謂無手の状態を得意としている。にも拘わらずあれ程の技量をどうやって学んだのか、ステラは純粋にそんな気持ちを持っていた。

 

 

「やってみるか?」

 

「えっ?」

 

 そんなステラの考えは瞬時に霧散していた。気が付けば先程の刀は一輝の手に握られている。恐らくは何かしら思う部分があったからに違いないが、自身の思考の海を彷徨っていたステラにはその過程が分からない。だからなのか、今はただ見る事しか出来なかった。

 

 

 

 

「これは……」

 

 一輝は龍玄から渡されたそれの重みを初めて理解していた。元々日本刀はその製造の過程から、それなりの重量を有している。

 どんなに軽くても九〇〇グラム。下手をすればその五割増し程の重量を誇る。

 しかし、手渡されたそれは明らかにそれ以上の重量。仮に自分がこれでやれば先程と同様の事が出来るのだろうか。そんな考えが自身の思考を埋めていた。

 改めて僅かに鯉口を切り、僅かに見える刀身はまるで本身の様にも見える。刃引きしているのであれば、どちらかと言えば斬るでのはなく叩くに近いはず。しかし舞い落ちた葉には明らかに切断された形跡が残されていた。

 抜刀速度が早く無ければ不可能な現象。だからなのか、一輝は自身の口元に無意識の内に笑みが浮かんでいる事に気がつかなかった。

 自身の腕だけが全て。これまでに色々な剣術を盗み見て糧としてきたが、これはその範疇を逸脱している。これで葉が斬れなければ自身の抜刀速度と技量は龍玄よりも数段遅い事を証明する。一輝は無意識の内に居合いの構えを作っていた。

 

 

「準備は良いか?」

 

「ああ。いつでも!」

 

 一輝の声に龍玄は近くの樹木に蹴りを入れ、再び葉を散らす。数枚の葉は無軌道を描きながら一輝の視界の下へと映った瞬間だった。

 瞬時に疾る剣閃はヒラヒラと舞い散る一枚の葉を真っ二つにする。先程の龍玄と同じ光景が繰り返されていた。

 

 

「す、凄い」

 

「ほう……初めてにしては中々の物だな」

 

 ステラの感嘆の声と龍玄の関心した様な声が聞こえる。本来であれば凄い結果ではあったが、肝心の一輝の表情は浮かないまま。それが何を意味するのは直ぐに理解していた。

 

 

「これ……手首にかかる負担は尋常じゃない。龍の強さがあったのはこれのお蔭だね」

 

「流石に分かるか?」

 

「当然だよ。こんなに負荷がかかるなんて初めての経験だからね」

 

「どうかしたの?」

 

 ステラだけが疑問を持っているが、龍玄と一輝は実際にやったからこそ分かる内容。

 重量が有る物を加速させ、一瞬にして静止させるには手首に多大な負荷がかかる。

 元々、固有霊装を使った鍛錬であればこの重量感を体感する事は殆どない。だからなのか、一輝も切断するまでの加速が何時もと同じだったが、静止までは力の配分が合わなかったからなのか、僅かに抜刀後の姿勢が流れていた。

 

 

「実際にここの連中はどう考えているのかは知らんが、魔力だけが全てだと思うなら実戦では即死だな。戦いだけじゃない。魔力が枯渇する場面も有り得るならば、結局は己の身体だけが残された武器になる。鍛えるのはその為だ」

 

「でも、そうならない様に戦うのが戦術なんでしょ?」

 

「普通はそう考える。だが、考えてみるんだな。相手は魔導騎士がいるのであれば、真っ先にそれを潰そうと考えるだろう。そのやり方に綺麗も汚いも無い。仮にだが、ステラは自分の身内が捕えられた状態で十全の力を振るう事が出来るのか?」

 

「それは……」

 

「ステラ。戦いとはそう言う物だよ。だからこそ僕はなりふり構わず力を使う。それが一刀修羅であり、自分の剣術なんだ」

 

 龍玄の言葉の意味を一番理解しているのはステラではなく一輝だった。

 己の魔力の総量が少ない為に、伐刀者としては落第するレベル。しかし、己の身体だけの言葉の意味は直ぐに理解していた。

 今では完全な興業となっているA級リーグの選手には魔力だけで戦う人間は殆ど居ない。

 誰もが抜刀絶技を持つが、万全の状態で行使出来る可能性はそう高く無い。となれば、どこかで決定的な隙を作り出し、その瞬間に行使するのが最大の安全策。

 だからと言う訳では無いが、やはり上級者は体術や剣術などの肉体を行使する業も一流だった。

 

 

「取敢えずはここまでだな。俺はこのまま戻るが、一輝とステラはどうする?」

 

「時間なのはお互い様だからね。僕もこのまま戻らせてもらうよ」

 

「私もそうするわ」

 

 このまま早朝の鍛錬は幕を下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業はつつがなく終了し、既に時間は放課後になっていた。

