アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第5話「人間、楽ばかりでは成長しない」

 世界接続20周年祭、ひいてはブルーミングバトルを10日後に控えたその日。セニアと冬吾は、白百合島最大の建造物であるアンドロイド・ネストの付近にある演習場に来ていた。なんでもドクター・ミハイルがここで、セニアに相手をしてもらいたいアンドロイドがいるのだという。

 

「なぜ、セニアなのですか?」

「んー……ドクターは教えてくれなかったけど、どうしてだろうね?」

 

 そんな話をしながら演習場へ向かう。テルルとユーフィリアはここにはいない。2人ともエクシードの練習中だ。ユーフィリアは、新技を考案して以来、それを戦術に組み込むことに熱心だ。テルルも基礎スペックをさらに向上させ、前回よりも遥かに幅広い活躍を期待できるだろう。

 しかし、誰よりも成長したのはセニアだった。前回の時は青蘭に来て僅か、どころか活動し始めて僅かだったから当然と言えば当然なのだが、ここでの約5ヵ月の暮らしが彼女に与えた影響はとても大きなものだ。無表情・無感情そうなところは今も変わらないが、出会った頃に比べれば格段に感情表現が豊かになったし、鋭い洞察力も見せるようになった。彼女らしさと呼べるような個性も出てきたし、他者を慮るような行動も覚えたようだ。

 成長は戦闘面でも顕著である。本格的に飛行ユニットの扱いを覚えてきて、まだユーフィリアほど巧みではないが空中戦もある程度こなせるようになった。小柄な彼女ならではの素早い身のこなしもしっかりと身に付き、銃火器にも格段に慣れたことで、中距離戦では時折テルルを制す場面すら見られるになっている。将来的には、地上と空中のどちらでもバランスよく戦える、フィールド全域を任せられる存在となるだろう。そうすれば、今まで空中戦を全面的に任せていたユーフィリアを別の役割に振ることもできるようになり、戦術の幅はより一層広がる。その時が、冬吾には楽しみでならなかった。

 

 ネストの演習場は、チームメンバーが全員アンドロイドということで、コロシアムが埋まっていてこちらが空いている場合に限り、使わせてもらっている。少しズルいような気もするが、これも身の振り方の結果得られた特権のようなものだろう。時々、非番のアンドロイド部隊の面々らが戦闘の講習をしてくれることもあった。セニアの銃火器の扱いは、そうやって覚えた面が多い。何しろ、銃火器をメイン兵装として用いるプログレスは冬吾のチームにいなかったからだ。小柄なセニアが地上戦でどう動くと効果的なのかも教えてもらった。本当にありがたいことだ。

 演習場は広大な土地に全部で7つもあるが、その内の指定された1つに着くと、既にドクター・ミハイルが来ていた。

 

「やぁおはよう2人とも。来てくれてありがとう」

「おはようございます、ドクター・ミハイル」

 

 黒髪が麗しいドクター・ミハイル。目の下の隈は相変わらずだが、普段に比べれば顔色はずっと良いようだ。この人も、白の世界に自分の会社『イプシロン・インダストリー』社を持ち、こちらの世界では出向してきたアンドロイドたちの点検や修理などを引き受けているにも関わらず、冬吾やセニアによく構ってくれる。そもそも、去年からユーフィリアやテルルといったアンドロイドと仲が良く、その内チームを組もうと思っていた時から懇意にしてくれていた。本人は気にしてもいないようだが、冬吾としては感謝しっぱなしだ。

 

「それで、その……セニアと手合わせして欲しいアンドロイドっていうのは……」

「あー、もう少しで来るよ。時間厳守なヤツだから、早くも遅くもない、完璧な時間に来るさ」

 

 一通り挨拶を済ませてから冬吾がミハイルに聞くと、彼女は上空を見回した。飛んで来るのだろうか?

 

「それじゃあセニア、準備運動しておくといいよ」

「はい、マスター」

 

 セニアが荷物を置いて身体を伸ばし始めたのを横目に、冬吾はミハイルに気になっていたことを尋ねた。

 

「それより……ここ最近、忙しそうじゃないですか?」

「ん? そんなことない。普段通りだよ」

「いや、ドクターが、っていうより……みんな、って言うんですかね。なんか大人たちが、みんな(せわ)しなさそうで」

「そりゃお前、20周年祭も目前だからな。こっちなんてまだいい方だぞ? 青蘭庁なんか、各世界のゲストを招くってことで対応に大わらわみたいだし。ネストがやることって言えば、普段よりも警戒を強めることくらい。ま、普段通りさ」

「んー……それもそう、ですね……」

 

 しかし、冬吾はまた、どこかに引っかかりを感じていた。世界接続20周年祭を目前に控えているから。確かにそれはそうだ。これほどの大イベントが青蘭で行われたことなど、今までに1度も無い。どこもかしこも大忙しなのは分かる。

 ただ、冬吾が感じたのは忙しさ、というより。

 

(焦ってる、みたいな。何かを待ち構えている、みたいな……)

 

 言葉にはしにくいが……例えるなら、そう……準備は準備でも、盛大な祭りの準備を急いでいるのではなく、まるで「隕石が落ちて来るぞ」と言われた時の準備のような焦りを感じるのだ。その証拠になるわけではないが、冬吾が会ったここ最近の大人たちは皆、楽しそうではなかった。お祭りの前の準備なら、例え大忙しだったとしても少しくらいは笑いがありそうなものだ。何せ、楽しむための準備なのだから。しかし、感じるのは焦りと、それ以上の困惑。「とにかく動かなきゃ」というような、目的地不明が故の焦りが、どうしても伝わってきてしまう。

 それは、このミハイルも同じだった。普段と変わらない、毅然とした態度に見えて、その瞳の奥から感じ取れるのは、彼女らしくもない「不安」だった。その不安に一番近いのが……

 

「……夢、見ます?」

「……みんな見ているさ。プログレスやαドライバーなら、誰でも」

「ドクターもプログレスなんですよね?」

「ああ。……だから、見ているよ」

「僕はまだしも、セニアが怖がってるんです。どうにかしてあげたいんですけど……」

「睡眠が必要な以上、どうしようもないさ。ああでも、黒の世界には、夢を見ずに眠ることのできる魔法薬があるらしい。通界規制を通っていないから、あっちに行って手に入れる他ないらしいがね」

「アンドロイドだからどうにかなるかなーって思ったんですけど」

「半機械といえど、意識は人間そっくりなのさ。アンドロイド・マインド理論は難しいぞ。勉強したいなら教本貸してやろうか?」

「あー……それはまだいいです」

 

 夢。水面(みなも)に立って、緑の光を見上げる夢。もう1ヵ月近く続いている。最初は本当に見上げるだけだったそれも、最近は水中に沈み、息苦しさから逃れるためにずっと水面に出ようと藻掻くような、悪夢といっても差支えない夢になりつつある。どれほど藻掻いても、緑の光は水の向こう側で、どこか助けを求めるように弱々しく揺らめくばかりだ。

 聞けば、この夢はプログレスやαドライバーなら年代に関係なく見ているようで、チームメンバーのアンドロイドたちも悩んでいる。肉体的にも精神的にもまだまだ幼いセニアは、言葉少ななのは相変わらずだが、半月ほど前からあからさまに冬吾のそばを離れたがらなくなった。練習が終わったから寮に帰れと言うと、物凄く悲しそうな目で見上げて来るので、夏休みに入ってからずっと、彼女の寮に迎えに行って、練習するなり青蘭諸島を回るなりして一日を過ごし、夕方に寮へ送り届けるのが日課になっているほどだ。

 また、この夢に対して、なぜか異様にポジティブなユーフィリアですら、ここ最近は流石に疲弊してきているらしい。口では相変わらず「夢なんだから気にしないでいいですよ」と言っているが、ふとした瞬間に見せる、困惑と焦燥が入り混じったような表情が、冬吾を心配させている。

 

「ま、訳の分からないことを考えてたって苦しいだけだろう。今は目先の……お、来たか」

 

