英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第49話 闇に生きる者

 先程までの戦闘は既に終わったからなのか、まるで音が消えたかの様に静まり返っていた。

 自分があれ程苦戦したはずの相手がまさかの子供扱い。それも攻撃を受ける事無く、一方的だった。

 仮面を付けている為に、その表情はこちらから窺い知る事は出来ない。がしかし、事実上助けて貰ったのもまた事実。

 本来であればお礼の一言も言うのが筋かもしれない。だが、今のステラにとってはそれが本当に正しいのかは判断出来なかった。

 

 何故なら、ステラの本能は今直ぐにでもここから逃げろと訴えかけている。少なくとも自分が対峙した際には確実に負けるのは必至だった。

 ランクがどうとかではない。純粋に自分と相手の技量が隔絶している。仮に攻撃したとしても一瞬で意識が刈り取られる事が容易に想像出来た。

 少なくとも先程の戦いは、まさに圧巻だった。

 

 お互いの戦っているはずの空気、いや、生きている時間の流れが余りにも違い過ぎていた。

 此方が一手動く前に、相手は既に五手以上動いている様にも見える。少なくともステラの眼に先程の動きを捉える事は出来なかった。

 それと同時に違和感もまた解消していた。あれ程の動きを見せる相手に、上段からの攻撃はカウンターの餌食にしかならない。

 攻撃の威力はともかく、少なくとも斬撃を放った後は完全に死に体にしかならない。下手をすれば全力で放った攻撃の全てがカウンターによって阻まれる程。

 表情にこそ出さないが、ステラの背中には先程までの戦いで出た熱い物ではなく、寧ろ自分を冷やす程に冷えた汗が滲み出る。それと同時に、まだこの国に来る前に勉強がてら見た映像の一幕が蘇っていた。

 

 

─────敵の敵は味方。だが、それが無くなった場合にはどうなるのだろうか。

 

 

 襲撃者を撃退すると言う目的はお互いの共闘の道標にはなる。しかし、三者が対立するか、若しくは各々の事情があればが大前提だった。

 事実、王馬を倒したまでは良いが、目の前の男は何処かと通信している様にも見える。所属が不明であるからこそ、今の内にどうすれば良いのか。そこにステラの葛藤があった。

 お礼もせずに立ち去るのは構わない。がしかし、仮に味方だった場合、その後はそれなりに面倒になる可能性があった。今の自分の立場。それが全てだった。

 だからと言って、敵だった場合は確実に今のそれは大きな隙となる。負ける事を良しとはしないが、少なくとも命の保証はされるかもしれない。今はまだお礼の部分での理性が勝っているが、本能は一刻も早くこの場から立ち去れと警告していた。

 

 

 

 

 

「そうか。了解した」

 

 通信を切ったと同時に龍玄は改めて王馬とステラを見ていた。既に意識を失っている今、恐らくはステラが何を考えているのかは直ぐに分かる。

 所属不明の人間。しかもこの状態を知らない者からすれば明らかに警戒するのは当然だった。

 他国の皇族が裏の人間や組織の事を理解しているとは思えない。自分でも確実にそうするだろうと考えていた。

 仮面から見える光景に敵性の気配は感じない。だからなのか、龍玄は何時もの任務と同じ様に接する事に決めていた。

 

 

「女。此奴はこのままここに放置しておく訳にはいかない。こちらで回収するが、今見た事は他言無用だ。仮に何者かにでも話せば、その命は保証しない。それが仮に外交問題になったとしてもな」

 

「何故なの。黒鉄王馬に勝ったなら誰かに言っても問題ないはず」

 

「こんな雑魚相手に喧伝した所で何のメリットがある?お前も見たはずだ。此奴と俺にどれ程の差があったかをな」

 

 男の言葉にステラもまたそれ以上は何も言えなかった。

 確かに言う様に一方的な攻撃を加えると同時に、無傷のままに終わるのであれば戦闘能力に大きな差があるのは明白。しかも周囲には漏らすなと言われたのも何となく理解していた。

 雑魚かどうかは横にしても、今のステラでは到底攻撃が届かない可能性もまた本能で理解していた。

 抜刀絶技を繰り出す瞬間を狙われれば、如何にステラとて無傷ではいられない。国際問題になる事を厭わないと公言した時点で、抗弁するだけの材料は何も無かった。

 気が付けば、男は倒れた王馬を引き摺る様に運んでいる。そもそもどんな目的がるのかも分からない今、呆然と見るより無かった。

 

