英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第28話 激突の後で

 連続して撃ち込む氷弾に意識を向ける事によって、珠雫は流れる様に次の行動に移っていた。

 周囲に対し攪乱する為に何かを出した所までは観客の目からも見えていた。しかし、そこから先はボヤケたかの様に見えにくくなっていた。

 その後に分かったのは四体に分裂した珠雫の姿だけだった。

 

 

「イッキ。シズクって本当はニンジャなの?!」

 

「ステラ興奮しすぎだよ」

 

「でも、分身の術よね。あれって」

 

 衝撃の展開に驚いたのはステラだけではなかった。観客はおろか、放送している人間でさえも絶句している。想定外の攻撃はただ茫然と見るしかなかった。

 

 

「そんな訳ないだろ。あれは周囲に自分の群像を映し出しただけだ」

 

「って事は、あれ全部が虚像だったって事だよね」

 

 若干興奮したステラの言葉を遮るかの様に龍玄は先程の現象を説明していた。

 実際にああ迄自分を鮮明に映し出すには相応の技術を要する。しかもそれと同時に自分の身体すらも隠蔽する技術は龍玄の目からしても賞賛に値する程だった。

 これが同じ風魔の人間でもやれるのかと言えば、恐らくは否としか言えない。それ程までに珠雫が行ったそれは高度な術だった。

 

 

「そうなるな。だが、短時間であれ程の事が出来るのは大した物だな。少なくとも、かなりの修練は必要になるだろう」

 

「そうなんだ……でも、龍がそこまで言うのは珍しいね」

 

「別に俺は常に辛辣な訳じゃない。ただあれは純粋に凄いとは思っただけだ。だが、戦いに於いては別だがな」

 

 龍玄の言葉に一輝もまたそれ以上の事は何も言えなかった。

 実際に刀華の鳴神は珠雫が作る氷の盾の様な物に阻まれている。一方の珠雫もまた驚きはしたものの、その後は直ぐに元に戻っていた。

 

 

「でも、ここまではシズクの方が優勢じゃないの?このままなら押し切れると思うんだけど」

 

「それは無理だな。少なくともあの瞬間にお互いの方針は決まったも同然だ。少なくとも珠雫が東堂を斬り伏せる事は出来ない」

 

「そう言われればそうだけど、でも魔力でなら」

 

「それが無理なんだ」

 

 ステラは決して珠雫を嫌っている訳では無い。寧ろ、一輝の妹が故に多少でも距離を詰めたいとさえ考えていた。

 お互いが相反するのは一輝が間に絡んだ時だけ。だからなのか、龍玄の言葉にステラは少しだけ眉尻が逆立っていた。

 

 

「ステラ。龍の言う通りなんだ。珠雫はステラ程魔力量が多い訳じゃない。少なくとも今の交戦でかなり消費しているはずなんだ。幾ら制御が出来たとしても、回復は別問題なんだよ」

 

「確かにそうかもしれないけど………」

 

「後は、決め手なんだよ。炎とは違い氷は時間が少し必要になる。そんな隙を東堂先輩が見逃すとは思えないんだ」

 

「確かにそうだけど………」

 

 刀華の二つ名でもある雷切は伊達では無い。電磁式の神速抜刀術から繰り出される居合いは、傍から見れば時間そのものを切り取った様にも見えている。

 居合いである以上は溜めが必要ではあるが、刀華の場合は自身の魔力を鞘の中で発生させることによってその溜めそのものを作る必要は無かった。

 事実上の射出に近い抜刀術はある意味では脅威でしかない。魔力を撃ち出すのと、抜刀術で斬り捨てるのではどちらが早いのかは、このメンバーの中ではステラが一番理解していた。

 だからこそ龍玄だけでなく、一輝の言葉も理解出来る。今の珠雫にとって、求められるのは致命傷を与える事が出来るだけの攻撃か魔力だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさかこれ程とは)

 

 珠雫は渾身とも取れる攻撃を止められた事に少しだけ戦術を変更していた。

 東堂刀華は色々な意味で情報を収集するにはもってこいの人物だった。

 七星剣武祭ベストフォーだけでなく、学内の序列一位ともなれば、少し調べただけで溢れる程に情報が手に入る。

 一年の頃の情報は無いが、翌年の二年次からの情報を珠雫は見落とす事無く調べていた。

 クロスレンジでの戦績は無敗。黒星を付けたのは七星剣武祭での最中だった。

 相手の戦術は刀華の攻撃レンジに入れる事無く自分の間合いだけで戦うやり方。見方によっては卑怯だと罵る人間もいるかもしれない。しかしながら、その戦術は極めて合理的な物だった。