 難しい顔をして悩みこんでいる冬吾を諭すように言いかけたミハイルが、不意に空の一点を見つめた。冬吾とセニアも一緒にそちらを見る。その方角から、2つの物体が飛来していた。片方は人型だが、もう片方は、大きな箱。少なくとも冬吾の目にはそう見えた。

 2つの物体はあっという間に演習場に到達し、3人の前に降り立った。冬吾の目は間違っていなかった。飛来したのは人――美少女型のアンドロイド――と、彼女の身長の2倍弱ある高さの巨大な箱だった。

 

「さすが、時間ぴったり。……さて、紹介しよう。アリアだ。デルタの元で働いていて、今日は成長著しいセニアの訓練相手に抜擢した」

「おはようございます、ドクター・ミハイル。そしておはようございます、三島冬吾様、セニア様」

 

 アリアと呼ばれたアンドロイドはにこやかに一礼した。まるで冷たい月明かりに照らされた、波ひとつ立たない湖面のような長く青白い髪と、雪みたいに真っ白な肌。そんな肌とは対照的に、綺麗な顔に凄惨な穴が2つ、穿たれていると錯覚してしまうほどの真っ赤な瞳。プロポーションは平坦な方だが、全体的に見て目を見張るような美少女だった。その立ち居振る舞いは悠然としており、ゆったりとした動作は余裕を感じさせる。

 そして、前髪に隠れてよく見えないが、額に描かれているのは、どこかセニアのものに似たプロダクトサイン。

 

(もしかして、セニアと似た規格のアンドロイドなのかな)

 

 そういえば、側頭部に装着している脳波増幅装置も似たデザインだ、と心の中で思いつつ、冬吾はとりあえずアリアと挨拶を交わす。次いでセニアが――――

 

 セニアは、アリアから目が離せない様子だった。単に見惚れている、とかではない。まるで、文字通り視線が釘付けになってしまっているかのようだ。しかも、これといった理由なく。

 アリアの方も、セニアを見た瞬間、にこやかな表情が消失し、その顔を食い入るように見つめている……。

 これは明らかにおかしいぞ、と思ってミハイルの方を振り返ると、彼女はどこか緊張した面持ちでその様子を観察していた。ドクターが割って入らないのは問題無いからなのだろうか、と少し楽観的に考えてしまってから、いや、僕は彼女のパートナーだ、という自負が盛り返し、

 

「セニア、大丈夫?」

「――――っはい。大丈夫、です」

 

 セニアは呪縛から解かれたようにハッとして、元に戻ったようだ。一方のアリアも、冬吾が割って入ったためか、元のにこやかさを取り戻していた。

 

「セニアです。本日は、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 セニアとアリアがほぼ同時に右手を差し出し、握り合う。

 その様子を見るミハイルの顔からは、まだ緊張が抜けきっていなかった。

 

 

…………

 

 

 アリアが持ってきた(というより連れてきた)箱は、名前を『デュオ』というらしく、彼女が使用できる武器や工具・スーツなどの装備がたくさん詰まっているのだとか。この後の仕事に使うようで、今回の訓練では使用しないという。

 

「僕、デルタさんのラボには何度もお邪魔していますけど、アリアちゃんの姿、見たことありませんでした」

「それはそうだろう。彼女は極めて多忙だ。基本的には白の世界にいて、デルタ・テックの経営や技術開発に携わっている」

「デルタ・テックって、デルタさんの会社ですよね」

「ああ、うち……イプシロン・インダストリーとも関係が深い会社だ。ちなみにうちの技術顧問でもある」

「すごいですね」

「本当にな。必要があれば他の世界にも行くことがあるんだと。例えばセニアの装備に使われた、黒の世界産の特殊な金属があっただろ? あれはアリアが取引を成立させたらしい」

「マルチな才能、ってやつですね」

「無論、戦闘の腕も高いぞ。さ、そろそろ始めよう。準備はいいかー?」

 

 ミハイルと喋っているうちに、フィールド内の2人の準備は終わったようだ。コロシアムと同じようにαフィールドが展開され、2人ともトークンとリンクした。

 

「エクシードレベルの上限は4だ。実戦じゃあそうないだろうけど、レベル0からスタートして、1レベル上昇に50秒かかる。いいな?」

 

 2人からの首肯が返ってくる中、冬吾はミハイルに耳打ちした。

 

「僕がリンクしちゃダメなんですか?」

「お前がリンクしたらセニアが有利になってしまう。今回の彼女には、少し不利を味わってもらいたい」

「そんなの可哀想じゃないですか」

「だからだ。人間、楽ばかりでは成長しない。お前にはそれを与えられない、だろう?」

「……そ、そんなことは」

「悪い意味で言ったんじゃない。それはお前の、とても良い美点だ。……始めよう」

 

 ミハイルに褒められながら妙に(あで)やかに笑いかけられ、思わずドキッとしてしまう冬吾。そんな彼を尻目に、ミハイルはフィールドに視線を向けた。

 そして……3、2、1、と彼女が数え、アリアとセニアの訓練が始まった。

 

 

…………

 

 

 初期レベルは0。エクシードは使用できない。

 

 セニアのエクシード《四六式乙型亜空間連結機構(ブルム・エクス・マキナ)》は、彼女固有の亜空間にアクセスするというものだ。亜空間の形は入口が狭く奥が広い漏斗(ろうと)状になっており、エクシードレベルが上昇するほど奥に手が届くようになる。彼女はこの内部に武器を格納し、エクシードレベルの上昇と共に必要に応じて呼び出し使用している。この亜空間はセニアと共に成長していく。4月の段階ではまだまだ狭かったそれも、今ではレベル4領域に全身装着アーマーが入るような広さに成長した。ただし、レベル1領域は成長が鈍く、まだ手持ちの武器が数個入る程度。

 レベルが上昇するほど行動の選択肢がぐっと広がり、急激に強くなる彼女は、低レベルの時は素のスペックがそのままさらけ出されてしまう。小柄な彼女の直接攻撃は、決して強いとは言えない。なので冬吾は彼女に、低レベルの間は逃げ回るように指示している。彼女は身体の小ささ相応の素早さを持っているため、レベルが上がり切るまでの間攻撃を避け続けるだけなら、意外なほど上手くいく。最近はユーフィリアとテルルの2人から3分近く逃げ続けるという快挙を見せた。これは並大抵のプログレスでは難しいだろう。

 なのでセニアは、アリアが何を仕掛けて来るかを見極め、攻撃に備えた――――が。

 

(……動かない?)

 

 バトルが始まってもアリアは悠然とした態度を崩すことなく、にこやかにセニアを見つめている。

 

「……動かないのですか?」

 

 いつでも攻撃を躱せるように身構えながらセニアが問いかけると、アリアは、

 

「はい、レベル1まで待ちます。セニアさんも、その方がいいでしょう?」

 

 と返ってくる。お見通しなのは、前回のバトルの映像を見ているからだろうか。それとも、デルタからここ最近の訓練の様子が伝わったか。いずれにせよ、情報的なアドバンテージを向こうに握られている状況だ。油断はできない。レベル1になるまでの数十秒の間に、戦略を練らなければ。

 セニアはレベル1領域に格納されている武器をリストアップしながら、どれをどの順番で使用して追い詰めるかシミュレーションする。アリアの身体能力は未知数。しかし、セニアと似たような規格のアンドロイドであることから、テルルより力が強い、あるいはユーフィリアより高機動だということは無いだろう。となれば必要なのは、素早い敵に攻撃を当てるための正確さ。

 

(いずれにせよ……全力で、挑むまで)

 

 レベルが1に上昇した。

 

 セニアは即座に亜空間のレベル1領域にアクセスし、エネルギーショットを撃ち出す小型の銃を取り出した。まずはこれで牽制しながら、相手の攻撃を見極める。相手も遠距離攻撃を使うなら距離を詰めて近接戦へ持ち込み、逆に近づいてくるようなら距離を保って遠距離戦を持続させる。その後にレベル2になれば、そのまま武器の選択肢を広げて多彩な戦略を取ることができる。

 ――――が。

 

「けふっ――!」

 

 思考を完了する前に、セニアの身体は宙を舞っていた。そこまで手痛い攻撃ではないが、これは、セニアが取り出したのと同じような、エネルギーショットを食らった感覚。

 何とか地面に転がりながら着地してアリアの方を見ると、彼女は本当にセニアのものと似ている小型の銃を構えていた。

 

(あんな武器、どこから――!?)

