龍玄の起こした騒ぎによって周囲の状況は慌ただしくなっていた。
出場選手の一人が本人ではなく、機械人形である事。それだけなら選手も騒ぐ事は無かった。
一番の問題はその行為に入った瞬間がテレビ画面には映りはしたが、その姿が完全に捉えられていなかった事だった。
少なくともあの動きを視認出来るのかと言われれば、誰もが唸るよりなかった。
事実、諸星雄大と黒鉄一輝が戦った際に、後半で使った一輝の歩法を見切った人間が誰一人居ない。あれが『比翼』のエーデルワイスと同じであればある意味では当然の事だから。
事前に破軍学園襲撃の際に、黒鉄一輝とエーデルワイスが対峙した噂は出ていたが、一輝の動きを見て誰もがそれで納得していた。だが、ここきて更に一人。風間龍玄に関しては何の情報も無いに等しかった。
無手で戦う事は一回戦で分かっていたが、その戦いが余りにも分かりにくい物だった。
粗暴の様に見える行動の一つ一つが常に先の動きを見据えている。実際に何手先までの動きを読んでいるのかすら分からないそれは、同じ山に居る選手からすれば異様だった。
実際に審判の口からは失格の言葉が出ている。これが通常であればそれで終わる為に気にする必要は無いが、問題はそこではなかった。
見方を変えれば失格している事を教える為に動いた可能性がある。少なくとも、戦う前に何らかの会話をしている時点でその可能性が濃厚だった。
これまでに七星剣武祭に誤審は無い。本来であればそのはず。だが、未だその正式な結果が出ていない。周囲はそんな異様な空気に包まれたままだった。
だからこそ、一人の人間の動向を一々気にしていない。そんな白昼の空白が生まれていた。
「意外だった。まさか機械人形だったなんて……この後はどうするつもりなんだろう」
会場の周囲に人影は無かった。だからなのか、紫乃宮天音の呟きを聞く人間は誰も居ない。尤も紫乃宮もまた確認したからこそ呟いていた。
実際に出場の際には襲撃事件の立役者の触れ込みで出場している為に、平賀の件を聞かれた事に問題は無い。だが、その関係性を問われるのは間違い無かった。
同じ括りをされれば返事をするには少しだけ困る。既に一回戦で多々良幽衣が敗退している為に、ここでのこれは少しだけ面倒になる可能性が出てきた。
少なくとも自分がこれまでに、まともに戦わずに勝ち進んでいる事を訝しげに思う事も多少なりとも耳に届いている。
幾ら有象無象が何を言おうとも気にする要素は無いが、それでもうっとおしい事に間違は無かった。
言葉と同時に少しだけ溜息も漏れる。まさにその瞬間だった。
「紫乃宮天音で間違い無いな?」
「そうで…」
背後からの声に紫乃宮は来たかと思った。
少なくとも自分には無関係であると言う事位は言っておいた方が良いかもしれない。ある意味では仕方ない事。だからなのか、面倒な空気を出しながら返事をした瞬間、視界から景色が消えていた。
紫乃宮天音の行動は既に捕捉していた。
実際に調べた結果、因果干渉系統の中でも現時点では最大に厄介な能力である事に間違いは無かった。
仮にそれが自分達に適用される事になれば何らかの影響が確実に出る。これが一過性であれば問題が無かったのかもしれない。だが、調査した結果内容によっては永続的に何かが起こる可能性を秘めていた。
当然ながら物事に絶対は無い。だからこそ粛々と処分するのが得策だった。
気配を殺したままに一声だけかけ、確認をする。後は何時もと同じ行動だった。
「そうで…」
言葉が続くであろう雰囲気を無視するかの様に紫乃宮天音の頸椎を破壊し、頸を完全に捩じ切る。それと同時に心臓にも止めとばかりに一突きで刃を差し込んでいた。
この周辺に監視カメラはなく、また、人影も無い。ある意味では完全な空白を作り上げていた。
その原因を作ったのは指示を出し、結果を作り上げた青龍。白昼堂々の仕事を小太郎な何の苦も無く成し遂げていた。
紫乃宮の体躯を突き刺した刃はそのままに、素早く行動に移す。周囲の気配を探知したからなのか、何の躊躇も無くそこにあった窓から一気に外へ飛び出していた。
《周囲に人影は有りません。あと五分で回収班が到着します》
