英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第6話 騒乱の前触れ

 重苦しくも際どい会話はそれ以上続く事はなかった。寧音はその場で自分のカードを差し出すと、直ぐに龍玄に渡していた。用意された端末にカードを通し、確認する。

 既に番号の認識が終わったのか、カードは直ぐに返却されていた。そんな中で龍玄の端末に支払い完了の簡易メッセージが届いていた。

 

 

「命拾い出来て良かったな。だが、次は無いと思え」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 棒読みとは言え、言質を取った以上、寧音がここに居る必要は無くなっていた。

 元々寧音の立場は非常勤講師。毎日顔を出す義理が無かったが、今回は偶然に過ぎなかった。

 そんな中でのやり取りに黒乃としても言いたい事は山の様にあったが、これ以上踏み込むのは愚策だと判断したのか、寧音だけを理事長室から叩き出していた。

 

 

 

 

 

「さて、色々とあったが、今回の試験でお前の入学は決定だ。だが、どんな目的を持ってここに来た?」

 

「……お前には関係の無い話だ。ここに来たのは半ば偶然だからな」

 

「そうか……」

 

 理事長だと分かったからと言って龍玄の態度は何か変わる事はなかった。

 風魔の言葉を聞いた以上、黒乃としても学園を護る必要があったと同時に、直前に連絡があった師でもある月影の話を思い出していた。

 元々学生の試験は異能の測定が殆どの為に、態々戦闘と条件を付けてきた事自体異常でしかない。事実、取り寄せた異能の測定値は限りなくFに近いE。

 ここの生徒も同じ様な境遇ではあるが、それよりももっと大事な事は入学の理由。下手に騒ぎを起こされるだけならまだしも、最悪は何かしらのトラブルで死者が出る可能を考えた末の言葉だった。

 

 

「要件が無ければもう用は無いはずだが?」

 

「ああ、そうだな。今後はここの生徒である以上、むやみに騒ぎは起こさないでくれ」

 

「心配しなくても、敵対さえしなければ手は出さない」

 

 風魔の関係者と分かった以上、口にした所で理由を言うなどとは思ってなかったからなのか、黒乃は改めて今後の予定だけを口にする事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異例の入学試験から丸一日が経過していた。既に馴染んだかの様に一人の青年は日課でもあるランニングを開始している。

 伐刀者育成の施設でもある破軍学園は広大な敷地の中に校舎だけでなく学生寮やアリーナが完備されている。

 世間一般から考えれば、これほどの設備を建設する為には膨大なコストが必要とされる。

 しかし、この破軍学園に限った事では無く、全国にある伐刀者育成機関はどれも似たような環境だった。そんな広大な敷地を利用しているのか、一人の青年は息を弾ませながら常識が外れた速度で走り続けていた。

 流れる景色は走る速度が意味するからなのか、周囲からは目に留まる事は無い。

 気が付けば右の視界には本来あるはずがない地面が見える。青年が走っているのは道路ではなく、建築物の壁面。壁走りと呼ばれる技術を駆使しながら平坦ではない場所を走っていた。

 壁面だけに留まらず木々の枝や時には水の上など、完全に足場が安定しない場所だけを走り切る。時折水面に出る波紋は既にその場から消え去った証でもあった。

 

 

「取敢えずはこれで全部だな。随分と豪華な物だ」

 

 敷地内を確認したからなのか、独り言を言いながらも青年は休む事もなく次の工程へと進んでいた。

 疲労が一番溜まった状態で武術の型を繰り出す。一番肉体が厳しい時こそやる価値があるからと型をやりながら息を整えていた。

 ゆっくりとそれぞれの筋肉や関節の稼動領域を確かめるかの様に決まった動きを繰り返す。

 時折重力を無視するかの様な型は見ている人間が居れば確実に驚きを見せる。しかし、そんな特異な型すらも当然だからなのか、気にする事無く続けていた。

 ゆっくりと吐く息と共に血流が激しさを増すからなのか、全身はこれまで以上の熱量を生んでいた。先程まで走った事によってにかいた汗は一気に蒸発してく。それがまるでオーラの様にも見えていた。

