この国には三大義務と言う物がある。
一つは、教育を受けさせる義務。もう一つが、納税の義務。そして最後に勤労の義務だ。
教育を受ける義務ではなく、受けさせる義務。つまるところ子供に対する義務ではなく親に対しての義務だ、子供も居ないましてや結婚なんてしていないし、した事が無い俺には早すぎる義務だ。
早すぎるって言ったが、そもそも将来結婚できるかわからないので俺には未来永劫関係ないのかもしれない。
自分で言っていて悲しくなるな、これは。
もう一つ、納税の義務と仰々しく言っているが簡単に言えば税だ。身近なところで言えば消費税だったり、酒税やたばこ税と言ったところだろう。
俺は酒を飲まないし、煙草も吸わないので身近で関係あるのは消費税だが、結局のところ買物をすれば子供だって税を納めている事になる。
これもいたって普通で取り立ててどうこう言う事じゃない。何か取りた立て騒ぎだところで、政治家のお偉い方々がどうこうする問題であって、俺達はそれを見ているしかない。
まぁ、どうにかしたいと言うんなら、政治家を目指して改革すればいい事だ。俺にはそんな信念とか持ち合わせていないからほとんど人ごとだ。
と、まぁ、遠回りをして本題にすぐには入らず喋っているが、俺が言いたい事なんて筒抜けになっているだろう。
話題に出した教育、納税、勤労の三つの内教育と納税の二つの意見を述べたとなれば最後に残るのは勤労だけだ。
勤労の義務、働く意思と能力がある者は働く義務がある。
極端に要約すれば強制的に働かせはしない、働きたいなら働け働きたくないなら働かなくていい、といっているのである。極端にしすぎた気もするがちゃんと本質をとらえていると俺は思っている。
つまり、専業主夫は悪くない!
なんて、言うわけじゃない。非常に言いたいがな。
勤労の義務だとか言ってはいるが、働くと言う事は生きるために一番有名で一番選ばれている手段だ。
働くと言う事はお金を稼ぐ事、生きて行くためにはお金が必要になってくる。でもお金も生きるための手段でしかなく、大切なのはそのお金で購入する物の方だ。
ゆえに義務などがなくても人間が生きていくためには働かなくてはならない。
そう、人は例外を除いて働かなければ生きてはいけない。
何かしらの形でお金を稼がねば生きていけない。今の俺のように専業主婦になれず一つ目の会社を辞めてようやく再就職できた瞬間そう心から感じた。
と言う事は、今の俺に降りかかっている事柄にも人生にもまったくと言って関係ない。これからする物語に関して何の意味も無いただの現実逃避だ。
もろもろあって退職してから一ヶ月もたたずに再就職先が決まり『うわ、ラッキー』と喜んだ自分が滑稽に見える。
再就職先は『アウターツ』と言うフィギュア専門店の店員だった。
もともと広くない店内にフィギュアを飾るための棚やケースを置いて、ようやく人一人が通れるくらいの通路スペースを確保しているくらいのこじんまりとした店だが、意外と品ぞろえが豊富でカウンターの後ろにはこれから出るフィギュアの予約票を張りつけて受け付けてもいる。
店内には置いてあるフィギュアの作品のアニソンが流れていたり、今やっているアニメのオープニング曲やエンディング曲がBGMとして流している。それに加え、カウンター横の棚の上にはテレビが置かれており今期のアニメのオープニングやエンディングの映像を映している。
正直、こう言う客商売系はやりたくないのだが、やらざるを得ない状況と言うのは誰しも訪れる。それでも、生きるためにはやらなければならない。
「はぁ、早まったかなぁ」
これは、俺、比企谷八幡と愉快で奇妙な連中との物語だ。
「雇って三日目で完全に丸投げと言うのはいかがなものだろうか」
アニソンが流れる店内で椅子に座りカウンターに顎だけをのせだらりと腕を投げ出し、ガラスドアから見える店の前を通り過ぎる車をぼんやりと眺めていた。
店内の掃除が終わり、するべき雑用もこなし来店客も無く暇な時間が過ぎていた。店員が二人なら色々と話せるのだが、あいにくとここにいる人間は俺一人だ。一人で過ごすのは慣れているとはいえ暇に慣れている訳じゃない。まぁ、二人いたらいたで俺は何も話せないだろうが。
「その方がボク達としては話し相手ができて良いんだけどね」
俺一人しかいない店内で、俺以外の声が響いた。
「いやいや、そっちはよくてもこっちは結構な死活問題だからな。
昨日も言ったと思うが接客業なんてこれが初めての事で、内心不安でいっぱいいっぱいなんだよ。てか、昨日も昨日で来たら来たで開店する前にすぐに本社の方に戻るって、オーナーとマネージャーが丸々一日いたのは初日だけだったし。
