英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第19話 舞台裏

 先日まで一方的なストレス解消の舞台として選ばれた道場は、蔵人の言葉がそのままだったからなのか、人の気配は微塵も無かった。

 通常、道場主がしっかりと手入れしているのであれば、幾ら古めかしいとしても、どこか神聖な空気が漂う。しかし、今の龍玄の目に映る道場は道場ではなくただの空間にしか見えなかった。

 先日の戦闘によって床の一部が損傷し、壁も落書きとも言える物で埋め尽くされている。ここに来る際にも見た外壁も、本来であれば白を基調としたはずが、同じように落書きによって汚されていた。

 それは少なくとも昨日今日やった物ではない。それなりに時間が経過している様にも見えていた。

 

 

「どうだ?どれ位で出来る?」

 

「そうだな……道場込みで半月から一ヶ月は欲しい。急ぐならもう少しかかる」

 

「多少の費用はかかるのは仕方ない。出来るだけ半月程度で仕上げてくれ」

 

「随分と急ぐな。何も目的でもあるのか?」

 

「いや。使うなら早々に使いたいだけだ。青龍としても動ける拠点があれば楽だしな」

 

 龍玄の言葉に隣に居た男は不意に疑問をぶつけていた。

 元々この道場の所有者は龍玄ではない。綾辻海斗なる人物の所有物件だった。

 本来であれば所有者の意志を確認せずに勝手に事を進める事は出来ない。しかし、道場の所有権をかけた戦いをしていれば話は別だった。

 詳細までは知らないが、龍玄はあの後、この道場が蔵人に映った経緯を調べている。当時の経緯はともかく、それが分かれば話が実に簡単だった。

 道場の所有権云々はともかく、道場主でもある綾辻海斗は倉持蔵人に倒され、今に至っていた。

 

 道場主が道場破りに負けた事によってその財産が奪われる。今では聞く事が殆どなかったが、当時はそれを是としていた。そしてその結果が今に至る。

 その理屈からすれば、蔵人が道場主だった際に負けて献上したからこそ、所有権が龍玄に移譲されている。現代でも早々ない事案だった。

 

 

「確かに……最近はあの会社の関係もあるからな。少しは配置が多すぎるとは思うが」

 

「実際には報酬も出てる以上は無理に言う必要も無い。先日も朱雀がそんな事を言っていたがな」

 

「そうか……頭領にも頭領の考えがあるんだろう」

 

「ふん……親父の考えなんて早々分かる訳ないだろう」

 

「相変わらずだな。だが、このままだと、いざという時に人が足りなくなるぞ」

 

「その対策も含めてるんだがな」

 

「成程な……早々に昇格させるつもりか」

 

「そんな所だ。だが、実力に満たない者を引き上げるつもりは無い。あくまでも実力を見てからになるがな」

 

 龍玄の言葉に男もまた少しだけ納得した部分があった。

 風魔の中でも青龍の部隊が実際には大多数を占めている。純粋な戦力としてだけでなく、何かと派遣する場合もまた青龍の領域だった。

 風魔と言えど、全員が精鋭ではない。まだ一人前と呼べない下忍レベルの人間はひたすら鍛錬を続ける以外に無かった。

 

 

「とにかく費用をかけても良いなら半月で終わらせるさ」

 

「ああ。頼んだぞ」

 

 既に状況を確認しているからなのか、何人かが草臥れた道場を隅々まで確認している。元々風魔の工作機関部門でもある玄武の人間だからなのか、仕上がりに関しては心配する必要は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうしてそんな回りくどい事をする?正式に戦えば良いだけの話ではないのか?」

 

 普段は人気が無いはずの理事長室には三人の人影があった。

 この部屋の主でもある新宮寺黒乃、その友人の西京寧音、そして生徒会役員の貴徳原カナタ。

 誰が何の為に来たのかを改めて言うつもりはない。事実、理事長室の中で黒乃と寧音の前には湯飲みが置かれていたが、カナタの前には置かれていない。それが意味するのは実に単純な話だった。

 

 

「最初はそのつもりでした。ですが、こちらにも都合がありましたので、敢えて今回の様に出来ないかと相談に参った次第です」

 

「そうは言うが、ここでは私が決める事だ。基本的には特例扱いはしない」

 

 黒乃の言葉は当然だった。以前の理事長であれば多少なりとも外圧を加えれば簡単に折れる事はカナタも知っている。事実、とある機関支部からの外圧を受けている事は生徒会でもカナタと刀華、泡沫の三人が知っていた。

 

