英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第53話 動き出す歯車

 静けさが漂っていたはずの道場は、直ぐに何時もの空間を醸し出していた。

 剣氣だけなく、時折殺気も混じる。これが街中であれば尋常ではないと誰もが感じるが、ここではそれが当たり前だった。

 時折聞こえるのは打撃音。道場の中で行われている行為を考えれば、それは当然の事だった。

 何時もと同じ空気を周囲に撒き散らしている。

 そこにあるのは生存競争の様な戦い。己の持てる全勢力を傾ける必要があった。

 だからこそ、乾坤一擲とも取れる一撃。今求められるのは、相手を倒す為の絶対的な斬撃。本来であれば次の行動を考える必要があるにも関わらず、その未来を完全に捨て去っていた。

 それでなければ、床に横たわるのは相手では無く自分。示現流の蜻蛉の構えを彷彿とさせるそれは、正に自身の放つ渾身の物だった。

 

 

「りぁああああああああ!!」

 

上段から繰り出す斬撃をまともに受ければ、本来であれば攻撃した側がよろめく程の一撃。しかし、裂帛の気合いと共に出たそれは、明らかに異様だった。攻撃する側ではなく受ける側の方が負傷する可能性が高い。そこにあるのは紛れも無い必殺の空気だった。

 

 

「緩い」

 

 一言だけ出た言葉と動じに、脳天めがけて放たれた斬撃は予定していた方向を容易く変更していた。

 正面からそのまま真下へと向かうはずの斬撃はそのまま角度を付けて床へと向く。

 決して強引に動かした訳では無い。ただ来るであろう攻撃を往なされた結果だった。

 その瞬間待っていたのは重く鋭い一撃。まるで巨大な槍をまともに喰らったかの様に攻撃した男の腹筋には鍛えられた足が突き刺さっていた。

 

 当事者ではなく第三者からみれば前蹴りであることは分かるが、問題なのはその速度。

 往なされた事によって出来た死に体では踏ん張る事は出来ない。

 幾ら鍛え上げられた腹筋と言えど、相応のダメージを受けるよりなかった。

 床に一度だけ跳ねると、勢いは死ぬ事無くそのまま壁に激突する。そこで漸く一連の流れが止まっていた。

 

 

 

 

 

「幾らフェイントを入れても態勢が崩れなかったら無意味だ。それに上段からの攻撃は威力は高いが隙も多い。余程の事が無い限りは早々に出番は無いぞ」

 

「上手くやったつもりなんだけど」

 

「あの程度の動きはフェイントとは呼ばん。ただの無意味な動きに過ぎん」

 

 壁に激突したにも拘わらず、男は気を抜く事無く淡々と話をしていた。

 残心。

 戦いの物事に絶対は無い。実際に吹き飛ばされたのか、自ら後ろに飛んだのかは攻撃をした人間が一番良く理解している。先程の前蹴りの感触は前者だった。

 だからと言ってそれで終わると考えた事は一度も無い。故に構えこそしなくとも、その意識は完全に戦闘状態を維持したままだった。

 

 

「中々難しいんだよ」

 

「当たり前だ。どこの世界に態々フェイントだと知らせて動く馬鹿が居る。お前の蜃気狼だったか。あれ位の物を当たり前の様に出して一人前だ」

 

「一応は秘剣なんだけど」

 

「そんな物は知らん。そもそも普通の動きに組み込まない時点で無意味だ。学生の様なアマチュアなら未だしも、もっと上の人間からすれば児戯と同じだ」

 

 七星剣武祭の日程の変更はすぐさま各学園だけでなく、世間にも周知されていた。

 元々今回の襲撃事件に関しては、一時はマスコミがかなり騒いだものの、今は既に何もなかったかの様に穏やかな物になっていた。

 