二日目に来たのはマネージャーだけだったし。あ~不安だ」
就職して知った事は、この店がオーナーの副業だったって事だ。
オーナーとマネージャーは本社で本業、自分は副業であるこの店で店員と言う事だった。店長なんていないし他の店員もいない。完全に一人でやっていかなければいけなかった。まぁ、それでも数日間は教育があると思っていたのだが蓋を開けてみればこの通りでだ。
「でもキミはこの状況の方が望ましいと思っている、とボクは思うんだよ」
「……まぁ、その通りではある」
ぼっち中のぼっち、キングオブぼっちを自負する俺である。集団で何かをするより一人の方が気楽だ。こうしてグダグダ言っていたが、正直なところこの状況は嫌いじゃない。
「お前らの事もあるし、むしろそっちの方が色々と都合がよさそうなんだよな~」
その事で今日は待ち人もある。
「そうだね、ボクもこの方がいい」
「ずるいよ、二人でばっかり話して」
声がもう一つ増えた。
「キノ、僕ももっと喋りたい」
「そうだね、エルメス。それにここにいる皆が彼ともっと話したがっているんだ、ボクたちだけが独占しちゃ悪いよ」
そう言った途端、店内からまた無数の声が聞こえてきた。
「やっぱり、会社ってのは中に入ってみないとわからないことが多いな」
あいつ、早く来ねぇかなぁ。
出勤初日と言う事でいつもより早く起き約束の時間よりも少し早めに店につくと、すでにオーナーとマネージャーが開店の準備を始めていた。
一番初めに来るつもりだったんだがそれは叶わなかったようだ。
「おはよう、ずいぶんと早いじゃないか」
「はい、初日ですから」
「そうか、今日からよろしく頼むぞ」
「はい。よろしくお願いします」
「あ、今日からこれを着て作業をしてね」
挨拶を済ませた後、マネージャーからエプロンを渡された。
胸のあたりに店名が入った黒いエプロンで、首元の端から二本の紐がついていて腰あたりにその紐を通すためとおぼしき輪がこれまた両端にあった。
「えっと、これをこうして」
俺は紐を真っ直ぐに下ろし、それぞれの端にある輪に通しそのまま紐同士を結んだ。あれ、何か違う気がする。
「そうじゃなくて、後ろでクロスしないと」
そう言ってマネージャーは俺が結んだ紐をほどき、正しいやり方でまた結び直してくれた。
「ありがとうございます」
「うん、これで次からはちゃんとできるね」
「はい、そうですね」
エプロンをちゃんと着るとまずは店内の掃除をおこない、店中の窓を開けて空気を入れ替える。掃除道具置き場だったり、掃除のやり方だったりを教わり最後にのぼりを出して開店の準備が完了した。
準備が終わり開店時間になったがすぐにお客様が来るはずもなく、ショーケースのガラス汚れを拭いたり、棚に置かれたフィギュアの箱についた埃を一つ一つ丁寧にはらっていく。あと、カウンターにあるノートパソコンでの店内BGMの流し方や、店のブログの書き方のレクチャーを受ける。
開店から二時間ほどしてようやく入口から車が入ってくるのが見え、本日そして自分にとって初めてのお客様が来店した。自分は掃除している手を止め、持っていたフィギュアの箱を棚に戻し急いでカウンターに立った。
車のドアが閉める音が聞こえると、すぐに店内にお客様が入ってきた。
「私が接客しているのを見て参考にしてね」
そう言って店内を見て回っているお客様にマネージャーが声をかけた。
マネージャーが接客しているのを見学して、言われたように俺はどんなふうに話しかければいいのか見たままのそれを真似するのか、考える事がたくさんあるし憶える事もたくさんある。
お客様は二言三言話して一通り見て回った後、また来ますと言って帰っていった。
「話しかける時はあんなふうにしても良いし、自分で考えて話しかけてもいいの。臨機応変に変えるのが良いかもね」
「はい」
その後、箱をフィルムで包む方法を教えてもらったり接客をしたりと初めての事ばかりでかなり新鮮だった。
前は工場で働いていたから接客なんてした事が無かったし、バイトもやった事が無いからこういうのも悪くない。レジ打ちも初めての体験で今物凄く楽しいと感じている。仕事で充実した気分になるのは久しぶりだ。
初日はオーナーとマネージャーがいた事もありトラブルも無く閉店となった。窓や扉の施錠を確認し電気を消して初日が終わった。
「はい、これが店の鍵と防犯システムの解除カード」
そう言えば鍵を貰っていなかった事を思い出した。明日から自分では開けられない所だった。
「えっと、この細長いカードはどう使うんですか?」
「ここに防犯システムがあるから入れて読みこませてくれれば防犯が開始されるから」
