アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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7話 安寧を蕾ませる雨の郷

 6月になると、この島はよく雨が降るらしい。

 

「……今日も雨ね」

「こういう静かな季節もいいんじゃない?」

「毎日続くと、陰鬱な気分になるわ」

「あんな工房に篭っててよく言うわ」

「なんですって?」

 

 教室の窓辺に立っていたソフィーナとハイネは、締まりのない空気に任せてだらだらと雑談を交わしていた。教室内は音量ボリュームが数段落とされたようで、普段はうるさい美海や琉花ですらどこか静かだ。

 

「しかし、よく降るわね」

「そういう気候なんだよ。しょうがない」

「毎年そうなの?」

「そ。この季節になると、雨の日続きなんだ。これが止めば、一気に暑くなるけどね」

「……それはそれで嫌だわ」

 

 フリルたっぷりのゴスロリ服を愛用しているソフィーナ的には、夏も嫌らしい。

 

「暑いのが終わると、次は寒くなるよ」

「まだ寒いくらいがいいわ」

「ちなみに寒さは、グロースエンパイアくらい」

「ゆ、雪が降るってこと? 嫌!」

 

 黒の世界でもかなり寒い気候の地域を例に挙げると、それはそれで嫌だという。わがままなお嬢様だね、とハイネは内心ため息を吐いた。

 

「わがままなお嬢様だね」

「……声に出てるわよ」

「いいじゃん。ソフィーナだって雨ひとつでぎゃーぎゃー騒いでるし」

「誰がぎゃーぎゃー騒いでるって!?」

 

 沸点が低いソフィーナはキレ気味に窓の外に手を向けた。その手の平から魔力の弾が打ち出される。脅しの意味で。ハイネというかこのクラスにとっては最早日常茶飯事である。この世界で言うなら拳をボキボキ鳴らす程度の威嚇に過ぎない。彼女自身もその魔力弾でなにかをどうこうする気はないらしく、その魔力弾も、窓の外でパンッと弾けて終わりだ。……普段は。

 しかし、その時は違った。

 

「あ、あれ?」

 

 窓の外に放たれた魔力弾は、雨の中を突き抜けていき……消滅した。

 

「き、消えちゃった……なにこれ」

「ああ、それもこの島の雨の特徴だよ」

「特徴?」

 

 先刻までの怒りなど何処へやら、きょとんとするソフィーナにハイネは経験談を話す。

 

「この島の雨って、魔力を打ち消す力があるんだよね」

「なんでそんな変な力があるのよ」

「知らない。兄貴に聞いてみても『そういうものだ』としか返ってこなかったし。だからそういうことなんじゃない?」

 

 だが、ソフィーナはその回答では満足しなかった。天才魔女の血が騒いでいるのだろう。

 

「……これは、調査が必要ね」

 

 

…………

 

 

 その2人の女性は雨の中を歩いていた。

 

「今日は付き合せちゃってごめんなさい。お休みだったはずなのに……」

 

 そう静かな口調で喋っている女性は、骨が多い黒の傘を差している。髪は雨に濡れているかのような艶やかな黒髪を、腰の辺りまで伸ばしている。服装はレディーススーツで、脚にはストッキングを穿いていた。背は高めで、すっと伸びた背筋も総合して、純な大和撫子を思わせる。名前を、(あま)(みや)(しずく)といった。

 

「いえ、大丈夫ですよ。先輩を守るのが私の仕事です」

 

 やや気弱さが見え隠れする声で話している女性は、何の特徴もない透明なビニール傘を差していた。背は低く、没個性なブラウスにカーディガン、膝までのスカートに防水靴という格好に加え、くすんだ黒髪をピッグテールに結っていることも相まって、まだ学生に見える。言っているセリフそのものは頼もしいが、瞳は自信なさげに周囲を見回しており、警戒している臆病な小動物を思わせた。こちらの名前は()(おん)すがさ、という。

 現在は平日の昼間なので、青蘭学園に通う生徒はその辺をウロウロしてはいない(はずである)。大人の女性らしい雫は当然として、明らかに普段着らしい格好で歩いているすがさも、また社会人である。

 しかも2人は、この青蘭諸島においても多くは見られない、有数の強力なエクシードを持つプログレスである。

 

「そろそろ、近いですか?」

「ええ。そこのビルの5階。妙な霊力の流れが、そこから」

「了解しました。先輩、あまり動かないでくださいね」

「大丈夫。信じてます」

 