 本来であれば規定が無い事を理由に、もっともらしい内容をでっち上げた時点でそれなりに問題を孕むが、実際にはそれ程大きな問題にはならなかった。

 規定が無いから新たな基準を学園側が設けたと言われれば、その内容がどうあれ建前は成立する。そうなると幾ら内容に問題があったとしても、生徒会側としても学園に対し何も言う事は出来なかった。

 

 事実、Fランクの生徒が黒鉄一輝しかいないのであれば、学園の運営そのものには問題は無い。そんな経緯があったからこそ、今の黒乃が理事長になった際に大鉈を振るっていた。

 当時の役員や上層部は軒並み排除。これまでの様にランクだけに囚われた選考内容やカリキュラムから一転して、基本的な内容以外の全部を実戦主義へと舵を切っている。

 幻想形態を主体にしていた模擬戦を実像形態へと変更していく。これが全員に適用されるとなれば反発は起きるが、生憎とそれに関しては希望者のみとなった事から、異論が起こる事はなかった。

 そんな事は生徒会役員でもあるカナタが一番理解している。しかし、今後の事を考えれば確実に無理だと言う事も予想出来ていた。

 そもそも相手はこの七星剣武際には何の関心も持っていない。この予選会に関しても精々が暇つぶし程度の認識しかないのは、この中ではカナタが一番理解していた。

 

 

「私は特別扱いしろと言ってるわけでは無いんです。ただ、日程が合わないからずらしてほしいだけです」

 

「……で、本心はどこにある?このままだとお前の勝ち星は堅く、相手の黒星も確定する。態々不利になる必要はないだろう」

 

「私は勝ち負けを意識している訳ではありません。事実、今戦っても私が負けるのは確実でしょうから。これは私の我儘だと言う事は理解していますので、この戦いに関する戦績は黒星でも構いません」

 

「そうか……」

 

 黒乃の言葉にカナタが怯む事は無かった。元々今回の対戦相手の事を考えれば、どちらが勝つのかは口にするまでもなかった。

 黒乃だけでなく、寧音もまたあの男を止める事が出来る人間が学園内に居るとは考えていない。

 事実、黒星が先行しているのは偏に試合当日が棄権扱いになっているからだった。それと同時にその正体を考えれば頷けるのは必然でしかない。

 ましてや今の部屋割りや状況を遠回しにでも聞いているからこそ、黒乃はそれを口にしなかった。

 態々生徒を風魔に縁がある人間に対峙させて、魔導騎士としての高い資質を持った人生を終わらせたいとは思っていない。ましてやカナタは学園の序列二位。それがもたらす物は何であるのかすらも理解していた。

 

 

「……先程の言葉に偽りは無いな?」

 

「はい。でなければそんな話しはしませんので」

 

「分かった。特例として認めよう。だが、戦績に関しては互いに黒星となる。それが最低限の条件だ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 黒乃の言葉にナカタはゆっくりと頭を下げ、その後退出していた。

 先程までのやりとりを他所に寧音は少しだけ面白い表情をしながら黒乃を見ている。それが何を意味するのかを知っているからなのか、黒乃は寧音の事を意図的に無視し、誤魔化すかの様に煙草に火を点けていた。

 

 

「いや~青春だね。見てるこっちが恥ずかしくなりそうだっさね。そう考えるとくーちゃんも年取ったね」

 

「何が言いたい?」

 

「前までならあんな暴挙許さなかったと記憶してるけど、まさかそう来るとは……良い物が見れたよ」

 

 揶揄うかの様な物言いではあるが、その件に関しては内心色々と思う事が多かった。

 一番の問題はカナタが序列二位である事と同時に、次の対戦相手が誰なのかだった。

 対戦相手は互いに知っている。勿論、教員側が知らない訳ではない。次の対戦カードは『貴徳原カナタ対風間龍玄』出来る事なら衝突してほしくない内容だった。

 

 事実、カナタに関しては何の問題も無いが、龍玄は少しだけ問題があった。これまでの戦績は三勝四敗。数字だけ見ればよくある数字だった。

 しかし、詳細を調べれば内容は直ぐに分かる。

 負けは基本的には学園を休んだ日だった。突発的な物であれば逃げたとも言えるが、元々スケジュールが決まっていたかと思う程にその日程に該当していた。

 当然、棄権扱いの為に黒星が進む。今回の件に関しても、仮に互いが出なかったとしても龍玄からは既に休む旨の書類が提出されていた。

 

 

「馬鹿な事を言うな。貴徳原の言う事は分かる。だが、学内の序列二位が秒殺で負ける事実はあまり望ましい物じゃない。お前も知ってると思うが、風間の勝っている時の対戦時間は知ってるだろう」