「分かった。合流地点まではこちらも警戒しながら向かう」
《了解しました》
耳朶に届く通信に小太郎もまた端的に返事だけをしていた。仮に見つかった所で全てを駆逐してしまえば問題は特にない。ただ、今がまだ日が明るい状態である事だけが懸念事項だった。
これから日が沈めば移動は更に容易になる。だが、回収班が動く以上はここに留まる訳には行かなかった。
事前に用意したケースに骸となった紫乃宮の体躯を無理矢理詰め込む。血を流す事無く始末した為に痕跡は皆無だった。平然とそこから移動を開始する。これで任務は終わるはずだった。
「ごめんなさい。唐突ですが、そのケースの中身を見せてもらえませんか?」
女の声に小太郎もまた何も知らない様に振り返る。そこに居たのは金髪の妙齢の女性の姿だった。
「突然何を言ってるのか分からないんだが?」
「そんな事はどうでも良いんです。ただ、そのケースの中身を見せて頂きたいのです」
感情の籠らない声に小太郎もまた少しだけ思案顔をしていた。
突然の話に警戒するのは当然の事。事実、表情が見えない仮面を付けている人間を怪しまない道理は何処にも無い。
これが警察であれば手帳の一つも見せたかもしれない。だが、女はそんな事すらしなかった。
「断る。名乗る事も出来ない人間の言葉を聞く道理がどこにある?」
「ならば実力行使でも構いませんよ」
女が言葉を発した瞬間、周囲の大気は僅かに震えていた。表面上は穏やかなまま。だが、周囲を纏う空気は既に臨戦態勢の様になっていた。
これが常人や犯罪者であれば何らかの警戒をしたのかもしれない。だが、女が話した相手は風魔小太郎。
裏社会で生きる人間であれば確実に名前を知った瞬間、逃げに入る程の人物。そんな人物に対して何も知らないのであれば、ある意味では勇気ある言動だったのかもしれない。
だが、それを確認するだけの情報は何処にも無かった。
本当の事を言えば小太郎もまた窓から飛び出した時点で気配を察知していた。通信上では気配を感じなかったのはセンサーを誤魔化していた証拠。だが、これまでに培った経験を持つ小太郎には通用しなかった。女が持つ内包されたエネルギーは並みの伐刀者ではない。
少なくともKOK程度に出場する様な人種ではない。声をかけられた事によって、それが誰なのかも正確に判断していた。
「寝言は寝てから言え。自分の手に負えない物を勝手に放逐した分際で、今更何をのたまうつもりだ?惜しくなったから今になって保護する。それこそ神にでもなったつもりか」
小太郎の言葉に女の表情が僅かに歪む。実際に小太郎が放った言葉は事実だった。
自分ではどうしようも出来ない事を知ったからこそ、紫乃宮を解放軍に任せた。
『
可能性があるとすれば魔人による運命の枠を超えた者の傍に置く事。それをする事によって異能の影響を最小限に留めたかった。
勿論、そこあるのは能力だけでなく、当人の精神状態も含まれている。少なくとも初めて見たそれは世界を完全に憎んでいるかの様にも感じていた。
憎しみを持ったままに能力を使えば、どんな影響を及ぼすのかすら判断出来ない。一つの可能性を求めた結果に過ぎなかった。
小太郎から出た言葉はまさにその事実だけを告げていた。故に、その事実は間違い無く覆す事は出来ない。それと同時に、一つだけ驚く事があった。
その事実は特定の人間以外に知るはずが無い物。それが名も知らない第三者の口から出た事が脅威だった。
これがブラフである可能性は否定出来ない。だが、その内容は余りにも正確だった。
だからこそ驚愕する。自分から声をかけたまでは良かったが、その先にあったのが本当に人間なのかと思いたい程だった。
「それとも何か?言いがかりでも付けたいのか?」
小太郎の言葉に女はそれ以上の言葉を発する事が出来なかった。
事実を言われた以上は、こちらの事はかなり知っているはず。道理を考えればこちらが無理を言っている自覚はあった。
だが、女もまた、自分の信条に基づいて行動している。その結果がどうなるかは不明だが、少なくとも自分の技量であればどうとでも出来るはずだった。