 

 

「で、俺に何か用か?」

 

「黙って見ててゴメン。余りにも洗練された型だったから、つい、見とれちゃってね」

 

 龍玄は背後に感じた気配に振り向く事無く型を続けていた。

 ゆっくりと動いているだけに見えるがその実は細やかな重心の移動を繰り返している。悟られない様に動く事で常識の枠を超えた動きを可能としていた。

 

 

「こんなゆっくり動いているのを見て洗練とはね」

 

「いや。あれを見て何も感じない方がおかしいよ。僕もどちらかと言えばそっちに近いからね」

 

 背後から来た青年も龍玄と同じ考えを持っていたのか、自身の固有霊装を取り出し、素振りを繰り返していた。決められた型を丁寧になぞるのは、偏にミリ単位での動きの確認の為。

 会話が途切れた事によって改めてお互いがお互いの事をやっている。既に時間もそれなりに経過したからなのか、走った以上に汗が噴き出ていた。

 

 

「そう言えば、名前聞いてなかったな。俺は風間龍玄。今年の新入生だ」

 

「僕の名は黒鉄一輝。同じく一年だよ。宜しくね」

 

 お互いが自己紹介をすると同時に握手をしていた。お互いの握った手には鍛錬の証なのか固いマメが幾つも出来ている。

 龍玄に至っては拳も強化されているからなのか、どこかゴツゴツとした岩の様な感触があった。

 

 

「僕の事は一輝で良いよ。黒鉄だと仰々しいからね」

 

「そうか。だったら俺も龍で言い。龍玄だと年齢不詳だからな」

 

 お互いが似た者同士だと感じたからなのか、初対面の割には打ち解けた印象を持っていた。

 一年同士であれば気にする要素は何処に無い。一輝は気が付いていないが、仮に俺は先輩だと言わんばかりに高圧的に対応すれば、この場は血の海になっていた可能性があった。

 元々実力が全ての世界。そんな世界で生きてきたからなのか、龍玄の目に留まる一輝は剣に対する技術は確かな物ではあるが、その反面どこか儚さを持っている様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鍵が開いてるのか……」

 

 ドアノブを触った瞬間、出る前に施錠したはずの鍵が開錠されている。まだ時間が早いからなのか、こんな時間に人が来る可能性は何処にも無かった。

 これまでの経験から慎重にドアノブを回す。音を立てる事をしなかったからなのか、隙間からは侵入者らしき姿が見える。

 徐々に高まる集中と同時に、このまま一気に葬り去る。それだけを考えていた。

 行動を注視しながら隙を探る。こちらには気が付いていないからなのか、未だ何かをしている様に見えていた。

 侵入者の行動を確認しながら自身の中でカウントダウンを開始する。既に臨戦態勢からの一連の攻撃は完全にイメージされていた。

 

 

 

 

「この部屋に何の用だ?」

 

「私も今日からここの部屋を使うの……聞いてなかった?」

 

 後ろ手に関節を取ると同時に足を拘束したからなのか、侵入者は小さな悲鳴を上げながらうつ伏せの状態になっていた。

 体格と声で女ある事は理解しているが、だからと言って手加減するつもりは毛頭無い。

 命を狙うに性別は関係無い。当然だと言わんばかりにそのまま女の腕を捩じ上げ、反撃を防ぐ為に延髄の部分に自身の肘を当てていた。

 

 

「そんな話は知らん。で、何の用事があって来た?」

 

「……疑り深いのは性分なのね。もう忘れたのかしら。私は貴徳原カナタ。今日から貴方の同居人よ」

 

 名前を告げた事によって時間が止まったかの様に感じていた。

 貴徳原カナタは今回の状況を作り上げた張本人でもあると同時に、現時点では未だ支払われない報酬を回収すべく監視名目を持った人間。

 色々な葛藤があったにせよ、未だ拘束を外す事はしなかった。

 

 

「ならば問おう。この部屋割りを決めたのは誰だ?」

 

「私は知らない。理事長からここだと聞いただけだから。それよりも拘束を解いてくれないかしら」

 