 すがさは左腕に付けた腕時計をカチャカチャいじっている。その最中も、相変わらず周囲は警戒したままだ。

 

「それじゃあ、行きます」

「はい、行ってらっしゃい」

 

 それだけ言い、傘を閉じて雫に渡すと、すがさは突如として()()()。つい今まで見えていた姿は完全に消え去り、付け加えるなら既に彼女はそこにいなかった。

 

 しばらくして、雫の付けていたインカムに連絡が入った。

 

『取り押さえました、先輩』

「分かりました。ご苦労様です」

 

 すがさとの通信が切れると、雫は控えさせていた部隊を呼び寄せた。

 

 その胸元には、青い蘭を明るい紫が取り囲んでいる模様のピンバッジが光っている。

 

 

…………

 

 

 ソフィーナは、まず雨のサンプルの採取から始めた。

 

「ねえ、まだ続けるの?」

「もちろん」

「なんで俺まで連れ回されてるの?」

「パートナーでしょ」

「……それを言われると痛いな。帰りたいんだけど」

 

 ハイネは荷物持ちをやらされていた。都合の良いパートナーもあったものである。

 一方のソフィーナは、ハイネを連れて島中を歩き回り、各所の雨のサンプルを試験管に保存していった。その後、その場所で一定の量の魔力を放出し、その状態の変化を記録する。

 そんなことを、なんと5日間も続け、青蘭島のみならず他の4つの島に降った雨のサンプルと記録を魔術工房に持ち帰った。

 

「ふぅ~、だいぶ集まったわね」

「壮観だね」

 

 どでかい机の上にずらりと並んだ試験管の数々。今は、机の上に敷かれた青蘭諸島の地図の上に描かれた、サンプルを採取した場所の印に合わせて、その場所のサンプルを配置している最中である。

 

「こんだけ集めたけど、これどうするの?」

「もちろん、全部成分を調べるわ。何か分かるかも知れない。できれば青蘭の外の雨も採取したかったけれど……」

「まあ、異世界人には無理だね」

 

 基本的に、異世界からの来訪者は、青蘭の外に出ることが許されていない。日本のみならず、地球全体の混乱を防ぐためである。それは、黒の世界の魔女王でもそうなのだ。最も、彼女が青の世界に来たことはほんの数回しかないが……。

 ちなみに、何人かの教師に聞いてみたが、この島の外の雨は、別段特別な効果はないらしい。となると、この青蘭という力場が何らかの作用を雨に与えていると考えられるが……。

 

「まあ、確かに特殊な地ではあるわよね。異世界への"(ハイロゥ)"が3つも開いているんだもの」

「じゃあそれでいいじゃん。はいおしまい」

「さて、検査を開始するわよ」

「……俺もやるのか」

「当たり前でしょ?」

 

 言葉通り、ハイネの協力をさも当然と思っているソフィーナ。おいおいずっと手伝ってやってただろ、と思うハイネだったが、ニコっと無邪気な笑顔を浮かべられて、つい押し黙ってしまう。

 昔から、ハイネはソフィーナのこういう笑顔に弱かった。彼女はいつも無邪気な笑顔を浮かべて、ぐいぐいと自分を引っ張ってくれる、強い子だった。

 

「まったく……いったいどうやって調べようってのさ」

「まずは含有される魔力を調べるわ。ただの雨ってことはまずないはずだし、何かしらの魔術が掛けられているに違いないわ。どんなに微弱な魔力でも、これを使えば大なり小なり反応があるはずよ」

 

 そう言ってソフィーナは、机の下から太い羊皮紙のロールを取り出して広げた。次いで、空中に両手で魔術式を描き、それを広げた羊皮紙に焼き付け始める。

 

「感応術式? 随分たくさん作るんだね」

「ええ。何といっても、現状の私の目によると、この雨には魔術式が掛けられているような異常がないの。恥ずべきことにね。だから、僅かな魔力も見逃さないように、念入りに重ねるわ」

「大丈夫なの? それだけ重ねたら、変な場所で反応したりしそうだけど」

「私を誰だと思ってるの? 『(ことわり)(ふか)き黒魔女』ソフィーナ様よ」

「その名前好きだね。誰に付けてもらったの」

「ネロ姉だけど」

「あー、やっぱりか。ソフィーナ、ネロ姉にめっちゃ懐いてたもんね」

「そ、そうかしら? とにかく、あんたも幾つか作りなさい。私が配置するから」

「はいはい」

 

