英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第56話 大会前夜

 挨拶が終われば基本的に来賓は会場から立ち去るのがこれまでの通例だった。

 実際に選手同士の親睦の目的が一番である為に、態々緊張する様な空気を作る必要が無い。そんな思いやりの一環だった。

 主催者の関係上、来賓もまた政治家や騎士連盟の関係者が殆ど。本来であれば総理の挨拶もまた含まれていたが、突然の総理降板に代役は官房長官の北条時宗が行っていた。

 政治の思惑をここに持ち込む必要がなく、また、選手も明後日からの戦いに意識が向いている。だからなのか、会場の空気もまた少しだけ熱が籠っていた。

 

 

 

 

 

「まさかここに来るとは思わなかったぞ。あの時の屈辱は忘れてねえんでな」

 

「負け犬がもう遠吠えか。随分と早いんだな」

 

「んだと………あれから俺はこれまでに無い程に鍛えた。本戦で戦う際には吠え面かくなよ」

 

「……雑魚に用は無い。俺も忙しいんでな」

 

 今回の懇親会は少しだけ毛色が違っていた。

 破軍学園襲撃の事実は既に誰もが知っている。本来であれば真っ先にその話を誰もがしたいと考えていた。

 何故なら今回の襲撃の際に偶然居合わせた人間がそれを解決したと考えるのは、無理がありすぎた。

 確かにそれぞれの実力が相応にあるのは分かる。ましてや、黒鉄王馬は国内のA級。それ以外の人物もまた一癖も二癖もありそうな人間ばかりだった。

 しかし、誰もが好奇心はあれど、口には出来ない。本戦に入るまでにどの学校もまた情報収集をしたものの、今年の破軍に関しては出場者全員が一年だったからだった。

 

 同じ学校の人間や、見知った人間であれば話のとっかかりは容易い。しかし、誰もが見知らぬ人物でもあると同時に、昨年のビックネームが軒並み不参加なのは異様としか言えなかった。

 黒鉄一輝が王馬の弟でもあり、魔導騎士連盟の支部長の息子でもある。実際の内容は兎も角、世間の持っている情報はその程度だった。

 それだけではない。F級と言う低ランクであるにも拘わらず、上位の人間を押しのけた実力を持っている。そうなれば、ある意味では今回の大会の目玉に間違いは無い。

 それと同時に王馬と同じくA級のステラ・ヴァーミリオンもまた出場するとなれば、僅かであっても情報を入手するのは当然だった。

 

 そんな中、異質の人物が一人。それが今回出場した風間龍玄だった。

 学内の成績は一言で言えば凡俗。可も無く不可もなくの成績でここに居るのであれば、数合わせ程度に過ぎないと考えていた。

 もう一人の黒鉄。一輝の妹の珠雫はB級だけあって情報はそこそこ手に入る。会場内の視線がその三人に向けられたと思った矢先の出来事だった。

 

 

「いい加減、俺を下に見てると足元攫うぞコラ」

 

「ちょっと蔵人君。そろそろ止めないと警備の人が来るよ」

 

「……分かってる。だが、これだけは言っておく。以前の俺と同じだとは思うなよ」

 

「そうか…ならば期待しない程度に気にしておこう」

 

 異様な雰囲気をぶち壊すかの様に蔵人の声は会場に響いていた。

 実際に昨年の順位はベストエイト。今年に関しても相応の警戒が必要な人物だった。

 そんな人間の口から出た言葉に一部の人間は警戒する。どこまでが本当なのかは分からないが、仮にそれが事実であればダークホースとなる可能性が高いと判断したからだった。

 その言葉をきっかけに周囲もまた少しづつ情報を収拾する為なのか、会話が始まる。最初とは違った意味で喧噪が復活していた。

 

 

 

 

 

 

「龍。あの人って確か貪狼の倉敷蔵人じゃないの?」

 

「そんな名前だったか。一々くだらない戦いしか出来ない人間の名を覚える必要は無いんでな」

 

「でも昨年のベストエイトなんだからさ」

 

「所詮はその程度だろ。だったらお前はもっと誇れば良い。ベストフォーの東堂とは引き分けたんだ。そう考えれば問題無いだろ」

 

「それはちょっと違う様な………」

 

