ある二人の男の話をしよう。
似て非なる人生の軌跡を歩んだ、ふたつの物語を。
一人の男は、無力だった。
決して才がなかったわけではない。それどころか彼は生まれながらにして、確かな『力』を備え持っていた。
ただし、その力が本人だけでなく、親族に至るまで長い間見出すことが叶わなかったことが、彼の人生に大きな影を落とす事態になった。
なぜならば、それによって男は、幼少の頃より周囲の親族たちから「無能」と疎まれ蔑まれながら、生きていかねばならなかったのだから。
だが周りの評価に反して男は優秀だった。
通学していた学園では、勉学・運動ともに常にトップクラス。何ひとつとて、同世代の親族たちの中で彼に敵うものはいなかった。
ただひとつ、あるモノを除いては……
ソレがないために、男がどれほど優秀さを示そうとも、親族はもとより実の両親すら一度として彼を認めることはなかった。
それは男の一族にとって他の何よりも代えがたいほど重要視、否――神聖視しているとさえいうべき、ある『力』が彼には備え持っていなかったからである。
その力は彼の一族の者ならば、誰もが先天的に身に宿しているはずであったのだ。ただ一人、男を例外として。
この事実が、一族の中で男の価値を決定づけた。
即ち――無能である、と。
だが、男も唯々諾々と一族の決定に従ったわけではない。懸命に抗った。力を得んがために血の滲むような努力を重ねてきた。
来る日も来る日も、何年も何年も、そのために研鑽を積んだ。
力を、一族の人間と同じ力を――
それが努力だけでは叶わぬと悟るや、八百万の神々に縋りついた。何より彼の一族が奉じる神に求め願った。
だが、すべてが無駄であると理解するのに、そう長くは掛からなかった。彼の身の裡には、何処をどう探したところで一族と同じ『力』などありはしなかったのだ。
その現実を直視してなお、男は諦めなかった。
別の手段で、別の力を得ることが出来たのなら、両親と親族に認めてもらえるものと信じていたのだ。まだ、その時までは……
何も彼は大それた力を欲していたわけでなかった。必要最低限の、一族に認められる力さえあれば満足だったのだ。
何にも増して彼が力を追い求めたのは、それが「手段」であって「目的」ではなかったから。
男が本当に求め欲していたのは、『力』を得ることで一族から暖かく迎え入れられ、両親から信頼と愛情さえ与えられるのならば、それでよかったのだ。
普通の人間ならばとくに労力など支払わずとも、ごく当然に享受できたはずの権利。そんな当たり前のモノを、彼は実力で勝ち取ろうとしたのだ。
それは純粋で穢れなく初々しい行為。如何なる邪まな思いもない無垢なる願い。
皆の輪に入りたい。家族と繋がりたい。孤独を厭う一人の人間の痛切な叫び。そんな男に対して、周囲の反応は冷淡を極めた。
親族たちは冷笑と侮蔑を。両親たちは徹底した無関心で押し通した。だが、後に男に降りかかる悲劇を思えば、彼らには解っていたのだろう。――親族たちが男を受け入れることなど決してあり得ないという現実を。
それを証明するかのように、彼も一向に変わることのない現状を前にして、次第に嘆きと哀しみが心を圧し潰していった。
何もかも放り投げてしまったわけではない。己を高めるための努力は以前と変わらず継続していた。ただ、かつて彼の心を満たしていた熱意と情熱は冷却され、ただ荒涼たる虚無だけが拡がっていくのみであった。
にも拘わらず、もはや無駄と知りつつも継続していたのは、頭と体を酷使している限り、見たくもない現実と向き合う必要がなかったからに過ぎない。だから、彼はあたかも機械と化したかのように以前と同じ「作業」を黙々と繰り返していた。
――ある重大な事件が起こるまでは。
彼の一族の宗主が事故により、再起不能の障害を被ったのである。そのため、早期に一族の後継者を決定しなければならなくなった。