 

 事実、槍と刀の間合いはかなり違う。クロスレンジで無敗は少なくとも噂だけの話では無かった。だからこそ珠雫も今回の戦いに於いては徹底的に間合の制御を優先していた。

 自分にだけ有利に運ぶ事が可能であれば、少なくともこちらの方が有利になるはず。そう考えた末の戦術だった。

 しかし、蓋を開ければ開幕直後の攻撃は珠雫もただ驚いていた。これまでの刀華の戦術は『後の先』。相手の攻撃を最大限に活かした戦法だった。

 殆どの攻撃が至近距離から発動する。そうなれば、当然ながら自分の攻撃の一部もまた自分に牙をむく事になる。

 自爆でダメージを受ける訳にはかない。そうならない様に最新の注意を払っていた。

 だからこそ気が付けた一撃。まるでこちらの攻撃を事前に知っていたかの様に、速攻でのクロスレンジを凌げたのは僥倖だった。

 

 

「まさかとは思いましたが、開幕速攻ですか。随分と焦ってるみたいですね」

 

 刀華に向けた挑発の言葉は、まるで何も無かったかの様に返されていた。それと同時に、珠雫の中で勝利に向けての可能性を常に考える。挑発もまた時間稼ぎに過ぎなかった。

 感情を切り離し、思考は常に三手先を考える。今の刀華に対し、十手先までの戦術を考える事は事前予想よりも厳しい状況だった。

 コンマ数秒ごとに勝利と敗北のプランが次々と浮かんでは消えていく。後の先だけが刀華の持ち味だと勝手に妄信したツケがここで重くのしかかっていた。

 

 

 

 

 

(さて、ここからどうする)

 

 珠雫の攻防に刀華も当初は焦りを生んでいた。

 しかし、その攻撃の由来が魔力であると同時に、四体の幻影はどれもがフェイクである事は直ぐに知れていた。

 

 『閃理眼』は体内の電気信号を視覚化する。本来、人間が何らかの行動を起こす際には電気信号が起こり、その後で行動に移る。

 本来であればこれが生きる物の基本のはずだった。しかし、小太郎との戦闘はその概念さえもが覆されていた。

 閃理眼で捉えるまでに行動に移る。生命体であれば当然の事すら、小太郎が行った行動はあり得ない事実だった。

 それと同時に刀華はその理屈を正しく理解していた。

 幾ら見えたとしても、それを認識するまでには必ずタイムラグが存在する。

 視覚から脳へ情報が行き、その後、肉体に対して信号を送るまでに既に動いているのであれば、結果的には見えていないのと同じだった。

 

 事実、自身の雷切とも言える居合いが完全に潰されたのは、刀華自身が完全に理解していなかったからだった。無意識の過信。小太郎はそれを突いた結果だと考えていた。

 小太郎と対戦していなければ珠雫との戦闘でも苦戦した可能性があった。しかし、その無意識の過信が無い以上、今の刀華からすれば珠雫との交戦は、後の先としての動きだけで捌く事が可能となっていた。

 驕る事無く自身の出来る最大の事を最小限で行う。たったそれだけの話だった。

 出来る限り脱力し、その瞬間を待つ。納刀した刃は既に迎撃態勢に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この対戦を傍から見れば誰もが予想しない展開になりつつあった。

 少なくとも今回の予選会の中で刀華の試合を全て見ている人間からすれば違和感だけが残っていた。

 その最大の理由は刀華がまだ二つ名の由来でもある居合いを一度も行使していない点だった。

 ミリ単位の体捌きを行使し、攻撃を常に回避する。対戦相手からすれば悪夢以外の何物でもなかった。

 ミリ単位ともなれば攻撃を完全に見切らないと行使する事は出来ない。それ程までに刀華の動きは洗練されていた。

 当然ながら対策を誰もが考える。それはこれまでの戦績を考えれば、ある意味では当然だった。

 クロスレンジ最強であればその反対にミドルレンジロングレンジでは対策を立てている。誰もがその考えの下に戦っていた。

 しかし、珠雫はそうは考えなかった。最初から事実上のクロスレンジに入る為に幾つもの戦略を練っている。それが今回の分身にも繋がっていた。

 視界から自身の体躯を排除する事によって死角を突く。まさかその戦略さえもが敗れた事に観客の殆どが、これから先がどんな展開になるのかを考えずにはいられなかった。

 

