雷使い ~風と炎の協奏曲~   作:musa

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遭遇する悪夢②

 その炎は、じわじわと包囲の幅を狭めかかっていた風牙衆たちから、まるで美琴を守護する壁の如く立ち昇る。慌てて後退る風牙衆たち。すると炎の壁が消えると同時に、

「無事か、美琴!」

 彼女の身を心配する声が響く。

 この力、そしてこの声。美琴には覚えがあった。なぜなら、この四年に及び仕えている彼女の主人なのだから。

「まさか、燎さま……!?」

 まるで美琴の呼びかけに応えるが如く、彼女の背後に陣取っていた二人の風牙衆たちの間隙を縫うように駆け抜けてくる人影があった。

 美琴の纏う学生服と似た基調をした制服を着込んだ男子学生だ。眼鏡をかけた大人し気なその風貌は、人畜無害な学園の優等生を思わせる。だが両手に持った二振りの日本刀の凶悪な存在が、その印象を完全に裏切っていた。

 神凪燎。神凪家宗家の炎術師である。彼は美琴の傍らまで駆け寄ると、周囲の敵たちを威圧するように二刀を構えた。

「燎さま、どうしてここにッ」

「ここ最近――とくに昨日の美琴の様子は、明らかにおかしかったからな。……すまないが、屋敷を出ていく君の後をつけさせてもらった」

 詰問する美琴に、燎はきまりが悪そうに俯いた。

 美琴と燎は、たしかに公的には主従関係であるとはいえ、同世代の女の子を、しかも夜中にストーキングする行為が決して褒められた行動ではないことは、一般の倫理観に照らし合わせれば明らかだ。どうやら彼には、その自覚があったらしい。

 だが美琴は、そんな主の自己反省に気づく余裕はなかった。

 同族である風牙衆だけならともかく、炎術師である燎にまで尾行されながらまったく気づかなかったのは、美琴の失態以外何ものでもない。風術師失格である。どうにもさっきまでの自分は、相当深刻な人事不肖に陥っていたらしい……

 だが燎は、そうした従者の自己反省に気づくことなく顔を上向け、周囲を見渡す。

「風牙衆がどうして美琴を襲っているんだ? いや、待てよ……」

 剣呑な気配を撒き散らしつつ、美琴を包囲している――“風牙衆”。昨夜、神凪邸を襲撃した――“正体不明の風使い”。

「そうか、そういうことか! お前たち、風牙衆が犯人だったのか!」

 脆弱な力しか持たない風牙衆と神凪の分家の術者を惨殺した強力な力を有した風使い。

 神凪家の誰もが一致させることが叶わなかったこの二つのピースが、いま燎の脳内でぴたりと組み合わさった。それはひとえに己の従者たる風巻美琴が、『自分たちの側(神凪)』であることに何の疑いもなく信じているからこそ出来たことかもしれない。

「――ほう、宗家の炎術師どのは、随分と察しがいい。どうやら君は身体の『弱さ』とは違い、頭の方は存外『弱く』ないらしい」

 藤次は燎を見据えながら、口元を歪めて嗤う。

 燎は四年前に大病を患った。そのため神凪宗家の人間にも拘らず<継承の儀>にも参加できず、この数年病に苦しんでいた。

 とはいえ、いまはその病気も快方に向かい、日常生活も何の支障もなく送れるほどに回復していた。ただ、まだ完全に治っているわけではなく、燎自身、自らの「弱さ」に激しい憤りを懐いていた。

「おじ様、貴方は何ということをッ!」

 四年前に宗主より大病を患った燎の付き人に命じられて以来、美琴は彼を必死で看病し励ましの言葉をかけ続けてきた。

 だからこそ美琴は、彼がどんなに病に苦しんできたか、彼がどんなに病に倒れた自分自身を責め苛んできたのかを、誰よりも身近で見てきた。故に、依然病魔が燎の身体に巣くっていることと同じく、その苦悩と懊悩もまた癒えきることはないのだ。