 実際にテロ行為があったが、結果的には直ぐさま鎮圧されている。

 当事者の中では色々な意味で長引くが、世間一般からすればそれ程大きな事件には発展してなかった。

 下手に扇動する様であればすぐさま鎮静化される。それはマスコミに対してだけでなく、ネット社会でも同じ事。

 情報を完全に遮断する事は不可能だが、結果的にはそれを逆手に取った方法によって、世間は程なくしてその内容を忘れそうになる手前まで来ていた。

 

 幾ら物騒な事が起こっても、直ぐに鎮圧される。そうなれば安全が担保されているのと同じ事。だからこそ、今は特段大きな問題を抱える事は無かった。

 そんな中、元々予定していたスケジュールが伸びた事によって破軍学園の内部もまた様々な変更にゆとりを持つ事が可能となっていた。

 一部の選手は既に辞退しているが、それ以外の人間に関しては完全に気持ちを切り替えている。自分の時間が取れるのであればとの思いで各々が鍛錬に勤しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍。僕との鍛錬に付き合って欲しんだ」

 

「俺がか?朝のそれだけでも十分だと思うが」

 

「……それだけじゃ足りない。僕にはそれ程時間も無い。だとしら短期間で経験を積みたいんだ」

 

 龍玄の下に訪れたのは一輝だった。

 今回の襲撃に関しては学園にこそ居ないが、外部で交戦している。

 実際には龍玄もまた依頼で学内には居たが、それは青龍としての活動であり、風間龍玄としてではない。突然の出来事に、何となく気持ちは分かるが龍玄にとっては受けるメリットはどこにも無かった。

 

 

「だったらステラとでもやれば良いだろ。どうして俺なんだ?」

 

「ステラは剣技じゃなくて、もっと…異能の強化をするみたいなんだ。だったらボクは戦力外だから」

 

 一輝の言葉に龍玄もまた納得していた。

 そもそも伐刀者としてのランクの全ては魔力を主体とした能力であって、戦闘そのものにおける数値は一切考慮されない。

 だからこそ、一輝もまたFランクと言われても実戦における結果を残す事が出来る。

 だとすればステラの鍛錬と一輝の鍛錬の方針は真逆でしかない。

 学内で一輝の相手になれる人間が現時点で居ないのであれば、龍玄の所に来るのは自然な流れだった。

 

 

「成程な。だが、その程度の事で此方の時間を消費するとなれば割に合わないと思うが?」

 

「………それは済まないと思っている」

 

 龍玄の言葉に一輝もまた申し訳ないと考えていた。

 ここが学園であれば話はまだしも、生憎と道場の一角。それも、他の人間も居る中での話である為に今の一輝にとっては完全にアウェイと同じだった。

 

 以前に来た際にはそれ程気にならなかったが、今なら分かる。周囲を取り囲む雰囲気が全く別世界だった。

 平和とは真逆の、命に直結する様なヒリヒリした感覚が肌を撫でる。ここは競技やスポーツと縁もゆかりも無い世界。

 これまでのそれなりに鍛錬を続けてきたはずの一輝にとっても、長時間のこの空気は確実に精神が摩耗すると思える程だった。

 今までであれば、恐らくは学園に戻ってから再度話をしたのかもしれない。しかし、今回の襲撃は一輝にとっても色々と思う部分が多々あった。

 その中で一番の収穫は『比翼』の二つ名を持つエーデルワイスとの戦い。実際には戦いと言うには烏滸がましいとさえ思える内容だった。

 

 明らかに加減された攻撃。相応に実力がある人間からすれば憤るのは当然だと思える程。しかし、突き抜けた実力を持つ側からすれば、本気で戦う必要性すら無い物。

 事実、一輝は知らないがエーデルワイスが受けた内容は襲撃ではなく、万が一の際に防ぐ事。

 結果的にイレギュラーとして加藤段蔵が来たのは仕方ないが、それ以外に関しては特に気にする様な内容でもなかった。

 視界にとらえる事すら困難な歩法は一輝の眼をもってしても厳しい結果となっている。

 実際のあの場でエーデルワイスと対峙した事実を知っているのは当事者でもある一輝だけだった。

 