 本来であればこのまま自由な時間を過ごす事が殆どだが、携帯端末に届いた一通のメールによって、今日の予定は決められていた。差出人は小太郎。

 秘匿回線での通話ではなく、メールである事から内容そのものは簡素ではあったが、問題なのはその場所だった。

 破軍学園から少し距離があるそこは自分が良く知っている場所。既に龍玄ではなく青龍としての雰囲気だったからなのか、その表情は何時もとは違っていた。

 

 

「カナタ。俺は今日は用事で出かけるから遅くなる」

 

「奇遇ですね。私も予定があるので、大丈夫ですよ」

 

 自室に戻ると同時に龍玄は直ぐに制服から着替えていた。指定された時間を考えれば、ここで悠長に時間を過ごす訳には行かない。だからなのか、部屋に戻ってきたカナタにも、今日の予定を口にした矢先の話だった。

 

 

「そうか。ならば良いだろう」

 

「何かあったんですか?」

 

「お前には関係の無い話だ」

 

 その言葉と雰囲気にカナタは風魔の用事である事を理解していた。

 ここ数日の間、一緒に生活を共にして分かった事が一つだけある。普段の龍玄と風魔の青龍では考え方は同じでも、その経過が全く異なる点と、その雰囲気だった。

 傭兵集団が故に常時警戒し生活をしているが、その差はあまりにも歴然としていた。

 触れれば切れる様な雰囲気は明らかに任務か何かがあるはず。あの時と同じ空気を纏っていたからなのか、カナタもまたつられる様に自然と厳しい雰囲気を身に纏っていた。

 

 

 

 

 

 都内の一等地にある料亭は周囲の喧噪などまるで無かったかの様に静寂に包まれていた。

 小太郎の名で呼ばれた以上は何かしらの任務が入っている事になる。これまでであれば自室に招く話も、今は全寮制の学校に行っている為に何かと面倒な部分が多分にあった。

 何も知らない人間からすれば電話なり他の回線を使って連絡すればと考えるが、内容によっては機密を扱う事になる。だからなのか、内容は極めてシンプルな文言だけだった。

 時間の指定があるからなのか、急いで来た物の周囲にその気配は感じられない。バイクのモーターの僅かな音だけが料亭の一区画に僅かに響いていた。

 

 

「小太郎に呼ばれて来た」

 

「お聞きしております。どうぞこちらへ」

 

 元々料亭の人間は風魔の事を知っていたからなのか、来た人間が青龍だと認識した為にそれ以上の事は口にせず案内だけをしていた。

 ここは色々な人間が極秘に使う事が多く、また数多のセキュリティ対策が施されているからなのか、ここを使う人間は限られていた。

 周囲からのイメージは一見様はお断り。如何に身分が高かろうが、有名人だろうが一切関係無かった。身元が確実に知りえる人物と数回同席して初めて自身で予約できる場所。

 だからなのか、使う人間の殆どが自然と身分の高い者に限られていた。

 

 

「青龍です。今回は如何様な内容で」

 

 襖を開け、そのまま座礼をすると、そこには小太郎だけでなく、北条時宗も同席していた。

 青龍とてこれまでに何度も時宗の事を見た事があるからなのか、驚く事は無い。当然とばかりにそのまま部屋へと入っていた。

 

 

「そう畏まるな。今日、ここに呼んだのは今後の事についてだ。その件に関してはこの後ゲストがここに来る。詳細は来てからにする」

 

「で、本当の用件はなんだ?こんな態々手の込んだ事して。俺も暇じゃないんだが」

 

 この場は既に小太郎と青龍ではなく親子の会話となっていた。

 元々任務があるならば周囲の空気はもっと刺々しくなっている。それに、この場に時宗が居る時点で何らかの厄介事がある可能性も含まれていた。

 未だ来ないが座布団が二つ用意されている。そこに誰が座るのかを知っているのは小太郎と時宗の二人だった。

 

 

「それよりも、破軍学園に入学おめでとう。本来であれば電報の一つでもと思ったんだが、生憎と法律に背く訳にもいかないからね。遅ればせながらと思ったんだ」

 

「いえ。気にしてもらう必要も無いですから」

 

「……相変わらずだね君は」

 

 政治家としてではなんく、どこか身内の様な空気を纏いながら時宗とは僅かに話をしていた。元々の繋がりは有名ではあるが、実際にそれを見た人間は数える程しかいない。

 殆どが人伝でしか知りえないものの、数々の実績がそうさせるからなのか、それ以上の詮索をする者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お父様。今日はどんな用件で?」

 

「いや。カナタの今後についての話し合いだ」

 

「では、やはり……」

 

「そう固くなるな。既に先方には話はついている。今日は顔合わせに過ぎん」

 