 

「じゃあ、お礼だけは言っておくから!」

 

「無理はするな。そんな警戒した表情で言っても無意味なだけだ。それにこれは依頼だ。お前を助けた訳じゃない」

 

「それでもよ!」

 

 冷徹とも取れる言葉ではあったが、それ以上は言うだけ無駄でしかなかった。

 実際には国際問題にならないと言うのはこの国の政治家や官僚の話であって、現場には一切関係の無い話。ましてや学内に襲撃者が入り込んだ時点で、それを言うのはお門違いだった。

 今はまだ完全に混戦状態が終わった訳では無い。ステラもまた偶然王馬と戦っただけであって、この混乱に関しては局地的な事しか分かっていなかった。

 

 当然ながらこの場の戦闘が終わったのであれば、次に向かう事になる。この件に関しては色々と考える部分は多分にあるが、それを口にした所で何も変わる事は無かった。

 ならば先程の戦いを胸に秘め、自分を更に高める事へと思考を切り替える。

 ステラの双眸に映った男は、自分に色々な意味で衝撃を与えていた。

 視線が強めても男が振り向く事はない。まるでこちらの事など路傍の石だと言わんばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ……は」

 

 王馬は意識を取り戻すと同時に周囲を見渡すかの様に視線を動かしていた。

 暗闇の中で少しだけ光が見える。時間の経過と共に、ここが閉ざされた空間である事を理解していた。

 

 

「漸く気が付いたのか。手加減してあれとはな」

 

「貴様。よくも…………」

 

「本来ならあの時に命を消し飛ばした方がこっちも楽だったんだがな」

 

 暗闇が湧いたかの様に仮面の男の姿が徐々に鮮明になっていた。

 蒼き龍が描かれている。それは青龍である事の証。先程の事を言われたからなのか、王馬もまた憎悪の籠ったかの様な視線を投げつけていた。

 

 

「だったらさっさとこの命を奪えば良い。弱者は強者に従うより無いからな」

 

「お前程度の命を奪った所でそれ程の効果があるとでも?それとも、お前は道路を歩く際に、態々地面を見ながら歩くのか?」

 

 自分が拘束されてる事は直ぐに理解していた。後ろ手になって両方の親指が合わさる様に固定されている。幾ら強靭な肉体を持つ王馬と言えど、簡単に外す事は出来ない代物だった。

 

 

「俺が蟻だとでも言いたいのか?」

 

「お前を処分するなと態々話があったんでな。喜べ。()()()()()()()()()()()()()んだ。自分の産まれに感謝するんだな」

 

「あの家など、とうに見限っている。それがどんな意味がると」

 

「それ以上は守秘義務があるんでな。勝手に考えるんだな。それと、今回の襲撃に関してはほぼ鎮圧している。後は身柄を引き渡すだけだ」

 

 青龍の言葉に王馬はそれ以上は言うだけ無駄だと考えたのか、それ以上は何も言う事は無かった。

 実際に自分は完膚なきまでに敗北している。それも、自分の攻撃が届く事も無く。

 それは即ち自分と青龍の間にはまだ大きな差があるだけなく、その目的がはっきりと露呈したからだった。

 自分の力だけの話ではなく、その背後にある物まで。

 今の王馬には背負う事が無い物。その差が今回の件に至ったのだと考えていた。

 

 

「そうか………」

 

「俺はお前には毛ほどの価値も見出さない。王者がどうだととか言う前に、もう少し考えるんだな。世界はお前が考える以上に広い」

 

 それ以上の会話をするつもりが無かったからなのか、青龍はそのまま姿を消し去っていた。

 紛れも無く自分の技量を容易く超える。誰も居ない空間に王馬は静かに目を閉じると、そのまま動く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園がまだ混乱の中に叩き込まれている頃、まるで最近になって出来たからと思われた建物の中に倉庫の様な物が建っていた。

 周囲には人気配は何処にも無い。まるでここが張りぼてかと思える程に違和感があった。

 その違和感の原因は当事者以外には誰も分からない。しかし、そんな事など今の状況からすればどうでも良いとさえ思える程だった。

 そこに居たのは三人。そのうちの一人は完全に意識を失ったままだった。

 