「去年の順位は去年の話。今年とは顔ぶれは違う。一々気にするだけ無駄だ。それとも、お前は周囲に配慮して戦い方を決めるのか?」

 

 相手を下に見る様な物言いではあったが、ある意味では事実でもあり、そうでも無かった。

 昨年の優勝者でもある武曲学園の諸星雄大は昨年は二年だった事もあり、今年も問題無く出場している。下馬評では断トツだった。

 しかし、龍玄の言葉も間違いではない。二年で優勝であれば、今年も出来ない訳では無い。少なくとも龍玄の目から見て、気になる選手は一部を除いて皆無だった。

 

 非公式で黒鉄王馬を簡単に下している以上、余程のイレギュラーが無い限り、大よその順位の当たりはつく。自分の場合はこの戦いにそれ程価値を見出している訳では無い。

 小太郎からの話がどこで始まるのかだけ分かれば良いだけの事。勿論、理事長にもそう言っている以上、誰がどんな結果になろうが同じ事。

 それがそのまま口に出ただけの話だった。

 

 

「それは無いよ。誰だってここに来ている以上は頂点を目指すだけだ」

 

「ならば自分で答えを出しただけだ。それが全てだろ」

 

 余りにもあっけらかんと言われた言葉に一輝もまた何とも言い難い気分になっていた。

 道場で対峙したからこそ分かる。少なくとも龍玄の実力はそんな生易しいレベルでは無かった。

 常に一手以上先の動きを読まれ、全ての攻撃が自分へと跳ね返る。その結果、一輝は自分の実力が本当の意味で分からないままに終わっていた。

 龍玄もまた、それ程息が切れる事無く一輝に付き合っている。

 自分の棲んでいる世界とは明らかに違う事だけが分かった程度だった。

 だからこそ、名前を憶えていないのであれば、それ程手間がかからなかっただけに過ぎない。あの短い会話で一輝は何となくその事実を理解していた。

 

 

「俺は少し用事がある。確か退出は任意だったな」

 

「もう帰るの?」

 

「ああ。野暮用だ」

 

 会場に十六夜朱美の姿があった時点で何らかの用事があるのは間違いない。しかし、それが何なのかまでは分からないままだった。

 龍玄が会場から去った後、一輝やステラの周囲には見えない壁の様な物が何となくある様に感じる。それが何なのかを理解出来ないままに、時間だけがただ流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しい所悪かったね」

 

「大した話ではないんだ。問題は無い」

 

「そう言ってもらうと助かるよ。時間も勿体無いから、早速だけど今回の要件を伝えるよ」

 

 龍玄が向かったのは時宗が別で取った部屋だった。

 本来であれば主賓であると同時に総理の代役としてこの会場に来ている。立場的に考えれば、ある意味今回の重要な人物だった。

 にも拘わらず、周囲にはSPが存在しない。確実に特殊な要件がある為に、それを無視したのは間違い無かった。

 姿こそ見えないが、この周囲には風魔の人間が何人も隠れている。それを知っているからなのか、時宗は何時もと同じ口調だった。

 声を潜める必要も無い。だからなのか、今回の趣旨を改めて伝える事にしていた。

 

 

 

 

 

「了解した。だが、この大会に関しては我々にも思惑がある。その件に関しては何か聞いているのか?」

 

「小太郎の件の事かい?それなら聞いてるよ。

 実際にさっきの件もそれに少しだけ関わっているんだ。

 今回の例の五人のうち、黒鉄王馬とサラ・ブラッドリリー。この二人に関しては監視対象から外しても問題無いよ。だけど、平賀玲泉に関しては要警戒だね。少なくともこの国のデータベースには存在していないんだ」

 

「戸籍が無い………他国の工作員でも戸籍はあるのにか?」

 

「そうなんだよ。僕も念の為に、所属している部署にも確認を取ったんだけどね。生憎と月影氏に雇われた所までだね。その前に関してはきれいさっぱり何も無い」

 

 月影獏牙が失脚した際に、時宗は小太郎に依頼して今回の顛末を確認する為に表と裏の両方の観点から探りを入れていた。

 実際に総理は伊達では無い。幾ら議員からの選挙で成れるとは言え、その権力もまた相応にあった。

 

