アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第2話「なかなか強情だね」

「……はい。ええ、大丈夫ですよ。楽しみにしてますんで。……いやいや、そんな迷惑なんて。嬉しいですよ寧ろ。あんなにちっちゃかったのに、もう高校生とか。……あ、代わる? はい。…………ああ、久しぶり。ごめんなー仕事詰まっちゃってて帰れなくって。それより、やっぱり青蘭学園に決めてくれたんだね。……いやそんな、照れるって。で、いつ出るの? ……え、明後日? 早いねー。…………まったく、親子揃って褒め倒し作戦か? 褒めたってなんも出ないぞ。…………うん、オッケー。待ってるよ。制服姿、楽しみにしてるさ。……変態じゃないよ、姪っ子の晴れ舞台だもん。きっと可愛いんだろうなぁって。……ははは。そうだな。……ん。りょーかい。大丈夫だって。お兄ちゃんに任しとけ。……おう、それじゃあ」

 

 

 彼が受話器を置くと、後ろから声がかかった。

 

「今の、だれ?」

「ん? 今の、俺の義姉さんと姪」

「ねえ? めい? 変な名前」

「いやいや、それ名前じゃないから」

 

 ソファに座るその少女は、見目麗しい容姿をしていた。朝日に照らされて白く見える鈍い銀髪に、身長は155センチ程度、年齢は10代半ば。惜しむらくは目つきが少し悪いところだが、ラフに着崩している男物のワイシャツとスラックスの上から浮き出る身体のラインは、少女らしさと女性らしさが混じり合っている。奇怪に思えるのは、声に抑揚がほとんど存在しないところだ。そしてその双眸は、全く揺らぐことなく、携帯ゲーム機の画面に注がれていた。

 

「……う、た、耐え……ダメだ」

「朝っぱらからゲームかよ。いいご身分だな」

「今日の予定は?」

「まあ普段通り出勤」

「卒業式、もう終わったって言ってた。遊びに行こう」

「そうもいかないもんなんだよね。ったく、これだから公務員って奴は……一応立場は講師ってことになってんだから、休ませて欲しいんだけどな」

 

 腕組みをして溜め息を吐く男は、身長170センチ程と男性にしては低めながら、言い知れぬ《大きさ》を持っていた。外見からは年齢がわからない、不思議な雰囲気の男だ。暑がりなのだろうか、まだ3月だというのに上半身はタンクトップ、下はジーパンという格好をしている。鍛え上げられた、どちらかといえばがっちりとした体型は、どこか格闘家を思わせるが、彼の場合は雰囲気も相俟って()()()()に見える。

 

 彼はその上からワイシャツを羽織り、ボタンを締めると、カバンを持って玄関へ向かう。

 

「いつもどおり、昼飯は冷蔵庫ん中にあるから温めて食えよ。4時くらいには帰る」

「ん。ドーナツよろしく」

 

 少女が、また彼に目も呉れずに言うと、彼はまた溜め息をついた。

 

「ったく、お前も最近、口開けば飯かゲームかドーナツばっかだよな」

「うん。大好き」

 

 彼は困ったように頭をガリガリ掻くと、「まあいいや」と玄関に向き直った。

 

「で、次はいつ外に連れてってくれるの?」

「どうだろう……明後日なら、多分」

「わかった。我慢する」

「いい子だな。じゃあ留守番よろしくな。アイ」

「ん。いってらっしゃい。ゆーま」

 

 僅かに感情の篭った声を聞いて外に出ると、(きし)()(ゆう)()は青蘭学園へと歩きだした。

 

 

…………

 

 

「楽しそうだな、美海」

「うん! なんていうか、リンクとかフレームとか、いろいろ青蘭学園《らしく》なってきたなぁって!」

 

 青蘭学園1号館1階のロビー。もう春休みなので人気の少ないそこに春樹と美海はいた。

 

「……足、パタパタさせないの」

「えへへ~。落ち着かなくって」

 

 長椅子に座ったまま忙しなく足を揺らす美海。顔は笑顔だが、案外かなり緊張しているのかもしれない。

 そう思った春樹は、美海の頭に手を乗せて撫でた。

 

「まあ落ち着けよ。そんなひどい結果にはならないって」

「そ、そうかなぁ~?」

 