そこで次代の後継者として擁立された一人が他ならぬ彼であった。
それは彼の実父が一族で絶大な権勢を誇っているための推挙だった。そこに、男の実力は関係なかった。
対して、彼の他にもうひとり擁立された人物がいた。
後継者候補に立てられた理由は、彼と同じくその血縁が最たるものであったが、男と完全に違っていた点は、幼いながらも、すでに確たる『力』を有していることだった。
一族の後継者は、当然ひとりのみ。しかし、候補者はふたり。
そうとなれば後は、どちらか一方がより優れているかを決めるしかない。彼らの一族は、遥か昔から『力』こそが正義であることを金科玉条に掲げていたのだから。
一族の宗主の事故を契機に、勃発する後継者争い。
だがこの戦いは、始まる前から結果は誰の目にも明らかだった。
いかに研鑽を積んだところで、結局男は一族の中でも最下級の者にも劣る程度の実力しか身に付かなかったのだ。一族の奉ずる神から授けられる彼らの『力』に並び立つには、当時の彼にはあまりにも高き山であり過ぎた。
それとは裏腹に、彼の対戦者たる少女は、幼き身でありながら一族の中でも将来を嘱望されるほどの圧倒的な才能を秘めていた。
これでは男には万に一つも勝ち目はない。いや、それ以前にまともな勝負にもなりはしない。
それも当然だ。これは、後継者争いの名を借りただけの事実上の公開私刑にも等しい。
実際、男は彼より年少の少女に完膚なきまでに敗北を喫した。
最初から勝つ見込みの全くない戦いだった。もしそれを認識していながら、後継者争いに名乗りを挙げたのが他ならぬ彼自身の意思であるならば、それはただの自業自得でしかなかっただろう。
だが、違うのである。
彼には一族の後継者になろうなどという身に過ぎた野心などなかった。またそんな力もありはしなかった。他の誰よりも彼がそれを自覚していた。
故に、彼に勝てないこと確実な後継者争いに名乗りを挙げたのは、彼の意思などではなく、強制されてのことに他ならない。それも、実の父親に……
そうでありながら、戦いの後、身も心も傷つき疲れ果てた彼と差し向った彼の父の対応は、にべもなかった。謝罪や慰撫の言葉で息子を慰めることもなく、それどころか「出ていけ」であったのだから。
男は実の父親に勘当を言い渡されたのである。
驚愕と絶望に駆られた男は、父に縋りつき慈悲と温情を乞うた。それが取り付く島もないと悟ると、母に泣きついた。――が、彼の母は息子を勘当した夫を非難するどころか、積極的に賛成の意を露わにして、父に棄てられた哀れな息子に当座の生活に困らぬだけの資金を手渡し、快く放り出したのであった。
彼の母は、たとえ血の繋がった子供だとしても、愛することが出来ない人だったのだろう。しかし、彼の父は違った。
父は息子が一族の属する世界では、到底生きていくことが出来ないと解っていたが故に、彼がまったく別の世界で生きられるように、あえて息子を一族から追放、いや「解放」したのであった。
そこに悪意はなかった。彼の父親なりのどうしようもない程の不器用な「善意」があるだけだった。
もっとも、二親から棄てられたと思い込み、悲嘆と絶望のどん底に沈んでいた当時の彼に、そんな父の秘められた想いなど察せられよう筈もない。
彼はその日のうちに、一族から、故郷の国からも跳び出して、単身大陸へと渡った。
その地で今までどんなに望んでも得られなかった真の愛情と献身、そしてそれを喪うことによってもたらされる、深い慟哭と絶望を味わう羽目になると知る由もなく……
そして、もう一人の男の話を始めよう。
男には『力』があった。
生まれながらにして強大無比なる力が。そして――その力が彼の属する一族伝来のものでなかったことが男の人生に不運が見舞う羽目になった。
それは――これから語ることにしよう。
そう、数奇なる運命に彩られた『風』と『炎』の協演譚を。