 

 などと驚いている暇はない。その銃は既に消えかけていた。それは余りにも見慣れた光景――亜空間へ格納する時の消え方だ。つまり。

 

(セニアと同じエクシードを、持っている――!)

 

 セニアはアリアに狙いを定め、エネルギーショットを発射した。しかし、アリアはそれよりもワンテンポ早く軽やかに回避行動を取っており、当たらない。その手には、新しい武器が生成、というより取り出されつつある。その速度が異様に早いことにセニアは驚いた。先ほどもそうだったが、このエクシードの成長は、武器の取得速度も上昇させるのだろうか……?

 

(向こうの攻撃に合わせていたのでは、間に合わない)

 

 この数か月で飛躍的に成長していたセニアの頭脳は、そう判断した。せーので武器を取得した時に向こうの方が早いなら、セニアに勝ち目はない。再三だがセニアの素のスペックはそれほど高くない。つまり、ある程度防御を固め、こちらの攻撃を無理やりにでも突き通せるようになるまでは、逃げ回るのが得策。

 アリアが生成した武器は、どうやら近接攻撃用のロッドのようだ。セニアは体勢を立て直すと、すぐさまバックステップ。接近してくるアリアから距離を取ろうとした。その刹那。

 

「――――シッ」

「うぐぅっ!?」

 

 エネルギーショットより遥かに重い一撃が、バックステップ中のセニアを襲った。接近を許したわけではない。アリアはロッドを、セニア目がけて投擲してきたのだ。腹部にそれを受けてしまったセニアは、地面に倒れ込んでしまう。

 

(――――立て! 寝転がっていては、万に一つの勝機もない!)

 

 αフィールドの中なので痛覚は無いが、奇襲への精神的な衝撃がセニアの思考を鈍らせていた。だが、今までの訓練の中で、何度テルルに殴り飛ばされたことか。何度ユーフィリアの炎に舞い上げられたことか。その度に立ち上がってきた。自分の役目は、マスターである冬吾に勝利を齎すこと。寝転がりっぱなしでは、絶対に承知は訪れない。とにかく立つ。立って考えるんだ。

 セニアは何とか立ち上がり、もう一度牽制射撃を放つために正面を見ると……いない。どこだ、と周りを見回す前に、次の衝撃が真横から襲ってきた。

 

「アリアのエクシードは、貴女のものと似ているそうですね、セニアさん」

「うっ……!」

「アリアもそうです。亜空間から、武器を取り出すエクシードです」

 

 襲ってきたのは、手だった。ただし生身の手ではなく、ガントレットを纏っている。殴られたわけではなく、肩を掴まれた。

 とっさにセニアが振り向こうとすると、もう片方の手がセニアの腰に回された。元々振り向こうとしていたため、少しの力でセニアの体勢はがくっと後ろに傾いてしまう。アリアは、セニアが振り向こうとした際の回転モーメントをそのまま利用し、セニアを地面とほぼ水平になるまで体勢を崩しながら、真横に放り投げた。投げられたセニアは時面に転がりながら、どうにか受け身を取る。

 

「でも、その性質は少し違うようです。武器の展開が貴女より早いのは、貴女の努力不足ではないでしょう」

「な――」

 

 レベルが2に上昇した。

 

「サー……マスター・デルタからは、エクシードの格納方法が違うとだけ伝えられております。次はこれですよ」

 

 アリアが取り出したのは二丁の拳銃。片方は見たことのないものだが、もう片方はセニアも所持しているから知っている、連射可能なエネルギー銃だ。一発一発の威力は小さいが、牽制には十分。セニアも愛用している。

 それを認識するより早く、セニアはレベル2領域からある装置を取り出した。リフレクターコアのエネルギーで球状のバリアを形成するものだ。本体は小さいためレベル2領域に格納でき、しかもこちらからは攻撃ができるという優れものだ。これで連射攻撃を防ぎ、少しは余裕を取り戻したい。

 

「あら……流石ですね。速度では勝てると申したばかりで、少々恥ずかしいです。その速度は紛れもなく、セニアさんの努力の賜物でしょう」

「これで――っ!?」

「まあ、それが来ることは分かっていましたが」

 

 そんなセニアを襲ったのは、バリアごと彼女を吹き飛ばすほどの衝撃だった。これは……そう。ユーフィリアの攻撃技《セラフィック・バースト》に近い、純粋な衝撃だ。セニアの知らなかった方の銃は、その大きさに比べてはるかに大きな衝撃を発生させるものだったようだ。攻撃用というよりは、相手を押し下げるための武器だろう。連射銃で威嚇しながら、接近して来ようとした、あるいは防御を固めた相手を衝撃銃で吹き飛ばす。理に適った戦略だ。

 突然の大きな衝撃には驚いたが、着地のダメージを軽減するためにバリアは切らない。……すると、その球状のバリアに、白く光る鞭が巻き付く。アリアの手を見ると、連射銃の方は既に消失し、エネルギーを鞭のようにしならせたり巻き付けたりして相手を攻撃する、白の世界の警備アンドロイドがよく使用する武器が握られていた。衝撃銃で相手を押し下げた後は、一方的に攻撃できる武器。もし仮に相手を下げられなかったとしても、あの鞭は近接戦でも大きな影響力を持つ。その流れるような展開は、まるで――

 

「貴女のエクシードの格納方法は、スタックだそうですね。武器を取り出す際、やや時間が掛かる。要は、使う武器を()()()しているのでしょう」

「それは……っ」

「アリアは違います。キューと言えば分かるでしょうか? 決まった順番に()()()()()います」

 

 スタックとキュー。データの格納方式で使用される2つの概念だが、スタックが箱にものを入れていくように「後入れ先出し」であるのに対し、キューはパイプの一方からものを詰めていくように「先入れ先出し」。セニアは自分の亜空間領域に手を伸ばし、自分で使用したい武器を選んで装着する。一方でアリアは予め亜空間領域内の武器の順番を決めておき、それを随時押し出すことで武器の展開を行っている。武器の展開速度がやたらと早かったのは、このためだったのだ。

 アリアがセニアを、バリアごと振り回しながら、言う。

 

「もちろん、スタックよりキューが優れているとは言いません。亜空間内の武器の順序を入れ替えるのには、それなりの手間を要します。レベル上昇によって開放される領域は接続場所が決まっているので、すぐに使えないのも明確な弱点ですね。欲しい時に欲しい武器が手に入る、という点では、間違いなく貴女の方が優れているでしょう。しかし――――」

「……がふっ!」

「エネルギー切れですよね。そのバリア、汎用性は高いですが、1回の持続時間は長くない。――――相手に攻撃する(いとま)を与えないほど速度を稼ぎたいなら、決まった順番に押し出されてくる武器を使っていけばいいだけのこちらが、遥かに有利です」

 

 アリアの言う通りにバリアが切れ、鞭によって地面に叩きつけられてしまったセニア。それに対しアリアが出現させたのは、先ほどのものよりも重厚なガントレットを、両腕に。

 セニアの頭は、既に鈍り始めていた。ここまで一方的に叩きのめされるのは、初めてだったのだ。仮に大きな実力差があったとしても、テルルもユーフィリアも、それから今まで相手をしてもらったどんな人物も、セニアが幼いということを理解し、それに合った訓練をしてくれていたのだ。だが、目の前のアリアは、そんなことは一切お構いなしに、セニアを追い詰めている。あくまで冷徹に、計画的に。それでいて恐ろしいほど……柔らかに。

