雷使い ~風と炎の協奏曲~   作:musa

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風使いと雷使い①

――……よ。風牙衆の長が命じる。神凪厳馬(、、、、)を暗殺せよ。さもなくば――

 

 

 この世でもっとも憎悪すべき相手の声を思い出し男は顔を顰めた。

 男の名は風巻大和。

 漆黒のロングコートに身を包んだ、二十歳前後の青年である。

 闇ばかりを抱える中でありながら、人目を忍んだような服装であるが、現状においてあまり意味を成していないだろう。なぜなら、大和が陣取っている場所は人目どころか文字通り人すらいない地上から遥か上空に居るのだから。

 科学文明の助けもなく素のままで上空に佇むその姿は、怪異そのものであったが幸か不幸かそれを指摘するものは誰もいない。

 しかし、『風巻』の意味を知るものであるならば、さして不思議には思うまい。最も、風巻大和は彼の一族でも異端に属してはいたが、今は関係ない話である。

 その彼は静かに眼下の地上を見下ろしていた。時間は深夜、しかも人口灯も少なく常人には真っ暗闇しか見えないだろう。

 だが、大和は理外の法の操り手である。この程度の闇はまったく障害にはならない。事実、彼はつぶさに地表の様子を見定める事が出来た。

 そこには深夜の公園で二人の男が戦っていた。

 一人は風を纏う青年の男――

 もう一人は炎を従えた壮年の男――

 両者は殺し合っていた。そう、それは間違いなく戦いであった。刃物の類を持つ事もなく、また殴りあう事もなく、彼らは激しく鎬を削っていた。

 彼らの間では、風が舞い、炎が猛った。

 何もない虚空から火炎が生み出され青年に向って奔り、その都度疾風が迎撃した。

 風炎狂宴。

 風と炎は互いを喰らい合うべく激闘が繰り広げていた。

 アレは只の自然現象ではない。

 アレらは凶器であった。二人のニンゲンが振るう恐るべき力であった。刃物の代わりに自然の力を操る者たち。彼らもまた大和と同じく理外の法の行使者なのだ。

 深夜の公園は常人では理解も介入も出来ない恐るべき異能を持ったモノ同士の決闘場と化していた。

 二人の男は大和にとって既知の人物だった。と言ってもとくに親交があった訳ではない。せいぜい顔見知り程度であったが、二人が何故戦い合っているのか、その理由を知っている程度には関係があった。

 風の青年の男――名を八神和麻という。旧姓は神凪和麻。

 炎の壮年の男――名は神凪厳馬。

 名前からも判る通り、この二人は実の親子である。

 なぜ深夜の公園で骨肉の争いをしているのかについては、複雑な背景事情もあるが一言で表すならば、古く特殊な一族に沈殿した因習ゆえだろう。

 神凪一族――それは火炎を操る炎術師の中でも最強と目される一族である。

 だからこそというべきか、「最強」という名声は一族に強い自負心をもたらし、結果、戦闘能力に至上の価値を見出す風潮が広まるにつれ、他の異能を下術と見下し、自分たちの炎術こそが至高だと信じた。

 そんな一族に神凪和麻は生を受けた。神凪の宗家に生まれながら彼は、まったく炎術の才を持つことなく……

 対して、父である神凪厳馬は宗主の椅子にこそ座ることはなかったものの、神凪家の歴史の中でも最高の炎術師の一人であった。また厳馬が神凪の体質を体現した人物であったことが和麻にとって更なる不幸を呼んだ。

 とはいえ、何処までも他人でしかない大和が、他人の家庭環境を論評する資格などないことは重々承知しているものの、客観的に見てもあまり幸福ではなかった事は確かだろう。

 なぜなら、和麻は四年前に実父から追放を言い渡されたからである。

 ある事件が切っ掛けだったのだろうが、こちらも端的にいうと炎術の才がない事が最大の理由であった。

 にも拘わらず、風の噂によれば、和麻はあの事件の後すぐに日本を離れたはずなのだが、どうやら最近になって再び日本に舞い戻ってきたと言う知らせが、神凪家に轟いた。

 それもかつて無力だった少年ではなく、大気を統べる風術師となって。

 この過去の顛末が今回の事件の始まりであった。

 前日のことである。神凪家邸宅で数名の神凪家分家の術者が惨殺された。調査の結果、犯人は風使いだと判明。神凪家は容疑者を帰国した『神凪』の名を捨てた八神和麻だと断定した。