 これまでに分かってるのは私財で解放軍に依頼をしていた事。それの中で、破軍学園の襲撃をもって新たな団体でこの戦いに参戦する計画も発覚していた。

 そうなれば自国の教育機関にテロを仕込むと同時に、大きな計画の一歩を踏み出す。これがこれまでに分かって居る内容だった。

 

 本当の事を言えば、直ぐにでも公安を動かし根こそぎ抑えるのが筋なのかもしれない。しかし風魔の青龍を投入した時点で、その予定は無となっていた。

 事実、実行犯を既に捕縛した時点で情報はそこから得れば良いだけの話。時宗もまたその内の一人、シャルロット・コルデーから情報を引き摺り出していた。

 失脚させた月影獏牙の情報と齟齬が無いかを突き合わせる。その結果、八人の中で平賀玲泉の情報だけが実体が無いまま浮かび上がっていた。

 元々国内の伐刀者養成学校としては身元の調査は徹底的にするのが通例。にも拘わらず、何も無い人間をそのまま入学させた時点で異常としか言えなかった。

 各学園の経営者に確認をしても、回答に対して歯切れが悪い。

 元々調査が甘かった事を隠す為なのか、自分の立場を護る為なのか、真相は分からないままに時間だけが過ぎていた。

 

 

「だとしても、態々衆人環視の元で何かをするとは思えんがな」

 

「そうだね。一応は襲撃の際に合力した人間の参加としてる。だとすれば何かあっても責任は早々上がってこないだろうね」

 

 誰も知らないままの出場程危うい物は無い。本当の事を言えば、時宗もまた強権を発動させて出場をさせない様にしようとも考えた事もあった。

 しかし、風魔の青龍でもある龍玄が出場するのではあれば、最悪の事態だけは免れるかもしれない。そう考えたからこそ、この場に於いて最終的な確認をしていた。

  この時点で参加させた人間に何かが起こっても、大よその事ならば誤魔化せる。そう考えていた。

 

 

「それと、試合の盤外で何か起こった際にはこちらも何らかの動きを見せる事になると思う」

 

「そう。余り大事にはしてほしく無いんだけどね」

 

「それは俺が決める事じゃないんでな。これ以上は厳しいだろう。先にここから出る」

 

 話し合いは終わったと言わんばかりに龍玄は直ぐにこの部屋から姿を消していた。

 実際に一選手と閣僚が密会となれば勘繰られる可能性は否定できない。幾ら周囲は完全に固められているとは言え、万が一の事もあった。

 その言葉通り、部屋には時宗しかいない。時宗もまたこの大会で何かが起こらなければ良いがとの思いを持ったからなのか、人知れず溜息を付いていた。

 

 そんな中、携帯端末から一つの情報が流れてくる。それを見たからなのか、時宗は再度深い溜息をついたまま一言だけ言葉が漏れていた。

 

 

「面倒な事にならなければ良いんだろうけど、絶対に無理そうだね」

 

その言葉を確認する人間はこの部屋には誰も居なかったからなのか、そのまま宙へと消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「所詮はこの程度の実力とはな……大陸から来た魔人はつまらんな」

 

 仮面越しに聞こえる声には明らかに侮蔑が込められていた。

 この七星剣武祭はある意味では学生の大会ではあるが、この期間中には様々な人間がこの国に入っていた。

 正面を切って入国するのであればそれ程問題にはならないが、中には非合法なやり方で入国する人間も居る。実際に後者の場合は殆どが何らかの組織に属しているケースが殆どだった。

 大きな大会は人間の動きは自然と大きくなる。そうなれば絶好のテロの標的となる。

 実際に七星剣武祭の会場周辺は、騎士連盟の所蔵する団体が会場を警備している為に、そうそう実行される事は無かった。

 しかし、そんな厳しい警備を掻い潜れる人間もまた存在していた。

 伐刀者の中でもその上位の存在ともいえる魔人。世界中で確認されている人数はそれ程多くは無かった。

 実際に表立って公表している人間は居ないが、世界中の政治家の頂点に居る人間はその存在を確認している。当然ながらその確認かれ漏れている人間も存在していた。

 

 

「貴様………誰に手を出したのか知っているのか?」

 