気配を感じさせる事無く周囲の状況を把握する。まだこちらに気が付いた人間は誰も居ない。だとすれば、この瞬間で決着を付ければ何とかなるかもしれない。そんな淡い期待がそこにあった。
「待て。それ以上は割に合わん。たかが腕一本と命を天秤にかける必要は無い」
突然の言葉に女は一瞬理解が出来なかった。少なくとも自分の確認した中では人の気配が何処にも無い。これがブラフなら強引にでも動く事は可能だった。
だが、その言葉は紛れも無く事実。自分の広背筋に感じるそれは紛れも無く刃物の先端。その瞬間、得体の知れない感覚が襲い掛かっていた。
間違い無く自分に刃を向けた人間に対しては何らかの対抗措置は可能かもしれない。だが、その先に待っているのは自身の死。それと同時に感じたのは、自分に刃を突き立てていたのは伐刀者では無い事だった。
少なくとも自分の記憶の中で周囲の気配を見逃した経験は無い。まさかその気配を感じさせないのが非伐刀者であったのは完全に予想外の事だった。
だがその瞬間、女の脳裏には一つの可能性が過る。自分が知る中でこの国特有の存在がある事。
少ない情報の中で、可能性を一つ一つ浮かび上げる。そこは一つの明確な答え。仮面をつけた人間。自分が感知出来ない程隠形に長けた者。導き出されたのはたった一つの答。
忍びの者。世間では忍者と称される集団の事だった。
「ですが……」
「この程度の人間とは言え、魔人である事に変わりない。精々が腕一本だ。それと貴様の命を天秤にかける程、耄碌した覚えはない」
「…御意」
小太郎の言葉に女の背後に回っていた人物は直ぐに姿を消していた。
完全に遮断したからなのか、遠ざかった事すら判断出来ない。
仮に直ぐに背後に意識を飛ばせば、今度は目の前の人物がこちらに襲いかかるのは必然だった。
それを理解するからこそ、意識を背後に避けない。これまでに幾度となく戦いの中に身を置いたが、ここまで鮮やかに背後を取られた事は今までに一度も無い。
それ程までに卓越した技術だった。
「さて、もう一度言おう。その自慢の両翼をもがれ、宝珠の様な頸を晒す事によって我々の懐を温めてさせてくれるのか?ならば遠慮はせんぞ」
冷たく言い放つと同時に、漆黒の仮面によって表情が一切伺えない。事実、この人間が忍者である事は間違い無い。だが、それは自分の師が偶然話をしたからに他ならなかった。
自分の素性が漏れた所で気にする事は無い。これまでと同じ様に排除するだけだった。
だが、この男に関しては間違い無く自分が生き残れる未来は見えなかった。
死を纏い、その臭いを隠すつもりすら無い。
自分と同じ存在。金髪の女、エーデルワイスが判断出来たのはその程度だった。
「態々殺害する必要など無いはずです。どうしてそんな事をするんですか?」
「我らにとって邪魔だから排除しただけだ。お前とて同じ事をしているだろう。一人の命と国の存在。天秤を傾けるに釣り合うとでも?」
「それは私には関係の無い話です」
「ならば我らとて同じだ。やはり面倒だなお前は」
小太郎の言葉にエーデルワイスは珍しく狼狽えていた。
今に至る過程の中で、自分はただ飛んできた火の粉を払ったに過ぎず、その結果として無国籍状態になった自分の住処があるだけだった。
事実、これまでに幾度となく自分を狙う賞金稼ぎが来ている。それが同じだと言われればそれ以上は何も言えなかった。
まるでつまらない様に話す男の言葉に、エーデルワイスは僅かに緊張と集中を見せる。その瞬間、自身の右上腕部が突然裂けていた。
合間を置かずに鮮血が飛ぶ。その瞬間、以前に破軍を襲撃した際に同じ事をした人間を思い出していた。
これまでに自分の殺気を当てて同じ様な事をした事は幾度となくある。だが、それは自分の魔人としての能力を活かした物であって特殊な技能ではない。
仮に出来るとすれば、自分と同じ存在。だが、エーデルワイスはそれに該当する人物に心当たりがなかった。
世界的に有名な人間はかなり知っている。だが、幾ら記憶を遡っても該当する人物に心当たりはなかった。
相手がどんな存在なのか。何の情報も無いままに攻撃を仕掛ければ、少なくとも自分にも大きな被害を受けるのは間違い無かった。
