最初にイビルジョーを出すと後の奴が見劣りしすぎて、ストーリーを展開できなくなった。
昨夜の雨でぬかるんだ密林の大地を踏みしめる度、泥に足が取られて滑る。だが、少年はそんな環境の中でも足を止めない。少年は愛用の槍を片手で持ち、もう片方の腕では気を失っている小柄な少女を抱えながら全力で走っていた。背中にあったはずのバックパックは既に何処かへ落としてしまっており、少年は何時にも増して身軽である。
尤も、そうでなければ既に『奴』に捕まり、少年たちは腹を満たすためだけの食料となっていたのだろうが。
少年は後ろを振り向かないまま、うっそうと生い茂る木々の間をすり抜け、亀裂を飛び越え、時には邪魔な草木を槍で薙ぎ払う。勿論、走る速度を緩めることはない。後ろを向かないのは『奴』が追い掛けてきているのが気配で分かるためだ。『奴』が1歩歩くごとに靴の裏から伝わる震動、葉がその鱗を擦る乾いた音の大きさは、少年たちと『奴』の距離を示している。1度後ろを向いて少しでも速度が緩まれば、この距離はすぐに無くなって自分達は餌になる。そういう確信を、少年は持っていた。
あるいは、少年と少女の二人ともが全力を出せる状態であったのならば『奴』と戦うことも出来たのだろうが、今はそうではない。気を失っている少女を庇いながら、疲労している現在の状態で少年一人が『奴』と戦っても勝てる見込みは低い。だからこその逃亡である。
ずっと走ってばかりで彼我の距離が詰まらないのに業を煮やしたのか、『奴』が深く息を吸い込んだ。
それをブレスの前兆だと気付いた少年は、それと同時に体を一瞬だけ沈め、槍と少女を離さないように改めて両手を強く握りしめる。
そして、『奴』の龍属性を纏ったブレスが放たれると同時、少年は大きく跳躍した。
――――――
同時刻。少年たちと同じく密林を進んでいく一人の少女がいた。「暑いなぁ」と呟きながら鮮やかなショートカットの銀髪を掻き上げる動作は実にその可憐な容姿に似合っており、その姿は、異性に興味がある男が見れば殆ど確実に見とれて固まっていたであろう。
「……何で私がこんな暑っ苦しいだけの辺境を調査しなきゃなんないのさ。火薬は湿気るし、良いこと無いんだけど……」
ぶつぶつと恨めしげに呟きながら、少女は密林を突き進んでいく。その足取りに迷いはないが、特に何処を捜すという目的も持っていなかった。
ギルドから依頼された仕事はこの密林の調査。だが、先程から少女が出くわすのはジャギィやフロギィ等、常日頃から『火竜』等の大型モンスターを狩る仕事を専門としている彼女に取って余りにも呆気の無い敵だらけ。
本人としてはそろそろ切り上げたかったのだが、まだ時間的な調査ノルマを達成していない。そのため、今は時間を潰すために適当に密林を散策しているのである。
だが、不意に少女は歩く足を止め、軽く顔をしかめた。というのも、少女の敏感な嗅覚が風に乗って届いた、彼女にとって余り好ましくない匂いを嗅ぎとったからだ。
「……まさか、これのために私をこんなところに送ったっての?」
匂いの元はかなりの速度で何かを追っているらしい。
それがモンスターであれば良いが、もし人間なら――
少女は不愉快そうにその端正な顔を歪め、小さく舌打ちを洩らすと、出せる限りの全速力で走り出した。