 上目遣いで見上げてきた美海の瞳は、急に心配そうな色になっていた。単に結構《脆い》だけなのか、或いは気を許してくれているのか、それとも素の反応なのか――春樹にはその一瞬での判断が出来なかったが、何となく、笑顔でない顔が見れたのは嬉しかった。しかし、美海は春樹の反応が不満なようで、

 

「う、うぅ~。なにニヤニヤしてるの!」

「え。俺そんな顔してた?」

「してた。なんか嬉しそうだった」

「まあ……否定はしない」

「Sだこの人! 他人の怯える姿見て喜んでる!」

「そんなことないって。……ないよね?」

「あるよ~!」

 

 ころころと表情を変える美海が面白くて、それ以上に可愛らしくて、ついついからかってしまう。そして美海も、そんな自分の表情の変化に幾分驚いているようだった。

 

「で、担当の人はまだかなぁ」

「そんな焦らなくてもいいだろ。気長に待てよ。あと足パタパタ」

「あ。いや、ホント落ち着かなくて……ごめんなさい」

「まー気持ちは分からないでもないけどね。俺も最初はそんなん……いや、それ以上に緊張してたし」

「そうなの?」

「だって、誰も付き添いというか道連れがいなかったんだぜ? そりゃ緊張するのもやむなしっていうか……」

 

 言っていて急に恥ずかしくなった春樹だが、そんな彼を見かねたのか今度は美海が春樹の頭に手を伸ばして、

 

「うんうん、仕方ないよね~」

 

 よしよしよし、と髪をかき回した。驚いて隣を見ると、美海の嬉しそうな顔が目に入る。その頬が少し赤い。本人的には、割と背伸びした行動らしい。それとも、先ほどの春樹と似たような心情を抱いているのかもしれない。

 

「なんか、俺からかわれてる?」

「いやいや、すごいなぁって」

「……そこはかとなく上から目線っぽいけど」

「気のせいだって」

 

 あっはっは、とわざとらしく笑う美海を半眼で眺めていると、ロビーに聴き慣れた声が入ってきた。

 

「おー、待たせてごめんな」

 

 廊下からやってきたのは、青蘭学園で講師をやっている男で、名前を岸部雄馬といった。身長は春樹よりも低いのに、どこか言い知れぬ《大きさ》を持っている。初対面なら、彼にその気がなくとも圧倒されてしまいそうな雰囲気だ。

 しかし、春樹は去年どころか中学2年から世話になっているので、今更気圧されたりはしない。

 

「あ、雄馬先生」

「あれ? お前も一緒なん? なんだよ、もう新入生ゲットか。手が早いな」

「ち、違いますよ! ただその、偶然知り合ったから付き添いで……」

 

 大慌てで否定する春樹の横で、美海が何かに気づいた。

 

「あれ? もしかして、青蘭学園の説明しに来てくれた人……でしたっけ?」

「ん? おお、確かそうだったかな。如何せん数が多いもんで。えーと……なんだっけ。日向、み、みう?」

「美海です」

「ああ、そうだ。珍しい名前だったんだ。思い出したよ」

 

 雄馬は豪快に笑うと、さて、と話を切り直した。

 

「これから美海には、フレーム脳波テストと汎用リンクテストを受けてもらう。春樹とのリンクテストは、そのあとでいいだろう。2人とも、付いておいで」

 

 雄馬に連れられて向かった先は、第一マシンルーム。プログレスやαドライバーの能力値を測定する機械が並んでいる。

 

「まだ時期が早めだから空いてるよ。αドライバーはともかく、プログレスはいっつも3月下旬になると行列ができるからな」

 

 あはは、と笑いながら、雄馬は機械のセッティングを進めていく。2人はそれを眺めることしかできない。暫くポカーンと突っ立っているだけだった。

 

「さて、準備完了っと。美海、そこに立って。これを頭に付けてな。春樹はちょっと待っててな」

 

 美海は言われたとおりに測定装置の前に立って、機器から伸びるケーブルの先端を額に付け、ヘッドフォンのような器具を装着する。なんだか本格的にテストをするんだな、という実感が沸いてきた。

 

「よし、できたな。まずは試験運転……美海、違和感はないか?」

 

 どでかいヘッドフォンのような器具を付けているため違和感が無いわけがないのだが、たぶんそういうことではないのだろうと察し、「特にないです。大丈夫です」と答えた。

 そんな美海の心情を見越したのか、雄馬が、

 