だからこそ、これまでに感じた事が無い経験が全身を襲う。
冷たく流れた汗は気が付けば自分のブラウスに張り付くかの様になっていた。
「意外だな。流石は世界最強。この程度では攻撃するつもりすら無いか」
表情は分からなくとも愉悦混じりの言葉に感情が滲み出る。勿論、小太郎がエーデルワイスに対してブラフなど使う必要性は感じていなかった。
言葉遊びをしたのは、配下がここに来るまでの時間を潰す行為。このままここに居ても何の問題も無かった。
逆に、時間の経過と共に困るのは間違い無くエーデルワイス。既に指名手配されている時点で長期の滞在は困難だった。
それと同時に懸念が頭の中で持ち上がる。
目の前の男が本当に全てを分かった前提で話をしているのか。そうで無ければ、何らかの取引材料が必要だった。
「そんなつもりはありません」
捻り出た言葉はこれだけだった。
幾ら裏の人間だとしても情報が該当しないのは異常だった。自分に自信があれば苦も無くやれる。それがエーデルワイスが知る同じ立場の人間だった。
それに対してこの仮面の男はそんな感情すら浮かんでいない。今の距離であれば何らかの攻撃も出来る程だが、それでも本能は最大級に警戒していた。
「ならば押し通る。そこから去れ」
自分の事など最初から眼中にすらないと言わんばかりの言葉ではあったが、エーデルワイスはその言葉に無意識の内に従っていた。
心は自分の意見を押し通すと考えていても肉体は違う。下手に戦おうものならば血の海に沈み、先程の言葉の未来になる可能性が高いと感じている。
既に何を語ろうが、黄泉路に旅立った人間が戻る事は無い。最後はそう言い聞かせていた。
まるで最初から何も無かったかの様に小太郎は悠々と去る。エーデルワイスはそれをただ見るだけだった。
審判の下した判断と同時に姿を消した龍玄を見たからなのか、カナタは滞在しているホテルに向かっていた。
これだけの観衆の目がある中での行動はある意味ではかなり厳しい物がある。
ましてやそれが普段から姿を安易に晒さない人間であれば尚更だった。
何も知らない人間であれば不可解だと思う事は無い。だが、これまでに短くない程の時間を過ごしたカナタからすればあり得ない行動だった。
そこから考えられるのは何らかの事情があったから。それが何なのかが分からない。
悠然と会場から去っているからなのか、会場内の空気は異様な雰囲気に包まれていた。
何故なら審判が下したのは明らかに誤審であるから。本来であれば周囲の状況を正しく確認すべき所を何の警戒も無く口走った為に、誰もがそこに意識を集注している。
本能的に何かを判断したからなのか、カナタは隣にいた刀華に僅かに断ると同時に、移動していた。
「済みません。ここに滞在している風間龍玄ですが、チェックインはしていますか?」
「失礼ですが、どの様なお話でしょうか?」
「関係者です。私は破軍学園の生徒会役員をしている貴徳原カナタです。確認したい事があったのでここに来ました」
幾らここに滞在しているのが七星剣武祭の選手だけだとしても、ホテル側もまた徹底している。仮に関係者であればその前に何らかの接触が出来るからだった。
事前にそんな事を言われる事を理解している為に、カナタは生徒手帳を見せる。そこに行くのではなく、あくまでも来たのかを確認する為だった。
選手と所属する人間では対応が異なる。勿論、カナタもまたそれを理解していた。
昨晩と同じ人間がフロントに居れば違ったのかもしれない。だが、今は交代した事によって人員は誰一人事情を知らなかった。
だからこそ、自分の身分を明かして端的に聞く。会うのではなく、確認だと言われればフロントの人間もまたそれだけならと告げていた。
「まだチェックインはされておりません」
「そうですか。有難うございます」
本来であれば次の目的地に行くのが筋かもしれない。だが、ここから先に行くであろう場所をカナタは知らない。
お礼を言い、その場からゆっくりと去ったのは淑女としての行動ではなく、純粋に目的の場所が分からないから。
姿を消した事そのものはそれ程気にしないが、何となく嫌な予感が胸中を走っていた。