 犯人は風使いで、また神凪家に恨みを持つ者だと仮定すれば和麻の名が真っ先に挙がるのは至極当然のことであった。

 だが、神凪家は分家でもトップクラスの実力者たちに和麻捕縛の命を出したが失敗。事態の深刻さを考慮に入れて、実質神凪家最強の術者である神凪厳馬がその任に赴いたのである。

 そして、現在に至るという訳である。

 戦いは佳境に入っていた。

 両者は間合いをとって対峙。戦闘開始時とまるで変わらない距離感、しかし刻一刻と高まる緊張感の度合いが戦いの決着が近いのだと教えてくれた。

 先に動いたのは壮年の男――神凪厳馬である。

 膨大な炎の精霊が厳馬へと集束する。

 炎の精霊は歓喜を超えた狂気に近い情動でもって厳馬に向って狂騒する。膨大な精霊が殺到する光景は、さながら海原から大津波が迫るに等しい。

 これ程の規模の精霊、一流の炎術師でも制御はおろか、近寄るだけでも精霊の狂気に引き摺られ、精神が破壊されかねない。だが、厳馬はそうではなかった。

 全ての精霊を制御かつ統合してのける。その業、すでに人の域のものではない。彼の纏う炎が黄金から蒼へとカタチを変えて昇華する。

 <神炎>――それは神凪家の中でも真に選ばれた者のみが行使できる絶対無敵の力。そして、一度解き放たれるや、全てを滅却する神威の具現。

 それを誰よりも承知しているはずの風の男――八神和麻はその神威の発露を前にしてもなお寸毫の恐怖も見せる事なく、涼しげに己が力を振るう。まるで、自らの勝利を確信しているかのような不敵な笑みさえ浮かべて。

 風が集束する。厳馬に劣らぬ――否、あきらかにそれ以上の速度で以って一点に集って

いく。大気の在る所に風の精霊あり。四大の中でも召喚速度において最速を誇る風術師の面目躍如か。

 集う。集う。集う。まだ集う。

 観客と化した大和は背中に冷たい汗が流れた。

 八神和麻の力の規模もまた隔絶した境地に在った。信じがたい事ながら、大和の目に狂いがなければ、精霊の総量においても和麻は、父厳馬を凌駕しているのではあるまいか。

 まさか、あり得ない。神炎使いが、超絶級の炎術師が、四大最弱の風術師に敗北するなど考えられない!

 大和は胸中に生まれた疑問を一笑に付した。そんな事実などあるはずがない。それがこの世界の常識であった。普遍の法則でさえあったのだ。

 だが、大和は忘れていた。

 どんな強固な法則であれ、それは時と供に覆る事もあるという事に。そして、今その現実を大和は目の当たりにしていた。

 先に術が完成したのは、やはり風術師。

 超大型台風を凝縮したかのような莫大なエネルギーが掲げられた手に収束していく。その力たるや、遠めで見ている大和でさえ戦慄を禁じえないものであったが、近場で味わう羽目になった厳馬の衝撃はどれ程のものであっただろうか。

 それを物語るように厳馬の動きが止まる。神凪最強の炎術師もまた和麻の実力は想定の埒外であったのだろう。実戦の最中でありながら、致命的な隙を見せる。

 無論、それを見逃す和麻ではない。風術師は更に風の精霊を手繰り寄せて、エネルギーを蓄える。

 厳馬も慌てて再召喚を試みるも、最早遅きに失した。既に和麻には、厳馬を超える力が集っていたからだ。

 和麻は躊躇なくその力を解き放った。

 超高圧の気圧の塊がフランス公園に吹き荒れる。轟ッという音が風の魔神(ジン)の咆哮ならば、その威力は、その巨腕による一撃だっただろう。

 超自然の暴風は一直線に厳馬に直撃。蒼き炎を薄紙の如く引き千切り、それでも尚止まらず術者の肉体に至り――吹き抜けた。

 そして、敗北者たる炎術者は地に墜ち、勝利者たる風術師だけが地に立った。

「……終わった、か」

 それが一部始終を見届けた大和の感想だった。

 もちろん驚愕の念は胸にある。が、余りにも結果が意外すぎると、人間は返って冷静になれるものらしい。

 だから、大和は神凪最強の炎術師が無頼の風術師に敗北したという事実を、素直に受け止めた。

 何より大和にとっての本番(、、)は、これからであったため余り拘っている暇もなかった。

 なぜならば、大和はこれより風牙衆の命令を遂行しなければならないのだから。

 