 確かに歩法に関しては見る事が出来た。しかし、見たからと言って使えるかどうかは別の話。

 それと同時に開催の期間が延長した事によって改めて自分の力の嵩上げをするだけの時間もまた生まれていた。

 ステラが居ない今、一輝は龍玄しか自分の相手を出来る人間を知らない。ましてや、自分も対峙した際には碌に相手も出来ないままに終わっている。だからこそ、一輝は龍玄に頭を下げて頼るよりなかった。

 

 

「一輝。時間は誰もが平等に過ぎる。お前と俺では時間の活用方法は異なる。だとすれば、差し出す対価が必要になるんじゃいのか」

 

「対価って…………」

 

 龍玄の言葉に一輝は少しだけ冷静になっていた。

 本来であれば友人なんだからと言えば良かったのかもしれない。事実、入学からこれまでにそれなりに人間関係を築き上げた自負はある。しかし、この場に於いてはその言葉は最悪の未来を迎える物。

 周囲の空気が醸し出す様に、自分を見る眼はかなり冷たくなっている。

 全員が伐刀者かどうかは分からないが、少なくとも一般の能力しか持っていないと仮定しても、ここに居る人間の持つ圧力は尋常ではなかった。

 以前に行った宝蔵院の合宿と同じかそれ以上の空気を感じている。

 誰がどう見ても邪魔をしているのは自分である。そう自覚しているからこそ、今の一輝にとって対価が何なのかが分からなかった。

 

 

 

 

 

「まあ、良いだろう。お前の意気込みを買おうじゃないか」

 

「親父!」

 

「え?」

 

 冷え固まった空気は一人の男の声で破壊されていた。龍玄の言葉どおり、許可を出したのは風魔小太郎その人。道場の中も、まさか来るとは思わなかったからなのか誰もが驚いていた。

 

 

「確かに、こいつの言葉が分からないでもない。それに一つだけ聞きたい。何をもってそこまで上を求める?」

 

 普段とは違う口調なのは、明らかに今は任務が絡んでいない証拠。ましてや、ここが事実上の前線基地である事は誰よりも理解している。

 本来であれば適当な事を言って追い払うのが当然だとさえ考えていた。

 だからこそ、真逆の回答をした小太郎の意図が分からない。龍玄がこの道場の主ではあるが、組織の面から見れば小太郎の考えを重視せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからと言って、あれが物になるかは分からんだろうが」

 

「今の時点ではそうだろうな。だが、あのままにしておくのも勿体無いかと思ってな」

 

 小太郎が許可した事によって、一輝は少しばかり実戦形式での模擬戦を繰り返していた。

 時間の無い場面で無理矢理型を押し付けてても、それが有効かどうかは分からない。となれば、短期間で鍛え上げる手段はシンプルになっていた。

 元々教えるなどと甘い考えを持った訳では無い。今から何をどうした所で時間が足りないのは当然だった。

 だからこそ龍玄が取った手段は、ひたすら実戦を繰り返すだけの行為。無手で戦う事もあれば、時には槍や刀、剣などと多種多様に扱っていた。

 既に学園にも届け出が出ているからなのか、一輝はそのまま道場の敷地内にある居住スペースへと移動している。

 時間的にはまだ寝るには早いが、心身共に疲れ切っているからなのか、最低限の事だけをして今は眠りについていた。そうなれば道場には小太郎と龍玄しか居なくなる。だからこそ龍玄は小太郎が許可した意味合いを聞いていた。

 

 

「勿体ない?それは、あれの足さばきの事を言ってるのか?」

 

「何だ、気が付いていたのか」

 

「当然だ。あれだけ鍛錬をした人間が今日に限ってやたらとチグハグな動きを見せている。可能性があるなら自分よりも格上の何かを学んだんだろう。あれから察するに比翼じゃないのか?」