「ヘッドフォン、重くない?」

「重いですけど……」

「そう言うだろうと思った。我慢しとくれや」

「……なんだろう、今日は男の人がドSな日なのかな……」

 

 半眼になってボヤく美海。その後ろで春樹も苦笑している。その横で、雄馬が太い帯状の器具を取り出し、

 

「春樹、これ付けてやって」

「え?」

「男ならまだしも……俺がやると、問題になりそう」

 

 雄馬に小声で囁かれ、ハッとする。

 手渡されたお腹に巻くための器具で、春樹もこれを付けた記憶がある。腹のあたりから心臓までを覆えるほどの太さだ。これは背中側で止めてそこにケーブルを接続するため、1人では装着ができない。

 

「よ、よーし。美海、万歳して」

「はーい」

 

 美海が両手を挙げたのを確認すると、春樹は彼女の背中側に回り込んだ。帯を美海の正面で回し、両端を掴んで、そこでふと思い出す。

 

「胸の高さにに付けなきゃいけないんでしたっけ?」

「そうそう」

「んじゃ、美海。ちょっと前の方を持ち上げてね。大体胸の高さまで」

「はーい。こんな感じ?」

「オッケー。んじゃいくよ」

 

 器具の高さが合わせられ、春樹が後ろの金具を閉じると、ぶかぶかだった帯が急に収縮して、美海の胴をぴっちりと締め付ける形になった。しかし、一切の前触れがなかったため、美海は思わず嬌声を上げる。

 

「きゃん!?」

「うわ、ごめん! そうだった。こいつ金具を閉じると勝手にフィッティングするんだった」

 

 かれこれ3年も触れていなかったので覚えていなかったが、春樹の頭の中に、初めてこの器具に触れた時に同じような反応をした記憶が甦った。しかも、その時のものは今のものよりもフィッティングの圧迫が強かったので、前触れなしで締め付けられた春樹は息が止まって死にそうな思いをした。

 そんな2人の様子を後ろからニヤニヤしながら眺めていた雄馬は、「若いっていいねぇ」とぼやきながら機械を操作し始めた。

 

「よし、始めよう。じっとしてるんだぞ。まずは頭部位置確認っと……」

 

 雄馬が操作を進めると、まず、ヘッドフォンのヘッドバンドの部分が上下に動き、美海の頭部を撫でるように動き始めた。

 

「まずは頭の形と脳の位置を測る。あんまし動かないこと」

 

 ヘッドバンドは1回頭の後ろ、うなじの辺りまで動き、今度は戻って額の方まで頭部を1週した。それを何か繰り返している。雄馬の言通り、頭の形と、その中にある脳の位置を確認しているようだ。

 

「機器は良好……だな。んじゃ、テスト開始」

 

 再びヘッドバンドがゆっくりと動き出し、それと同時にスピーカーから微かな高音が聞こえ始めた。

 

「超音波……つまり人間には聞こえないレベルの高音が出てるけど、もし気分悪くなったら言ってな」

「だ、大丈夫です」

 

 胸の位置で巻いた帯が、部分的に締め付けてきたり、緩まったりしている。どうやら内蔵の反応を見ているらしいが、美海の口からは、慣れない感覚に意図せず声が漏れていた。

 

「あっ、ん……はぁ」

 

 春樹は、自分の頬が赤らんでいくのを感じた。目の前でとびきり可愛らしい女の子が喘ぎ声を上げている……というのは、ちょっとどころではなく、だいぶ琴線に触れる。大人ぶっていても、春樹はまだ16歳。健全な青少年にこの光景は、刺激がなかなか強すぎた。

 

(やば……耳、塞いどこうかな)

 

 しかし、春樹は美海の背後に居る。向こうからこちらは見えないのだ。というわけで、申し訳ないと微かに思いながらも春樹は声を聴き続けた。なんだか変態になった気分だ。

 

「フレームはΩ……。脳波強度はかなり高め……こりゃ、素晴らしいな」

 

 雄馬は画面に見入っていて、気付きもしない。気を紛らわそうと春樹も覗き込んでみると、画面の大部分を占めるオシロスコープの表示のような脳波形状の下にある、『フレーム』と『脳波強度』の欄が目に入った。『フレーム:Ω』は昨夜に予想した通り。その下に、『脳波強度:267~』と出ていた。数字は細やかに変化しているが、大体260近くで安定している。