 カナタの言葉に龍玄は漸く拘束を解こうとしたその瞬間だった。

 

 

「カナちゃん。引っ越しなら手伝おう………か。ってなんばしよっとね!」

 

 闖入者として部屋に入ったのはカナタの友人なのか、女性の声であると同時にその語気が強い物だった。

 今の状態を見れば龍玄がカナタに襲い掛かっている様にも見える。こちらの顔を見ていないからなのか、部屋に入った闖入者は龍玄に対し攻撃をしようと固有霊装を展開していた。

 

 

「賊の分際で偉そうに!」

 

 殺意が僅かに滲んだのか警告とばかりに放たれた斬撃を察知した龍玄は拘束したカナタをそのまま放置すると同時に、迫り来る刀身を足で払っていた。

 元々殺気は僅かにあるが、それに威力は感じられない。恐らくは牽制の意味合いが強いからなのか、今の龍玄にとって回避ではなくカウンターを放つのは容易だった。

 逸れた斬撃の影響なのか、僅かに刀華の態勢が崩れる。女だろうがこちらに対して攻撃する以上、容赦するつもりは一切無い。龍玄は態勢が崩れた女に対し拳を向けていた。

 

 

「待ってください!」

 

 カナタの言葉にお互いの動きが止まる。この時点で漸くお互いが誰なのかを理解していた。

 闖入者の正体は以前に見た少女でもあり、今回の間接的な原因でもある東堂刀華。メガネこそかけているが、その顔に見覚えがあった。

 

 

「あんたは確か……東堂刀華だったな。どうしてここに?」

 

「それは私の台詞。なぜ貴方がここに居るの?」

 

「俺はこの女の監視だ」

 

 カナタの言葉で攻撃がお互いに止まりはしたが、最初の出会いが戦場なだけに、その力量は知っていた。

 『特別招集』で対峙した際には既に隔絶した差がそこに存在している。カナタの監視と言われた瞬間、刀華の顔は僅かに歪んでいた。

 元々自分にもっと実力があればあんな事にはならなかったはず。冷静になるよりも先に自身の不甲斐なさが先に出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を勝手に思うかはそっちの自由だが、自分の部屋に侵入者が居たから拘束しただけだ。それとも何か?ここの生徒会役員は一生徒の部屋に勝手に乱入して攻撃をするのは実戦の力を養う為とでも言うのか?」

 

「そんな訳じゃ……」

 

 朝の鍛錬の後だったからなのか、龍玄が汗を流した後に改めて確認の為に口を開いていた。

 どちらが悪い訳では無いが、一生徒に対し固有霊装を展開して良い訳ではない。事実カナタの言葉が無ければ刀華の顔面は確実に破壊されていた可能性が高かった。

 通常であれば女の顔にと文句の一つも言いたくなるが、正当防衛だと言われれば何も言えなくなる。それが分かっているからなのか、刀華は完全に言葉に詰まっていた。

 

 

「で、そんな事よりも何であんたが俺と同室なんだ?本来は同学年の同ランクが基準じゃないのか?少なくとも俺はそう聞いてるが?」

 

 元々龍玄に取って先程の攻撃は普段の訓練と同じかそれ以下だと感じたからなのか、気まずさを覚えている刀華の事は敢えて無視していた。

 勝手に落ち込むくらいならやらなければ良いだけの話。そんな事に一々目くじらを立てる必要性は何処にも無いと考えていた。

 

 

「詳しい事は私にも分かりません。ですが、理事長からはそう聞いています」

 

「成程。だったら問題無い」

 

 そう言うと同時に龍玄は立ち上がっていた。既に時間もそれなりだからなのか、二人を尻目に朝食の準備を開始する。ここの寮にも食堂があるが、基本的に自分で作る事が殆どだからなのか、特に気にする事も無く自分のペースで行動していた。

 

 

「あの……先程はごめんなさい」

 

「何で謝る?」

 

「だって、突然攻撃したんだし……」

 