「さあ?お前はこれまでに闘った雑魚の事など記憶してるのか?それとも弱いから一つ一つ覚えていないと怖いのか」

 

「何だと………ならばその身をもって知るが良い!」

 

 仮面の男の言葉に対峙した男もまた激昂していた。

 伐刀者が世界で確認されてから、その上位の存在として『魔人(デスペラード)』の存在もまた確認されていた。

 元々人間は生まれ持った素養を超える事は無い。それがこれまで伐刀者における実情を表していた。

 異能は成長しない為にランクを決める。その結果として組織を運用する際の目安として考えられていた。

 実際にこの国だけでなく、世界各国で伐刀者と言う者はこれでもかと思う程に研究されている。

 今の現状を決めたのは当時の研究者の論文。そこから更なる発展を見せる事が無かった為に、その内容は今日に至るまで採用されている。

 しかし、どんな物にもイレギュラーが存在する。

 

 既存の数値を超え、確実にその能力が上昇する人間が少なからず存在している。絶対数から見たサンプルでは論文の発表に至るまでには及ばない。

 しかし、元々あった自分の器を超えた能力を持った人間をそのまま『魔人(デスペラード)』と称して、世界に発表する事無く、所属する特定の国にだけ公表していた。

 そんな異常な人間の能力に限界は無い。伐刀者の戦いは異能を中心としている以上、異常な数値はそのまま戦力としてカウントしている。

 だからこそ、男もまた言葉を発すると同時に、仮面の男へと一気に距離を詰めていた。

 

 手にするのは刃渡り三十センチ程の幅広のダガー。しかし、その正体はそうだと思わせた六十センチ程の直刀を握っていた。

 得物の長さはそのまま攻撃の殺傷範囲に直結する。幻術程ではないが、武器の認識を狂わせた攻撃は脅威だった。

 非合法な入国をするのは裏の組織に属する証。男は裏社会に於いての名うての暗殺者だった。

 身体強化を限界までしたからなのか、僅かに地面を蹴った音だけがそこに残る。男の持っている刃の先には仮面の男の喉笛があった。

 頸動脈を斬り裂く事で時間をかける必要が無い。これまでに幾度となく行ってきたルーティンだった。

 

 

「怖い怖い。流石は裏社会に響いた人間だな。殺気位は消してほしい物だ」

 

 疾駆しながら向かった刃は喉笛はおろか、仮面の男まで届く事は無かった。

 気が付けば自分の肉体にも拘わらず、まるで自我を持たない機械の様に突然動きを止める。

 何が起こったのかを理解出来ないままに、男はそのまま地面を舐めていた。

 

 

「貴様、俺に何をした!」

 

「何を…寝言は寝てから言え。気が付かないままに突っ込んだ時点で勝負はついてる。お前はそれでも本当に魔人なのか?」

 

 仮面の男の言葉に倒れ込んだ男は冷や汗をかいていた。

 先程も魔人だと口にはしたが、それが本当の意味で理解しているのか分からなかった。しかし、再度尋ねたそれには明確な疑問が見える。その瞬間、色々な違和感が一気に浮上していた。

 誰にも気が付かれないはずのこの場所に居たのは本当に偶然だったのか。少なくとも自分の持つ能力であればそれを見分ける事は難しいはず。しかし、この仮面の男は最初からそうだと判断していた。

 魔人の持つ異能の力は分かる人間には分かるが、それ以外には判断は出来ない。仮に自分の身元が割れているとしても、疑問を浮かべるはずが無かった。

 だとすれば、答えは一つ。相手もまた自分と同じ可能性だった。

 

 

「まさか……貴様も同じ………なのか」

 

「それに答える義理はあるか?」

 

 その言葉が全てだった。原因が分からないままに自分の脚だけでなく、気が付けば全身が動く事を止めている。麻痺毒を盛られた訳では無い。こんな外で散布した所で効果が見えるはずが無い。少なくとも自分の知るうる中ではそんな技術は何処にも無かった。

 

 

「死後にゆっくりと悩め」

 

 その言葉が告げた瞬間、男の頸からは鮮烈な赤が噴き出していた。

 僅かに肉を絞めるかの様に皮膚が動いた瞬間、その頸は胴体から離れる。その表情は苦悶を浮かべ、目は見開いたまま。それが当然だと言わんばかりに仮面の男はその場から離れていた。