 

「これがアリアのエクシード《四六式甲型亜空間連結機構(クロス・エクス・マキナ)》です」

 

 アリアが出現させたガントレットがどんなものなのか、想像できない。……というより、想像()()()()()。相手がどんな武器か想像し、何とか対抗策を取ったところで、どうせダメだろうという諦めが、セニアを支配してしまっていた。

 セニアは、目頭が熱くなるのを感じた。これは……悔しい、のだろうか。ここで諦めてしまうことも、できる――――

 

 

「セニア、頑張れ!」

 

 

 そんな彼女の耳に届いたのは、マスターである冬吾の声。具体性も何もない、ただの激励。だが……聞き慣れたその激励は、このような逆境にあって初めて、背筋にビリビリしたものを感じるほど()()()

 冬吾の激励により、明らかに目の色が変わったセニアを前にして、アリアは優しく問いかける。

 

「まだ、頑張れそうですか?」

「……はい。失礼、しました」

 

 アリアは、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきていた。走ってくることもできたはずなのに。彼女もまた、セニアを慮っていたのだ。

 なのでセニアはそれに対して、考えを巡らせながら、武器を取る。

 

「ふふ、いいですね。では行きますよ」

「はい。よろしくお願いします」

 

 

 

…………

 

 

 アリアのエクシードの弱点は、彼女の語ったことを真に受けるなら、2つ。

 1つは決まった順序で武器を押し出すキューの性質上、「不測の事態に対応しづらい」という点。亜空間内である程度順番は入れ替えることができるそうだが、それでもセニアのような臨機応変さは持っていない。

 もう1つは、レベル上昇によって解放される領域は接続場所が決まっているため、「レベル上昇に対する武器の反映にタイムラグがある」という点。これは、手を伸ばせば次レベル領域に即座にアクセスできるセニアが明らかに勝る点である。

 それから最後に、これはセニアの推測だが、先ほどアリアが武器を「押し出している」と表現したが、あれはもしかすると「出現させている武器を亜空間に格納しなければ、次の武器を使用できない」ということなのではないだろうか? だとしたら、あらかじめ詰めるだけ詰めておいて、欲しい時に欲しいだけ(その気になれば亜空間内に格納した装備全て)引っ張り出せるセニアとは大きく異なる。取り出しておける武器の数に限りがあるのかもしれない。

 この3つの弱点を突くとしたら、それは「レベル上昇時に開放される武器を即座に、しかも大量に使用して圧倒する」以外にない。

 ただ、それを実現しようとするなら、まず必要なのは、アリアの計画(プラン)を推測すること。彼女の思い通りになっている状況下でいくら大量の手を打ったところで、当然それに対する防御ないしは回避手段を備えていることだろう。彼女の手の平から抜け出してはじめて、この戦略は意味を成す。

 

(まず、しっかり見る――何をしようとしているか、見極める――)

 

 現在のレベルは3。レベル4まで、あと22秒。

 

 腰と背中に装着する、飛行用のブースターを取り出し、低空飛行モードへ移行。すると、アリアも空中機動用装備を装着し、セニアに追いついてきた。その最中、セニアは見逃さなかった。空中機動用装備を装着する前、アリアが無意味に武器を出現させ、すぐに消去していた。あれは恐らく、亜空間を()()()()()のだろう。となれば、セニアの推測――「取り出しておける武器の数に限りがある」――は、恐らく正鵠を射ている。わざわざ空中機動用装備まで装備を回させたということは、この行動がアリアの計画外――いや、もう少し先の予定だった、ということだ。

 思えば、アリアは《デュオ》という武器格納用の巨大な箱を持ってきていた。武器や工具が必要で、セニアと同じようなエクシードを持っているなら、そこに格納しておけばいいのに、どうしてそんなものが必要なのか? その答えがこれだ。今のアリアは武器を手に持っていない。彼女は飛行中、空中機動用装備を出現させているせいで、他の装備――つまり武器を使用できないのだ。だからこそ、外側から入手できる武器が必要なのだろう。そう考えると、あのデュオの存在は、彼女の致命的な弱点をカバーする、非常に理に適ったものだと言えるだろう。あれがバトルに参加していたら、セニアの勝ち目は万に一つもなかったかもしれない。

 だがその一方で、やはりその武器展開の速度は驚異的だった。アリアは空中機動用装備を展開するために亜空間を回していたが、武器の出現と消失をそれぞれ5回ずつ繰り返した。それなのに、時間は5秒と経っていない。セニアなら同じように出現・消失を5回繰り返せば、10秒以上掛かってしまうだろう。実に倍以上の速度差がある。ということは、次レベル到達時に装備のレベル格差が生じる時間は、恐らく数秒。セニアの武器展開速度も考えると、事実上ほんの数瞬しかない。

 レベルが4に到達したら、もう次のレベルはない。つまり、この数瞬が、これ以降セニアの勝機が最も高まる瞬間である。そこを狙うしかない――いや、狙ってみせる。

 

「いいですね。空中機動、なかなか上手いですよ。素手では押し負けそうです」

「負け、ない……っ」

「その意気です。頑張りましょう」

 

 セニアは同時にガントレットも出現させ、装備の面で有利に立つ。しかしアリアは素手ながら、セニアを遥かに上回る飛行テクニックでセニアを封じ込めている。単純な飛行能力なら、空中戦メインのユーフィリアにすら匹敵するのではないだろうか。これは素直に実力不足を認めるしかない。

 

 レベル4まで、あと14秒。

 

 レベル4領域のどの装備を使い、どう攻撃すれば効果的かを考える。必要なのは――まず地上に降りることだろう。それも、アリアの想像より早く。

 アリアは先ほど、両者の装備格差について言及していた。その彼女が何の計画もなく、素手になるというデメリットを負いながら空中戦に乗ってくるはずがない。つまり、その計画から抜け出す瞬間を、奇襲タイミングに合わせる必要がある。

 

 あと10秒。

 

 ただひたすら、空中でぶつかり合う。腹の底に隠した企図を読まれないように、がむしゃらを演じる。アリアはどこまで気付いているのだろうか? 今から計画の変更、見直しは……

 

 あと7秒。

 

 いや、計画は変更しない。針の穴に糸を通すような繊細さではない。必要なのは勢いだ。セニアの意志を突き通す、勢いなのだ。迷いはその妨げとなる。

 

 あと5秒。

 

 (つら)い。アリアの攻撃もそうだが、ほんの数秒のために戦うことが辛い。あと1秒。この1秒がこれほど長く、重いものだなんて。ユーフィリアやテルルと戦う時には感じたことのない辛さだった。似ているのは、前回のブルーミングバトルで、レベル5の美海と戦った時。あれもほんの20秒で相手を倒さなければならない状況だった。だが、その時とは感じる辛さがまるで違う。歯を食いしばる。

 

 あと3秒。

 

 セニアは唐突に空中戦を放棄し、一直線に地面へと向かった。体勢を整えて着地し、アリアを見る。彼女は少し驚いた表情でセニアを追って地上へ降りようとした。

 

 あと1秒。

 

 《四六式乙型亜空間連結機構(ブルム・エクス・マキナ)》を開き、レベル3領域の限界までアクセスを開始。その間も視線はアリアの方へ。彼女が、着地する。空中機動用装備が消失し、新しい武器――銃だろうか――が実体化し始める。

 

 0秒。

 

 即座にアクセスしたのは、まだ装着中のブースターに追加で取り付ける、高速移動用のブースター。実体化もままならない内から出力最大。アリアへ向かって突進。

 さらにアクセス。レベル4領域から手を引き戻す、その最中に掴んだ、レベル1領域のロッドだ。アリアが最初に使ったものと似ていて、近接戦なら頼れる武器だ。

 

 -1秒。

 