 

「思ったよりもやりますね」

 

「そうですか。少しは上級生としての役割も果たせそうですね」

 

 挑発めいた珠雫の言葉を刀華は何事もなかったかの様に受け流す。先程までの激しい動きとは変わり、今はお互いが静寂を保っていた。

 舌戦にすらならないまでも、お互いが次の行動を読みあっている。それから先に繋がるのは一筋の細い道。それを如何に踏み外さない様に動けば良いのかをお互いが探っていた。

 

 

「そうでしたか。ですが、それもここまで…です」

 

 珠雫は刀華の動きを読む事を放棄していた。厳密には放棄したのではなく、敢えて目標を決めずに適当に攻撃を放っていた。

 一流の伐刀者はその視線だけで攻撃の意図を読み解く。一輝が相手の動きを観察し、それよりも早く行動する事を妹でもある珠雫も理解していた。

 そうでなければクロスレンジで勝ち続ける事は出来ない。珠雫はそう考えていた。

 

 故に散弾の様に飛ばした氷弾は刀華にだけ向けて発射されていない。一見、無意味だと思われる箇所にまで放っていた。それと同時に、異なる攻撃を加える。

 先程放った散弾代わりの氷弾の弾幕の後ろでは新たな攻撃をすべく、氷点下にまで下げた水球を放っていた。先程までの様に直接的な攻撃ではなく、搦め手として攻撃を続ける。

 

 魔力の消耗度合いが激しいのは仕方ないが、今の珠雫にとって刀華を相手取ってのクロスレンジでの攻防は厳しい結果だけが待っているのは間違いない。

 だとすれば、確立を僅かでも引き上がる事によって勝利を手繰り寄せる。この搦め手が完全にきまるかどうかによって珠雫の今後の戦略がどうなるのかを裏付けていた。

 

 

「同じ手は通じない!」

 

 放たれた散弾を刀華は先程と同じ様に捌いていた。

 少なくとも最初の段階で飛来した氷弾を全て弾き飛ばしている。その事実を前提にすれば、明らかにこの攻撃は悪手だった。

 一点だけを集注させるのではなく散弾にする事によって被弾率を上げる。これが残された手段だと考えれば完全に自分を馬鹿にしている様にも思えていた。

 散弾を防ぐことによって次の攻撃の意図が見えない。

 少なくとも刀華は今、この瞬間までそう考えていた。

 

 最後の氷弾を叩き落とす。次の攻撃を意識していたはずのそこには何も無かった。

 しかし戦いの最中に集中を切らす訳にはいかない。だからなのか、不意に飛んできた水の塊に刀華の反応は僅かに遅れていた。

 氷とは違い水を切った所で何も変わる事は無い。精々が少しだけ濡れる程度に考え、そのまま水球を斬りつける。当然の様に塊はそのまま破裂しただけだった。

 

 

「何……これ」

 

 刀華が驚くのは無理も無かった。先程までただの水だと思った物が瞬時に凍結し始めている。

 珠雫が放ったのはただの水球ではなく、氷点下にまで温度を下げた物だった。本来であれば水を氷点下にまで下げれば凍結する。しかし、液体を保ったものは衝撃を受けた瞬間に凍結し始めていた。

 これが只の水であれば凍結した所で問題にはならない。しかし、珠雫が作り上げたそれは、これまでの常識の範囲から外れた程の物だった。

 濡れた刀華の足元から急速に凍結が襲い掛かる。ブーツの上の部分まで凍結するのに然程の時間を要しなかった。

 あり得ない事実に刀華もまた意識が足元へと向かう。千載一遇の好機。珠雫は刀華の意識が自分から離れた瞬間を逃す程愚かではなかった。

 

 

 

 

 

(ここが最後の正念場!今しかない!)