 

 余程思う事があったからなのか、黒乃は無意識の内に二本目の煙草に火を点けていた。肺に入った煙がゆっくりと体内から抜けていく。紫煙をくゆらせるその姿は少しだけ疲労が滲んでいる様にも見えていた。

 

 

「確かに、総試合時間が一分にも満たないとなれば、誰だって考えるってもんさ。でも、それと序列とどう関係があるって?」

 

「私が理事長を務めてからはその傾向が顕著になってきたんだが、それでも学内の序列が治安と生徒会のメンバーの抑止力になればと思って黙認している。それが根底からひっくり返れば面倒事しか湧かないだろう」

 

 黒乃の言い分は確かに利があった。学内の序列は有体に言えば純粋な力でもあり、魔導騎士としての格付けとも取れている。しかし、序列が実力でないと判断すれば、今度は面倒事が起こるのはある意味では当然の事だった。

 学内の選伐によって序列の変更が起こるとすれば、それは全ての予選会が完了した時点でしか出来ない。仮に今の状況下で無視した行動を取れば、学内は混沌と化するのは当然だった。

 

 

「だったら予選会が終わってじゃなくて、常時変更すればいいんじゃね?」

 

「寧音。お前がやってくれるのか?」

 

「嫌。面倒しかないのは御免さ」

 

 対案があるものの、いざ実行となればこれまた面倒な事が多くなっていた。

 一番手っ取り早いのは当事者と対戦した時点での序列の変更だが、仮にそうなると下位の人間が偶然勝ち上がると自動的に序列も上がっていく。

 そうなれば今度は下から狙われる事になる為に、普段から管理し続ける必要があった。

 ただでさえ盆暗を排除した事によって教師としての人員が不足している。事実、黒乃も本来であれば寧音をここに呼び寄せる事は良しとはしていなかった。

 

 現役のA級選手を呼ぶのはある意味ではステータスかもしれない。しかし、それと同時にある程度の現実もまた見せる事になるのも事実だった。

 ましてや寧音はスキャンダルの女王とも呼べるほどの数を週刊誌が攫っている。理想か現実か。どちらも必要ではあるが、全員が等しく戦う訳ではない。

 気が付けば火を点けた煙草の半分は碌に吸う事も無く半分が灰となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、明日がそうだと言うのか?」

 

「はい。ですが、スケジュール的には問題ないはずです」

 

 自室で食事を取っている際に、カナタは不意に龍玄に明日の予定を伝えていた。

 元々試合当日は予定が入ってる為に動かす事が出来ない。それに、会社としてではなく風魔としての用事があったからこそ、学園には事前に申請を出してある。

 だからなのか、カナタの言葉に龍玄は少しだけ訝しく思っていた。

 

 

「それは構わんが、理由は何だ?」

 

「一度、試合として戦いたい。それだけでは不満ですか?」

 

「不満……それしかないだろ。参考に聞くが、どうして俺とそうまでして闘いたいと思ってる?結果なんて見るまでも無いだろう」

 

「そうですね。少なくとも今の私では勝てるとは思えませんし、戦略を練ろうが間違い無く瞬殺でしょう。ですが、私にも私なりの矜持があります。それではいけませんか?」

 

 カナタの言葉に龍玄は少しだけ考えていた。

 何をどう考えているのかは分からない。しかしどんな策を練ろうが龍玄とカナタは固有霊装と抜刀絶技の関係上、相性が圧倒的に悪かった。

 カナタの抜刀絶技でもある『星屑の剣』は、一度その刀身は破壊する必要があった。

 もちろん、レイピアとしての性能もあるが、剣技だけを見た場合、カナタは決して上位に食い込むとは言い難いレベル。

 

 序列二位は偏に抜刀絶技による攻撃を用いた結果だった。どんな状況下であっても一旦は破壊すると言う行為がある上はその隙は致命的だった。

 幾ら距離を離そうが、『斬影』による移動は全ての距離を瞬時に潰す。

 知覚すら出来ない接近からの一撃は死神の一撃だった。かと言って剣技だけで対抗するだけの技術もまたあるとは言い難い。それは龍玄が口にせずともカナタ自身が理解している内容だった。

 

 

「ダメだ。そんなくだらない事で有用な時間を潰す必要は無い。それに俺には何の益も無い」

 

「ですが……」

 

「驕るつもりはないが、そんな矜持を粉砕されたら、お前はどうするつもりだ?」

 