 通常なら数秒掛かる実体化だが、今はレベル4領域から手を引き戻す勢いで取り出した。そのため、実体化速度は普段よりも早く、手の中に握り込む感触を覚えた。

 ロッドを構えて突進するセニアは、まるで1つの弾丸だった。アリアが銃を構える速度は、間に合わない。銃の実体化が解け始める。次の装備に繰り替えるのだろう。

 世界が遅く見えた。アリアが出現させようとしている装備の形が朧げに見え始めた。しかし、関係ない。今はただ、この一撃を叩き込む。そのために、セニアは進んだ。

 そして――――

 

「素晴らしいです、セニアさん」

 

 攻撃の威力が発生するその直前、ロッドを持った手と腰をアリアに掴まれた。アリアはセニアの突進の勢いを殺すことなく、そのままバレエのようにくるりとターン。その回転に巻き込まれるようにセニアも回され、数回転したころには、突進の勢いは散逸させられてしまった。

 アリアは、素手だった。ふと足元を見ると実体化したのは丸いシールド。彼女は、銃を構える時間がないと知って次の武器であるシールドに繰り替え、その実体化すら間に合わないと見るや、完全に武器を放棄して素手でセニアを捕らえる選択をしたのだ。

 

「地面に降りる所までは予想していましたが、まさかここまでの速度を生めるとは……まったく予想していませんでした。アリアもまだまだですね」

「くっ……」

「そんなに悔しい顔、しないでください。あの一瞬、セニアさんはアリアを間違いなく超えていました。誇ってください」

 

 アリアは変わらず柔和に微笑んでいた。セニアは不思議な感覚だった。悔しいのに、不甲斐ないのに、その笑顔を見ると、どこか安心させられたのだ。初めて会ったはずなのに……。

 

「……1分、時間オーバーですね。次の現場に向かわなくては。ドクター、αフィールドを解除してください」

 

 彼女の指示にミハイルがαフィールドを解いた。瞬間、堰き止められていた痛覚がどっと戻ってきて、セニアはうめき声を上げながら倒れてしまった。一方で、アリアは少し顔をしかめただけで、これといったリアクションはしなかった。それだけ、攻撃できていなかったということなのだろうか……。

 そんな、しょんぼりしているセニアを、アリアはそっと助け起こすと、空中機動用装備を展開し直した。

 

「アリアとしても学びがあった、良い勝負でした。とても楽しかったです。またお手合わせ願いますね、()()()

 

 それだけ言って、アリアはデュオと一緒に飛び立っていった。そんな彼女を目で追いながらも、冬吾が駆けてくる。

 

「セニア、大丈夫!? 随分激しくやり合ってたけど、痛くない?」

 

 心配そうな顔。いつも見てきた、大切な顔。でもセニアは、笑っている冬吾が好きだった。

 だからセニアは、

 

「……マスター」

「どうしたの、セニア?」

「買ってほしいものが、あります」

 

 せめて自分から、笑いかけることにした。

 

 

…………

 

 

 

『まだ全然時間あったのに、なんでもう行くことにしたんです?』

「……なんとなく、です。あそこで終わっていた方が、綺麗でしょう。彼にも、彼女にも、考える時間が必要でしょうし」

『あー、照れ隠ししてますね! アリア様、そういうところ可愛いですよねー。サーが可愛がる理由、分かりますよ』

「うるさいですよ、ニーア。別に照れてなんかいません。それに……」

『それに?』

「……ああいうのは、いい刺激になりました。これ以上は、欲張りというものです。だから、また今度」

『ふーん? ニーアにはよく分かりませんけど、そういうものなんですね?』

「余計なことに首を突っ込まなくてよろしい。それより、次の取引先の話をしましょう」

 

 

 

…………

 

 

 青蘭諸島が1島、鐘赤島は、その上空に赤の世界への(ハイロゥ)が開いている。門の周辺地域はどうやらその先に繋がっている世界の霊気が漏れ出て来るようで、鐘赤島は赤の世界と青の世界の自然が混じり合った、不思議な光景が見られることで有名だった。赤の世界から輸入してきた鑑賞用の花々は美しく咲き誇り、この島を彩っている。他にも、荷運び用のグリフォンやヒッポグリフを飼育している牧場や、世界間の友好の証として植えられた『天使の止まり樹』と呼ばれる大樹など、見どころには事欠かない。青蘭諸島を構成する5島の中でも、屈指の観光名所で溢れる島だ。

 

 ところで、赤の世界はそのほかの世界とは全く異なる概念が満ちている世界でもある。それは、世界に住まう『女神』と呼ばれる存在が原因だ。

 女神らは文字通り赤の世界における神々らだが、その性質は、少なくとも青の世界の住人からすれば異質なものだ。何しろ、地面を歩き人々と交流を持っているのだから。

 ただし、これはあくまでも女神の『影』と呼ばれる存在だ。女神の肉体的な一面、とでも表現すべきもので、本体は赤の世界の各地に()()()()()()()。というより、その空間自体が()()()()()()だと言える。

 例えば、赤の世界側から見て、青の世界への門が開いているのは『陽光の都』という都市で、この都市を中心とした辺り一帯は、七女神と呼ばれる最上位の女神の一柱、『昼』を司る女神である『陽光の女神アロティーナ』の領域となっている。この地域の中では昼が一日の半分以上を占め、人々は少しの睡眠で活力を取り戻すことができ、いつも活気に溢れている。これは、この地域だから、こうなのだ。そして、その『影』である人間サイズのアロティーナが別の女神の領域に行こうが、あるいは青の世界へ来ようが、あくまで本体は動かないため、陽光の都から光が失われることはない。

 では別の地域ではどうだろうか。逆に『夜』を司る七女神の一柱『宵闇の女神アマノリリス』の領域は、一日の半分以上が夜で、しかもどんな人でもぐっすりと良質な睡眠を取ることができる。その内部に存在する『宵闇の都』は、活気という意味では陽光の都と比べるべくもないが、世界中、あるいは他の世界からまで、静かな安息を求めて多くの人々が訪れるのだ。

 これは一日の時間に限ったことではない。『冬』を司る、七女神よりも一座下の女神『豪雪の女神サイア』の領域は一年中雪に閉ざされており、逆に『夏』を司る『轟雨の女神スコル』の領域内は一年中蒸し暑く、常に雨が降っている(そのため全域が水没しているほどだ)。

 つまり、通常の世界では昼夜・季節といった「時間の進み」によって齎される現象が、赤の世界では「女神の座す場所という空間」によって発生するのだ。そのため、赤の世界の時間の流れを、現在位置から観測する太陽・月の位置や季節から推測することは極めて難しい。そんな中、20年前に世界接続が起こり、他の世界の概念を――昼夜・春夏秋冬が時間と共に進んでいく――を知った赤の世界の人々は、世界を旅をして「異なる時間を感じる」という経験を欲するようになった。

 そして、そんな女神らを祀り上げ、息災を願うのが、各地に建てられた神殿や教会だ。

 

 翻って青蘭諸島の鐘赤島。ここにも教会があるのだが、そこは『轟雨の女神スコル』を祀っている。その教会に向かって歩く青年が1人。

 背の高い、切れるような美青年だ。鋭い瞳は凍り付くような蒼で、理知的な顔立ちをしている。髪は短めの銀髪で、末端に向かって神秘的な青白さを帯びるそれは氷河の色(グレイシアブルー)だ。さながら少女漫画の世界から抜け出してきたかのような、完璧な青年だ。そんな男なら、例え身に着けているのが、どこにでも置いていそうな白のワイシャツとグレーのスラックスに、スポーツ用のリュックサックだったとしても、大半の女子からすれば貴公子に見えてしまうことだろう。

 サイオン・ハイトマン。赤の世界出身で、青蘭学園で音楽の講師を務めている。そして、7人しかいない権限者(オーソライザー)の1人でもある。そんな彼は青蘭学園中等部に通う天使のレミエルとエルエル、そして未来視のエクシードを持つ高等部1年生のクレア・プロスぺキアの保護者だ。

 

 

 実は、昨今青蘭を騒がせている『G』と呼ばれる事象に関して、最初に警告を発したのは、このサイオンだった。より正確に言えば、彼の家に住んでいるクレアが予見によって『G』の存在を確認したのだ。