 そんな燎を知りもせず、ただ「弱い」などという嘲りの言葉で彼の苦しみを皮肉る藤次を、美琴は到底許すことができなかった。

「いいんだ、美琴」

 怒りを露わにする美琴を宥めるように燎は声をかける。

「確かに俺は弱い。だけど、そんな俺でも『神凪』としてやらなきゃならないことは、きっちりやるつもりだ」

 そう言うと、燎は藤次を静かに見据えて決然と宣言する。

「風巻藤次並びに風牙衆たちに告げる。――降伏せよ。いま降れば、寛大な沙汰を下してもらえるように俺から宗主に架け合うつもりだ」

「燎さま……」

 美琴は燎の言葉に深く感じ入った様子で小さく呟いた。

 それも当然か。それこそ彼女がどれほど求め欲しようとも、決して果たせないことなのだから。だが藤次は、燎の慈悲の想いを鼻で笑って一蹴する。

「降伏しろだと? 笑止だな、むしろ降伏せねばならないのは、貴様たち神凪の方だろう!」

「な……ッ」

 美琴も燎も藤次の放言に揃って呆気にとられた。

 燎の降伏勧告は、この場における最後通牒も同然だ。なぜなら、藤次率いる風牙衆たちは、美琴を捕縛できても、燎を捕殺することだけは絶対にできないのだから。

 それが神凪家と風牙衆を隔てる力の差、現実という名の壁だった。

 なのに、そうした事情を誰よりも理解しているはずの藤次は、だが神凪宗家の炎術師を前にして、平然と笑っている。

 その状況に美琴は、再度言い知れぬ悪寒が全身を走り抜ける。いったい風牙衆はどんな『力』を手に入れたのだろうか? ――その答えはすぐに出るはずだと彼女は直感した。

「宗家の術者か、憑依仕立ての試運転の相手としては悪くない」

 にやりと不敵な笑みを浮かべながら、藤次は何処にいるとも知れぬ相手へと呼びかける。

「――来い、春香(、、)。お前の力、見せてみろ!」

 藤次の号令一下、変化は静的でありながら劇的に起こった。

 いつの間にか、対峙する美琴たちと藤次の間に何者かが忽然と姿を現したのだ。炎術師である燎はもとより、風術師である美琴ですら眼前に現れるまでその存在を感知できなかった。

 さながら瞬間移動でもしたかの如く、ソレは瞬時に現れ出でた。

 おそらくは遥か上空から物凄いスピードで垂直降下してきたのだろう。となれば、十中八、九相手は風使い。

 ……だがそんな推測を巡らす必要もなく、藤次と挟むようにあらたに対峙する存在は、美琴にとって既知の人物だった。

「……春香……さん……?」

 美琴はあまりの驚愕と恐怖に唇をわなわなと震わせた。

 そう、目の前に立ちはだかる人物こそ、風巻春香に他ならなかった。だが美琴が知る春香と今の彼女は、まったく見る影もない有様だった。

 かつて健康的だった肌色は、今や青白く、もはや死人のそれだ。同性の美琴でも憧れた、手入れの行き届いていた長く美しい黒髪は、ばらばらに乱れ、風にゆらゆらと煽られて四方八方に蛇のようにくねらせている。まさに鬼女と呼ぶに相応しい風体だった。

 だがそれよりもなお一層異常なのは、春香の身体から吹き上がる膨大な妖気の気配。――間違いない、もはや彼女は人間ではない。

「妖魔に取り憑かれているのか……」

「はい、それも相当強力な存在に」

 呻くように呟く燎に、美琴は冷静に首肯して応じた。が、その表情は蒼褪めていた。

「燎さま、祓えますか?」

 一縷の望みを託すように美琴は燎に訊いた。

 神凪家の炎術師の行使する炎には、不浄を焼き清める破邪の秘力を宿している。この『浄化の炎』により、神凪の術者は妖魔邪霊に対して絶対的な優位を獲得している。

 ましてや神凪宗家の術者たる燎の技量ならば、憑依された被害者を傷つけることなく、妖魔のみを対象に焼き尽くすこともできる。だが――

「……すまない、無理だ。それに彼女から妖魔を祓うどころか、普通に戦って勝てるかどうかも解らない」

 申し訳なさそうに目を伏せて、燎は返答した。

「……ッ」

 主の答えを聞いて、美琴は苦渋の呻きを漏らす。

 今思えば神凪の分家の術者が惨殺されたのは、当然といえば当然のことだったのだろう。宗家の術者である燎をも上回る妖魔と相対しては、彼らに生き残る術はなかったに違いない。