 龍玄の言葉にカナタは答えを持ち合わせていなかった。

 それと同時に一つだけ気が付く。今回のそれはカナタにとっては利があっても、龍玄にとっては何の利も益も無かった。そもそも予選会の勝敗に関しては全く気にしていない。

 そもそも自分が戦うレベルに値する人間がどれ程いるのかすら危ういとまで考えている。現状でさえ三割以下の力でやってる現実に、カナタは少しだけ早まったと理解していた。

 

 

「……どうしてもやりたいと言うのであれば風間龍玄としては断る。だが、青龍としてであれば受けよう。その代わり報酬は要求する事になる。それが妥協点だ」

 

「話は分かりました。では、それでお願いします」

 

「そうか。だが、一つだけ覚えておけ。報酬の支払いは試合終了から二十四時間以内。金額は追って伝える。俺は小太郎とは違うから、支払いの猶予は無い。それで良いな」

 

 食事中だったからなのか、それ程圧力を感じる事は無かった。しかし、今回の件に関しては風魔としての話となった為に、一つだけ問題が発生していた。

 学内の予選会ではあるが、風魔として動くのであれば命の危険性もまた予想されていた。

 事実、カナタも戦場で初めて会った際に、どれ程の力量なのかは何となくしか理解していない。これが元になって本来の力量で戦闘となればどんな結末になるのかを正確に予想出来るのは当事者でもある龍玄だけだった。

 

 

 

 

 

「親父。明日の件だが、青龍としての仕事を受ける事になった」

 

《随分と唐突だが、何があった?》

 

「破軍の学内選抜は知ってると思うが、明後日に貴徳原カナタと対戦する事になっていた。だが、用事もある。その為に明日は風間龍玄ではなく青龍として闘う事にした。それと同時に何時もの報酬も発生する。その報告だ」

 

《また随分と簡単に決めたものだな。で、報酬と今回の件はどうする?》

 

「報酬は二十四時間以内。金額はまだ決めていないが何時もの最低ランクで考えている」

 

《そうか。だとすればお目付け役が必要になるな。誰かしら向かわせよう》

 

「了解した」

 

 短く切れた通信に、龍玄は少しだけ溜息を吐いていた。

 元々個人で請け負った依頼は個人で終わらせる事も出来るが、基本的に下忍程度しかやらなかった。

 中忍以上になれば正規の任務が発生すると同時に、色々と制約がかかる。それと同時に報酬の確認や見届けなどの事も考えれば、事前に報告した方が何かと面倒事は無かった。

 今回のこれもそれに準じた報告。何時ものやりとりに龍玄だけでなく小太郎もまた平常の対応をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当日の朝、龍玄は気負う事無く何時もの行動に出ていた。

 本来であれば同じ部屋の人間同士が戦う事は早々無い。仮にどちらが勝とうが禍根が残る可能性があるからだった。

 本来であれば龍玄にも同じ事が当てはまるはず。しかし、事実上の結論が出ているに等しいと判断したからなのか、朝の鍛錬の後は何時もと同じだった。

 お互いがテーブルに相対して朝食を取っている。何も知らない人間であれば、まさか放課後に戦うなどとは思えない程穏やかだった。

 

 

「カナタ。青龍として一言だけ言っておく。結果がどうあれ俺は俺の思ったようにしかやらん。それで良いな」

 

「はい。それで構いません。そうでなければ理事長に無理に頼んだ意味がありませんので」

 

「そうか……」

 

 形式的な会話の様だったが、その裏では言外に手加減するかどうかは対峙して決めると言われているに等しかった。

 元々今回の対戦は明らかにイレギュラーでしかない。もちろん、それがどんな意味を持つのかは言うまでもなかった。

 下手に観客を入れるのであれば、かなりの手加減が必要になる。それと同時に依頼された任務はあくまでも対戦する事であって全力ではない。

 事実、龍玄が全力で対峙出来る人間の数はそう多く無い。風魔の中であっても小太郎を筆頭に数人程度だけだった。

 驕る事はしないが、まだ先の報酬は回収すらしていない。命を奪う事はしなくとも、それなりの結末が起こるのは最早既定路線だった。

 

 

「それと今回の件だが、こちらからお目付け役を出す。それに関しては誰になるかは分からんが、それは構わないな?」

 

「それは構いませんが、大丈夫なんですか?」

 

「それは俺が考える事じゃない。事実、誰が来るのかすら聞かされていないんだ」

 

「そうですか。無様な姿を見せない様にする必要がありますね」

 

 完全に日常会話だった。

 元々お互いが思う所があった末に戦いであはあるが、敢えて気合を入れる必要が無いと言わんばかりの空気にカナタは少し以外だった。

 あれ程の技術を持っているのであれば、精神状態すら最高に持って行くと思ったが、目の前で食事をする龍玄を見ればそんな事はおくびにも出さない。

 余裕なのか、平常なのかは分からない。少なくとも淡々としたそれを見たからと言って、カナタが何か思う様な事は何一つ無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、今日戦うの?」