 クレアのエクシード《三千世界水晶眼(ミリオンフィート・フォーサイト)》は未来視の力。これによって偶然『G』を予見してしまったクレアはサイオンに相談を持ち掛け、より確実な未来を確認するために、今度はエルエルの力を使った。

 エルエルのエクシード《経継絆(エールフレンド)》は、他者との絆を辿ってエクシードをコピーすることができるというものだ。これによりクレアのエクシードをコピーし、2人で同時に『G』を視ることで、未来視の正確さを上げることができる。2人の予見者が同じ1点の未来を視る、という方法は、黒の世界の予見者(と名乗る人々)の間ではそこそこポピュラーな方法である。

 もちろん、普通に行ったのではまず成功しなかっただろう。未来視は魔術としてもエクシードとしても極めて不安定な分野で、クレアもよく、どこの平行世界かも分からない世界線の未来を視てしまっては辟易している。普段からやっているクレアでそれなのだから、借り受けたエクシードで未来視を行わなければならないエルエルなど、視点を定めることすら難しかっただろう。

 そこで最後に登場するのがレミエルだ。彼女のエクシード《()(かい)(せき)》は、微弱ながら『奇跡』を操るというもの。限りなく低い『確率』を、ある程度まで引き上げることができる。これでクレアとエルエルの視線が同じ『G』という一点で結ばれる『確率』を上昇させたのだ。

 もちろん、1回で成功したはずもない。何度も試行錯誤を繰り返し、彼と親しい他のプログレスの力を借りて、何とか『G』の存在と、その時間や位置を大まかに定めることができた。それが5月の下旬ごろ。そして、今の今に至るまで予見を何度も繰り返し、ようやく正確な時刻、正確な座標が判明したのだ。

 

 世界接続20周年祭、3日目の午前0時。賢緑島・機動隊基地の真上。

 

 

 彼はつい先ほどまで、自分が監督を頼まれたチームの練習に付き合っていた。

 

(「エオースさん、だいぶエクシードの調整が上手くなったね。それに防御力も十分。これなら、日向さんと互角以上に渡り合えるだろう」)

(「ありがとうございます、ハイトマン先生! だけど、もっと強く、なれますよね?」)

(「勿論だよ。では次は、魔術の方も見るとしようか」)

 

 教え子の1人、高等部2年生のアウロラ・エオースの、柔和な笑顔と声を思い出す。今年度の初めに高度なリンクを結べるαドライバー・永瀬俊太と出会ってから、彼女はエクシードも精神面も飛躍的に成長した。入学した時と、表面的な態度が変わっていなくても、その内面の変化は手に取るようだ。子供に教える立場の人間として、これ以上に嬉しいことはない。それに、本当に心を、背中を預けられるパートナーができることの『強さ』を改めて実感させられた。どれほど歳を取っても、学びは尽きないものである。

 

(「センセー! リアもみて! ほら、いっぱいお花! あとね、つる()とか根っこも出せるんだよ~!」)

(「そんなこと言ったら、ルビーのほうがすごいもの! シュンタとリンクしてると、ふだんよりもオーラがいっぱい出るの! 強いまほうも、いっぱい使えるわ!」)

(「2人とも、始めた時に比べたら、とても上達したね。先生も嬉しいよ。さぁ、もう少し頑張ろう」)

 

 俊太とアウロラは、ブルーミングバトルに2人の高位妖精を出場させる。フローリアとルビー、彼女らもアウロラと同じく、ハイネと高度なリンクを結べる。最初の方は、その奔放な性格(というより妖精という種族の性質)に、俊太もアウロラも、言ってしまえば教官であるサイオンも手を焼いていた。だが、辛抱強く物事を教えていった結果、今では並大抵のプログレスを凌ぐ実力に成長した。双方ともに強力なエクシードに、高い機動力と、特殊な妖精の性質。適切な訓練を付ければ、妖精はここまで成長するのか、と感嘆したものである。

 

(「入学した時に比べたら、俺、強くなれてますか?」)

(「無論だよ、俊太君。君はとても強くなった。そして、まだ強くなれる。そのためなら、私は決して協力を惜しまないよ。一緒に頑張ろう」)

 

 小柄なαドライバー、俊太の成長も素晴らしかった。3人とのリンクを強く結び続け、その上で体力も鍛えた。メンバーへの指示出しも、始めた当初から遥かに上達している。彼らと戦うことになる春樹のチームは、下級生のチームだから、自分たちの方が経験が多いから、と舐めてかかると痛い目を見るだろう。

 チーム練習の監督を頼まれたのは、俊太からだった。しかも、時期は5月の下旬。彼らは今回のブルーミングバトルに向けて、一番早くから動き出したチームだった。そして、チーム結成当初のメンバーの凸凹(でこぼこ)具合を見て、これはやりがいがありそうだ、とサイオンは直感したのを覚えている。そして、練習を監督し続けてきてよかったと思っているし、これからも続ける気だ。このチームが今後、どのように成長していくのか、彼自身楽しみでならないのだ。

 

(どうにかして、勝たせてあげたいものだが……)

 

 

 サイオンが教会に着くと、教会の正面扉の前に1人の修道女(シスター)が立っていた。長身でスレンダーな体躯に、滑らかな金髪を風に(なび)かせる、気品ある佇まいの彼女は、彼を見つけるなり破顔して、両腕をぶんぶん振って呼びかけた。

 

「遅いですわよ、先生! もう皆さま集まってらっしゃいます!」

「ごめんね。俊太君のチームのエクシードを見ていて。あと、もう私は先生ではないのだから」

「フン! 恩師はいつまで経っても恩師ですわ! それとも先生は、わたくしのことをもう生徒だと思ってらっしゃらないと?」

「そんなことはないけれど……うん、私の負けだ。イルダさんには、昔から勝てないね」

「シャーリィとお呼びくださいね、先生! 何せ、もう教師生徒の関係ではないのですから」

「あれ? たった今私のことを先生だとかなんとか……」

「教師ではなく恩師、ですわ! さぁさ、積もる話もあることですし、どうぞ中へ」

 

 微妙に話をはぐらかした修道女――シャーリィ・イルダという名の女性は、元気よくサイオンを中へと(いざな)った。

 教会の中は、青の世界で普通に見られる教会と、さほど変わりはない。異なる点を強いて挙げるとするなら、奥に設置された祭壇に向かって扇状に座席が並べられているところだろうか。

 中に人は少なかった。それもそのはず、少なくとも観光目当てでこの島に来るなら、この教会は見どころにこそなるかもしれないが、それだけだ。赤の世界出身の人々だって、毎週日曜日に礼拝に来るような場所ではない。赤の世界の教会は、キリスト教観における教会とは大きく異なるものなのだ。

 

「では、わたくし達は少し話しますので、しばらくの間よろしくお願いしますね」

 

 シャーリィが他の修道女に耳打ちすると、奥の通路へサイオンを連れて行った。通路は横に折れ曲がって階段に。そのまま下っていき、地下室に着いた。

 地下室の中には数人の人が、既に何やら話し込んでいた。が、シャーリィとサイオンの姿を見ると、全員笑顔を浮かべた。

 

「おせーぞ、センセー。あたし、待ちくたびれちゃったよ」

「ごめんね。生徒のエクシードのことで」

「ん……昔から生徒想いなこって、何より」

 

 いたずらっ子のような雰囲気で、砕けた口調で話しかけてきたのは、この真夏にライオンの(たてがみ)のようなファー付きの黒いコートを着た、明るい茶髪の少女。外見は少女なのだが、これでも立派な青蘭庁・執行部の一員であるミスティカだ。年齢はまだ20歳だが、大学に進学することはせずに、そのエクシードを貴重に思った魔捜課のスカウトに乗って今に至る。青蘭学園の生徒会長を務めた経験がある、実力派のプログレスである。

 