 

「これ……高いんですか?」

「そうだな。平均が大体150くらいだから、かなりというか、超高め」

 

 感服の眼差しで美海を見る。当の彼女は圧迫にも慣れてきたみたいで、声も収まっていた。ふう、と胸を撫で下ろす春樹の横で、相変わらず画面を見ながら雄馬が続けた。

 

「だが……汎用フレームでは無いっぽいな。結構独特な形をしてる」

「分かるんですか、そんなこと?」

「あくまで経験に基づく勘、ってやつだな。……恐らく、汎用リンクテストの結果はあんまり芳しくないだろうが……でも、尖ってる方が良いっていう意見もあるし、一概に優劣は付けられないもんだ」

「はぁ……」

 

 脳波の形なんて見てもイマイチよく分からない春樹は、そういえば、自分も汎用リンクテストの結果があまり良くなかったのを思い出した。平均70%のところが、55%程度しかなかったのだ。

 そんな春樹にも、去年、なかなかリンク率の高いプログレスが4人も見つかった。もし仮に、美海の汎用リンクテストの結果が良くなかったとしても、きっとそういうαドライバーが現れるか、少なくともどこかにはいるのだろう。何せ、世界が4つもあるのだから。

 そうこう考えているうちに、美海のフレーム脳波テストが終わり、次は汎用リンクテストとなった。

 ちなみに、ここで測ったフレーム脳波は、学籍番号と紐付けられ、学校内のデータベースで管理される。そして、学籍番号にフレーム脳波を登録するのは青蘭学園への入学条件のひとつとなっている。

 

「今度は、そこに立ってるだけでいいぞ。中央に立って」

 

 雄馬が指差す先の、四角く囲われた枠の中に美海が入る。今度はどんななんだろうとソワソワしていて、見ている春樹はなんだか急に心が和んだ気がした。

 

「位置オッケー。Ωモードで起動っと。動くなよー」

 

 雄馬の操作によって、囲われた範囲が半透明の光で覆われる。機械が擬似的にαフィールドを形成したのだ。この機械は平均的なαドライバーの脳波を模した波長の波を作り出すことができ、それとの整合率でリンク率を測る。本来のαフィールドの範囲は見えないのだが、これは識別のために見えるようにしている……とかなんとか。

 

「うーん、やっぱり思ったとおりだが……あれ?」

 

 画面を眺めていた雄馬が素っ頓狂な声を上げた。春樹も気になって画面を見ると、徐々に上がっていくはずのリンク率の欄の数字が、なんと15%で止まっている。まさかの春樹以下――どころか、こんなに低い数字は見たことがない。

 

「もうちょい時間を置いて……みるまでもないか。もう完全に止まってるし」

 

 装置を停止させ、「どうでした!?」と興奮気味の美海に対し、雄馬は特に言い淀むでもなく数字を答えた。

 

「それって、どのくらいすごいんですか?」

「そうだな……平均の5分の1くらい」

「え……?」

「大体7人に1人くらいしか、そもそもリンクできるαドライバーがいないってことだな」

「ちょ、雄馬先生っ」

 

 小声で叱責する春樹の横で、マジか、という表情を見せる美海。しかし、持ち前の明るさで一瞬のうちに立ち直り。

 

「じゃ、じゃあ次は春樹くんとの相性が知りたいです!」

「ちょ……そんな、相性なんて」

 

 思わず赤くなる春樹だが、雄馬も乗り気で、「よし、やってみっか」と次の機械のもとに2人を連れて行く。

 

「さて、お待ちかねの相性確認タイムだ。春樹はこっち、美海はこっちな」

 

 先ほどの機械と似た形状だが、今度は機械の前後両側にスペースがある。春樹には、フレーム脳波テストで使ったものとほぼ同じヘッドフォンを渡され、それを付ける。これにより春樹のフレーム脳波を機械が認知、αフィールドを発生させるだけの技量がなくともリンク率が測れるのだ。

 

「おし、準備完了だな。それじゃ、スタート」

 

 美海の時と同じようにヘッドバンドが動き、頭の形と脳の位置を計測、後に脳波を測り出し、美海の側で汎用リンクテストと同じく、擬似αフィールドが形成される。

 しかし、今度は美海の反応が違った。フィールドが形作られるや否や、閉じていた両目が無意識に開き、虚空を見つめる。その眼は、新鮮な驚きに満ちていた。誰かと()()()感覚に、不思議と心が躍る。

