そう──ある日突然、その異変は起きた。
私たちを引き裂くような、あんな出来事が⋯⋯
もしかしたら、朝のニュースからその前触れはあったのかもしれない。妹の雪穂に起こされ、1階で朝食を食べながらテレビをつけていると、こんなニュースが流れていた。
『駅にて暴徒多数』
載っていた地域の名前がそう遠くない場所だったため、お母さんと最近は物騒だ、なんていう話をしたのを覚えている。
登校してからは、特に何か異常があった覚えはない。
いや、朝からことりちゃんの様子が少しおかしかったような気もする。
授業を終えた後、いつも通り部室へ向かい、屋上で次のライブのための練習を重ねる。
今日はことりちゃんが休みだった。理事長であるお母さんから何か用事を言いつけられたらしい。
しかし、本当の異常は私達が練習を終えて元の制服に着替え始めていた時に起こったのだ。
「────ッ!!」
窓の外から聞こえた甲高い悲鳴。みんな慌てて窓から外を見る。
「なに──あれ」
そう洩らしたのは、誰だったか。
そこにあったのはまさに地獄絵図と呼ぶべき有様だった。先ほどまで笑い声や部活に励む掛け声が響いていた場所には、転々と見える人の倒れた姿と、それに群がる私たちと同じ制服を着た生徒達。
それはまるで、倒れている女の子の肉体を、貪り喰らっているようで。女子生徒達の口元は、人間のものだろう血液で紅く染まっていた。
ひッ、と掠れた声を出して花陽ちゃんが後ずさる。私たちの全員が、眼下に広がる異常事態に呑まれていた。
喰われて死んだように動かなかった生徒達が、暫く経つとひとりでに起き上がり、鈍重な動きで辺りを徘徊し始めたのを見て、私はこみあがってきた吐き気を堪えるために口に手を当てて強く目を閉じた。
それと同時に、ドアが強い力で叩かれる、ドンドンという音が部室に響いた。部室にいる全員が息を呑む。
このドアが開いてしまえば恐らく、先ほど窓の外で起こった事が自分たちに降り掛かることになるのだ、と分かった。
そこからは必死だった。部室に置いてあった机や重い物をバリケード代わりに積み立て、みんなでそれを押さえる。
ドンドン、ドンドン。
ドアを叩く音は一向に弱くならず、寧ろ叩く人数が増えたのか増していくばかり。窓が割れ、誰かの赤黒く変色した手が伸びる。
花陽ちゃんが耳を抑えて蹲った。でも、誰もそれを気にする余裕なんて無かった。自分たちも蹲ってこの意味が分からない現実から逃避したい。しかしそれをすれば、自分たちが先ほどの女の子のように動く屍になりかねないということが分かっていたからだ。もう私たちの心はぐちゃぐちゃだった。
やがて、ドアを叩く音と力がなくなったのは日が暮れてしばらく経ってからだった。
それでもドアを押さえている机を退ける気持ちにはならず、出口のない部室の中、私たちの間には重苦しい沈黙が横たわっていた。
ふと、海未ちゃんが体育座りのままボソリと呟いた。
「何が──起きてるんでしょうか」
それに対して、明確な答えを持っている人間は、今この部室の中にいなかった。
「ことりちゃん、大丈夫なのかな⋯⋯」
そう洩らしたのは、凛ちゃんだった。
「そうだ、雪穂!」
頭を殴られたような感覚があった。まだ自分たちの事しか考えれていなかったが、雪穂達もこの異常に巻き込まれているかもしれないんだ。
そう考えると、いてもたってもいられなくなった。
慌ててスマホを起動し、家へと電話を掛ける。
数コールの後、電話は留守電へと繋がってしまう。
諦めずに掛け直す。留守電。
それならばと雪穂やお母さん、お父さんのスマホへと手当り次第に電話を掛ける。
繋がることは、無かった。
私の周りでも皆同じような状況らしく、何とか電話が繋がったのは花陽ちゃんのお兄さんと凛ちゃんのお母さんくらいのものだった。
雪穂と亜里沙ちゃんには、繋がらなかった。
それが指し示していることは
つまり、二人はもう──
いや、そんな事を考えてはいけない。皆無事だって、そう思わないと。私は嫌な予感を振り払うために頭を強く振った。