時間だけが過ぎ去っていく。気が付けば既に太陽は水平線の彼方へと沈みだしていた。
夜の帳が降りる頃、府内の某所では再度極秘裏の会談が進められていた。
元々話があったのは大国同盟の側からである為に、本来であれば国が関与する事は無い。
事実、大国同盟の使者でもあるモーリスもまた、隠す事無く自分達が望む展望を口にしていた。
だが、国と一組織が正式に会談する事は出来ない。世間的にはどんなイメージがあろうとも内情を知る人間からすれば大国同盟の内部は色々と問題を抱えていたからだった。
大国同盟が国を支配下に置こうと考える者。また従来の様に本当の意味で国を守護する為に動く者。世界に向けて実力を喧伝しようとする者。そんな思惑が孕んでいた。
一方、国際魔導騎士連盟にも同じ事が言える。だが、内情は大国同盟程荒んでいる訳では無かった。
一番の要因が大戦の戦勝国でもある日本が何の口も挟まない点。それと同時に何かが起こった際には主戦力として人員を投入する点だった。
統治する側からすればこれ程楽な組織運営は無い。当時はそんな事を考えず、ただ感謝の念をもって運営されていた。
だが、時間が経過すると共にその感謝の念は徐々に薄れる。それに気が付かないままに時間だけが経過していた。
当然ながら、それを当たり前だと言われて面白いはずが無い。人員と費用が加速度的に出ていくとなれば国力が低下する。小さな国々では無理な事も日本であれば可能である。そんな認識が徐々に生まれつつあった。
そうなれば大きな組織を有するのはどちらになるのか。その事前の切り崩し工作の為にモーリスは側近と共に事実上の当事者でもある北条時宗の所に訪れていた。
事前情報が正しければ、日本は国際魔導騎士連盟に何らかの思惑を抱いている。ならば主戦力を出さない様に交渉するのが最短距離だと考えていた。
「その点に関しては現内閣や党としても考える余地があるでしょう。ですが、今この場で何らかの手段を発するにはまだ早すぎるのでは?」
「勿論、我々とてその点に関しては承知しています。ただ、何かが起こった際に、少しだけ政府から日本支部に対しての提言をして頂きたいのです」
「要は時間稼ぎをしろ。と言いたいのですか?」
「現時点ではそう捉えて頂いて構いません」
「ですが、我々にはそれ程大きなメリットになるとは思えませんが?」
密室とも取れる場所に居るのは大国同盟のモーリスとその側近。政府側からは時宗と秘書がその場に居た。
本来であれば時宗ではなく黒鉄巌に言うべき話。だが、相手の方に飛び込むには余りにもリスキーだった。
仮に真実だとしても、虚偽かどうかを判断する為には黒鉄巌一人では判断が出来ない。
実際に本部ではなく、支部である事が全てだからだ。
当然、窓口としての役割は弱く、また大国同盟の思惑が完全に見えてしまう。そうしない為には時宗の方が何かと都合が良かった。
仮に漏れたとしても魔導騎士連盟が信じるかどうかは別問題となる。
一支部では判断出来ない為に当然ながら本部で精査する必要があった。
仮に侵攻した場合、完全に後手に回る。そうなればどちらが有利に持ち込めるのかは言うまでも無かった。
仮に本部から指示が出たとしても魔導騎士を派遣する為には政府の力も必要となる。
事実、日本が魔導騎士連盟に参加する際には、その部分を完全に分離していた。
連盟の暴走によって国力の低下が起きたとしても、連盟は何もしない。それが当時の内容だった。
そうなれば何らかの安全装置が必要となる。その結果として、派遣する際には政府の承認が必要となっていた。
幾ら魔導騎士が人外の動きを可能としても距離があればそれだけで疲弊する。国内であれば未だしも、その大半は海外。政府が提言すればその分だけ時間を稼げる寸法だった。
「当然です。だからこそ、我々は日本国に対して何もしない。そう考えています。今の魔導騎士連盟がどんな状態なのかは私が言う必要は無いでしょうから」
「よくご存じで。我々としてはこの話を一旦持ち帰って精査したい。だが、この様な極秘会談で得た内容は基本的には何の効果も無い。正式に何らかの形で時間を取ると言うのはどうでしょうか」