 一方の春樹は、あくまで擬似リンクを行っているのは機械であるため、美海とのリンクの感覚を得ることはできない。しかし、機械を挟んだ反対側にいる美海の反応が、先ほどのテストとは明らかに違うことが見て取れた。

 なんの前触れもなく、唐突にテストが終わった。ほんの一瞬だったように思えたが、時計を見ると、なんと5分間もテストしていたらしい。美海は、まだリンクの余韻から抜けきっていない。呆然と宙を眺めている。

 

「ど、どうでした?」

 

 春樹が恐る恐る雄馬に尋ねる。雄馬は、画面を食い入るように見つめていた。何か、信じられないものを見ているように。春樹の呼び掛けにハッと我に帰った雄馬は、

 

「お前ら、すげえな」

 

 それしか言わなかった。

 こちらに向けられた画面を見て、春樹もまた呆然となった。

 

 ――どうして、こうなるんだ。

 

 

『リンク率:98.9%』

 

 

 

 

…………

 

 

「……ご機嫌だな」

「うん! 汎用リンクテストはアレだったけど、春樹くんとは相性バッチリだったからね!」

 

 昼下がり。商業地区の喫茶店で春樹と美海は昼食を済ませ、さらに話し込む為にドリンクバーで粘ろうとしていた。主に美海が。

 

「なぁ、結構混んできたし、そろそろ出ないと店側にも迷惑だぞ……?」

「えー? もっと落ち着いて色々お話したかったのに……でも、迷惑かけるのはいけないよね」

 

 美海は聞き分けよくジュースをストローで一気に吸い上げると、「よし、行こっか」と席を立った。春樹も後に続き、2人分の料金を支払う。それに気付いた美海が「あ、私の分……」と慌てるが、春樹は右手を持ち上げてそれを遮った。

 

「わ、私の分は私が払わないと」

 

 喫茶店を出ると、いきなり美海が食い下がってきたが、

 

「相性最高のお礼に……な」

 

 とまたもそれを遮った。美海は不服そうに頬をぷくーっと膨らませたが、すぐににっこり笑顔に戻り、

 

「じゃあ、あそこでお土産買ってあげるね! ご馳走様でした!」

 

 なんて言い出した。15歳で礼儀が成りすぎだ、これは敵わん。と心の中で苦笑した春樹は、「はいはい、ありがとうね」とそれを流し、ショッピングモールへと足を向けた。

 

「寮の先輩にね、いいお店教えてもらったんだ~」

「へぇ。誰に?」

「えっと、東条遥先輩と神凪千鳥先輩……で分かる?」

「分かる分かる。風紀委員でしょ? それに千鳥には結構世話になっててな」

「そうそう! 『風紀委員に入らない!?』って勧誘されたんだけど、入るべきかなぁ?」

「ん~、どうだかなぁ? 俺にはなんとも……でも、確か試験あるんだよなアレ。しかもやたらに厳しいヤツ。俺は面倒だったからパスしたけど」

「うぇ~? だったら私もパスかなぁ。テストって苦手なんだよね~」

 

 談笑しながら歩く2人。春樹は去年、プログレスに「歩くの早いよ~」と何度も言われたため、自然と歩幅を女子に合わせるようになっていた。

 しかし、春樹の内心は複雑だった。美海とのリンク率は、()()()()とのリンク率よりも高かったのだ。98.9%――いや、90%を超えた時点で、まっとうな観点から見れば、すぐにチームメンバーに加えるべき数字だ。

 ブルーミングバトルには高等部2年からしか参加できない。が、それはαドライバーの話で、実はプログレスは中等部2年から参加が可能だ。これは、ブルーミングバトルの最中はαフィールドによってプログレスが守られるからであり、逆に守る立場であるαドライバーは、プログレスが本来受けるべき負荷を全て引き受けるため、それなりに身体的に成熟している必要がある。

 このルールに沿うと、美海は既にブルーミングバトルへの参加権を持っている。そして、本人は恐らく、春樹がチームを組むと聞いたら、喜んで参加をするだろう。

 だが、春樹は美海をチームに参加させ()()()()()()。それは、春樹が昨日自分自身を抉り、分かったことがあるからである。

 