 朝食の準備をしながら聞いた謝罪の言葉に龍玄は疑問しか無かった。自分の置かれた環境からすれば生温い攻撃を受けたに過ぎない。日常茶飯事の出来事以下の状態に対し少しだけ考えていた。

 

 

「ああ、あの程度の攻撃なら問題無い。あれならまだ普段の生活の方が厳しいからな。あれで傷なんて作ったら笑われるだけだ」

 

 本来であればこの程度の攻撃など生温いと暗に言っている様にも聞こえる。恐らくは龍玄の正体を知らなければ刀華は確実に憤慨していたに違いなかった。

 しかし、目の前で食事を作る青年は風魔の幹部『青龍』のコードネームを持っている。当時の状況を知っているからこそ、それ以上の事は何も言えなかった。

 

 

「あんたらはメシは食ったのか?」

 

「まだですが」

 

 何気なく言われた言葉にカナタも思わず普通に返事をしていた。その返事を聞いたからなのか、フライパンに新たな食材を投入する。焼けた音と匂いが先程までの殺伐した空気を一掃していた。

 

 

「ほら、遠慮するな。これは報酬とは関係無い。折角同居するんだ。これ位の事はするさ」

 

 出された食事はごく普通のメニューだった。ご飯に味噌汁。玉子焼きに魚の切り身と見慣れた食事。元々この後は食堂に行くつもりだったが、出された以上は断るのも申し訳ない。そう思ったからなのか、三人での食事となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、カナちゃんは本当に良かったの?」

 

 食事の後は生徒会の用事があるからと、刀華とカナタは部屋を後にしていた。

 お互いに何を考えているのかは分からないが、先程の食事の後は穏やかな空気が残されていた。

 しかし、監視と言われればどうにも申し訳ない気持ちが優先してしまう。そんな思いから刀華はつい言葉にしていた。

 

 

「良いも何も、この部屋割りは私の一存でどうにかなる訳ではないですし」

 

「でも、異性と同じ部屋なんだよ。やっぱり理事長に説明した方が……」

 

「その件については理事長から説明は受けました」

 

 今の理事長でもある神宮司黒乃が就任した際に告げられたのは常に競い合う環境作りの一環として同等レベルの人間との同居だった。

 常日頃から切磋琢磨する事でお互いの実力を磨いていく。それが自身のレベルアップに繋がるとの方針だった。その際における性別の区別は無い。事前にそんな説明を受けていた。

 

 

「そうだよね。でも学年が違うのは何でなんだろ?」

 

「その辺りは私にもさっぱり……」

 

 疑問に思う刀華に対し、カナタは返答をはぐらかす事しか出来なかった。

 元々今回の部屋割りは自分の置かれた環境が大きく関与している。説明を聞かされた当時も理事長の黒乃の表情は苦々しい物が浮かんでいた。

 それが何を意味すのかは不明だが、何となくその理由が判断出来る。本来であれば教育機関に介入出来るはずがない。誰もが当然の様に思う疑問だった。

 

 

 

 

 

「貴徳原カナタ。お前はあの風間龍玄と、どんな関係なんだ?」

 

「どんな関係と言われましても…」

 

 理事長でもある新宮司黒乃の顔は僅かに曇ってる様にも見えていた。

 今回の部屋割りに関しては学園内部ではなく外部。しかも政府筋から指示されていた。

 黒乃も当初は疑問を感じたが、入学試験での寧音とのやりとりを見ていた為に、余計な詮索をするつもりは毛頭無かった。

 風魔の関係者とカナタの個人ではなく、その背景に有る物を考えると触れない方がマシだと判断出来る推測が幾つも立つ。教育者としては反抗したいが相手は国家。幾ら元A級リーグ三位とは言え、一つの事例で喧嘩を売るには分が悪過ぎた。

 だからと言って何もしない訳では無い。出来るかぎり力になろうと、まずは本人の意向を確かめる為にここに呼んでいた。

 

 

「そうか……相手が相手だからな。詳しい事はこちらからは聞かん。だが、困った時は遠慮なく言ってくれ。力にはなるぞ」

 