 

――風巻大和よ。風牙衆の長が命じる。神凪厳馬を暗殺せよ(、、、、、、、、、)。さもなくば……お前の大切な者を殺す――

 

 

「……ッ!」

 大和は両の拳を強く握り締めた。

 風巻大和は風牙衆の一族の者である。風巻家は先祖代々何百年もの間、神凪一族の下部組織の一翼を担っていた家系であった。

 勿論、そんな家が普通であるはずもなく、一族の人間はほぼ全員が風を操る異能を持つ風術師であった。組織名は風牙衆と呼ぶ。

 その風牙衆の人間である大和が、なぜ公園の上空で壮絶な親子喧嘩を観察していたかと言うと、主筋である神凪厳馬の援護……などではない。その逆の暗殺――その機会を窺っていたのである。

 この事実こそが、現在起こっている神凪家の騒乱の元凶を知らしめていた。

 そう、神凪家の人間を襲撃して幾人かを殺害に至らしめ、先刻大和の真下で骨肉の争いを演出した犯人こそが、他ならない風牙衆なのである。

 これら一連の事件は、すべて風牙衆が神凪の一族を対象とした復讐行為(テロリズム)。そして、これから大和が行う行為もまたその範疇に含まれる。

「……ふん、やはり気にいらないな」

 大和は風牙衆の人間であるが、一族に対する忠誠心などまったく持ち合わせていない上、そもそも神凪厳馬に遺恨すらない。本来ならばこんな任務など引き受ける道理など存在しない。だが……

「こんなところで、ぐだぐた言ったところで始まらない、か。……行ってくるよ、姉さん」

 迷いを断ち切るように呟くと大和は浮遊の術を切り、漆黒の闇と静寂に包まれた地上へと踊りこんだ。役目が首尾よく終わってくれることを心から祈りながら。

 

 

 狂おしいまでの激情はすでに過ぎ去り、八神和麻は地面に腰掛けて呆然と倒れ伏した神凪厳馬を見詰めていた。きちんと手加減したため死んではいない筈だが……

 和麻は自分がなぜ今更日本に帰ってきたのか、今はっきりと解ったような気がした。

 戦いたかったのだ。神凪最強の術者として君臨する男と。かつて和麻のすべてを支配していた父と。

 電話越しとはいえ四年ぶりに父の声を聞いたからではない。日本に帰ろうと決意したその瞬間から、神凪厳馬と決着をつける事を決めていたのだ。

 そうでなければ、どうして日本に帰ろうなどと思うだろう? 

 日本で退魔師として活動すれば、遠からず神凪家に自分の存在が知れ渡るのは確実だった。そうなれば神凪家から何らかのリアクションが起こる可能性は高かった。最も、帰国最初の仕事で神凪家の人間と鉢合わせするとは流石に予想できなかったが。

 ぼんやりと月を見上げながら和麻は思った。

 八神和麻が命を賭けて倒そうと定めた敵は最早いない――

 八神和麻が超えたいと願っていた男を超えてしまった――

 ならばこれから何をすればいいのか、和麻にはまったく解らなかった。月に向かって慟哭しても、和麻が行くべき道を指し示してはくれない。

 深い思考の海に沈んでいた和麻を呼び起こしたのは、膨大な戦闘経験から培われた直感だった。

 直後――黄金の閃光(、、、、、)がバリバリバリッと轟音を鳴り響かせながら、夜のしじまを引き裂いて和麻の頭上に落ちてきた。

(――雷だと、さては新手!? だがコイツは俺じゃない。狙いは親父か!)