 

「では、この裏切り者は貴方が直接処分すると言う事で良いのですね」

 

「当然だ。折角手塩にかけて技術を学ばせたにも拘わらず、こんな体たらくを招くとは。裏の人間にあるまじき行為だと思わないか?」

 

 お互いが話をしている場所に人気が無いからなのか、声を荒らげる事も無く、ただ壊れた玩具を見るかの様な視線を横たわる一人に投げかけていた。

 『解放軍』の重鎮、十二使徒の一人でもあるヴァレンシュタイン。本来であれば国際的にも指名手配される程の大物がこんな辺鄙な場所に居る。そんな人物と対等に話をしているのは、今回の襲撃を主導した平賀玲泉。あまりにも不釣り合いな組み合わせだった。

 

 

「その矜持はこちらには分からない感覚です。そもそも襲撃そのものは成功しているので、大きな問題は無いはずでは?」

 

「襲撃の成否など俺には関係無い。これはあくまでも師弟の中での事だ。他人が口出しをする必要はあるまい」

 

「そうでしたか。では私はこの後の処理があります。運んだ物を助けるもよし、供物にするもよし。好きにしてくださって結構ですよ」

 

 物を売買するかの様に二人の視線に熱は無かった。

 元々の予定では、横たわっている有栖院凪が主力を異能で縫い留め、こちらが一方的に蹂躙するはずだった。

 しかし、直前になっての有栖院の裏切りによって事態は僅かに修正する事になっていた。

 今の破軍がどんな状態になっているのかは、この二人には分からない。しかし、あの兵士の事もあったからなのか、玲泉はヴァレンシュタインに少しだけ確認したいと考えていた。

 

 

「その前に、一つだけ確認しておきたい事があります。破軍に襲撃をした際に、私の与り知らない兵士が居ましたが、それは貴方の仕込みですか?」

 

「俺がそんな手下など使う必要があるまい。何よりもそれを貴様が一番理解していると思うが?」

 

 感情のこもらない声の返事もまた同じだった。

 元々この場所に潜伏する様な人間が手勢を使うとは考えにくかった。

 疑問に思ったのは僅かな違和感あら来た物。幾ら作戦の詳細を知らされていないとは言え、無暗に発砲する必要性は何処にも無い点。ましてや今回の襲撃に関しても自分が主として動く以上は何らかの形で指示が下りてくるのは当然だった。

 

  指示系統など最初から無かったかの様に発砲したのであれば、自分が何らかの不慮の事故で亡くなって欲しい人間だけ。解放軍もまた一枚岩では無い事を理解しているからこそ、目の前に居る人間がそんな面倒な事をするのかと考えていた。

 当然ながら、その答えは無。違和感を拭いきれないままに時間だけが過ぎていた。

 

 

「………まあ、良いでしょう。そろそろ時間ですから私もこれで失礼させて頂きますよ」

 

「後はこちらでやる」

 

「当然です。態々師弟関係の事にまで口を挟む程野暮ではありませんから」

 

 

 一言だけ残すと、玲泉の姿はその場から消え去っていた。

 静まり返った空間。既にこの場にはヴァレンシュタインと有栖院凪しかいない。幼少の頃より仕込んだ数々の技術を生かした潜入は、ある意味では有用だった。

 本来の予定では先程別れたはずの玲泉が主導する計画にそのまま乗るはずだったが、結果的には今に至る。自分の人生の中でもそれなりに結果を出したはずの人間がまさかの欠陥品だった。

 そうなれば処分するのは当然の事。只でさえ、国に喧嘩を売る様な真似をした以上は、生きた証拠は不必要でしかない。

 温情を与えた結果、手痛い裏切りはこの世の常。だからこそヴァレンシュタインは横たわる凪を抹殺する事に躊躇いは無かった。

 光の様に集まる粒子は一本の剣へと変化する。隻腕でありながらも『剣聖』と呼ばれる程の技量であれば細首の一つ程度、断ち切る事は容易い。握られた剣を上段に構えようとした瞬間だった。

 

 

「そこに隠れてこそこそするのは止めろ!」

 

「何だ。漸く気が付いたのか。随分と詰まらない茶番劇を見させてもらった」

 