 雑談を交えながら、羊皮紙に幾つもの魔術式を焼き付けていく2人。数分もすると、机を覆い尽くすような大きさの羊皮紙には、複雑な魔術式が端々まで広がっていた。

 

「さて、始めるわよ」

 

 魔術式の出来栄えに満足した様子のソフィーナは、愛用しているフリルだらけの袖を捲った。

 

 

…………

 

 

 2人の努力虚しく、結果は芳しくなかった。

 

「おかしいわ……こんなはずないわ!」

「まあまあ」

 

 そこから更に数日間も掛けて、全てのサンプルを調べた2人。だが……

 

「まるで魔術式の反応が出ない……こんなことってありえないわ」

「あったとしても、無関係なものばかりだったね」

 

 幾つかのサンプルには魔術式の反応があった。だが、それは魔力を打ち消す効果とはまるで無関係な、ちょっとした魔術が行使された残滓のようなものしかない。

 だが、奇妙な事実が発覚していた。

 

「魔術式は無いのに、魔力はあるんだよね」

「そこがおかしいのよ。なんで魔力はあるのかしら」

 

 ソフィーナはソファに寝転がると、手足をバタバタと振り回している。感情のやり場がないのだろう。

 奇妙なことに、サンプルの雨には、場所による違いこそあれど、通常の雨にしてはまず多すぎる量の魔力が含まれていた。ということは、雨がどこかしらから魔力を得ているものだと考えるのが普通だが、肝心の『魔力を取り込むような魔術式』は一切見られない。

 

「なんか、『あと一歩感』はあるのにね」

「そうねぇ、こうなる原因は何かあるはずなのに、もどかしいわね……」

 

 ハイネが淹れた紅茶を、久しぶりにさっぱりしたテーブルに置くと、ソフィーナがよろよろと寄ってきた。言いだしっぺでありながら、彼女も結構疲労しているらしい。

 

「ありがとう、ハイネ」

「どういたしまして。ま、今の俺らじゃ理解できないことなのかもな。兄貴の言うとおり、きっと『そういうもの』なのかもしれないよ」

「そう……そう、かもね。でも、何かしらの理由はあるはずなのよ。いつか、その理由を知りたいわ」

「雨の日に外で魔術使えないって、面倒だしね」

「そうよ。いざ外で何かあった時に、不便じゃない。原因は突き止めるべきよ!」

 

 また妙に燃えてきたらしいソフィーナ。対するハイネは、下手なこと言うんじゃなかった、と渋面になりながら紅茶をすすった。

 

 

…………

 

 

「というわけなのよ。本当のところ、どうなの?」

「本当も何もあるか。そういうもんなんだよ」

 

 翌日。ソフィーナはハイネの兄で、体育の講師であるアルマの元を訪ねていた。一通り話を聞いたアルマは、昨日のハイネにそっくりな渋面になって答えた。

 

「お前も知ってのとおり、この島周辺の霊相は特殊でな。術式とかそういうんじゃないんだよ。確かに雨の日は不便で、場合によっちゃ危険でもあるが、受け入れるしかない。この時期を過ぎれば、雨が降る頻度も落ちるし、冬になれば気温が下がって雨が雪になるから、結構安全になるぞ」

 

 ソフィーナの耳に、アルマの言い分は正しいように聞こえた。ただ、それでも納得できない思いも心中にある。

 『理深き』の言葉に倣い、他者の()路整然とした意見を取り入れることに抵抗は無いが、逆に自分の内の理を通したいという欲求も強い。

 

「そういえば、お前今週のブルーミングバトル実戦の授業、出ないのか? エントリー無かったけど」

「ええ。まあ、私も私でやることあるし。大丈夫、夏休みが始まるまでに2回は出るわ」

「そうか。ま、何事にせよ、あんまり難しく考えんなよ、ソフィーナ」

 

 アルマはそう言って手をひらひらと振った。もう帰れ、と言いたいのだろう。確かに、放課後の時間帯にあまり拘束されたくないはずだ。

 

「難しく考えない、ね」

 

 ソフィーナは、今アルマに言われた言葉を口に出しながら、次のブルーミングバトル実戦の授業にいつ出ようか、と考え――

 

 ふと、何かが繋がった気がした。

 