 そうと気づいた瞬間、反射的に回避しようとした身体を意識的に止めて、防御に転じた。

 なぜそんな事をするのかと言う疑問は、意識の片隅に追いやりながら。

 和麻が展開した風の結界が雷光とぶち当たり、一瞬ストラボ効果のようにパッと弾けて深夜の公園を黄金色に染め上げると立ち所に消えた。

 そして――

 

 

「やはりこうなったか。まったく面倒なことをしてくれる」

 

 

 ――再度訪れた静寂を打ち破る声が天より公園に響いた。

 声とともに、一人の男が上空より舞い降りる。ひらりと軽やかに着地した黒衣の男は、依然、倒れ付しまま意識のない厳馬を挟んで和麻と対峙する。

 それを視界に収めながら和麻は、出来る限り冷静に状況の把握に努めていた。

 まず黒衣の男は何者なのか?

 ――これは現時点では判断する材料がないため棚に置いておく。

 風術師である自分が敵に存在を直前まで気付けなかったのは?

 ――これは簡単だ。和麻といえども厳馬を相手取って他に余力など残して置けるはずがなかった。通常より策敵能力が劣っていたとしても不思議はない。

 また、目下和麻の最大の敵対勢力は神凪家だったこともあり、地上に意識を割いていた事情もある。まさか敵が上空から襲撃してくるとは想定の範囲外であったのだ。

 だが――本当の疑問はそんな事ではなかった。

「どうしてだ? なぜ炎術師が親父を狙う(、、、、、、、、、、、)?……おまえは何者だ!」

 先の一撃の属性は『炎』であった。『風』ではなく火属性の精霊魔術である。風術師である和麻が、目の前に立つ精霊術師の属性を見間違うなど有り得ない。

 ましてや――神凪家の炎術師を!

 そう、目の前の炎術師は、神凪家の術者。それも黄金の炎を宿した宗家の縁者(、、、、、、、、、、、、、)のはずである。

(だからこそ解せねえ。神凪の人間がなぜ親父を狙う……?)

 そもそも神凪家一派が昨日今日と和麻に襲いかかってきたのは、正体不明の風術師に分家の人間が殺されたからではなかったのか。

 にも拘らず、どうして神凪のNO.2たる和痲の父親が、よりにもよって同族の炎術師に命を狙わなければならないのか。

 そんな疑問を懐きつつ、和痲は乱入してきた黒衣の男をつぶさに観察する。

 年の頃は和痲と同じか、少し下くらいといったところ。今時の若者にしては珍しく一切染められていない黒い頭髪は、短く刈り上げられている。口元はむっつりと引き締められており、その眼光は和痲の戦力を見計っているのか、油断ならぬ冷徹な光を灯していた。

 男は和麻の声に応えることなく無言のまま、明らかにこちらを警戒している素振りを見せている。

 そのことに和麻は軽く舌打ちする。

 神凪の炎術師が風術師を警戒するなど断じてあり得ない。厳馬との戦いを一部始終見られていたと考える方が自然だろう。ならば、弱いふり戦法はもう通用するまい。

 自分たちを最強などと思い込んでいる馬鹿な炎術師を相手にするには、実に有効な戦術だったのだが、残念である。

 だが、あらためて対峙する男の顔を眺めつつ、四年ぶりに神凪家宗家の顔ぶれを記憶の奥底から拾い上げて相互参照を試みたものの、該当する人物に心当たりがまったくない。

 ただ単に忘れただけ、ということもないではない。年齢的には唯一近いと思われる男子が宗家にいたと記憶しているものの、確かまだ高校生くらいの年齢のはずである。

 対して男は明らかに大学生くらいにしか見えない。

 それならば、思い起こす記憶の範囲を拡げて見るべきだろう。あるいは分家の術者から数百年ぶりに黄金の炎の使い手が誕生したのかもしれない。

 そこまで思案して和痲は、はたと思い至ることがあった。男の姿が記憶に残っていないのは、そもそも忘れているのではなく、探っている記憶の範囲事態に誤りがあるからではないか。

 すなわち――あの男は神凪家ではない(、、、、、、、、、、、)

 その瞬間、和麻の脳内で特大の電流が駆け巡った。

 和麻は知っている。憶えている。神凪であって神凪ではない者を。己と似て非なる者を。

 そう、神凪家に生を受けずして、神凪家の秘力たる『黄金の炎』を発現させた者を!