 

 龍玄の言葉に小太郎は僅かに笑みを浮かべていた。

 実際に一輝がエーデルワイスとどこで戦ったのかは分からない。しかし、その動きの所々は見た記憶があった。

 比翼の名にふさわしい動きは、自分達が使う歩法によく似ている。

 決定的に違うのはその使いどころと性能。

 距離を瞬時に潰すと同時に剣戟を叩き込むやり方は剣士であれば当然の行為。

 一撃必殺とまでは行かなくとも深手を負わせる事が出来れば、結果は後からついて来る。だからこそ最短を疾る為の技術。

 一輝の得意とする模倣剣技(ブレイドスティール)はある意味では眼にする事すら困難であるそれを見た事になる。今はまだ蕾の状態ではあるが、近い将来花開く可能性が見て取れていた。

 

 

「そうだろうな。で、今回の件に関してだが、理由は大きく分けて二つある。一つは会場内での監視。それともう一つは始末だ」

 

「始末?依頼があったのか?」

 

「違う。我々が純粋に脅威だと感じた場合に限るだ」

 

 小太郎の言葉に龍玄は僅かに訝しく思っていた。何時もであれば明確に始末すると明言するが、今回に限ってだけはどこか濁した感じがあった。

 事前に入念な調査をし、その上で結論を出す。これが今まで自分達が淡々と行ってきた行為。当然ながら濁すだけの何かがあるとしか言えなかった。

 

 

「因みに、誰をだ」

 

 龍玄の言葉に、小太郎は懐から一枚の折られた紙を渡していた。

 内容は今回の襲撃に関する情報と同時に、その襲撃者の内容が詳細に書かれている。一人一人の能力を完全に調べ上げたからなのか、そのどれもが詳細まで書かれていた。

 詳細を見た事により、理由を直ぐに理解する。放り出された内容を考えれば、それ以上は言うまでも無かった。

 

 

「方法はどうするんだ?」

 

「特段無い。だが、それに関しては我々の利益にも絡む。一人で終わらせる様な可能性は低いかもしれんな」

 

「だからあれを囮として使うのか」

 

「そうだ。折角の目立つ駒を使わないなど、考える必要が無かろう」

 

 先程の龍玄が目を通した紙はそのまま小太郎の手によって始末されていた。

 この内容が正しければ始末するのは当然。

 龍玄自身が七星剣武祭に出る事は伝えていないが、恐らくは何らかの手段を持って知ったからこその計画。そう考えたからこそ、龍玄よりも一輝を鍛える事によって、少しでも龍玄の認識を薄くする必要があった。

 今年に関しては、A級のステラもまた参戦する。お互いがそれなりに戦う事が出来れば、意識がそこに向かう。その空白を活かすのは決定事項だった。

 

 

「さしあたっては、明日からはもう少し高い目標を持った方が良さそうだな」

 

「下手に低い場所で固まられても困る。それにあの歩法を初見で破る事は厳しいだろう。ましてや学生であれば尚更にだ」

 

「かもしれん」

 

 最初の頃に比べれば、一輝の動きは少しづつではあるが動きは良くなりだしていた。

 どんな技術も学んだ瞬間から十全に扱う事は出来ない。ましてや体術や歩法は機械の様に単純ではない。

 自分のリズムと感覚だけが頼りになる為に、その習得に関してはそれなりに時間が必要だった。

 死の直前まで追い込めば本来は良いのかもしれない。しかし、一輝は部外者であり、風魔衆とは関係すら無い。

 だとすれば、それなりにやる事によって後は自分の才覚で何とかするよりなかった。

 本人の与り知らない所で自分の末路が決まっている。その事実を一輝が知った場合に何と言うのだろうか。

 明日からの鍛錬が更に苛烈になる事だけは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々済まないな黒鉄。今回の呼び出したのは例の件に関する事でだ」