 ヴァレンシュタインは何もないはずの空間に向って言葉を吐いていた。

 ここはまだ公にはならないはずの場所でもあり、実際に日の目を浴びる可能性が少ない建物。当然ながらこの場所を知っている人間は皆無のはずだった。

 上段に構えようとした剣は既に中段へと変化している。突然の闖入者に警戒したが故の行動だった。

 何も無いはずの空間が僅かに歪む。先程までとは違い、そこに出てきたのは『鳶』の文字が描かれた仮面の男だった。

 

 

「茶番?部外者には関係の無い話だ」

 

「俺は確かに部外者だな。折角実力者がこの国に密入国したと聞いたから楽しめると思ったが、案外と拍子抜けだ。実に詰まらない」

 

 ヴァレンシュタインの言葉に嘲笑を交えながら仮面の男は話していた。

 元々ここに居たのかどうかすら分からない。少なくともヴァレンシュタインが気が付いたのは凪の頸を刎ねようとした瞬間だった。

 全身を突き刺すかの様な殺気。少なくともここ数年は感じた事が無い感覚だった。下手意識を向ければ、こちらの命が危険に晒される。そんな感覚があったからこそ、そこに何かが居る事を理解したからだった。

 

 

「それは貴様の価値観だ。この出来損ないを処分するだけの話。それよりも先程の話を聞いていた方が危険だ」

 

「おお、怖い怖い。弱者ほど吠えるのは何時の時代も同じ事か。さあ、俺の事など気にするな。さっさとその首を刎ねるが良い」

 

 男は最初から見ていたからなのか、ヴァレンシュタインと話をするつもりは毛頭無かった。

 まるで、間近で見る事が出来るショーの様に泰然としている。敵対したつもりは無かったが、今のヴァレンシュタインにとっては、快い物ではなかった。

 元々暗殺者としての生き方しか知らない。当然ながらその生き方は日常にも表れていた。

 気配を殺し周囲の状況を常に探る。これまでに襲撃された際には全て返討にしてきた人間からすれば、目の前の男は異様としか言えなかった。

 心なしか首筋に僅かに寒気が疾る。それが意味する事が何なのかは考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 密閉された空間での戦いは考え方によっては厳しくもあり、また、違う考えを持つのであれば有利な場所でしかない。

 限定された空間を自由に移動できる人間からすれば、この空間はある意味最高の環境だった。

 お互いがぶつかり合えばどんな結果になるのかはまだ分からない。しかし、自分の能力を考えれば、それは大きな問題になる程ではなかった。

 突如として現れた男は少なくともこちらの側ではない事だけは間違いない。自分達が関与している内容であれば、知らないはずがない。しかし、先程の玲泉との話の中で想定外の事実が発覚している。

 本来であれば解明すべき事案ではあったが、ここから移動する頃には既に襲撃計画そのものが完了している可能性の方が高いと考えていた。

 

 少なくともあの場には相応の実力者が送り込まれている。本来であれば、ここで横たわっている弟子もまた同じはずだった。

 明確ではないが、どこか歪な雰囲気で予定している歯車が狂い出している。本来であれば直ぐにでも原因の解明をしたい所だが、目の前に居る男が素直にさせてくれるとは思わなかった。

 仮面越しの為に表情は分からない。だが、確実に自分達を同じ裏の住人である事だけは間違いないと感じ取っていた。

 

 

「貴様に言われる筋合いは無いんだ。貴様こそこの場からさっさと消えて貰おうか!」

 

 ヴァレンシュタインは『隻腕の剣聖』と呼ばれているのは伊達では無い。

 本来であれば両腕ですら厳しいと思える程の剣速で相手を一気に屠り去る。一撃必殺のスタイルはまさに圧巻する物。

 幾ら相手の出方が分からないとは言え、手加減をする様な人間では無かった。

 

 

 肩から担ぐかの様に放たれる斬撃は示現流を思わせる程の勢い。一撃必殺を信条とするその方法とはどこか似通っていた。

 自身の膂力と魔力を一気に放出する。空間すらも斬り裂かんとする斬撃に仮面の男は何の素振りも見せなかった。

  このままならば脳天から一気に分断する。これまでに幾度となく見た光景だったからなのか、この後に起こるであろう結果に疑問すら持たなかった。頭上に届く瞬間、感じるはずの手応え。ヴァレンシュタインは何時もと同じだと思った瞬間だった。

 

 

「貴様、何をした?」

 

「何を?勝手に外したのは貴様だ」

 