 

 刀華の意識が足元に向った瞬間、珠雫は一気に勝負を仕掛ける事に躊躇しなかった。

 これだけの魔力操作をするとなれば、当然ながらそれなりの代償を払う事になる。

 魔力量が多く無いのであれば、より細かく緻密に操作する事によって、これまでの自分の攻撃方法を一変させていた。

 

 直接攻撃を放った所で回避される可能性が高い事は事前の段階で確認している。

 だとすれば自分の出来る範囲の事で考えれば今回のやり方はある意味では有効だった。

 

 渾身の幻影を使った攻撃が防がれた事は流石にショックだったが、珠雫の中ではあの攻撃を防いだのは偶然だと自分の中で消化している。

 仮に悩んだ所で事態が急転する事はない。

 詳細に検証するのはこの戦いが終わった後でも問題無いだろうとの判断だった。

 

 散弾の様に放った氷弾を餌に、全く異なる攻撃を混ぜる。あの瞬間、刀華は確実に迷った様に見えていた。

 見知らぬ攻撃を自ら受けようなどと思う人間は早々居ない。だからこその水だった。

 珠雫の予想通り、刀華はこれを容易く切断する。そこから先の珠雫の判断は皆無に等しかった。

 凍結も通常の物ではなく自身の魔力を多分に含めている為に、速度とその強度は尋常ではなかった。

 行動を開始した為に刀華の詳細までは見ていないが、少なくとも二秒ほどで膝下までは完全に凍結する。動きを封じさえすれば、後は作業と変わらない内容。珠雫は固有霊装でもある小太刀を逆手に、そのまま刀華へと疾駆していた。

 

 

「やぁああああああ!」

 

 珠雫の声に刀華もまたここが正念場だと判断していた。自然現象では片付ける事が出来ない現象は明らかに魔力由来の攻撃。

 凍結の速度が速い事からこれが明らかな攻撃か、若しくはそれに近い物だと判断していた。

 それと同時に一つの決断を下す。逡巡するまでもなく珠雫から来るのであれば、そのまま迎撃すれば良い。刀華の思考は実にシンプルだった。

 既に決着をつけるべく動いている以上は遠慮はしない。

 まだ完全に物にした業ではないが、これもまた実戦だと思い、まだ完全に凍結していない足を強引に動かし、そこから脱却していた。

 迫る珠雫に対し、刀華は改めて納刀したまま腰だめの構えを取る。

 これまでに幾度となく構えたそれに澱みは無かった。

 その瞬間、全身に身体強化以上の魔力を込める。足腰に満たされた雷はそのまま刀華の姿をかき消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程まで互いの攻防が繰り広げられた会場は静寂を保っていた。先程までとは違い今はお互いの姿だけがその場に残されている。

 お互いに握られた霊装は既に役目を終えたと言わんばかりにその姿をゆっくりと消していた。

 その瞬間、珠雫の体躯が地面へと崩れ落ちる。刹那の攻防に何が起こったのかを理解出来たのは会場内のごく少数だけだった。

 珠雫が倒れた後で刀華もまた膝をつく。それぞれの攻防が高度だったからなのか、その瞬間会場内は堰を切ったかの様に湧いていた。

 

 

「あれは一体…………」

 

「恐らくは肉体に何らかの負荷をかけたのか、それを一気に放出したんだろうな。それと同時に抜刀している。今の珠雫は自分がどうやって斬られたのかも理解していないだろう」

 

「龍は見えてたの?」

 

「ああ。すれ違いざまに二度抜刀している。幻想形態にしてた様だから命に別状は無いだろうな」

 

 一輝の言葉に答えるかの様に龍玄は先程の攻防を視認していた。

 あれ程の速度を出した為に肉体の限界を超えた可能性が高い。恐らく膝をついたのはその為だとは予測していた。

 それと同時に、二度抜刀した事もまた龍玄の意識を改めていた。

 少なくとも龍玄の知る東堂刀華は、居合いによる抜刀は一度だけだったはず。にも拘わらず、先程の光景はそれを凌駕していた。

 キッカケは小太郎との交戦。それを元に対策を立てた事だった。

 

 

「まぁ、誰もが同じ場所で停滞してる訳じゃない。昨日よりも今日の方が状況が良くなる可能性があるのは当然だな」

 

 無意識の内に握り込んだ一輝の手を見たからなのか、龍玄はさも当然だと言わんばかりに答えていた。

 実際にあの光景を見て対戦するのであれば、更なる選択肢が増えた事になる。

 予選会はまだ続いている以上は、刀華の存在を無視する訳には行かなかった。

 

 

「確かにそうなんだけど………龍だったらどうする?」

 

「俺か?別に気にする程じゃない。あの程度の攻撃なら()()()()()()

 