通用口のすぐ横にある小さなボックスの蓋を開いて中を見せながらの説明。防犯システムの解除も開始も初めての事だ。
「こう、ですね」
見るだけじゃなく実際にやりながら憶えた方がわかりやすい。
例えば『百聞は一見にしかず』と言うことわざはよく知られているが、実はこれに続きがあり『百見は一考にしかず、百考は一行にしかず、百行は一果にしかず』と続く。
説明するといくら聞いても自分で見なきゃわからないし見たとしてもそれがどうなっているか考えないと先はない、そしてどんなに考えても動かなきゃそれまでで動いたからには結果を出さなきゃ意味が無い。
つまり、聞くより見ろ、見るならやれ。と言うところか。
「今日は私がドアの施錠をしちゃったんだけど、防犯を入れる前にドアにちゃんと鍵がかかっている事を確かめてから入れる事。そうじゃなきゃ警備会社の人が来ちゃうからね」
「わかりました」
これは下手すればおおごとになるな。
「今日はごくろうさま」
「お疲れさまでした」
「ん、ちゃんと施錠は終わったのか」
オーナーは煙草を吸いながら待っていた。
「今日はお疲れさまでした。じゃあ、明日からもよろしく」
「「お疲れ様でした」」
俺は俺の車で、オーナーとマネージャーは一台の車に乗って帰って行った。
こうして静かで平和な今日が終わり、本当の始まりが目を覚ます。
なんて言うとバトル漫画のバトルパートの始まりみたいだ。
しかしながら普通で普通な子の日常にバトルやら異世界召喚なんて事が起きるはずもなく明日も生きるために仕事をする。世界が不変であれ可変であれ、そこは変わらない。
お金がなきゃ何も買えないのだから。
二日目
今日はオーナーたちより早く着くと防犯装置の設定を外し、鍵を開け誰も居ない店内に入った。
鞄をバックヤードの棚に置き、その後エプロンをつけまずは店内の窓を開け、箒をバックヤードから持ってきて店内を掃除し始めた。掃除の途中で駐車場に入ってくる車が見え、お客様用の出入口から段ボールを抱えたマネージャーが入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう。今日はやいね」
「早く目が覚めたものですから。あ、荷物持ちますよ」
「ありがとう。車にまだあるからこれはカウンターの上に置いておいてね」
持っていた段ボールを受け取り、マネージャーは踵を返し車の方に向かって歩いて行った。
段ボールをカウンターに置くと、俺はすぐにマネージャーの所に急いだ。車のトランクに入れられてあった全ての段ボールを運び終わり、俺は掃除を再開しマネージャーは段ボールの中身を取り出していく。
掃除を終えた俺は手伝うためにマネージャーのところに向かうと、既に取り出し終わっていた。中身が置かれたカウンターの上には、UFOキャッチャーでよく見るプライズフィギュアがいくつも置かれていた。
「これ、どうしたんですか?」
「昨日オーナーがとってきたから持ってきたの。今日はこれを包んでもらおうかな」
「あ、はい……あ、いえ、そうではなくてこれ全部取ってきたんですか?」
「オーナーこう言うの得意だからね」
「あ、そうですか……」
得意で済ましたらいけないような気がするが、まぁ、いいか。
「あと、こっちのは予約票だから線にそって切ったあとに壁と同じように張っておいてくれるかな」
そう言ってA2くらいの大きさの用紙を切り取り線で八つに区切りその一つ一つにこれから出るフィギュアの詳細が書かれていた紙を三枚渡された。
「こっちに貼られている中で予約期限が切れていたらはがしていいからね」
「わかりました」
「じゃあ、私はこれで戻るけどあとは頼んだよ。
それと明日から私たちほとんどこっちにこれないから何か用がある時は電話してね。あ、番号はカウンターの裏に貼ってあるから」
「はい、何かあったら電話します」
「買い取りの対応は昨日言った紙に書いてあるから」
そう言って急ぐようにマネージャーは開店前の店内をあとにした。
「さて、準備に戻るか」
開店時間となったが昨日と同様すぐに客が来るはずもなく、言われた通り梱包をすることにした。
数が多くまだ慣れないので最初はもたつき時間がかかっていたが、量が量で最後の方になるともう慣れた手つきですぐ梱包し終えていった。仕事をおぼえる事は良い事なのだろうが、何か釈然としない気持ちになるのはなんでだろう。
「これで全部終わったか。意外に早く片付いたな」
梱包し終えた物は値段を決められるまでバックヤードの棚に置かれ店内に並ぶ日を待つこととなる。全て棚に収めた後、今度は予約用紙の方に取りかかかった。