 ――――俺は偽善者だ。今だってこうして、内心を偽って美海と喋っている。

 

 去年親交を深め合った()()()()は、様々な経緯を辿ったにせよ、それなりにぶつかり合い、お互いに分かり合うことができた。その上で、こんな自分と仲間になってくれた。彼女らに対する恩情は、決して潰えることはない。だからこそ、今でもこうしてウジウジとそれを引きずっている。振り切れてなどいない。今でも女々しく彼女らを求めている愚かな自分が、確かに存在している。

 美海はまだ自分を知らない。嘘つきで偽善者な自分を知らない、ただの気の良い先輩としての自分しか見て貰えていない。

 もし、美海が好いているのが、()()()()自分だったら?

 本当の自分を、認めてくれるだろうか?

 それが、ただの先輩後輩の関係だったら、迷わず自分はそれを暴露しただろう。自分は君の思っているような人間ではないから、期待しないでほしい。そう言えただろう。

 だが現実はそうではない。

 αドライバーとプログレスのリンク率はただの数字に見えて、実はそうではない。リンク率というものは、目に見える数字()()()αドライバーとプログレスの仲に影響を及ぼすものである。しかも、今回はそれが2段構えで美海に襲いかかっている。

 汎用リンク率を告げられた時の美海の表情。あれは本物の、彼女の本心を顕した顔だろう。平均70%くらいのところが、測ってみたら15%だった。平均以下どころか最低レベルだったのには、ショックを受けて然るべきである。

 しかし、その直後に測った春樹との相性は、ほぼ最高どころか文字通り千載一遇の相性だった。ショックの直後に救いがあるというシチュエーション、またはその逆は、人の心に決して少なくない影響を与える。今回の場合、美海が春樹に()()()()可能性が十分にあるということだ。

 現に、今の美海はとにかく嬉しそうで、それを見た春樹の心には、決して偽りではない嬉しさに満ちている。だがその横で、それが砕かれる要素を自分が秘めていることに危機感を覚えてもいる。

 自分が信頼してやまない先輩の本心を知った美海の心は、どうなるだろう。

 2度と現れるかどうか分からないほど相性の良いパートナーが自分に向けていた表情が偽りだったと知った時、美海は何を思うだろう。

 そして、何よりもマズいのが、ブルーミングバトルにおける何よりも重要な要素が《絆》だということ――。

 一番気に食わないのは、こんな状況であるにも関わらず、自分の胸は罪悪感で張り裂けそうだ()()()()()()()()()ことだ。

 このままはぐらかすだけではダメだということは分かっているのに、ふと気づけば時間稼ぎの方法を考えている。そのままなあなあにし続けられることではないと知っているはずのに、どうにかして曖昧に煙に巻いて振り切る手段が、頭の中をぼんやりと占拠する。

 自分は今、正に、臆病者で偽善者だった。

 

「春樹くん? どうしたの、難しい顔して」

「え? あぁ……そうだな。少し考え事」

「もう、ちゃんと私とお話してよね!」

「ご、ごめん……」

 

 怒ってますよ、という顔を作ってみせる美海に対して、春樹は曖昧な返事を返すことしかできない。

 

(こりゃ、まいったなぁ……)

 

 この懐き様。美海が既に春樹に対してそれなりの信頼を置いていることは、傍から見ても明白である。

 もういっそ、騙し抜くか。それとも、洗いざらい話すか。前者は後々心が痛み、後者は今すぐ心が痛む。隠し事、というものの厄介さを、身に染みて感じた。

 

「あーっ! 猫カフェだって! ねえねえ春樹くん、猫カフェだって!」

「猫、そんなに好きなの?」

「うん、大好き! 入ろうよー」

「でも、今ご飯食べたばっかじゃん。また今度な」

「え~? 仕方ないなぁ、今度一緒に行こうね!」

 

 満面の笑みで、指きりげんまん♪ とやってくる美海。反面春樹は、また安請け合いしちまったという痛恨の面持ち。

 

(この笑顔は……嫌いじゃないけどさ)

 

 少しは考える時間をもらってもいいよな……と思考が逃げ気味になるが、突発的に行動したってロクなことにはならない。後から知った美海がどうなるか、というのを考えるのが嫌だったのもあるが、今は、この嘘に身を委ねていたい。

 

 ――――弱虫。

 