 なるほど、これほどの力を有する妖魔を従えているならば、さっきからの藤次の絶大な自信の程も納得である。しかも、風牙衆が使役しているのが、春香に憑いている妖魔一体であるとは限らないのだ。

 ふと美琴は、つい先刻藤次が言い放った台詞が脳裏に過った。

 ――何故だ。風牙衆の勝利のために、これまで我々は多くのものを失った。頭領においては、実の息子を捧げまでしたのだ!――

 風巻流也。この数年、誰も目にしたことがない頭領の子息。……まさか彼もまた春香と同様に妖魔と化しているのだろうか?

「美琴、君は早くここから逃げろ」

 そのとき、低く感情を押し殺した燎の声が、美琴の思考に割り込んできた。

「な、なぜですか、燎さま。私も戦います!」

 予期しなかった言葉に、愕然と燎を見返す美琴。

 彼女とて未熟といえど、退魔師の端くれである。戦場で倒れる覚悟はとうに出来ている。そういう風に気遣われるのは、むしろ心外であった。

「違うさ。むしろ美琴には、重要な要件を片づけてもらわなくちゃならなんだ」

 憤慨する美琴に、燎はこんな最中でありながら、とても穏やかな視線を向ける。

 美琴は四大最弱の風術師、一方燎は病弱な炎術師。

 そうした二人だからこそ、退魔師の覚悟という点においては、生まれながら強大な力を身に宿し、いかなる挫折も知らず故に自分自身の「弱さ」に直面することがなかった神凪綾乃よりも、よほど優れているのかもしれない。

 現に、この絶望的な状況下にも拘らず、二人の瞳には揺るぎない意志が宿っていた。

「何を、でしょうか?」

 ようやく合点がいった美琴は、静かに問うた。

「ここで起こった出来事、その全てを宗主に報告して欲しいんだ」

「あ……」

 燎の返答に美琴は、言葉を失った。

 燎の言い分は、もっともである。神凪家はいまだに何一つとて知らぬのだ。

 神凪邸襲撃事件の真の首謀者が風牙衆であることも。その風牙衆が強力な切り札を携えて神凪家に反乱を画策していることも。

 そして何も知らぬまま今の風牙衆と対峙しようものなら、あるいは神凪家は本当に壊滅してしまうかもしれない。それを阻止するためには、真実を知った二人のどちらか一方が、風牙衆謀反の知らせを神凪へと持ち帰る必要があった。

 となれば、必然その役割は美琴に期せられるのは明らかだった。なぜならば、この場に居残る一方が、殿を務めて退避する味方の背後を守るために妖魔と風牙衆を足止めしておかねばならないからだ。

 従って、その役目は二人の内もっとも戦闘能力に秀でた者が果たさねばならないのは道理である。つまりそれは、神凪の炎術師である燎にしか出来ぬことであった。

 美琴に反対する余地は微塵もありはしなかった。二人同時に退却する選択肢はあり得ない。それを素直にさせてくれる相手たちではない。

 逆に美琴が残ると言う選択もまたあり得ない。藤次たちに囲まれただけで行動不能に陥っていた美琴が、妖魔の増援でさらに戦力が増強された今の風牙衆の足止めなど出来ようはずもない。