 攻略法を聞いた一輝の眼が大きく開いていた。

 元々龍玄がどれ程の技量を持っているのかは何となく理解している。

 先程の刀華の攻撃を考えれば、何らかの対策もあるはずだと考えていた。

 しかし返って来た答えはその程度の認識。龍玄が居るのはどれ程の世界なのだろうか。一輝はそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東堂の最後の攻撃は中々見事だったな」

 

「それは認めるけど、あれはまだ未完成も良い所さね。少なくとも実戦ではまだ使えないって所だね」

 

 理事長室のモニターに移っているのは倒れた珠雫を搬送している場面だった。

 元々今回の戦いがどれ程の物になるのかを予測していた側だった為に、結果そのものに波乱はなかった。

 しかしその内容には多少なりとも目を見張る部分があった。それは珠雫の魔力制御とその使用方法。

 少なくともこれまで刀華と対戦した相手はいかに自分の間合いで攻撃を続けるのかに腐心していた。

 それは昨年の七星剣武祭でも同じ事。オープニングの攻撃を見なければ、よくある戦いの一つでしかなかった。

 しかし、いざ蓋を開ければ珠雫の間合いはどちらかと言えばクロスレンジよりの攻撃が多かった。

 目くらましや搦め手で刀華の間合いと行動を潰し、その間に自身が一気にケリを付ける戦法は、少なくともこの二人が見た事は無かった。

 

 

「だが、着眼点は悪く無かった。ただ、絶対的な経験が足りないのかもしれないな」

 

「確かに黒鉄家と言えど、何でも出来る訳じゃないし」

 

 改めて煙草に火を点けゆっくりと吸い込む。

 肺にまで充満した煙をゆっくりと吐き出すと、黒乃は今回のやり方に手応えを感じていた。

 実際に会場に足を運んだ訳では無いので観客の様子は分からないが、少なくとも先程の戦いは本選に負けるとも劣らない攻防であったことは間違いない。

 だからこそ、今後の組み合わせが波乱を呼ぶのかは何となく予測していた。

 

 

「黒鉄妹は出来る事なら実戦経験を踏めばさらに上のステージに行けるかもしれんな。寧音、お前ならどう見る?」

 

「どうって?」

 

 黒乃の言葉の意味を寧音は正しく理解していた。しかし、寧音の立場からすれば今の珠雫はまだまだ話にもならないレベル。仮に当時の自分と比べても隔絶した差があるのは今更だった。

 今の珠雫には決定打が無い。恐らくは最後の決め手となった攻撃も、代替え案が無かったから故に出ただけの話。

 決め手がない人間との対峙など、最初から眼中にすら無い。黒乃とてそれを理解した上での質問ならば寧音も本音を言った方が良いだろうと考えていた。

 

 

「だから経験をどうするかだ」

 

「今のあれの家では不可能だよ。そもそも、あの当主が何を考えているのかは知らないけど、純粋な戦闘力だけを見れば黒坊の方が上。乱戦に持ち込む前に勝敗を付ける様なレベルに仕上げるのが基本だよ」

 

「お前が面倒を見てもか?」

 

「それこそ無意味。そもそもそんな時間が私にもある訳じゃないし」

 

「だろうな。聞いてみただけだ」

 

 現時点で実戦経験をこなしている人間は公式には二人。東堂刀華と貴徳原カナタだけ。

 非公式では風間龍玄だけ。黒乃の立場でも昔の伝手を頼れば魔導騎士連盟が秘匿している一部の事実を知る事は出来る。

 

 実際に公的なアナウンスは無いが、刀華とカナタは戦場で一度は苦杯を舐めている。戦場が故に聞いている事が奇跡でしかなかった。それを実行したのは風魔の人間。それも同じ学園に通う生徒だった。

 風魔の内容はともかく、実際にどれ程の経験を積めばああなるのかは分からない。

 そんな人間に並ぶまでは行かなくとも、そんな高みに行く為の手段と素材を考えれば、良い意味で今年はタレントが揃っていた。

 比べる前提さえ間違えなければ、今回の本戦は優勝かそれに近い所までは行けるはず。既に何も映さない画面をぼんやりと見ながら、そんな取り止めのない事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは小太郎の対策をした結果か?」

 

「そうだとしたら?」

 

 人気が無い通路を歩く刀華を待っていたのは龍玄だった。

 壁にもたれ刀華が来るのを待っていたからなのか、刀華の表情は先程の勝利の余韻を持つ事は無かった。

 それと同時に何故ここにいるのかすら悩む。しかしながら、今の刀華には何かをするだけの余力はそれ程無かった。

 