 

 まだステラに会った初日以来、一輝はここに来た事はこれまでに一度も無かった。

 実際に理事長室に只の生徒が来る用事は早々無い。

 仮に来るのであれば、余程の問題を起こしたか、相応の実績を残す位だった。

 以前に来たのはまだ記憶に新しい。だからこそ一輝は若干の懐かしさを思い出しながらもその視線は理事長の新宮寺黒乃へと向いていた。

 単刀直入に言う黒乃が言う例の件が何なのかは一輝とて理解している。本来であれば余程の事が無い限り口にするはずのない言葉。だからなのか、一輝もまた緊張した面持ちで黒乃の言葉を待っていた。

 

 

「僕の卒業に関する件ですね。それが何か?」

 

「だらだらと話しても仕方ない。結論だけ言おう。今回の件に関しては、本年だけその限りではない。それと勘違いしない様に言っておくが、優勝はあくまでも卒業であって進級とは違う」

 

「理由を聞いても?」

 

「簡単だ。今年に関しては特例がある。お前の気持ちも実力も理解した上で言おう。トーナメントの山がどうなろうと目指す頂きは一つだけ。当然ながらお前では勝てないと踏んだからだ」

 

 黒乃の言葉に一輝はその時点で何となく察していた。今回の襲撃に関しては明らかに人為的な思惑があるのは誰の目にも明らか。当然ながら出場に関する通達を見た瞬間、そうだろうと予測していた。

 口では厳しい言い方をしているが、黒乃の表情は何時もと変わらない。恐らくは自分から聞かない限り、言わないのだろうと予測していた。

 

 

「出場者に変更が出たんですね」

 

「そうだ。今回の襲撃は誰もが知る様に、かなり厳しい結果になった。それと同時に、既に内定していた人間の殆どは辞退を申し出ている。それ以外にはまだ病院から抜け出せない。

 我々としても苦肉の策ではあったんだがな。変更に関しても先日の職員会議でそう決定した」

 

 黒乃が言う様に、職員会議では出場選手に関しての意見申し出とも取れる内容で生徒を吟味していた。

 実際に破軍学園が受けた傷は並大抵の物ではない。

 事実、職員もまた完全に治療を終えた訳では無かった。

 幾ら万能と呼ばれるIPS再生槽と言えど、数に限りはある。そうなれば傷の度合いで優先順位が決まるのは当然だった。

 基本的には生徒を優先し、職員は後回しか他の病院へと運び込む。相応の犠牲が出たからこその結末だった。

 勿論、外傷が癒えても精神までが癒えるとは限らない。

 夥しい銃撃を受けた生徒の大半は、軽いPTSDを起こしていた。そうなれば実戦でもある本戦を戦い続ける事は難しい。

 実戦を経験し、それでも尚前に進める人間が少ないからこそ、一刻も早い選出が求められていた。

 

 そんな中で真っ先に名前が挙がったのは風間龍玄。勝敗数こそ平凡ではあるが、その相手と勝ち方、所要時間を考えればダントツだった。

 生徒個人への思惑がある事は職員も何となく理解している。

 幾ら前任者のやった悪しき慣行だと知っても、一度は生徒と学園が決めた以上は行使するしかない。しかし、職員に求められているのは一生徒の人生ではなく、学園としての有り方だった。

 今年が駄目でも来年がある。誰もがそんな温い考えを持っていない。

 狙える時に確実に狙う。当然の様な回答に職員からの不満や疑問は何一つ出てこなかった。

 事実、今の職員は理事長就任時に各自が目を付けられた結果の人事。そこにあるのは純粋な結果を求める集団だった。

 一輝の担任でもある折木有里でさえも何も言わない。内心では何かしら思う部分があるかもしれないが、それはあくまでも襲撃前の話。

 生徒には言えないが、求められた結果は自分達にも反映される以上、ある意味では当然の事だった。

 