ヴァレンシュタインが驚くのも無理は無かった。本来であればコンマ数秒語に感じる手応えはそこに無く、手に感じたのは地面を叩きつけた感触だった。大剣はそのまま地面を斬る。斬撃の痕はまるで今のヴァレンシュタインの感情を表しているかの様だった。

 

 

「そんなはずはない。今の斬撃は確実に貴様の頭蓋に向けた物。外す道理は何処にも無い」

 

「そうか………」

 

 会話をするつもりが無いからなのか、男の返事は簡潔だった。

 これから死にゆく者への(はなむけ)は不必要。そう言っているかの様な素っ気ない物だった。その瞬間、男の左いてには一振りの刃が現れる。限りなく短刀に近い長さの小太刀はどこか血の匂いを思わせる物だった。

 順手ではなく逆手。少なくとも剣術でどうこうするつもりが無いからなのか、まるでこの戦いを楽しむかの様な感情が流れ込む。

 未だ表情は分からないが、今のヴァレンシュタインには嗤っている様にも感じていた。正体がわからないが確実に自分と敵対している。だとしれば生きて返す必然性は既に失われていた。

 お互いの成長を確かめるかの様な剣戟ではなく、一方的に制圧する為の剣戟。それを意識したからなのか、ヴァレンシュタインは直ぐに思考を切り替えていた。

 

 

「少しは楽しませてくれ。でなければ興覚めだ」

 

まるで戦いを楽しむかの様に男の声は、この狭い空間に僅かに響いていた。

 

 

 

 

 

 僅かに聞こえる剣戟の音は少しづつ有栖院凪の意識を覚醒へと導いていた。

 ここにどうやって来たのかは分からないが、少なくとも破軍学園で自分は背後から刺された記憶だけは残されていた。

 詳細までは分からない。しかし、当初の予定とは大幅に何かが狂っていた事だけは間違い無かった。

 

 伐刀者による襲撃をする事によって破軍学園の出場を阻み、自分達が表舞台に躍り出る。これが当初の予定だった。

 実際に凪もまたその通りに動くはずだった。しかし、事態は思わぬ方向へと動き出す。

 元々予定に無かったはずの兵士の襲撃は瞬く間に学園内を混乱へと陥れていた。

 血と硝煙が混じる臭い。紛れも無く戦場のそれと同じ物。この瞬間、凪は逡巡していた。

 このまま当初の予定通りに動くのであれば、最悪は死者が出る可能性もあった。

 元々擬装用に用意された戸籍の為に、自分さえ問題が無ければ本当はどうでも良いはず。少なくともここに来るまでの自分であればそう考えていた。

 しかし、同室になった黒鉄珠雫との邂逅は嫌が応にも自分がまだ幼かったころを思い出させる。

 孤児の為に毎日の食事にもありつけず、事前に用意された仕事の報酬は正当な対価が貰えない。勿論、その事実を知る人間は限られていたが、それでも尚肩を寄せ合って明日に向って生きていた。しかし、事態は唐突に終わる。

 自分が守るべき物は最初から無かったかの様に惨たらしい結果だけが残されていた。

 昨日まで僅かでも笑い合って生きてい来たはずの仲間が、今はただの肉袋になっている。余程怖い思いをしたからなのか、目を見開いたまま絶命している子も居た。

 

────自分はなんて無力なんだろうか

 

 少なくとも凪にとっての家族の様な物はこの瞬間、完全に消失していた。そんな絶望を胸ぬ街中を歩いた際に拾われたのが、自分の師でもあるヴァレンシュタインだった。

 自分の気持ちを押し殺し、日々の努力と同時に根源となった感情を胸に抱く。そうして時間をかけて作り上げたのが、今の自分だった。

 本来であればこの件が終われば直ぐにでも学園を去るはずの予定。それをとどめたのは珠雫の存在だった。

 幾ら伐刀者と言えど、全員が確実に銃弾を防ぐ事は出来ない。これが単独で銃を乱射するだけであれば問題は無かった。

 しかし、襲撃した兵士は統率が完全に取れている。まだ銃器だけだから被害はそれ程では無いが、まともな装備をしていれば、学園内の生徒の大半は死傷している可能性があった。