 

「はい。ですが、元々は明日の予定を今日にしてますので、明日はお互いが黒星が付く事になりますが」

 

「でも、それだと……」

 

「刀華さん。言いたい事は解りますが、それでもです」

 

 カナタの言葉に刀華は驚愕の表情を浮かべ固まっていた。

 元々この予選会は現状を見れば無敗の人間がまだ多数存在していた。

 ただでさえ今年に関しては去年までとは違い、戦績が全てを物語る。そんな中で星の取りこぼしは致命的だった。

 本来であればそのまま出れば良いだけの話。にも拘わらず、態々変更したのであれば重篤な問題があるとしか考えられなかった。

 それと同時に一つの可能性が浮かび上がる。まさかではなく完全に間違い無い事実。それを唐突に理解したからなのか、刀華はカナタに敢えて確認していた。

 

 

「ひょっとして対戦相手って……」

 

「はい。風間龍玄です」

 

 予想が合致したからなのか、刀華はそれ以上の言葉が出なかった。

 これまでの戦績を見れば凡庸ではあるが、問題なのはその内容だった。

 戦闘総合時間は合計で三十秒もかかっていない。それと同時に試合内容もまた異質だった。

 全てが事実上の一撃によって終了している。三戦の平均時間があまりに短いからなのか、一部の人間はその異様な数字を何度も確認していた。

 本来であれば全勝、若しくはそれに準じた数字を出していれば確実にその名は学内にも広がるのは間違い無い。

 事実、今年の台風の眼は一年の戦力でもある『黒鉄一輝』を筆頭に数人が無敗を保ったままになっていた。

 

 七星剣武祭出場のパイはそれほど多く無い。しかし、自分達が知っている人物が仮に対戦したとして、どれだけの人間が立っている事が可能なのかは予測すらでいない。誰よりもその力量を知るが故の決断に、幾ら刀華と言えど、カナタの決意を揺るがす事は出来ないと悟っていた。

 

 

「でも、どうして明日じゃなくて今日なの?会社の予定はなかったはずじゃ……」

 

「ええ。会社としての用事は無いとは聞いています。事実、事前にそれを私も知ってましたので」

 

 会社の用事ではないが、それ以外となれば一つしかなかった。

 気軽に口には出来ないそれが正しく意味するのは当然の事だった。

 元々風魔に関して緘口令が出ている訳では無い。ただ、その凄惨な状況を知る者は自然と口をつぐんでいた。

 それが今となっては暗黙の了解となっている。だからなのか、刀華だけでなく、カナタもまた無意識のうちにその名を口にする事は無かった。

 沈黙だけが支配する空間は時間だけが過ぎ去っていく。まるでカナタの精神状態を表している様だった。

 

 

「って事は完全に非公開って事なの?」

 

「詳しくは聞いていません。ですが、今回は青龍として対戦しますので、ある程度はその部分もあるかとは思います。ですが、最終的には理事長の胸先三寸かと……」

 

 まるで他人事の様に振舞うカナタではあるが、持ち上げたティーカップを持つ手は僅かに震えていた。

 命の危険はなくとも青龍として戦う以上はそれ相応のプレッシャーがるのは当然だった。

 実戦を経験しているとしても、対峙する人間が誰なのかを考えれば恐怖心が沸き起こる。ある意味では究極の心理戦だった。

 

 

「もし……ううん。何があっても絶対に行くよ」

 

「そう言ってもらえるだけも嬉しいですよ」

 

 戦いに殉ずる人間であれば悲壮感もあるが、本当の事を言えば、それすらも一つの試練の様にもおもえていた。

 それと同時に刀華は少しだけカナタに思う部分もあった。

 今回の様なケースになった場合、自分であればどうするのだろうか。これが他の一年や対戦相手、若しくは昨年の七星剣武祭で対峙した人間を相手取るとなったのとどれ程違うのだろうか。

 幾ら自分が研鑽しても、風魔と名が付く人間が立っているその傍には自分が血塗れになって横たわている景色しか見えなかった。それが仮に生死の狭間にあったとしても文句の一つも言えない。

 事実、幾つかの戦略や戦術はあるが、それの悉くが粉砕される未来は絶望だけが支配する。

 にも拘わらず、カナタは絶望する事なく自分の前をすすむ道だけをただひたすらに見ている事に刀華は少しだけ嫉妬しそうな感情を持っていた。

 

 

 


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