「サイオン先生のことだ。手の掛かる生徒も決して見捨てない。私もかつて世話になったし、君もそうだっただろう、ミスティカ」

「だから何よりだっつってんだろーが、アーシア。お節介どーも」

「まあ、君ほどの問題児はそうそういないだろうがな」

「あんだと?」

 

 堅い口調ながら柔らかい()(ごえ)でミスティカに返したのは、豊かな灰色の髪を頭の高いところで束ねた女性だ。名前はアーシア・アッシュフィールド。彼女もミスティカ同様、赤の世界出身かつ青蘭学園の卒業生で、24歳という若さで青蘭島・機動隊のプログレス小隊の副隊長を務めている。薄くだが上位妖精の血を引いており、剣のように洗練された美貌は目を見張るほど(うるわ)しい。まだ若いながらも素晴らしい剣の腕前を持ち、隊長であるアムベル・マカリスターの右腕として活躍している。口調の通り誠実な性格で、まず筋を通すことを最優先する信念の持ち主だ。だが今は、ミスティカをからかう方が面白いらしい。こちらも元青蘭学園の生徒会長で、ミスティカの4代前の生徒会長だった。

 

「ようやく全員揃いましたわね! では早速、報告会を始めましょう! ほら2人とも、チェス盤は片付けてくださいましね!」

 

 とシャーリィが大声で言った。話し込んでいたと思ったら、どうやらミスティカとアーシアでチェスに興じていたらしい。

 ところで、彼女も赤の世界出身だ。つまりこの場には、赤の世界から来た人物しかいない。そして彼女もまた、アーシアやミスティカと同じく、かつて青蘭学園の生徒会長を務めた、極めて強力なプログレスである。その強さは本当に伝説級で、特に十分に溜めた後の一撃の威力は途轍もない。青蘭学園のプログレスで彼女の記録を上回る攻撃技を持っていたプログレスは、学園史上存在しないし、他の世界中を探しても、彼女に匹敵する攻撃を行える人物は5人といないだろう。彼女は青蘭学園開校から2代目の生徒会長で、他の2人に比べればかなりの先輩だ。そして、その彼女の一撃を唯一防ぐことが出来た人物こそ、彼女の次の代の生徒会長であり、現在は青蘭学園の数学教師を務める、一年生担任の(ほん)(じょう)(ふみ)()だった。

 

 シャーリィに急かされてチェス盤を片付けたミスティカとアーシアが姿勢を正し、サイオンが席に着くと、部屋の奥にいた人物がゆったりと話し始めた。

 

「では、報告会を始めましょう。シャーリィ、上は?」

「任せておきましたわ。問題なくってよ」

「いやあの……まだ人いますよね?」

「わたくしが信頼しているのですから、心配など不要ですわ! それに、未来のフィアンセと一緒にいたいと思う気持ちは、大事にしたいのです!」

「ああ……はぁ、分かりました。じゃあ座っててください」

 

 話し始めからシャーリィに出鼻を挫かれてしまったのは、背が高い、がっちりとした男性だ。褐色の肌と分厚い唇、編み込んだ黒い髪はどこかネイティブアメリカンを思わせる。赤の世界で『神官』と呼ばれる立場に就いていた彼の名は、ルアード・グライアス。ここ轟雨の教会の牧師を勤めている。

 彼の横の椅子には小柄な、10代前半くらいの少女が座っている。短く切りそろえた髪に貝殻の髪飾りを付け、首からは青く透き通った液体の入った小瓶をぶら下げている。今は頭を左右に揺らしながらも大人しくしているが、その瞳は好奇心に輝いていた。ルアードは、そんな彼女の頭を撫でながら咳払いすると、改めて口を開いた。

 

「えーと……では、まず私から失礼します。つい今朝方、『虹の柱』から伝令の天使がこちらに参りました。世界接続20周年祭に来賓としてこちらに来られる女神様が決まったそうです。『虹の柱』第二座より『宵闇』の女神アマノリリス様、その従騎士のダスティン君、さらに第三座より『春眠』の女神セレナ様が、来られる予定だそうです」」

「アマノリリス様とダスティン君は、よく他の世界に出向いているから分かりますが……セレナ様とはまた、珍しいですね。いつも眠っていらっしゃるイメージなので」

「おおよそ、従騎士たるザーク君の様子が気になるのでしょう。節目の年ですし、珍しく張り切っていらっしゃるのかもしれません。それから君もですよ、サイオン君」

「私、ですか……確かに、最近は豪雪の(さと)に戻っていません。そうですね、ご挨拶に上がらなければ」

「ええ、その方が良いでしょう。それに、このスコルも……現役の影と接触すれば、良い影響を受けられるでしょう」

「え、ワタシ?」

 

 スコル、と呼ばれた、ルアードのすぐ横の少女は、ニコニコして彼を見上げた。

 その名の通り、彼女は赤の世界の『夏』を司る『轟雨の女神スコル』の『影』その人である。つまり、この教会の『御神体』というわけだ。

 女神の影となった人は老いることなく数百年の時を生きるが、彼女の場合は外見より少し上の21歳。彼女ら『影』は女神の人間としての身体だが、間違いなく女神その人でもある。そして、人間の身体である以上はいつか死んでしまうのだが、女神の影があり続ける理由は、赤の世界における『転生』というシステムにある。これは死んだ人の魂が、ほんの時折、赤子となってまた生まれてくるものなのだが、女神の『影』となった人間の魂は、100%転生する(ただの人間の魂も転生することがあるのは、この『転生』システムの不具合なのではないかという説がある)。つまり、彼女の外見、というより肉体は確かに21歳だが、その魂は数千年、数万年前から転生を繰り返してきた魂なのだ。

 では、同じ魂を持って生まれてきた代々の『影』となった少女・女性らが皆同じパーソナリティを持っていたかというと、それは違う。なぜなら、『女神そのもの』には人格が無いからだ。精神と魂は似て非なるもので、共通の魂を持つ二者の考え方が同じとは限らない。現に、このスコルはまっとうに21年間生きてきたが、その言動は未だに幼さを残している。彼女の従騎士兼保護者であるルアードが、可愛さのあまり甘やかしてきたせいなのかもしれないが……。

 

「パパ、本物の女神様、ワタシのところに来るの?」

「来る、というか、会いに行こう。それに君も、本物の女神様だよ」

「ホントに? やったー!」

 

 女神の影の魂は確実に転生するが、その魂が『目覚める』のは、また別のタイミングだ。生まれた時から目覚めていて、即座に本体との繋がりを取り戻すこともあるが、そうでない場合の方が多い。大半の女神の転生者は、厳しい修行に励むなどして自らの魂の本質を見つけ出し、そうやって『目覚める』。あるいは、強い衝撃を受けるなどして目覚める場合もある。現に()()スコルは、生まれた村を襲った盗賊らへの恐怖によって目覚めた。

 無邪気に笑うスコルに一同柔らかな気分になりながら、次に言葉を発したのはミスティカだった。

 

「来賓の話が出たからこっちも。天使側の来賓に、大天使からラファエル様が出るって話があったじゃん。その護衛がさ、航空管制局からの要請で倍の16人になるって。当日は青蘭諸島の警備に加わってくれるってよ」

「それはありがたい。上空を任せていいなら、こちらは地上に専念できそうだ。それで、魔捜課はどうするつもりか分かるか?」

「アーシアさんよぉ。期待すんのはいいけど、うちはあくまでも捜査専門なんでね。やたらと実戦強いやつばっかり揃ってるけど……ま、どっちかといえば今回は『G』の事後処理の方にお鉢が回ってくる予定。親方もそのつもりで動いてる。そういや、賢緑島の基地も大わらわなんだろ?」

「そうだ。最近は打ち上げ花火の搬入とかセッティングを監督することもあるが。それに、アムベル隊長も事後処理には入るぞ。どうやら学園側から、Ωフレームのプログレスを数人選出するように要請されたらしい。私はΣフレームなので留守番だが、候補者は決まったようだ」