 先程まで闇夜だったはずの場所には雲の切れ間から月の光が漏れている。

 離れた瞬間とは言え、僅かに光った仮面には鳶の文字だけが描かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段であれば静かなはずの病棟に、一人の女性の弾んだ息の音だけが響いていた。

 本来であれば注意するはずの看護師もその内容を知っているからなのか、見て見ないふりをする。

 連絡があったのは本当に唐突だった。肉体の損傷は完全に治癒出来たものの、肝心の意識は戻らないままだった。

 事実、治療に当たった医師もまた頭をひねる症状。仮に頭部に損傷や衝撃があるならばまだしも、運ばれた時点ではそんな部分は一切見当たらない。

 当初は戦闘による疲労から来る物だと思われていたが、時間の経過と共にその可能性は少なくなっていた。

 現時点で医師が出来る事など何も無い。ただ目を覚ますまで経過観測するしかなかった。

 そんな中、突如目覚めた事に関係者は直ぐに連絡を入れる。その結果が今に至っていた。

 弾む息を一旦は落ち着かせ、何事も無かったかの様に扉をゆっくりと開く。ベッドの上に居たのは意識を失う前の知った表情だった。

 

 

「刀華さん。大丈夫なんですか?」

 

「うん。まだ少しだけぼんやりとはしてるけど、問題は無いよ」

 

 カナタの心配気な声など最初から無かったかの様に刀華は何時もと変わらない口調で話しかけていた。

 実際に破軍襲撃の際に一番状況が見えず、運ばれた生徒の中でも一番に厄介な状態で運ばれていた。

 銃撃戦があったにも拘わらず、そんな傷は何処にも見当たらない。可能性としては伐刀者と戦ったのではとの憶測もあったが、場所が場所なだけにその可能性はかなり低かった。

 

 銃弾を躰に受けた人間はある意味では分かりやすく、今回の襲撃は既にテロとして認定している。医師からすれば、そちらの方がある意味分かりやすかった。

 目に見える怪我なだけに、治療方法に澱みは無い。当然ながらIPS再生槽も並行して使う為に、それ程大事には成らなかった。

 しかし、東堂刀華に関してはその限りでは無い。

 下手に外傷が無い為に、治療方針が一向に定まらなかった。

 IPS再生槽を使用しようにも、肉体面での損傷は一切無い。可能性があるとすれば精神の問題だけ。

 当然ながらその前提があったからこそ、刀華が目覚めた瞬間、カナタにも連絡が届いていた。

 

 

「でも、大会には間に合わなかったけどね」

 

「それは…………」

 

「気にしなくても良いよ。仮に少し前に目覚めたとしても本戦でまともに戦えるのかは分からないから」

 

 カナタの曇った表情から察したのか、刀華はフォローとも取れない様な言葉しか出す事は出来なかった。

 実際に目が覚めないままにエントリーする事は理論上は可能となっている。しかし、試合に間に合わなかった場合、問題を指摘されるのは本人だけでなく、経営陣もだった。

 大会出場選手は体調管理など片手間で行う。一つの行為だけに全力を傾けるのは無意味だからだ。

 最低限の事すら出来ずに体調不良を理由に不戦敗となれば、今だけでなく未来にまで名が残る可能性があったから。

 だとすれば、不名誉な名は永遠とまでは行かなくても長きに渡ってしまう。そうならない為に、今回の襲撃を活かしてそのまま参加せずと変更していた。

            

 

「それに、気がかりな事もあるし………」

 

「確かにそうですね」

 

「そう言えば、一つ聞きたいんだけど、学園外の出場選手って事になってるけどあれって………」

 

「その件ですか……」

 

 刀華の言いたい事はカナタも理解している。

 少なくとも学園の襲撃実行犯が何故選手として出場しているのか。それと同時に、当時の正確な人数は分からないが、風魔が介入した事案である以上、何らかの都合がある事だけは予測していた。

 ただ、それが何なのかは分からない。だとすればその風魔に近いカナタに聞くのが一番の近道だと考えた末の言葉だった。

 

 