 気づけば商業地区の中央広場に出ていた。この地区の象徴的なオブジェクトである《青鐘の噴水》は、今日も天に向かって煌びやかに水を噴いている。

 

「で、今日はどこに行きたいの? 特別行きたい! って場所ある?」

「とりあえず教えてもらったお店に行って……で、その後は……昨日見れなかったとこ、全部かな!」

「はは……こりゃ困ったちゃんだね」

「あっ! ねえ春樹くん。デザートに、クレープなら食べていいでしょ? ほら、あれ! 私が買ってくるよ」

 

 美海が指差す先には、クレープ屋の屋台がある。商業地区だと、こういう屋台は珍しくなく、アイスクリームだったりチュロスだったり、女子高生が食いつきそうな軽食を取り扱ったものはいくつもある。初めて見たときは、中央広場の雰囲気も手伝い、ディズニーランドの中みたいだ、と思ったものだ。

 

「そうだね。じゃあお金を」

「ああっ、ダメだよ! 私が奢るもん!」

「え? 払うよ普通に」

「なかなか強情だねっ。でも……」

 

 財布を出そうとした春樹を止めた美海は、

 

「相性最高のお礼に……ね?」

 

 先ほど春樹自身が口にした言葉をそのまま真似ると、可愛らしくウィンクして駆けていってしまった。呆然と取り残された春樹は、噴水近くのベンチに座ると、頭を掻いて空を見上げた。昨日とは打って変わっての晴天だ。

 

「……今日は、一本取られっぱなしだな」

 

 

…………

 

 

「……で、これが彼女のフレームだ。どうよ?」

 

 カーテンが全て締め切られ、照明が絞られた音楽室の椅子に腰掛けた雄馬は、手に持っていた端末を横に居る男に渡した。

 端末を受け取った男は一瞬顔をしかめるが、すぐに緩んだ。

 

「ほぼ確定だ、が……あまり目を離さないほうがよさそうだ。どう転ぶものか」

 

 彼もまた不思議な雰囲気の男だ。雄馬よりも少し高い身長の割に、雄馬と同じく謎の威圧感を放っている。ノータイのシャツにスラックスを履き、右耳にだけ蒼い星のように煌く宝石のはめ込まれたイヤリングを付けている。顔からして歳は30程度に見えるが、それなりにストレスが溜まっているのか、短く爽やかな風にカットされた髪には既に白いものが少しばかり混じっている。しかし、そんな点を含めて彼には男としての『味』があった。

 

 (きずき)(かい)()。青蘭学園で数学の講師をしている男だ。

 

「やっぱ、海斗先生でも分かんないわけ?」

「流石にフレームだけでは、何ともな。単に異常にエクシードが強いだけかもしれないし、実際に見てみれば分かるだろうけど」

 

 雄馬は明らかに年上且つ『上のポスト』である海斗にも物怖じせずにタメ口で喋る。対する海斗もそれを気にする素振りは見せない。2人の付き合いは既に数年間に及び、その中で彼らは、互いの特徴を()()()弁えていた。

 

「俺は何となく分かった気がする。沙織と同じ雰囲気だったからね」

「沙織……」

「そ。姪っ子。超可愛いんだけど、その……エクシード発現の場に俺も居合わせちゃって。というか、多分()()()()()生まれたんだろうな、あのエクシードは。まだ彼女は5歳かそこらだったし、俺も17だったもんだから、事後処理とか何やらとにかく大変で……でも一番に感じたのはやっぱり、他の子たちとは違うってことだけだったなぁ」

 

 古い記憶を掘り出しながら懐かしげに語る雄馬の横顔を眺めながら、不意に海斗が呟いた。

 

「……一馬も、同じようなことを言っていた」

 

 瞬間、雄馬の表情がサッと凍りついた。失言に気付いた海斗が「ああ、すまん」謝り、

 

「一馬の話は、しない約束だったな。すまない」

「いや……いい。そもそもあいつに繋がりそうなこと言ったの俺だし。それにあの時は、あいつにも迷惑かけた。そういえば……」

「……どうした?」

「あ……いや。何でもない。ちょっと思い出してな。あいつが最後に笑ったの、沙織のエクシードを見た時だったなって。なんつうか……俺にも見せないような、本当に嬉しそうな表情だった」

 