 下手に詮索されるとカナタも返事に困る事になっていた。元々特別招集によって起きた出来事でもあり、自身が蒔いた種でもある。

 結果的には悪くは無いが、誰にも口外出来ない以上、察しが良かった黒乃の応対に内心安堵していた。

 

 

「お気遣いありがとうございます。私としては不満はありませんので」

 

「そうか。時間を取らせて悪かったな」

 

「では、私はこれで」

 

 一言告げると同時にカナタは理事長室を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、そうなると七星剣武祭の最大の敵になるかも」

 

「それはどうでしょう?少なくとも今の所はそんな事を考えてるとは思えませんが」

 

 二人はまだ誰も居ない生徒会室で入学式の準備に追われていた。

 風魔の青龍と名乗った人間が学生相手に戦うとなれば多少以上の何かが起こる可能性が極めて高かった。

 只でさえ、今年からはまだ公表されていないが、参加資格が完全実力制となる為に純粋な魔導騎士の能力よりも戦闘能力の方が重要視される。その最有力である事に間違いは無かった。

 

 

 

 

 

「カナタよ。今回の件だが、幾ら戦場だからとは言え随分と迂闊な契約を結んだものだな。あれがどんな存在なのかを知っていたのか?」

 

「それなりに、です。ですが、後悔はしてません」

 

 リゾート島では久しぶりの対面となったからなのか、先程までの様に緊張した空気は薄くなっていた。

 風魔がどんな存在なのかを知っている人間は案外と少ない。裏の事情を理解するだけでなく、その組織の内容から一時期は嗅ぎつけるかの様に自称ジャーナリストと呼ばれる人間が何度も調査をしていた。

 

 誰もが都市伝説の様に扱うそれをすっぱ抜けば、確実に自分の名声は高い物になる。そんな思惑を持つ人間が殆どだった。

 しかし、そんな人間が掴んだ情報は全てが無駄でありながら一度でも調べに回った瞬間、自身のジャーナリストの生命は絶たれていた。

 幾ら原稿を書こうが、どの出版社も扱う事をせず、また、自費で出版をしようとするならば媒体として手伝う会社でもさえも掌を返していた。

 それは会社だけでなく印刷業者にまで及ぶ。原稿を印刷しようと依頼した瞬間、一気に手を引く会社が殆どだった。

 元々都市伝説的な意味合いが強い為に、ネットで公表した所でネタとして扱わるだけに終わる。命こそ取られないが、外部に発信する術を失えば、自称ジャーナリストは社会的に死んだも同然だった。

 それ程情報を統制する人間に近づく為には幸運にかけるしかない。それがどんな意味を持っているのかを理解していなからこそ出た言葉だと父親でもある総帥は考えていた。

 

 

「そうか……だが、今回の件に関しては望外の幸運かもしれん。カナタよ。先に自分が言った婚姻の件は正式に白紙だ」

 

 父親の言葉にカナタはかろうじてポーカーフェイスを保つ事に成功していた。自分の歩み続ける騎士道の中には貴徳原としての責務がある。

 まだ自分の年齢からすればあり得ないと言いたくなるかもしれない。しかし、これまでに培ってきた教育と自身の誇りが自身の我儘を無くし役割を認識していた。

 もちろん、自分もやりたい事は沢山ある。そんな中での婚姻の白紙の言葉は何かしらの意味合いが隠されている様にしか思えなかった。

 

 

「それは……どんな意味が」

 

「望外な幸運だ。カナタ、出来る事ならあの風魔との繋がりを作るんだ。ましてや青龍は次期小太郎とまで呼ばれている。無理にとは言わない。だが、あの本質は決して暴力だけに留まらない事を覚えておくんだ」

 

 父親の真意が全く見えない。一度白紙にした状態で新たに関係を構築しろと言われてもカナタとしてもどうすれば良いのか判断に迷っていた。

 

 

「一つだけ聞いても宜しいですか?」

 

「何だね」

 

 カナタの中では大よそながら言葉の意味を理解していた。婚姻によって作れる関係を破棄する事で新たな関係を築けと言われれば誰もが何を求められているのかは直ぐに理解出来る。