モーリスと時宗の会談を横で見ていた側近は自分の思惑とは完全にかけ離れている事を実感していた。
日本のやり方では何かが起こってからでは完全に遅い。本来であればこの場に於いてある程度の仮調印をすべき事。少なくともそう考えていた。
本来であれば自分が要件を告げ、それを強引に迫れば何の問題も無い。
少なくとも自分が思い描いていたのはそんな未来だった。
だが、このまま話が進めばそれ所では無くなる。その瞬間、側近の心臓の鼓動が大きく跳ねていた。
「我々の言う事が聞けないのか矮小な者が!」
突如として獣の咆哮の様な声と同時に、側近の手には一丁の銃が握られていた。
元々大国同盟の上層部の殆どが伐刀者でる為に、武器の携帯に関する部分はチェックしていない。
これはお互いが対等である事を示すと同時に、固有霊装を使用した時点でそれは対等では無く脅迫となる。いくら非公式の場であってもそれは同じだった。
まるで正気を失ったからの様に銃口を向ける。その先には時宗ではなく、モーリスの姿があった。
固有霊装の銃は火薬を使用しない。ある程度は音はするが、実際のそれよりも格段に小さい物。だからこそ、咆哮の様な声にその音はかき消されていた。
数発の弾丸が何の抵抗も無くモーリスの腹部に着弾する。
次はお前の番だと言わんばかりに銃口から出た弾丸は時宗の胸部へと飛んでいた。
「朱美!」
時宗が叫んだ瞬間、突如として現れた鉄扇が銃弾を防ぐ。
本来であれば至近距離から放たれた銃弾はそのまま鉄扇を弾く程だった。だが、開かれた鉄扇を飛ばす事はおろか、そのエネルギーは完全に失っている。固有霊装で作られた銃弾はそのまま重力のままに落下しながら消滅していた。
「困った坊やね」
朱美は一言だけ告げつると同時に鉄扇を縦に振り下ろす。何が起こったのかすら分からない程に側近の手首から先がポトリと落ちていた。
「き、貴様。何をしたのか分かっているのか?」
「勿論よ。貴方がモーリス殿を凶弾にかけた。それだけよ」
「何だと!」
目が血走ったのか、側近の眼球は全体的に赤く染まっていた。完全に眼球の血管が膨張し、既に見えているのかすら危うい。それと同時に本人の霊装が銃である為に、警戒をせざるを得なかった。
これが刀剣類であれば距離を取れば良いが、銃であればそうはいかない。
その為に護衛で来ていた朱美の警戒が解ける事は無かった。
「取敢えず、今後の事もあるから拘束だけはしてくれるかな」
「分かりました」
時宗の言葉に朱美もまた了承だけすると同時に行動する。
風魔の朱雀として動くのであれば指示を受けるまでも無い。だが、今は時宗の護衛。
態々自分の意見を押し通す必要性は何処にも無かった。
「貴様……こちらがどれ程譲歩しているのか理解してるのか!」
「少しは大人しくしてもらえるかしら」
まるで先程までの事は一切無かった言わんばかりの言葉に、視線は側近へと集中していた。
既に充血した目だけでなく意識も若干混濁している。対処したのが警察や軍であれば間違い無く何らかの措置を施す程。だが、朱美の目にはそうは映っていなかった。
何らかが介入した証が残っている。少なくとも対象者の立場を考えれば、相手はかなりの術者。証拠こそ無いが、出来る人間は限られていた。
だからこそ、術者が誰なのかは考えるまでも無い。これまで幾度となく戦場で働き、限りなく人体を破壊したが故に分かる事実。当然、その術者が誰なのかは感がるまでも無かった。
だが、朱美はそれを口にする事は無かった。
既に起こった事案をどうこうする事は出来ない。本来であればそれで終わる筈だった。
「既に計画は発動している。大人しく我々の軍門に下れば良かったな。ならば命ま…」
「それ以上は不要よ」
鉄扇から繰り出された不可視の刃はそのまま側近の頸を刎ねていた。
これから起こる開始の合図の様に頸の無い胴体からは鮮血が吹き上がる。計画が何なのかは分からないが、これまでの言動から起こる事実が何なのかは考えるまでも無かった。
人払いした事によって静かになった空間。朱美だけでなく時宗もまた先程までの穏やかな雰囲気は完全に抜けていた。