「術式がないのに……効果だけがある……そう、これなら、可能……そのはず……」

「どうした、ソフィーナ」

 

 訝しげにソフィーナを呼ぶアルマに、彼女は確信しかけの可能性を口にする。

 

 

「誰かのエクシードっていう可能性があるわ」

 

 

 その瞬間、アルマがついこぼした痛恨の表情が、ソフィーナの疑念を完全な確信に変えた。

 

 

…………

 

 

「まさか、見破られるとは思ってなかったんじゃないですか?」

「当然です。ちゃんと隠してきたつもりですから」

 

 雨の中を歩く、雫とすがさ。場所は青蘭学園特区の中だ。

 

「いったいどんな子なんでしょうか」

「素晴らしい才女だと聞きます。きっと才気あふれる、聡明な子でしょう」

 

 行き先は、第二魔術工房。その中にある一番大きな部屋。そこを借りている、ソフィーナ・アルハゼン。

 

「通常業務よりもこちらを優先していいと仰せになられた親方様に、感謝ですね」

「親方様は、私という駒の特殊性が惜しいのですよ。同じことは貴女にも言えますよ、すがちゃん」

「私はバレてないですよね?」

「私のものは効果の範囲が非常に大きいですからね。それに、シャーリィのように限定的なものでもありません。すがちゃんは……すがちゃん自身が見えづらいから、大丈夫でしょう」

「それ、私のことディスってたりします?」

「まさか。褒めてますよ」

 

 くすくすと笑う雫を、頬を膨らませて見上げるすがさ。だが、すぐに自分も可笑しくなったのか、笑い始めた。

 

「まあ、学生の頃はいっぱい迷惑、かけちゃいましたしね……」

「あら、迷惑度合いなら私の方が上でしたよ。なにせ、毎日大雨になってた頃もありましたし」

「うわぁ、すごいです」

「褒めないでください」

「いや褒めてないですけど」

 

 

…………

 

 

 ソフィーナの確信めいた疑念は、完全な確信に変わりつつあった。

 彼女は例の魔術工房の大部屋にいた。ブルーミングバトル実践の授業に出ているため、今日はハイネはいない。

 今日も雨が降っている。その雨を、前よりかなり多く採取し、改めてそれに何の術式もないことを確認すると、彼女はごく単純な魔術式を編んで、その雨水に干渉しようとした。すると……

 

「……やっぱり、打ち消された」

 

 雨水に触れるやいなや、術式は雨水に溶けるように崩れてしまった。

 その後、もう1回雨水を調べる。すると、術式がないのはそのまま、今彼女が雨水に干渉するために編んだ術式――それに使用した魔力が、そっくりそのまま雨水に溶け込んでいたのだ。

 

「こんな芸当が可能なのは、エクシードしか考えられない」

 

 ソフィーナは満足して結論を口にした。とりあえず納得できる答えが出せて満足だった。

 満足だったが……だとすると、更なる疑問が1つ浮かび上がる。

 

「これ、誰のエクシードなのかしら」

 

 そう。これがエクシードによるものだとすると、問題はその発生源だ。この雨は魔術を使う多くの人々に影響を――主に悪影響に違いない――及ぼしている。だというのに、どうして青蘭はこの雨を発生させるプログレスを放置しているのだろう。

 もしかすると、青蘭でも追いきれない、非常に強いプログレスなのだろうか。だとしたら、全力で探さなければならないだろう。

 

「あるいは……その逆ってこともあるのかしら」

 

 ソフィーナが思考の海に沈もうとしていると不意にドアがノックされる音が聞こえた。

 

「何かしら。……って、もしかしてエミル会長?」

 

 前々から「たまにお部屋貸して~」と言ってくる生徒会長の、妙に人を安心させる笑顔を思い出しながらドアの覗き窓を見ると、見たことのない女性が立っていた。

 

「誰?」

 

 訝しげにソフィーナが尋ねると、その女性――レディーススーツに黒髪だ――は、微笑みながら、

 

 

「失礼、私、青蘭庁執行部魔術犯罪捜査課の雨宮雫と申します。ソフィーナ・アルハゼンさんでお間違いないでしょうか?」

 

 

 一瞬、彼女の言っていることの意味を掴み損ねた。聞こえた音を反芻すると、青蘭庁、執行部、魔術、犯罪、捜査課――

 次いで、彼女の胸元に目が行った。青蘭で時折見かける、青い蘭を紫が取り囲む模様の小さなピンバッジが光っている。

 