 燎の決断と行動は、立場の上下関係や人間的感傷の入り込む余地などない、極めて合理的な判断力によって支えられているのだと、聡明な彼女には理解できてしまった。

「……解りました、燎さま」

 故に、主の鋼の意志を、従者は受諾した。――彼を困らせたくなければ、そうする他に仕方がなかった。

「――クク、今生の別れは交わす時間はもう済んだのか?」

 悲壮な決意を固めた二人を見守りながら、藤次は愉しげな笑みを刻む。

「では始めるとしようか。春香、せめてもの情けだ。二人仲良く切り刻んでやれ!」

 藤次の下知が飛ぶのと同時に、春香の全身から殺意の波が迸り瀑布となって押し寄せる。

「……ッ、行くんだ、美琴!」

 そう叫ぶとともに、燎は二振りの刀身に黄金の炎を纏わせ、怯むことなく妖魔へと躍りかかった。

 その直後――金色に煌めく雷光が天空より飛来し、燎目掛けて降り注いだ。

「がッ」

 呻き声とともに崩れ落ちる燎、それを見て美琴は悲鳴を上げる。

「燎さま!?」

 慌てて駆け寄り、何とか抱き留める。見る限り外傷はなく、呼吸音も規則正しい。どうやら気絶しているだけのようだ。美琴はほっと安堵の吐息をついた。

「一体何が……?」

 周囲を見回すと、春香も藤次の命令によるものか動きを止めている。

「何が、だと? あの男(、、、)を呼び出したのは、お前ではないか」

 途方に暮れる美琴を、失笑とともに見返しながら藤次は告げた。そう言われて美琴もようやく気づいた。辺り一面に漲っていく膨大な炎の気配に。

 驚愕とともに美琴は背後を振り返る。彼女の霊視力は燦然と輝き放つ力の波動を、たしかに捉えていた。

 ――否、見紛うことなどあり得ない。それはまるで太陽が地上に降臨したかのように。あるいは宇宙において超新星の爆発が発生したかのように。その存在はあまりに圧倒的であり過ぎた。

 彼は、悠然とした足取りでこちらに歩み寄ってくる。二人の風牙衆たちは恐れ戦くようにたじろぎ、ただ黙して見送るしかなった。

 それも当然だ。彼から放射されているのは、強大な力の気配ばかりではない。凄まじい殺意と憤怒の念が、辺り一面に荒れ狂っている。力を揮うことはおろか、声を発するだけでその怒りの矛先がそちらに向きかねない。

 風巻大和。美琴は彼が神凪家において、異端の炎術師であることは、無論知っていた。だが、これ程の術者であろうとは、想像だにもしなかった。

 大和の力は、燎はもとより綾乃をも明らかに凌駕している。……あんな圧倒的な力の規模と質の持ち主が、よりにもよって風巻家から生まれ落ちた事実が到底信じられない。

 おそらくは隔世遺伝によるものだろう。神凪家と風巻家は、極一部にしろ、数世代前に血の交流があったに違いない。なればこそ、『黄金の炎』が発現し得たのだろう。――つまり彼の体内には、風巻のみならず、やはり神凪の血もまた、脈々と流れているのである。

 神凪家と風巻家にとって、風巻大和の存在によりもたらされるのは、希望か――それとも破滅なのか。

 両家の融和を至上命題に掲げる美琴にしてみれば、大和は実に頭の痛い存在だった。彼を“救世主”と見るか“破壊者”と断じるか、彼女には未だ判断がつかなかった。

「ようこそ、大和。随分と遅かったではないか。しかし、我らに忠誠を示すために神凪の炎術師を攻撃したのは感心したが、手加減でもしたのか? そいつはまだ生きているぞ」

 そう言って藤次は、顎をくいっと傾けて美琴たちを指し示す。

 意識のない燎を抱き締めたまま、はっと身を固くする美琴。そんな彼女を横目に、大和は美琴の脇を通りすぎ、藤次と――いや、春香と対峙する。彼は一切言葉もなく、ただ凝然と変わり果てた姉を見つめ続けた。

 それを見て取った藤次は、にんまりと破顔し、

「どうした、春香と会うのは久しぶりなのだろう? ならばもっと嬉しそうな顔でもしたらどうだ」

 そう嘯いた。

 藤次の言葉に、美琴は信じられないとばかりに目を見開く。

 彼には、周囲一帯の空間を席巻する、この狂乱した膨大な炎の精霊が視えていないのだろうか? もし仮に大和が号令一つ発しようものなら、辺り一面は瞬く間に炎の海と化すというのに!