 自分の人生は自分で決める事が半ば出来ない事はこの家に生まれた瞬間から理解している。だからと言って自分はあくまでも人間。愛玩動物では無い以上、最低限の確認は必須だった。

 

 

「私が風魔との関係を築き上げる事と貴徳原の家とは密接な関係があるのですか?」

 

「当然だ。でなければ態々こんな事は言わない」

 

 さも当然の様に返って来た言葉にカナタは確信していた。自分の努力で何とか出来るはず。誰もが言っていないが、そんな風に言われた様にも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間にして僅かではあったが、カナタは不意にあのリゾート島でのやりとりを思い出していた。

 黒乃からは何も言われていが、今回の部屋割に何らかの意図が見え隠れしているのは明白だった。特別招集の件は何も知らないが故の言葉である事は想像出来る。しかし、自分が求められた役割を果たそうと考えた場合、今回の内容はこれまでとは真逆の内容だった。

 あの言葉を考えれば自分からアプローチするしかない。やり方は知識としてはあっても実行した事が無いからなのか、方法が思いつかない。

 カナタは思わず作業の手が止まっていた。隣に居る親友に聞く事も憚られる。今のカナタにとっては違う意味で頭が痛くなりそうだった。

 

 

「カナちゃんどうかしたの?」

 

「いえ。何でもありませんよ」

 

 生徒会室で暫く留守になったツケを払うべく、二人は書類の処理に追われていた。

 ここの役員でもある他のメンバーも居るには居るが、戦力として考えると疑問しかない。元々自分達の招いた結果。

 一週間の空白の代償は余りにも大きかった。だからなのか、お互いがそれ以上は何も言わないままにそれぞれの作業をこなしていた。

 

 

「あれ?もうやってたの?」

 

「うた君こそ早いですね。どうかしたんですか?」

 

 沈黙の空気を破ったのは生徒会副会長の御禊泡沫だった。

 何かしら用があったからなのか、それとも暇を持て余したからなのか、扉を開けた瞬間に飛び込んで来た二人の姿に少しだけ驚いていた。

 つい先日まで何かしらの用事があった事は理解しているが、詳細については分からないがどこか雰囲気が違う様にも見える。そんな取り止めの無い事を思ったからなのか、その考えが不意に言葉になって出ていた。

 

 

「特に何も。でも、二人こそ何かあったの?この前と随分と雰囲気が違う様にも見えるけど?」

 

「そう…かな?特に何も無かったけど」

 

「本当に?」

 

 普段は適当な泡沫も今に至っていは随分と厳しい追及をしている様に感じていた。何時もとは違い、僅かに細める目に刀華は少しだけ嫌な汗をかいている。

 同じ施設で育って来たからなのか、刀華は泡沫の追及を躱しきれないと感じていた。

 

 

「それはこの休みで少しだけ旅行に行ってきたからですよ」

 

「そ、そうなんよ」

 

「え~それだったら僕も一緒に行きたかったよ。どうして誘ってくれなかったの?」

 

「突発的な物でしたので。……恐らくはそこで人生初めて磨かれた経験をしたからでしよう」

 

「え?磨くって……」

 

 横から出たカナタの助け船に乗ったまでは良かったが、どうやら泥船の様だった。

 カナタの言葉に偽りは確かに無い。事実あのリゾート島ではそれなりに過ごしただけでなく、人生で初めて刀華はエステを受けたのもまた事実。

 磨くと言われれば確かにそれに近い感覚があった事は否定できない。しかし、それをこの場で言う必要はどこにも無かった。

 気が付けば泡沫の表情は先程の追及する顔から驚いた顔に変化している。取敢えず回避に成功した事に間違いは無かった。

 

 

「ちょっとカナちゃん……」

 

「嘘は言ってませんよ」

 

 一先ずは自分の事だけでなく親友への嫌疑も晴れたからなのか、生徒会室の空気は何時もの空気へと戻り出していた。

 これまでに無い波乱が起こるのは間違い無い。しかし、今のこの状況でそれがどう転ぶのかは誰にも分からなかった。

 

 

 


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