 蘇える記憶とともに、和麻はいま自分が巻き込まれる羽目になった神凪一族襲撃事件の首魁の正体を理解した。

「そういうことか、お前は風巻大和だな? なら俺を嵌めてくれたのは、風牙衆ってことか!」

 告げられた名に、暴かれた真実に男――風巻大和は目に見えて顔をしかめた。

 ひょっとしたら、大和は和麻が憶えていないと考えていたのかもしれない。無理もない。

 最後に顔を合わせてからずいぶんと経つ。

 だが、神凪家を出奔して四年経てなお和麻にとって彼は、そう簡単に忘れられる人間ではなかった。

 どうして忘れられようか。かつてどんなに望んでも得ることが叶わなかった『力』を有するこの男のことを。

 だが、それはもう過去の話である。和麻はもはや無力な少年ではない。神凪家最強の炎術師をも撃破した百戦錬磨の風術師。

 目の前に立ちはだかる男には、依然懐いていた羨望は無論のこと、畏怖の念もまた感じることはあり得ない。

 事実、和麻は動揺する大和の隙を抜け目なくつき、双方が対峙する中間に横たわる厳馬の身を、風を手繰って引き寄せる。

「貴様……ッ!」

 大和がそれに気づいた時にはもう遅すぎた。

 見えざる力に捕まった厳馬は、瞬く間に和麻の後方へと移動、いや乱暴に投げ出される。ごろごろとボールのように転がっていく厳馬。とても大怪我を負っている意識不明の父親に対する扱いではない。もっとも、和麻はそんな細かいことは心底どうでもよかったが。

 風巻大和の狙いは厳馬の命だ。

 だと言うのに、あんなところで呑気に寝転がられては邪魔で仕方ない。守ってやるつもりなのだから、むしろ感謝してほしいくらいだ。

「本当に余計なことばかりする奴だ」

 和麻の意図を察したのだろう、険しい面持ちで睨みつけてくる大和。

 まさに怒り心頭に発する、といったところか。心なしか周囲の炎の精霊が活性化している気がする。だとすれば、炎術師の強い怒りの感情に呼応しているのだろう。

 おお、怖い怖いと胸中で呟きながら、和麻はへらへらとしまりのない顔で笑う。

 それを見咎めた大和は、ぴくりと柳眉を逆立てて、

「……さっきから何を笑っている!」

 その怒号が戦いの合図となった。

 黒衣の青年の周囲でバチバチと紫電が迸るや、黄金色に輝く雷撃の槍が和麻目掛けて解き放たれる。その数、九本。前後に三、上左右にそれぞれ一本ずつ。和麻を取り囲むようにして殺到する、雷撃の牢獄。

 逃げ場はない。躱す隙もない。

 にも拘わらず、和麻の様相は泰然自若の態。完全に落ち着き払い、口元には依然、いつもの人を小馬鹿にするような笑みが浮かんでいた。まるでこの程度、危機でも何でもないと言わんばかりに。

 そして、風術師は右手を悠然と正面に突き出した。すると、それが号令であったのか、彼の足元から烈風が噴き上がる。

 総じて九条の風は、地面から伸び生えた大蛇の如く雷槍に絡みつき、締めつけ引っ張り上げながら、和麻に直撃するはずだった雷撃の軌道を強引に変える。――結果、九本の雷槍はことごとく大地へと引き摺り下ろされた。

 だが雷撃の槍は地面に激突する寸前、やにわに爆ぜるように風の拘束具を引きちぎり、無数にばらけて雷撃の蛇の群と化して、和麻を噛み砕かんと辺り一面で暴れ回る。その様たるや、まるで雷撃の嵐に見舞われたかのようだ。しかし和麻は、

(派手だねえ)

 呆れたように苦笑した。

 雷槍の投擲が不発に終わったと見て取って、大和は攻撃手段を切り替えたのだろう。が、それは無駄な足掻きだ。風の結界を展開した和麻には一切届くことはない。

 とはいえ精霊の密度、術の速度と応用。どれをとっても分家の術者を凌駕している。あるいは神凪家次期当主である神凪綾乃にも匹敵するかもしれない。

 だとしても和麻にしてみれば、所詮その程度に過ぎない。それだけではまったく脅威足り得ない。だがそんな和麻にしても、風巻大和の術に対して不可解な点が見受けられた。

(術の――雷術の行使が早すぎる(、、、、、、、、、、)