 にも拘らず、藤次のあの平然とした態度はどうか。春香に憑依している妖魔とは、そこまでの力を有しているとでもいうのか……

「――黙れ、それ以上囀るな」

 大和が冷ややかに宣告した刹那、目映い黄金の煌めきが彼の全身から立ち昇るや、雷撃の槍が藤次目掛けて殺到する。

 藤次はたしかに一流の風術師ではあるものの、規格外ではまったくない。故に、その彼に大和の攻撃を防ぐ手段はない――はずだった。

 風が唸り、精霊の絶叫が鳴り響く。凶気と妖気に染め上げられた禍々しい黒い烈風が、雷撃の槍を木端微塵に打ち砕いた。

「!?」

 瞠目する大和に、藤次は勝ち誇った高笑いを上げた。

「ハッハハハ、どうだ! これこそ、頭領が我らに授けてくださった風牙衆の『力』だ!」

それ(、、)のどこがお前たちの『力』だ」

 嫌悪のあまり顔を顰めて、大和はそう吐き捨てた。

「些細な問題だ」

 藤次は鼻で笑って言い切った。

「貴様たち『神凪』を滅ぼすことができるならな!」

「俺は神凪ではないぞ」

 藤次の口上を、間髪入れず、大和は否定した。

「ハ――そんな力を揮いながら、何を今更言うつもりか! だが仮に貴様が『神凪』でなかったとしても、『風巻』でもあるまい。――ならば貴様は、一体何者のつもりなのだ」

「俺は俺だ。それ以上でもなければ以下でもない」

 大和は、自らの存在理由(レゾンデートル)を何の躊躇もなく口にした。まるで彼にとって、あえて考える必要もないほどに自明のことであるかのように。

「何? どういう意味だ、それは……」

 だが、藤次は意味を解しかねたらしい。怪訝な顔をして大和を見やる。

「神凪だの風巻だのと、そんな下らないことは、どうでもいいと言っているんだ。いつまでも、そんな小さな世界(、、、、、)にしがみついているから、お前たちは三〇〇年経ってもなお、何も変わらないんだ」

「おのれ……貴様如きが、我ら一族を侮辱するつりかァ!!」

 大和の言葉によほど怒りを掻き立てられたらしい。藤次は憤激を露わにする。

 そういう話じゃないんだがな、と大和は胸中で呟いた。

 大和の真意はつまるところ、風牙衆による神凪家からの「離反」を暗に指し示していた。

 反逆ではなく、あくまで離反である。お互い長きに渡って共に在るからこそ、憎しみ合うのだ。ならばいっそ、離れてしまえばいいではないか。『神凪』と言う名の呪縛から永遠に逃れるのだ。そうすれば、憎悪と怨讐からも無縁でいられよう。

 もとより風牙衆は、風術師集団としては一流の腕前を持つ。ならば神凪家から離脱しても充分にやっていけるはずである。

 なのに、なぜか風牙衆からそんな話題が上ることが一度としてなかった。まだ、これが神凪家の立場であるなら理解できる。連中にしてみれば、自分たちの欠点を補ってくれる風牙衆と言う便利な道具を、わざわざ手放す理由はないからだ。

 だが風牙衆は違う。彼らには神凪から離脱する理由が充分すぎるほどにあった。

 それでも、風牙衆の口から「反逆」という言葉は聞けども、「離反」という言葉が出たことはない。

 まるで風牙衆の世界観において、神凪こそが燦然と輝く太陽であるかのように。風牙衆の存在理由にとって、どうしても神凪が不可分であるらしい。

 彼らにとって「共生」か「破壊」以外に道は存在しないも同然なのだ。共生も破壊もカタチは違えど、結局、ただ一つに交わらんとする行為に他ならない。

 故に、そこに「第三の道」があったとしても気づくことがない。神凪や風巻などという小さな世界から一歩、外へと踏み出すだけで、世界はかくも無限に広がっているというのに。

「……まあいい、こんなところで貴様などと仲良く人生哲学を語り合う気はない。――そろそろ始めようか」

 腰を屈めて、大和は臨戦態勢を整える。

「ふん、確かに貴様とこれ以上無駄話を興じる気にはなれんが……さっきから見ていれば随分と冷静じゃないか。姉をバケモノに変えられたのだ。貴様はもっと怒り狂うものと思っていたがな」