 

「って事は、龍……じゃなくて、風間龍玄が出場すると言う事ですね」

 

「そうだ。それと同時に純粋な戦力として考えた場合、黒鉄。お前が勝てると言う確証は我々は持つ事が出来なかった。だからこそ、今年に限っては、仮にどこかで戦った場合には、その条件は行使したと同じ権利を有する事にした」

 

 本来であれば黒乃の言葉に憤るのが当然だった。

 教育者であれば有りえない言葉。言外にお前は弱いと言われたのと同じだった。

 勿論、一輝としても考える所はる。しかし、これまでに肌で感じた感覚は明らかに自分との戦いに関しても、どこか抑えた様に戦っていると感じていた。

 本当の意味で全力で戦えばどうなるのか分からない。戦いには常に勝敗は付き物であるると同時に絶対は無い。

 戦う要素がどんな影響をもたらすのかは、その一瞬でしか分からない事実がある。そんな言葉など陳腐だと思える程に隔絶しているのも事実。

 それを誰よりも一番自分自身が理解しているからこそ、反論が出なかった。

 

 

「そうですか」

 

「随分と素直だな。本来なら憤っても良さそうだと思うが?」

 

「以前に非公開で戦いました。結果は惨敗です。それに相手は本気でもありませんでしたので」

 

「ほう…………」

 

 一輝の言葉に黒乃は少しだけ一輝の事を見直していた。

 何も考えない人間であれば、根拠のない反論をしたのかもしれない。しかし、今回の措置に関しては一輝にとってメリットしかない。そうなれば態度や言葉に何かしらの反応が出るはずだった。

 目を見据えたその先にある一輝には利己的な感情は一切浮かんでいない。己を良く理解したからこその態度なのだと考えていた。

 

 

「確かに僕はハンディキャップ有りで理事長とも戦いましたが、恐らく風間龍玄はそんなハンディキャップなど無くても問題無い程の実力を持っていると思います」

 

「その根拠は何だ?」

 

「明確な根拠と呼ばれる物ではありませんが、何となくです」

 

「何となく……ね」

 

 一輝の言葉に黒乃は少しだけ興味を持っていた。

 風間龍玄がどんな生徒なのかは寧音を通じて大よそながらに理解している。

 実際に本人に確認した訳では無いが、寧音が自分のプライドを全く考ずに話した内容からすれば、黒乃としては疑う必要は無かった。

 仮にそれが事実であれば、風間龍玄は紛れも無く裏の人間であると同時に、KOKはおろか、闘神リーグでも確実に上位に君臨するだけの実力を持っている事になる。

 そうなれな、七星剣武七星剣武祭は大人と子供の戦いでしか無くなる。それがもたらす未来もまた同じだった。

 だからこそ反論する事無くその事実を受け入れた一輝は予想以上にドライなのだと黒乃は考えていた。

 

 

「分かった。今回の件に関しても、我々の決定した事にお前の事情は考慮されていない。勿論、勝てるのであればそれに越した事はない。お前にも矜持はあるだろうが………済まないな」

 

「いえ。条件がどうであれ、自分に求められるのは勝利だけです。それに、完全に負ける戦いと言うのはありませんから」

 

「そう言ってくれるのであれば、私の方も助かる。だが、無理はするな」

 

「では失礼しました」

 

 一輝が扉を閉めると同時に、黒乃はそのまま煙草に火を点け、思いっきりそれを吸い込んでいた。

 火が付いた煙草は一気に灰へと変化する。ああは言ったものの、一輝の矜持に傷がついたのは間違い無かった。

 力無き教育者にどれ程の価値があるのだろうか。冷静に考えれば、学園の事情と一人の生徒の事情。比べる必要が有るはずが無い。

 幾らそう言い聞かせても、本音では自分自身もまた納得する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではお帰りになる際には声をかけて下さい」