 雷術――

 言うまでもなく炎術師とは、『炎』を司る存在のことを言う。

 精霊魔術における『炎』とは、必ずしも火炎といった一形態に限定される訳ではない。光熱や電熱もまた炎術師の司る範囲に当たるのだ。

 だが炎術師が『炎』以外の属性を使用することはまずあり得ない。それは炎術師に成り損ねた和麻でも理解していた。理由は簡単である。無駄が多すぎるからだ(、、、、、、、、、)

 先に述べたように炎の精霊とは、『炎』という単一現象を指した存在ではない。

 なのに、なぜ彼らは「炎の精霊」と呼称されるのか。光熱や電熱を司るなら「光の精霊」や「雷の精霊」と呼ばれても構わないではないか。

 なのに精霊術師は遥か古より昔から彼らを炎の精霊と呼び習わす。

 それは物質界において炎術師に召喚された炎の精霊の顕れ方に起因すると言われている。炎の精霊は術者に召喚されると必ず炎の形態を採って世界に具現化するからだ。

 その理由は誰も知らない。そういう風に何者かによって定められているのだ。それがこの世界に法則なのである。だから術者は、その定められた範囲内で力を行使するしかない。

 つまり雷術を使用するのならば、『炎』を『雷』に変換する必要が絶対にある。

 炎術――『雷炎』。

 だが、この術は一流の炎術師ならばさして難事ではない。

 それでも、召喚する精霊の規模が膨大であればあるほど術の工程は、より困難を極めることになる。炎術師にとってそれは、術として完成する時間が大幅に遅れることを意味する。

 いわんや精霊魔術の最大の利点はその発動速度にある。

 呪文の詠唱を必要としないが故に、術の完成する速度が他の魔術系統に比べて格段に早い。だからこそ雷術の行使は、その点を大幅に損なう愚考といえた。この欠点から炎術師は、炎術以外の使用を嫌うのである。

 ところが風巻大和は、いかなる手段に依るものか雷術の不利を克服したらしい。明らかに彼の行使する雷術の発動速度は、通常の炎術のそれと遜色ない。

(炎術師業界なら表彰モノかもな)

 と和麻は内心で軽口をたたく。

 炎術師による雷術行使には少々驚きはしたものの、だからといって自分がそれだけで不利になるとは思わなかった。雷使いの魔術師や魔獣との戦闘経験もある。どのような攻撃であれ、対処可能であると判断した。

 もっとも風巻大和は術の上手い下手以前に、精神面において未熟な部分を多々残しているようだ。和麻が厳馬の身柄を押さえた途端、目的を見失っているのが良い証拠である。

 さっきの攻撃も和麻を狙うと見せかけて、大和の標的である厳馬を仕留めにかかるものと警戒していたが、そんな素振りさえも見せなかった。

 激情に流せるがまま本来の目的を忘れさり、和麻のみに攻撃の焦点を絞ってきた。まったく呆れた視野狭窄ぶりである。

 よりにもよってあの神凪厳馬を護るなどという、生まれてこのかた想像もしたことがない展開に、和麻の方がらしくもなく困惑やら緊張やらを強いられているというのに、これでは何やらこちらの方が損をしている気分にさせられる。

 それにしても風牙衆は、この程度の術者に神凪厳馬の相手を務めさせるつもりだったのだろうか?

 連中にしてみれば、自分が厳馬を倒してしまったのは、完全に想定外の事態だったはずだ。そうでなければ、一体全体本当にどうする気だったのか。

 おそらく風牙衆の切り札は別にあるのだろう。もしそうでなければ、連中の正気を疑うことになりそうだ。

 とはいえ、和麻に風牙衆のクーデターの行く末を心配してやる義理はない。あとは神凪家と風巻家の問題である。

 いまは厳馬の身を保護するつもりだが、それ以後は和麻には関係のない話である。それが少なくともこの時点での和麻の偽らざる本音だった。

(それにこの程度の相手なら、たいして手間をかけずにすみそうだしなあ)

 和麻は戦闘狂ではない。むしろその逆で戦いに関しては、相手が弱ければ弱いほど燃える性分だった。とくに未熟な術者などは、和麻の大の好物だったりする。

 そうは言っても、和麻に油断の念はない。未熟だろうが関係なくひとたび敵対した以上、冷静かつ確実に制圧にかかる。

 こと戦いにおいて驕慢による油断がいかに度し難い結果を招くか、和麻は放浪の旅の中で嫌というほど学んでいた。

 だからだろう――次の瞬間、研ぎ澄まされた自身の直感が危険を知らせる警鐘を鳴らすのを、和麻ははっきりと知覚できた。それに遅れてコンマ秒、風の精霊もまた風術師の脳裏に警告の声を囁く。