「今回の大会に関しては色々と政治的な思惑もある様です。詳しい事は私も知りませんが、少なくともある程度の意図がある様に思えます」

 

「それって…………」

 

 言葉を濁したカナタの表情を見たからなのか、刀華はそれ以上は聞く事が出来なかった。

 自分の意識が回復するまでに時間はかかっている事は理解している。しかし、その間に何が起こっているかを知っている訳では無かった。

 詳しい事は簡単に調べれば分かる話ではない。何よりも風魔が態々痕跡を残すとは思えなかったからだった。

 

 

「私も何となく程度しか知らない。と言うのが本当の事です。それよりも、少しだけ確認したかったんですが、刀華さんが戦った相手は今回の出場選手に居たんでしょうか?」

 

 露骨な話題転換ではあったが、刀華が倒れた原因を知りたいと考えていたのも事実だった。

 一度は風魔に刃を向けている過去があるだけに、それがどんな結果となっているのかが分からない。

 自分達と風魔との技量が絶対的に違うのは分かるが、刀華とて何も考え無しで動くとは思えない。

 だとすれば、そこにあるのは第三者としての勢力があったとしか考えられなかった。

 血だまりが出来た訳でも無ければ、目だった外傷も無い。そうなれば誰が何の為にと考えるのが自然だった。

 だからなのか、カナタの視線は自然と強くなる。それを察知したからなのか、刀華もまた隠すつもりは無かった。

 

「居ない。と言うよりも、私が戦った相手は仮面をつけてた。勿論、風魔かどうかは知らない。でも、あの雰囲気は私が知るそれじゃなかった」

 

「と言う事は別の組織がって事でしょうか?」

 

「組織的な感じは無かったと思う。でも、対峙してからどうやって意識を失ったのかまでが分からないの。その間がどうなったのかも含めてだけど」

 

 刀華の言葉にカナタの表情は僅かに曇っていた。仮に相当な実力があった人間があの場に居たと考えた場合、それがどんな結果をもたらすのかが全く読めなかった。

 仮面をつけた人間が早々居るとは思えない。だとすれば、龍玄に聞くよりは朱美に聞いた方がまだ良いかと考えていた。

 自分達の庭で好き勝手な事をされて嬉しいはずが無い。刀華が手も足も出ない状況が想像出来ないのであれば、相手もまたかなりの手練れの可能性が高かった。

 だからこそ、刀華の記憶の中から情報を精査し万全を期す必要が有る。目的が何なのかによっては更に何らかの措置を取る必要があったからだった。

 

 

「でしたら詳しい事は知っている人間に聞いた方が早いかもしれませんね。そう言えば、本戦の観戦はどうしますか?」

 

「そうだよね……確かチケットが必要だったんだよね」

 

 カナタの言葉に刀華は渋面を作っていた。

 ここで小さな画面で観戦する事は不可能ではない。しかし、今回の大会はある意味では破軍に喧嘩を売っている様な物だった。

 表向きではない、本当の事実。カナタの言葉を信じるのであれば、その相手を直接見たいと思うのは当然だった。

 しかし、そのチケットの入手が簡単でない事は明白。幾ら関係者と言えど、その数に限りがあった。

 

 

「その点は問題ありませんよ。私の方で手配しますから」

 

「……我儘言ってゴメン」

 

「気にしないで下さい。私も刀華さんの意識が戻ったのであれば会場へと向かう予定でしたので」

 

 刀華に気が付かない様にカナタはそのまま話を進めていた。刀華と対峙した人間が、今後どんな影響を与えるのかを考えれば、その対策を取るのは当然だった。

 身近になった事で忘れそうだが、風魔は自分達に敵対する人間に関しては容赦はしない。事実、経済界で未だ話が消えない風祭ショックはその舞台裏を聞いているからこそ、迅速な対策を取る事が出来たに過ぎない。

 

 本当の事を言えば風祭凛奈がどうなったのかも知りたいとは思ったが、それに関しては何一つ知る事は無かった。

 少なくとも学園が狙われているのであれば、自分に出来る対策を取るのは当然の事。

 大会中であれば、少なくともここに居るよりは動きやすいのは考えるまでも無い。そんな思惑があったからこそカナタは刀華の言葉にそのまま乗っかる事を決めていた。

 

 

 

 


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