 本人には言えないが、珠雫は以前の凪を思い出させる程に過ごしている。

 理性か本能か。その結果が今に至っていた。

 だからこそ、意識が覚醒したのであれば自分の命はまだ残されている。

 たとえ刺し違えても、襲撃は終わらせるつもりだった。

 意識が覚醒すると同時に、聴覚もまた元に戻り出す。片方は自分の師でもあるヴァレンシュタイン。しかし、もう一方に関しては記憶にすら残されていない人物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は言う程の実力は無いみたいだな。どうやら俺の買い被りだったか。それとも誰かと勘違いしたか…だな」

 

 仮面の男は相対する男を見ながらもひどくつまらないと言った感情を口にしていた。

 『解放軍』の十二使徒。隻腕の剣聖とまで言われた人間の攻撃は随分と単調になりつつあった。

 最初の斬撃は楽しめたが、それ以外は大したほどではない。ならば、まだその辺りに居るであろうチンピラを甚振りながら血達磨にした方が格段に面白かった。

 今の相手はただ剣を振るうだけ。異能が何なのかはともかく、この程度の玩具は直ぐに壊れる。そう考えていた。

 中段からの斬撃は確実性を高める為に胴体を狙っていく。攻撃の手順としては間違っていなかった。

 仮面の男は僅かに右足に体重をかけた瞬間、違和感を感じていた。

 まるで氷の上を歩くかの様に足の裏が僅かに滑る。それを察知したからなのか、ふわりとその場から跳躍していた。

 素早く左右の壁に苦無を投げつける。突き刺さった苦無は最初からそこにあったかの様にひっそりと存在していた。

 

 

「そんなちんけな代物とはな。解放軍の底の浅さが透けて見える様だ」

 

 仮面の男は既に興覚めしていた。

 足裏に感じた違和感は何らかの障害が発生している証拠。戦いの最中に調べる事はしないが、大よそながらに見当はついていた。

 足裏から感じたのは、この場所にも拘わらず、氷の上を歩く感覚。範囲がどこまでなのかは分からないが、少なくともそれが異能による物である事は予測していた。

 これが何も知らずに一気に動けば確実に足元は掬われる。致命的な隙を逃さずに刃を振るうのは児戯と同じ。男はそれをいち早く予測したからこそ先手を打っていた。

 四方に放たれた苦無の先には、目視でが難しい程に細い糸が付けられている。その為に地面に足を付ける事は一切無かった。

 跳躍したはずの躰は地面に着く前に空中で停止する。完璧な体重移動から為された行動によってヴァレンシュタインの異能は無効化されたのと同じだった。

 互いの足場に不備が無ければ、後は技量を比べるだけ。その未来が見えるからこそ男はつまらないと判断していた。

 

 

「まさかその程度の事で剣聖などと二つ名が付くとでも思ったか!」

 

 重力を感じさせず、また霊装特有の剣は本身のそれとは先らかに斬撃の速度が異なっていた。

 横薙ぎに振るう際には隻腕ではバランスを取る事は難しい。しかし、長年に渡る鍛錬により、両腕がある人間よりも鋭い斬撃を可能としていた。

 空中に浮く躰に向けた斬撃はこれまでの中でも最速を誇る。仮にこれまでの剣速で慣れたのであれば確実に幻惑される物。

 渾身の一撃がもたらす未来。だからこそヴァレンシュタインは叫ぶ様に口にしていた。

 

 狙われた躰の部位がどこなのかは予測出来る。しかし、動く速度がそれなりであれば、確実にその刃は回避された先へと向かうのは必至。だからこそ二の太刀要らずの一撃必殺が成立していた。

 剣閃が大気を斬り裂く。その先にあったのは先程まであったはずの男の躰ではなく、幻術の様に空を切ったに過ぎなかった。

 

 

「やはり紛い物は紛い物か。実に詰まらん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ヴァレンシュタインの唯一の腕は自身の躰から離れていた。

 肩口から斬れたからなのか、一呼吸だけ時間を置いて赤が夥しく噴出する。

 ベチャリと音を立てながら落ちたのは紛れも無く先程斬撃を振るったはずの腕だった。

 

 何時斬られたのかすら分からない。がしかし、ヴァレンシュタインが驚愕するだけの時間は与えられなかった。

 気が付けば自分の胸からは刃が生えたかの様に飛び出している。切っ先から滴り落ちる赤い液体は紛れも無く自身の物だった。

 

 

 


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