「ああ、その件。上手く進んでいるみたいで良かった。私も留守番組だから、いない人の分まで頑張って、一緒に青蘭を守ろう。ちなみに魔捜課からは誰か出るのかな、ミスティカさん?」

「さん付けは()してくれよ先生、なんかむず痒い……ああ、魔捜課からは誰も出ない。気にはなるけど、先発は教務課と機動隊にお任せって感じ。何せ『G』の後に何がどうなるか、なーんも分かってないんだから。もしファントムが暴れでもしたら、行っちまった教務課アンド機動隊連中の穴を埋めなきゃいけねーだろ」

「それもそうだ。情報をありがとう。最近は連携を密にしなければいけないのに、大っぴらに情報交換できないのは困ってしまうね」

「仕方のない事です。情報が漏れたら、タイミングを見極められてしまうかもしれない。なるべくこの場で話し合っておきましょう」

 

 ルアードは深く溜息をつきながら言った。実際、彼らは厄介な状況に置かれていた。

 ファントム。青蘭に巣くう犯罪組織だが、『G』と呼ばれる事象が起きるタイミングは、向こうも大方掴んでいるだろう。だが、どういう対応を取るのかを知られてはならない。特に各世界からの来賓はその筆頭だ。来賓はとても偉いと同時に、非常に強い人物を招く予定だ。その中に1人でも予想外の人物がいれば、それだけでファントムの計画(あるとしたらの話だが)は総崩れになるだろう。

 そんなやや暗い空気になってしまったが、それをシャーリィの大音声が吹き飛ばした。

 

「暗くなるのは、事故が起きてからにしましょう! 何も起きなければ、落ち込む必要もありませんわ!」

「そーそー。明るくいこー? 女神様は笑顔が大好き!」

「スコル様の仰る通り! はいでは次!」

「あー、じゃあ私、アーシアが報告させていただく。とはいっても先ほどのことの繰り返しになるが、改めて。『G』調査のために、我がプログレス小隊隊長、アムベル・マカリスターを含む数名が、数日ほど青蘭を空けることとなる。その間、やや警備が手薄になってしまう旨をお伝えする」

「りょーかい。ま、数日くらいなら何とかなるさ。な、センセー」

「うん。何とかしよう」

「頼もしい。今日の私は聞き役として来ているので、私からは以上だ」

 

 アーシアが口を閉じると、次はサイオンが話し出した。

 

「教務課からは1点。こちらも(きずき)先生、カミュオン先生、デルタさんの3人が『G』の調査に赴くこととなる。そのため、カミュオン先生の担当区域である夕玄島に権限者(オーソライザー)を置けなくなってしまう。なので、一時的に()(かげ)先生にいて貰うことにした。デルタさんがいなくなることで白百合島も空くことになるけれど、こちらは白の世界からの来賓がしばらく留まるみたいなので、心配不要とのこと」

「白の世界からの来賓……E.G.M.A.(エグマ)直属のアンドロイドということかな? 4人の中の、誰が来るのかは?」

「2人来るそうです。誰が来るかは、デルタさん曰く『出発1時間前にじゃんけんで決めるって言われたから分からん』とのことで」

「1度だけ会った、というか見たことあるけどさぁ……あいつらそこらへんテキトーすぎるよな。あたしでも引くわ」

「強すぎるが故、だろうな……味方にするなら、それはそれでこの上なく心強いが」

「あれは気にしすぎたら負けですわ。あ、でも、赤いのにはできれば来てほしくないですわね。……1回蹴っ飛ばしたこと、未だに恨まれていたら堪ったもんじゃないですわ」

「ま……誰が来ても問題ないように構えておくことにしよう。というわけで、私からは以上です」

 

 サイオンの報告が終わると、再びルアードが口を開いた。

 

「そういえばオルガ師から、赤の世界の来訪団を誰が迎え入れるかを決定するように言われていますが、どうでしょう?」

「親方から、ねぇ。そういや牧師と親方は旧知の仲、って奴なんだっけ。……んー、じゃあ、ザークの旦那はぜってーに行かせる。んで、あたしはその横で旦那がセレナ様にいじられるのを見物したい」

「……と言うように、ミスティカは出るそうだ。機動隊は他の仕事が詰まっているし、私は他の者に任せたい。ルアードさん方はいかがかな?」

「その……我々は、前夜祭の準備があって……」

「わたくしが提案したのですわ!」

「シャーリィが『20周年祭なんだから屋台かなんか出したいですわ!』とか言ってたからー。ワタシも手伝っちゃう!」

「……なぜか申請が通ってしまったので、この大事な時期に屋台を出すことになりました、ハイ」

「まあまあ。そう落ち込まないでください、ルアードさん。言い換えれば、お三方は常に鐘赤島にいて下さるということだし……では教務課を代表して、私もお迎えに上がることにしよう。どちらにせよ、他の権限者(オーソライザー)も来賓のお迎えに行くようだし、私もそうします」

「んじゃー今んところ、あたしとザークの旦那とセンセーの3人な。この場には他に来たい人はいないってことね。ま、手が空きそうな人もいないし、丁度いいっしょ。もし来たい人がいるってんなら、連絡ちょーだい。聞きに行くから」

 

 そんな風に、ある程度和やかに話し合いは終わる、はずだったのだが……皆の顔は、どこか無理をしているような雰囲気があった。

 ここにいる者は皆、赤の世界から来た者たちだが、その赤の世界では今、他の世界とは比べ物にならないような異変に見舞われいる。

 1つは、七女神が一柱、『朝』を司る『暁天の女神アーシー』の『影』が16年前に死亡した。『暁天の女神』は、夜闇を(はら)い世界に一番最初の光を(もたら)す存在として信仰され、その強さからあらゆる女神を統べるリーダーのような女神である。それなのに、その魂の転生者、つまり新しい『影』が未だに現れていないのだ。『影』とはいえ、その魂は女神そのものでもある。そして、例えその魂が『目覚めて』いなくとも、『影』が魂の保有者であることには変わりない。なので女神の領域は問題なく保たれるのだが、今は目覚めていないとかではなく、本当に『影』がいない、つまり『暁天の女神』の魂が所在不明らしい。そのため、暁天の女神の領域――本来なら一日の半分以上の時間を朝が占め、人々の精神的な眼識を目覚めさせる地。瞑想や精神統一の修行の場として有名である――は、朝の時間が徐々に短くなり、人々からは活気が失われつつある。巷では「転生システムがついに破綻し、女神が転生できなかった」と噂になっており、女神を心の柱として生きる赤の世界の人々は不安に駆られている。

 もう1つは、四大天使の1人である『戦導』の大天使ミカエルの失踪だ。天使は女神よりもさらに人に近い存在で、その中でもミカエルといえば、赤の世界の天使の中では『命導』の大天使ラファエルと並んで、最も信仰を集める天使である。彼女が消えてしまったことにより、これもまた人々の不安を増大させる要素になってしまっている。

 赤の世界の人々が弱い、というわけではない。だが、赤の世界で生まれ、赤の世界で育った人々は、必然的にあらゆる価値観に女神や天使の存在が入り込むのはほぼ確実だ。そして、双方の中核的存在が不在になったことにより、赤の世界は、世界そのものが揺らいでしまっている。そして、その『揺らぎ』は、こうして他の世界に出向いている者たちにも、少なからず影響を与えてしまっているのだ。

 特に天使であるミスティカが、ミカエル失踪によって受けた影響はとても大きいだろう。

 

「……んまぁ、うちの世界のこともあるし、この『G』がさらなる混沌を齎す、なんてことにならなきゃあいいけど……」

「遅かれ早かれ、混沌は訪れてしまうだろうね。だけど、世界はまだ生きて、戦っている。あらゆる世界がそうだ。我々も、そうあるべきなんだ」

 

 サイオンは、まるで自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、きょとんとしている女神の影・スコルの瞳を、じっと見つめていた。

 その脳裏に、自分を産んだ母、という名の女神――『豪雪の女神サイア』の、遠い表情を思い浮かべながら。

 

 


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