 

「お手数おかけします」

 

 カナタは珍しく病院へと足を運んでいた。

 本人に問題があるでのはなく、また刀華のお見舞いでもない。訪れたのは風祭系列の病院だった。

 特別病棟のフロアにあるナースセンターから入る為のパスを受け取る。その先にあったのはこの病院の特別室に唯一入院している風祭凛奈のお見舞いに行く為だった。

 

 

「入りますね」

 

「ヒッ…………」

 

 カナタの顔を見た一人の少女は完全に怯えたままだった。

 詳しい事は分からないが、ここに運ばれた際には色々な意味でギリギリの状態だった。

 肉体だけでなく、精神までもが破壊されている。最初にここに来た際には聞かされた事実にカナタは驚きを見せていた。

 肉体は修復出来るが、精神は簡単には出来ない。今の凛奈の状態は常に何かに怯えていた。

 

 

「私は何もしませんよ。少しだけお話したいだけなので」

 

「…………でも、最後は何か……するんでしょ」

 

「どうしてですか。私と貴女は良き友人だったはずですよ」

 

「………信用出来ない」

 

 カナタの言葉に返事はするが、凛奈の視線は常に落ち着かないままだった。

 詳しい事は分からないが、襲撃者の一人が風祭凛奈である事に間違いは無い。それと同時に、風魔に拘束された事実も知っている。

 恐らくは何らかの事があった事だけは予想出来るが、その内容までは分からないままだった。

 

 ここに来る際に聞いた話では、壊れたと言ってもそれ程危険な状態では無く、それなりに時間が経過すればゆっくりと元に戻るはずだと聞いている。

 カナタもまた、その言葉を信用するからこそ、少しでも事実が分かればと思って足を運んでいた。

 未だ会話はままならない。今回の件に関しては、カナタは完全に蚊帳の外。

 当然ながら、普段はかなり親しくしている朱美でさえも、カナタには何一つ話さなかった。

 幾ら風魔と言えど人間である。感情がそこにあるからこそカナタもまたこれまで少しだけ心を許していた。しかし、今回の様に任務が絡めば厳しい態度に変化する。そこに有るのは完全な職業としての矜持だけ。

 龍玄が言う様に、部外者には関係の無い事実だった。

 疎外感はあっても、これまでの事を考えれば致し方無いとさえ考える。

 そう考えたからこそ、凛奈の放った一言がその事実を表していた。

 

 

「今は何も聞きません。少しでも力になれればと思っただけですから」

 

「そんな言葉……信用出来ない。帰って」

 

「では、また気が向いた際に足を運ばせてもらいますね」

 

 病室の外でカナタは大きく息を吐いていた。

 詳しくは分からなくとも、何かしらあったのは想像出来る。勿論、カナタ個人として考えれば、ここまでする必要は無いはずだった。

 

 本当の事を言えば、未来に係わるからこその欺瞞行為なのかもしれない。

 何故なら自分もまた、同じ立場なら同じ様になっていた可能性があったからだった。

 嫌が応にも戦場に出向いた当時を思いだす。

 凛奈を見て思ったのは、僅かな違いで自分もまたああなっていた未来があったのかもしれない。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

「有難うございました」

 

「風祭さん、人の話を聞かなかったでしょ。私達にもああなんですよ」

 

「そうなんですか」

 

「余程辛い状態だったのかもしれません」

 

 何気ない看護師の言葉にカナタもまた相槌を打つしか無かった。

 恐らくはここの病院が系列だからそう言っているのかもしれない。実際にカナタもまた凛奈が襲撃者の一人であるとと知っている為に、心中は複雑だった。

 やりすぎと言えばそれまでだが、風魔と風祭の間に交渉が決裂した事実が今に至る。

 だとすれば、自分もまた顔を見せない方が良いのかもしれない。重苦しい空気がカナタの胸中に宿っていた。

 

 

 


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