「私が、何か脱法行為でも?」

「あの、そうじゃないんです。少し、個人的な話をしたくて参りました」

「なら、公の立場を名乗るのはどういうことなの」

「あっ!? いえ、その……1回やってみたくて、こういうの」

 

 女性――雨宮はソフィーナの指摘に驚いたあと、頬を赤くして小声で言った。それを聞いたソフィーナは、やや脱力してしまった。

 それに――

 

(いざ敵だったとしても、勝てそうね)

 

 先日の御影凌雅との闘いを忘れられないソフィーナは、より気合を入れて雨宮の霊気を視る。彼女の霊気は非常に静かで、一分の隙もなく全身を巡っているが、どちらかというと戦い向きの霊気には視えなかった。恐らく、結界術師か治癒術師といったところだろう。

 

「いいわ、上がりなさい」

「失礼します。……わ、本当に大きいですね。大学生の時に小部屋を1ヶ月だけ借りたことありますけど、ここは別格ですね」

「そんなのどうでもいいわ。それで、個人的な話って何かしら?」

「はい。それは、その机の上にあるものについてです」

 

 雨宮は落ち着いた表情で、テーブルの上に置きっぱなしだった検査呪具の群れを指さした。

 

「ええ。ちょうどこの島の雨について調査し、少しばかりの結論が出たところよ。それが何か?」

「それに関して分かったこと、お聞かせ願えますか?」

「……理由は?」

 

 ソフィーナが問いかけると、雨宮はニコリと微笑んで告げる。

 

「答え合わせ、してあげますから」

「……面白いじゃない」

 

 ソフィーナの頭の中で、幾つもの可能性が消えたのが分かった。雨宮は立場を明らかにした上で、ソフィーナの雨の研究について言及した。しかし、ソフィーナは研究のことを誰にも喋っていない。少なくとも、ハイネとアルマ以外には。別に話すようなことでもないし、ここまでムキになっているのは自分だけだったので、話すのを躊躇ったということもある。

 なのに、雨宮はソフィーナの研究について述べ、その上で「答え合わせ」をすると言った。となれば、この雨は恐らく……

 

「この島の雨には、魔術を打ち消す力がある。魔術を溶かし、その魔力を内側に溶かし込む……そして、それ自体は魔術ではない。魔術抜きでそんな芸当をできる手段は限られている。場所がこの諸島であるということを鑑みれば、プログレスのエクシードである可能性が高い」

 

 彼女が手短に結論を言うと、雨宮は嬉しそうに微笑んだ、

 

「素晴らしいです。たった1人でここまでのことを調べてしまうとは。さすがは『理深き黒魔女』様ですね」

「で、答え合わせってのは?」

「はい、概ね正解です。それ、言ってしまうと()()エクシードです」

「あ、貴女の?」

 

 これにはソフィーナも少し驚いてしまった。これが青蘭の管理課に置かれているプログレスのエクシードであるというのは、雨宮が訪ねてきた時点で察したが、まさか本人が出張ってくるとは思わなかった。

 何しろ、影響範囲が異常である。青蘭島の最南端から白百合島の最北端まで、影響がほとんど同じだったことから、この雨の影響は、青蘭諸島をすっぽりと覆ってしまうほど広いのだ。それは、非常に強力なエクシードであるということの何よりもの証左だ。

 

「私のエクシード《蕾雨郷(エテジア)》です。広範囲に渡って大雨を降らせ、魔術式を溶かし、魔力を吸収する。そして、その効果範囲を、私の覚知下に置きます」

「はっ? 貴女、青蘭諸島全域を感知できてるってわけ?」

「魔術式の行使なら、ですけれどね。ここ数日間、青蘭諸島中で貴女の魔力を感知しました。悪いことを企んでいる者がいるのかも、と勘ぐりましたが、アルマ君が『うちの生徒が《蕾雨郷(エテジア)》についての結論を出そうとしてる』と仰っていたので、直接尋ねに来ました。その様子ですと、純粋な好奇心によるもののようですね」

「まあ、そうよ。物事には道理があるもの。それを深くまで知ることが『理深き黒魔女』でしょう」

「ごもっともです、ソフィーナさん」

 

 雨宮はにこやかに笑った後、きゅっと眉を吊り上げた。

 