 そう言った途端、何か思い至ったのか藤次は、陰惨に表情を歪めて、

「ああ、それともこの女は貴様にとって、さほど価値のある存在ではなかったということか?」

 そんな言葉を言い放った。

 次の瞬間、大気が揺らめき空間が脈動する。否、それは正確ではない。一帯の空間に内包している炎の精霊が、“雷使い”の感情に呼応して、歓喜の声を上げているのだ。

「――俺が、冷静だと? 阿呆が、何処を見ている。怒りのメータはとうの昔に振りきっていることが解らないか」

 語る言葉とは裏腹に、大和の声は激情を心に宿しているとは思えぬほど、低く冷たく醒めきっていた。

 さもありなん。そうでなければ、どうして姉を救うことが出来ようか。

 炎の性は『烈火』。憤怒こそが、炎の精霊と同調し得る鍵だ。しかし、それだけでは到底足り得ない。激しい怒りと、それを制御し得る自制心を持つ者だけが、一流の炎術師になれるのだ。

 故に、春香を救うためには怒りに溺れる、などという贅沢は許されない。春香の肉体に巣くう、汚らわしい化物のみを焼き尽くすには、そうする他に術がないのだから。

「なるほど、春香を救うために怒りを制御しているわけか。だが、そんなことは誰にも出来はしないぞ。たとえそれが神凪の宗主であったとしてもな! 貴様に出来ることは、せいぜい春香共々妖魔を焼き尽くすか、姉の手にかかって死ぬことだけだ!」

 合点いったとばかりに口元を歪めると、藤次は冷酷な現実を突きつける。だが大和は何の痛痒も感じていないかのように平然とした面持ちで、淡々と口を開いた。

「だから、お前の小さな世界の話などは俺の知ったことではないと言っているだろう。とっとと始めよう、お互いのためにな」

 脅し文句が何の効果も発揮し得なかったと見て取るや、藤次はさも忌々しいとばかりに顔を顰めた。

「いいだろう。そんなに進んで絶望を味わいたいと言うなら――」

 藤次は唐突に言葉を切ると、頭上を仰ぎ見て静かに目を伏せた。

「何だ?」

 大和はそんな藤次を訝しげな眼差しで見遣りながら、小さく呟いた。

「おそらくは呼霊法です」

 背後からそう答えてくる美琴を、大和は肩越しにちらりと一瞥し、また視線を藤次に戻した。

「呼霊法だと? なら、奴は――」

「はい、おじ様はいま風牙衆と連絡を取っているものと思われます」

 緊張に身を固くする二人が見守る中、やおら藤次は興奮した面持ちで口を開いた。

「おお、流石は頭領だ。神凪の小僧を首尾よく確保したか。これで計画は次の段階に移行する。ならば、もはやこの場に用はない」

「何だと? 貴様、それはどういう意味だ」

 藤次の台詞に不吉な予感を感じ取り、鋭い語調で詰問する大和に、藤次は余裕の笑みを浮かべつつ答える。

「言葉通りの意味だ、大和よ。この場で貴様を始末したかったが、どうやら運命はもっと相応しい舞台を用意しているようだな。何より、決戦の地としては、あの場所より相応しい所など存在しない」

 彼がそう言葉を発した途端、黒い旋風が竜巻のように藤次と春香を包み込む。凄まじい突風が吹き荒れ、咄嗟に前へ出ようとした大和の脚に絡みつき、前進を阻まれる。

「くっ……貴様、まさか逃げるつもりか!」

 吼える大和に、狂ったような哄笑を上げながら、藤次は傲然と告げる。

「――大和よ、もう一度春香に会いたいたくば、来るがいい。我ら風牙衆の『神』が眠りし地、忌まわしき神凪の聖地へ……!」

 哄笑と旋風が鎮まった後、藤次と春香がいた場所には、もう誰もいなかった。風牙衆たちも既にその存在を消していた。それを目の当たりにした大和は、肩を震わせて怒りを爆発させた。

「待て、風巻藤次! くそ、姉さん……!!」

 だがしかし、その声は天へ向かって虚しく響くばかりで還ってくる言葉はなかった。その様子を、月が誰も届かぬ高みから、静かに見下ろしていた。

 

 


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