 

「まぁ、あれなら多少は見れた物だな」

 

「お眼鏡に適ったと?」

 

 龍玄の傲慢とも取れる物言いではあるが、刀華はそんな感情を持つ事は無かった。

 刀華の知る側からすれば、あの業は龍玄が普段から使う物と酷似している。業そのものを真似たのではなく、自身の力だけで来たからなのか、刀華は内心では自信を持っていた。

 

 

「あれが異能を使わないなら、そうかもしれんな」

 

「……そうですか」

 

「ならば早急に完成させるんだな。その上で新たに挑むと良いだろう」

 

「立場的には良いんですか?」

 

「あの程度で粋がるな小娘。試合ではなく死合なら存分に構ってやる。尤も意識が残るかは知らんがな」

 

 僅かに細まる龍玄の目は既に何時もとは違い、風魔の任務で見るそれだった。

 不用意な発言をした事により、冷ややかな空間に刀華も改めて自分が対峙した人間が誰なのかを実感している。

 

 先程までの空気は既に沈黙し、今のこの空間を支配しているのは紛れもなく小太郎と同じ物だった。

 余りにも違い過ぎる雰囲気に刀華は思わず息を飲む。迂闊過ぎた言葉が意味するのは明確な死。カナタを通じてどこか身近なイメージを持っていたが、それはあくまでも一方的にこちらが譲歩した結果だった。

 風魔の詳細は分からなくても、小太郎の技量がどれ程の物なのかは何となく理解したつもりだった。

 しかし龍玄の言動に、それすらも及ばない事を理解している。風魔と並ぶのは偏に同じ道を歩む事を意味する。

 刀華もまた人知れず修羅の道を歩んでいた事を理解させられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イッキ。シズクの所には行かなくても良いの?」

 

「今は行かない方が良い。色々と頑張って来たんだ。自分の中で消化する時間も必要だよ」

 

 劇的な決着であると同時に、あの間合は完全に珠雫が支配していた。これが刀華で無ければ確実に珠雫の頭上に勝利が輝いていたはず。にも拘わらず、事実上の真正面から刀華は反撃をしていた。

 

 それと同時に瞬時に放った二度の斬撃。速度が乗った抜刀術は通常以上の威力を有していた。

 一輝が口にする前に龍玄が放った言葉。一輝もまた最後の攻撃が事実上の特攻ではなく、何らかの中距離攻撃か若しくは高火力の攻撃があれば今の状況になっていなかったと判断していた。

 口には出さなくとも何らかの感情には出る。それをステラよりも一輝の方が理解しているからこそ、今はただ静観した方が良いと判断していた。

 

 

「そう………でも、最後のトウカの攻撃も厄介よね」

 

「そうだね。まるで龍の攻撃を見ているみたいだったから」

 

「そう言われればそうだけど……」

 

 ステラの言葉に一輝は一つの可能性を考えていた。

 刀華は自身の異能を使用する事によって、あの速度を維持している。しかし、龍玄に関してはその限りではなかった。

 これまでの予選会で一度も異能の力を使用した形跡はなく、寧ろあの速度でさえも体捌きや純然たる肉体だけで維持している。

 身体強化すらしていない状態であれだと仮定した場合、本来の力はどれ程になるのだろうか。

 未だ一輝は龍玄とは対峙していない。そんな事を考えていたからなのか、一輝は少しだけ物思いにふけっていた。

 

 

「イッキ。どうかした?」

 

「いや。僕ならどうした物かと思ったんだよ」

 

「そう。その割には少し表情が暗かったみたいだけど」

 

「大丈夫。大した事じゃないから」

 

 一輝が気が付いた時にはステラの顔は至近距離にまで近づいていた。あと少し近寄れば互いの唇が振れる距離。それ程までに近寄るステラに気が付く事無く一輝は思考の海へと潜っていた。

 

 

「イッキ。悩むなら私にも教えて欲しいの。私だけが何も知らないのは……」

 

「そんなつもりは無いんだけどね。でも、考える事があればステラには必ず相談するから」

 

 同じクラスで朝の鍛錬も同じ事をする時間が増えたからなのか、龍玄の事を知っている気にはなっていた。しかし、刀華の一戦で改めて本当の意味で理解していない事を理解する。

 一輝の胸中には少なくとも最大の難敵は刀華ではななく、親しく友人でもある龍玄である事を認識していた。

 

 

 


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