 常より反応が鈍い風の精霊(、、、、、、、、、、、、)に違和感を懐くも、そのときすでに和麻は風の結界を纏ったまま、いまだ吹き荒ぶ雷の嵐を突き抜ける勢いで、後方へと身を翻していた。

 間髪入れず、和麻の過去位置に黒影が躍りかかる。無論大和である。彼は何の躊躇もなく渦巻く雷の真っ只中へと突っ込んできたのだ。

 それはとくに驚くような話ではない。何しろこの雷撃の嵐は、他ならぬ大和が手ずから創り出したものなのだから。

 高位の魔術には、攻撃対象を選別する術がある。まして己で構築した術ならば、自身を対象から外すなど、より容易なことである。

 だが和麻の直感が脅威と感じ取ったのは、そんな些細な術ではない。

 もちろん、大和の挙動はこれだけには留まらない。さらに加えて猛威を振るっていた雷がすべて吸い込まれるように大和の右手に収束し、結晶化――雷光の剣と化す。

 そして、身を退いた和麻に猛烈な勢いで肉薄するや、大和は一刀両断せんと剣を大上段に振りかぶる。

「……ッ!?」

 驚愕に目を見開く和麻。

 稲妻閃く黄金の剣を手に持ち、猛追してくる大和の移動速度が異常までに速過ぎる。これほどまでの速さを得るには、果たして<気>を駆使したところで可能かどうか。

 ――否、<気>の運用だけでは不可能だ。和麻は大和の術の絡繰りに気付いた。

 おそらくは炎の精霊と一体化することで神経伝達速度を高速化させ、運動能力を驚異的に高めているのだろう。

(雷使いならではの技の数々ってことか!)

 そのとき和麻は、先ほど懐いた風の精霊の違和感、その正体を察して歯噛みした。

 雷撃の槍から変化した雷撃の嵐。さながら和麻を封じ込めるように展開された、あの雷撃の牢獄。

 だがあれの真の意図は和麻ではなく、風の精霊の働きを停滞させるための封じの結界だったのだ。和麻と風の精霊との交信をジャミングするために。

 無論、それは和麻を中心としたわずかな空域のみに限った話であり、それも和麻ほどの風術師が相手では、ほんのわずかな時間しか効果は期待できなかっただろう。が、大和にはそれで充分事足りた。

 実際、風の精霊との同調は明らかに通常より齟齬をきたし、結果、和麻は後手に回らざるを得なくなった。

 つまるところ、あの雷撃の嵐は和麻の「視覚」を潰すことにあったのだ。

 ならば、大和の狙いは最初から中・遠距離による攻撃などではなく、白兵戦にて勝敗を決する腹だったのだろう。

 風の精霊への妨害、雷術による身体強化に精霊力の半物質化。

 和麻は油断しているつもりはなかったものの、まさか炎術師が風術師相手にここまで手の込んだ策を弄するとは想像だにもしなかった。

 だが応じる和麻もまた、さすがの一言に尽きた。

 たしかに虚を突かれはしたが、素早く半身を退くことで稲妻の如き一撃を回避してのけたのだから。

 とにもかくにも、和麻はもう一度間合いを開くべく後退するしかなくなった。

 和麻も格闘戦の心得なら充分に持ち合わせているとはいえ、それでも大和と白兵戦を演じる気は毛頭ない。どんな事態に陥ろうとも、和麻の『楽して勝つ』のモットーに変更はあり得ない。

 大和が白兵戦に勝利を賭したというのなら、逆に言えば遠間(ロングレンジ)では勝機はないものと、そう判断したことに他ならない。

 ならば、和麻の取るべき選択肢はひとつしかない。『敵の晒した弱点は遠慮なく突け』もまた和麻の座右の銘のひとつなのだから。だが――

(そう簡単にはさせてはくれないよな……ッ!)