カウンターの裏からカッターマットを取り出し、ペン立てから良く切れる方のカッターをとりだした。そこで定規を取り出すのを忘れていた事に気がつきプラスチック定規を取り出した。
「……違った違った」
プラスチック製じゃなくて使うのは金属製の定規の方だった。金属製の定規を改めて取り出しプラスチック製を元あった場所にしまった。
「さて、やりますか」
三枚一気にやればすぐに終わるのだがそれをすると暇になるし正確性に欠ける、ゆえに一枚一枚やることにする。
真ん中の切り取り線にそって定規を固定しまずは半分に切り分けた。その後、余分な外枠を切り取り一枚一枚切りはがした。五分もかからず一枚目が終わり、続いて二枚目に取り掛かり同じく五分もかからなかった。最後の三枚目が終わろうかとした時、人の話し声が聞こえてきた。いつの間にか客が来たのかと思い、作業を中断して店内を見渡してみたが誰もいなかった。
「気のせいか?」
音楽かテレビの音声がそう聞こえたのだろう。
「いや、この台詞を使って気のせいだったシチュエーションなんて見たことないな」
おもに漫画知識だが。
それでも何か違和感を感じたのは確かだ。さて、こんな状況で導き出される答えはと言うと……
「キミはボクの声が聞こえるのかい?」
近くから明らかに自分に向けられた言葉、そしてその声に聞き覚えがあった。
その声はとある旅人とバイクが主人公のラノベ作品に出てくる、とある旅人の声によく似ていた。いや、似ているというレベルではなくその声そのものだった。
声のする方へと目をむけるとカウンターに置いてあるフィギュアとパソコンがあるだけだった。確かに置いてあるフィギュアはその旅人がバイクにまたがっているフィギュアだが、キャラの声が再生されたりするようなものじゃなかったはずだ。
一度手に持ったから確信が持てるし自信も持てる、てか、そんな機能があるなら気がついていないとおかしい。だったらパソコンから流れてきたのだろうか。いや、パソコンには一切触れていない。
つまり、
「ボクはキノ、旅人だよ。こっちはボクの相棒のエルメス」
「よろしく~」
フィギュア自体が喋っていると言う事だ。
この年まで幽霊はともかくとして怪奇事件の一つも遭遇しなかったが、今ようやくこんな物凄い事に巻き込まれている! それに加えキャラ自体と喋っているなんて、なんて最高なことだ! いつの間にか二次元に入りこんでしまっているのか! ここはどこの天国だ! やべ、テンションが押さえきれない。
「キノ~、この人僕らが急に声をかけたから戸惑っているんじゃないの?もしくはパニックを起こして動けなかったりして」
「そうだねエルメス。それが普通の反応みたいらしいからね」
「いや、悪い、突然のことでついテンションが上がったんだよ」
「キミは驚かないのかい?」
「いや、驚いているさ。
だって二次元のキャラと直接話すことができるなんて、俺達としては夢みたいな状況なんだからな。しかも、プログラムで組まれた受け答えじゃないんだぞ、テンションが上がってしかるべきだと声を大にして言おう!
こんな日が来るなんて夢にも思わなかったし、今でも夢の中にいるような気分だ。本当に現実かつねってくれ。いや、まぁ、現実だってちゃんと分かっているがこんな夢が現実を塗り替えるような、夢が現実を侵食するような。自分の妄想が現実化しているような気がしないでもないが、だがそれがいい。
面白ければいい!楽しければいい!
そういや、お前らが喋っていると言う事はもしかして他のフィギュアも喋る事ができるってことじゃないのか? もしかしなくても喋るのか? うわ! 何だそれ! めちゃくちゃテンションが上がるだろ! さすがに箱に入っているのは無理でも飾ってあるのは喋るんだろ? もう、この店もう天国だろ!」
「ねぇねぇ、キノ。この人絶対ヤバイ人だよ」
「エルメス、そんな事言っちゃだめだよ。彼はきっと混乱しているんだ」
「おいそこ、聞こえているぞ」
「あ、こっちに気がついたみたいだよ、キノ」
「ようやく気がついたみたいだね。ボクらの自己紹介はすましたんだ、キミの自己紹介はまだなのかい?」
「ああ、忘れていたぜ。
俺は比企谷八幡、昨日からこの店の店員として働いている。これからよろしく、キノ」
「そうだね、よろしく」
「キノだけずるいよ」
「ああ、エルメスもよろしく」
「よろしく~」
日常の隣には非日常がいつも居座っている。
逆に言えば非日常の隣には日常が常に存在すると言う事だ。そしていくら非日常にいても結局は日常になってしまう。
つまり、何がいいたいのかと言うと。今日、ようやく俺がこれから生活するべき日常が始まったと言う事だけの話である。