 自身の父親からの言葉にカナタは何となく想像が出来ていた。

 しかし、何故今になってその話が出るのかが分からない。事実、今のカナタを取り巻く環境は少し前に比べて変化のふり幅が大きすぎていた。

 これから行く場所は自分も見た事が無い場所。喧噪が聞こえそうなビル群を無視するかの様に車はその場所へと走り続けていた。

 少しづつ外の景色は変わり出す。ビル群があるのは当然だが、徐々に森の様に木々が目立ち始めていた。

 それから数分後。一台の車が止まったのは、ここが本当に都内かと思える様な場所。目の前には広大な日本家屋がその存在感を示す様に建っていた。

 

 

「貴徳原様ですね。既にお待ちになっております。こちらへどうぞ」

 

「ああ。済まない」

 

 女中の言葉にカナタは父親の後を着いて行く事しか出来なかった。

 ここは都内でもかなりの料亭。誰もが安易に入れる店では無い事だけは知っていた。

 事実、カナタも存在は知っているが、来た事は一度も無い。ゆっくりと歩きながらもこの先には誰が居るのだろうか。元々の縁談の相手なのか。そんな思いが胸中を漂っていた。

 

 

「合図をしてから入ってくれ」

 

「分かりました」

 

 そんな取り止めの無い言葉を聞いたからなのか、カナタは襖の向こう側の内容を何も知らされないままに、その場で待機する事になっていた。

 何時もとは違い、父親もどこか緊張している様にも思える。相手が誰なのかは分からないままに、聞こえる声だけを拾っていた。

 

 

「遅れて申し訳ない。何かと予定が立て込んでいてね」

 

「いえ。お互い予定がある身です。これ位の誤差は些事ですから」

 

 歳は自分の父親よりも若い。明らかに聞こえる声の質はそれだった。記憶を辿るとどこかで聞いた記憶がある。しかし、それがどこで聞いたのかを思い出す事はなかった。

 時間にしてそれ程経過していない。少なくとも自分が予測していた人物と違っているのは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「娘の貴徳原カナタです。以後、お見知りおきを」

 

 呼ばれた事もあってか、カナタは襖を開けると同時に挨拶をしていた。洋間ではなく和室だったからなのか、開けた瞬間に深々とお辞儀をする。だからなのか、その場にいた人間を確認する事は無かった。

 

 

「そう畏まらなくても良いんだよ」

 

 不意に言われた事でカナタはそのまま頭を上げていた。深々とお辞儀をしたからなのか、視界に入る景色を目にするまでに僅かに時間を必要としていた。

 そこに居たのは父親を除けば三人の男性がいる。その内の二人は見覚えがあり過ぎる人物だった。

 

 

「驚かす様で済まないね。君の事はお父上から聞いているよ。僕の名前は……」

 

「存じ上げております。内閣官房長官の北条時宗様ですね」

 

 二人の男性に驚きながらもカナタはしっかりと声をかけた人物を見ていた。

 口にした様に、こんな場所にまさか居るとは思わなかったからなのか、現政権の官房長官を目に内心驚きながらも平静を装っていた。

 それと同時に謎が湧いてくる。自分と風魔との関係に何故、この人物が居るのだろうか。

 理解しようにも材料が足りなさすぎるからなのか、理解が追い付かない。ポーカーフェイスを装いながらもその表情を読まれたからなのか、その説明を受ける事になっていた。

 

 

「そう固くならなくても良い。僕の事はそう気にしなくても大丈夫だから。それに彼等とは顔見知りでね。偶々この席で話をする予定があっただけなんだよ」

 

 政治家の言葉を真に受ける人間は早々多く無い。自身の立場がそうさせるからなのか、カナタも普段から政治や経済についてのニュースは殆ど網羅している。

 現政権の懐刀でもあり、次期総理の呼び声も高い人物。そんな人物がこの場に居れば何かしらあるだろう事だけは理解出来る。だからなのか、時宗の言葉を鵜呑みにする訳にはいかなかった。

 

 

「小太郎。彼女は僕の事を信用出来ないみたいだ」

 

「当然だ。どこの世界に政治家の言葉を真に受ける輩が居ると思ってるんだ?ましてや貴様は官房長官。実質内閣の二位の立場だろうが」

 

「……連れないね。その辺はもっとフレンドリーに行って欲しかったんだけど」

 

 時宗と小太郎のやりとりにカナタはただ見ている事しか出来なかった。それと同時にこの場に居るもう一人の青年。少しだけ視線を動かせば寮を出た時と何も変わらないままだった。

 

 

「このままでは互いに話す事も碌に話せないだろうから、ここは一度食事をしてからにした方が良いだろう」

 

 既に準備は終わっているからなのか、小太郎の言葉と同時に女中は準備した物を次々と用意していく。一流だけあって、その見た目と味わいはこれまでに感じた事が無い程の料理だった。

 そんな中でこの味にどこか覚えがあった。しかし、カナタ自身はこの店に来た記憶は無い。舌が覚えていたからなのか、焼き物の魚を口にした瞬間だった。

 最近食べた記憶が蘇る。まさか自分の部屋で食べたそれと同じだとは思いもしなかったのか、その表情が珍しく顔に出ていた。

 

 

 


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