 飛び退く和麻の懐に、まるで同極の磁石が引きあうようにするりと滑り込む黒衣の影。己の刃圏にまんまと再侵入を果たしてのけた大和は、立て続けに雷光の剣を翻し、猛然と攻め立てる。

 怒涛の連撃に和麻は、ただ後退を重ねる以外に対処する術がない。風術で迎撃しようにも、その隙さえ見出せない。最速の中の最速といっても決して誇張にならない和麻をもってしても、だ。

 黒衣の男の剣は、まさに嵐そのもの。いや、雷光を帯びた剣を振るっているのだから、雷の嵐と称するべきか。

 しかもそれは、先ほど和麻に浴びせにかかったシロモノとは、比べものにもならぬほど死を孕んだ即死の雷だ。直撃すれば、和麻とて死は免れ得まい。

 だがしかし――当たらない。躱す、躱す、躱し続ける! 

 和麻の身体には一発たりとも剣の稲妻が降り注ぐことはない。

 世界にあまねく在る風の精霊と同調している和麻の脳裏には、大気を通じてありとあらゆる情報が流れ込んでくる。

 それでも当の術者である和麻を中心にして距離を隔てるごとに情報の精度は、落ちていくことだけは避けられない。

 だがそれも至近距離においてならば、その影響は皆無だ。

 故に、大和の僅かな視線の動きから攻撃箇所を、剣の長さと足運びの距離から斬撃範囲を読み取り、さらに加えて、敵の全身から滾る殺意からタイミングを感じ取ることで見切って躱す。

 ここまでくれば、もはや未来を予知しているも同然である。これではいかに大和の猛攻が凄まじくとも、和麻に当たる道理がない。

 事実、すでに数十もの斬撃を繰り出しながら、ただの一度も有効打に至らず、どころか掠りもしない。なのに――大和の顔に動揺の色は毛筋ほどもない。

 それどころか、むしろ瞳に闘志の炎を爛々と灯し、ますます嵩にかかって剣を振り続ける。

 だが和麻にしてみれば、それこそ相手に最もしてほしくないことであった。

 傍目には和麻が余裕をもって、大和の猛攻をいなしているかのように見えるだろう。が、内実は違う。

 未来予知に等しい見切りの業も、風の精霊から送られてくる膨大な情報を瞬時に脳内で整理と解析を行いつつ、計算結果を肉体にフィードバックしているに過ぎない。

 結局のところ、超常の域にまで達している見切りの業は、和麻の卓越した情報処理能力あってこそなのだ。そのため情報の演算を一つでも間違えようものなら、和麻の身体は即座に一刀両断の憂き目を見るだろう。

 現在の戦況は、そういった極めて繊細な均衡の下、成り立っているのである。

 だが和麻とてこのまま座して防戦一方のまま終わるつもりはない。後退を続けながらも、彼は風を手繰り寄せて、徐々にではあるものの、抜かりなく力を蓄えはじめていた。

 今は一発で勝敗を決めるほどの精霊力は必要ない。それ以前に、そんな隙など晒してくれる相手でもない。

 だからこそ、その必殺の一撃を放つ時間を確保できる距離さえ稼げれば充分なのだ。

 炎術師の至高の力たる《神炎》をも凌駕する出力(パワー)が和麻にはある。よって十全に力が振るえる間合いを得られるなら、自分の勝利は揺るがない。

 大和もそれは解っているのだろう。そうはさせじと、よりいっそう攻めに苛烈さが増していく。

(まだマックスじゃなかったのか!)

 愕然とする和麻を尻目に、さらに猛り狂う剣撃の嵐。

 その攻勢に圧されて、力を蓄えるスピードが目に見えて衰えはじめる。和麻は焦燥に顔を歪めるも、怯むことなく勇を鼓して斬撃を躱し、風の精霊の召喚を繰り返す。

 そして――

(よし、もう充分だろう!)

 ついに充填される風の力。自らの内に脈動する力が、今か今かと解き放たれる瞬間を待ちわびている。

 その衝動に突き動かされるまま、和麻は右手を掲げる。

 直後、束ねられた気圧の塊が、噴流と化して猛然と疾駆する。高圧噴射された疾風の魔弾は、剣を振りかぶり迫る大和に向かって押し寄せる。

 雪崩打つ大気の激流。大和に躱す暇はない。

 それも当然。躱すも何も、そもそも自分から体当たりしているようなものだ。これでは躱しようもあるまい。

 ならば――防ぐか。

 いや、もう遅い。すでに彼は攻撃モーションに転じている。今から防御に移っても間に合わない――

 


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