「でも、このことは、決して他言無用でお願いしたいのです。どうか」

「どうして? この雨の効果自体は、誰でも知ってる。その原因を知られると、何がまずいの?」

「それは、私の所属を思い出していただければ、自ずとご理解いただけると思いますよ」

 

 所属……とソフィーナは少し前の雨宮の発言を思い出した。

 

 青蘭庁執行部()()()()()()()

 

「……貴女、エクシードを犯罪捜査に使ってるのね。で、そのことが極秘事項ということなら」

「ご名答です。屋内で魔術を行使しても、漏れた僅かな魔力は屋外に出ます。私はそれを感知して、どこで犯罪的な魔術が行使されているのかが分かるのです。そのことが極秘ということまで、よく見抜けましたね」

「まあ、誰も知らないってことはそういうことでしょ」

「はい。ということで、このことはどうかご内密に……まあその、せっかく答えにたどり着いたのですし、ちょっとしたご褒美をあげますから……」

 

 やや(した)()な口調でそう言った雨宮は、持っていたカバンからクリアファイルを取り出して机の上に置いた。何かと思えば……

 

「……商品券?」

「現金の譲渡はできない規則なので……その、これで何卒」

「そんな頭下げなくても、別に喋らないわよ」

 

 お金には困っていないのだけれど……と内心ぼやきながら、弱々しい視線でソフィーナを見つめる雨宮を見ていると、この女性が青蘭中を覆い尽くすほどのエクシードを行使できる、どころか、()()()()()()であるということを忘れてしまいそうだ。

 

「しかし、貴女、そんなエクシードを持ってるなら、黒の世界に来たらとんでもないことになるでしょうね。あの世界、魔術回路がインフラと深く絡んでるんだもの。この効果範囲の広さなら、ケイオンを丸ごと覆えるでしょうし、魔女王も倒せるんじゃない?」

「とお思いだったのでしょうね。私、残念ながら黒の世界には行けないのです。渡航禁止令の対象でして」

「渡航禁止令? そんなのがあるの?」

「はい。私の能力が黒の世界の根幹を揺るがしかねないので、魔女王様から直々に書簡を頂きました。内容をざっくり言えば『本当に申し訳ないが、頼むからこの世界に来ないでくれ』というものです。同じようなものが、赤の世界の大天使様からも送られてきました」

「それは……なんというか、ご愁傷様」

「別に良いのです。確かに他の世界に行けないのは残念ですが……でも私は、自分を育ててくれたこの青蘭を守ることに生涯を捧げようと思っているのです」

 

 守る。

 

 その言葉に、ソフィーナはハッと気付いた。もし仮に、考えたくもないが、黒の世界が青の世界に攻め込むようなことがあったなら。彼らは魔術をもって戦いを仕掛けるだろう。

 だが、青蘭の側に雨宮が1人いるだけで、魔術攻撃はまるで役に立たなくなる。それどころか、魔術を行使しようとすれば位置を捕捉され、逆に攻撃を受けることになる。雨宮がいる限り、この諸島を魔術で攻めることはできないのだ。

 

 

 たった1人で、世界1つにも対抗できる。それがエクシードというものの極致なのかもしれない。

 

 

「ただ……」

「何?」

 

 そこで唇に人差し指を当てた雨宮は、やんわりとした、暖かい霧雨のような笑みを浮かべた。

 

「『来ないで』っていう代わりに、お詫びとして色々貰ってるんです、私。だから、私とあなたは、似た者同士ですよ」

 

 

 

…………

 

 

 それから3日経ち。今日も、雨が降っていた。

 

「そういや、ちょっと前まで雨雨ってうるさかったけど、あれって結局どうなったの?」

「うるさいとはご挨拶ね。結局、この島の性質ってことで理解したわ」

「理深き黒魔女のお墨付きなら、安心だね」

「そういうこと」

 

 教室内は雨天の日特有の、奇妙な静かさに包まれている。外からは、パラパラという雨音が絶えることなく流れてくる。

 ソフィーナは窓を少し開けると、指先を突き出して、魔力を一筋放った。その魔力は、相変わらず雨に溶けてしまった。

 この雨が、知らず知らずの内に、自分たちを守ってくれているのかもしれない。

 

「……雨続きも、いいかもね」

 

 彼女はぽつりと呟くと窓を閉め、クラス委員長としての務めに戻った。

 


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