 独り言のような雄馬の呟きは、海斗にはよく聞き取れなかった。海斗はそれをまるごと聞かなかったことにして、「さて」と雄馬に向き直った。

 

「彼女に関しては、俺もそれなりに情報が欲しい。しかし、あまり私生活を邪魔するのも忍びないもんだ。青春は一瞬で過ぎ去るからな。てなわけで、調査は緩く、新学期が始まってからだ。それまではお前も少し羽を伸ばせ。()()の件もあるし、お前には無理させてばっかりだからな」

「じゃあ出勤させんなよな。今日の仕事、俺じゃなくて凌雅でも良かったろ。……それに、無理してんのはお互い様じゃんか。白髪、増えてるぞ」

「メルとさくらにも言われた。メルに無理すんなって言われるのには慣れているが……さくらに「おジジになってる」って言われて……ちょっとショックだったな」

「おジジとはまた傑作だな。休まなきゃならんのは寧ろ、あんたの方ってことで」

 

 軽く笑い飛ばした雄馬はスッと立ち上がって、

 

「アイはとても良くなってる。もう式神1人置いておけば、留守番させといても心配ないし、そんなに苦労してない。最近じゃすっかり人間らしくなって、少しばかり家事も手伝ってくれるんだぜ。皿洗いとか、色々な」

 

 そう言い残して音楽室から立ち去った。一人残された海斗は、様々な情感の篭った溜め息をひとつ吐く。

 

「主の器、か……」

 

 そうして、彼もまた音楽室から出ていき、施錠されたそこには誰もいなくなった。

 

 

「なんで()()()()現れるんだ……あんたに意志は無いんじゃなかったのか……?」

 

 

 

…………

 

 

 中央広場の時計が午後5時ちょうどを指した。

 

「ねえ……まだ見て回るの?」

「え? もちろんだよ!」

 

 かなり疲れた表情の春樹。隣りには、数時間前と全く変わらず元気な美海。

 広場のベンチに座って、美海チョイスのクレープを食べて以降、ノンストップで様々な店を見続けている。それ自体は構わないのだが、問題は、服とか靴とかいった物の内、女性物は見てもあまり面白くないことだった。まあ、美海に似合いそうなものを見繕うのは、それはそれで面白くはあったのだが……しかも、途中で流石に気を遣ったのか、逆に美海が春樹に似合いそうなものを探してくれたりもした。結局のところ、春樹が美海のテンションについて行けないだけだった。

 何しろ、ここは異能に目覚めた()()を育成する島。当然ながら女性物を取り扱った店が多い。率直に言って、男子はアウェーだった。特にこのショッピングモールの中では。

 

(この感覚は……アレだな。あの4人について来させられた時の感じに似てる)

 

 女三人寄れば(かしま)しいとはよく言ったものだが、4人集まると隙がない。取り残された男子は完全にハブである。何が凄いかというと、その隙のなさを美海1人で再現しているところだろう。

 

「ほら、もう5時だよ。そろそろ帰んないと、寮の夕食に間に合わないんじゃない? 確か、6時半……だっけ」

「あ、ホントだ……え~、もっと春樹くんと一緒にいたいなぁ……」

「えっ!?」

 

 何気なく美海が漏らしたセリフに、思わずドキッとした。しかも、なんだか非常に庇護欲を掻き立てる、寂しげな表情を浮かべている。当の美海は本当に何気なかったらしく、驚く春樹を見て「ど、どうしたの?」と目を丸くしている。

 

「いや、何でもない……それより、な」

「そうだね。じゃあ残りは明日ってことで!」

「え? 明日も?」

「うん? もちろんだよ?」

 

 マジですか、という表情を見せる春樹。しかし、先ほどの表情がまだ目に焼き付いている春樹は「仕方ねぇな」と了解してしまった。それを見た美海は満足気にしていたが、「あ、そうだ」と何か思いついたようで、

 

「じゃあ最後に、春樹くんにお土産買ってあげなきゃね!」

「お土産? いいって。さっきクレープ奢ってもらったし」

「いやいや、あれじゃあ全然足りないよ。うーん、何にしようかなぁ……」

「だから、そんなに気にしなくてもいいって」

「ダメ! 買ってあげるの!」

「……まったく、なかなか強情だね」

 

 春樹そっちのけで熟考モードに入る美海。春樹は「もうどうにでもなぁれ」的な顔になった。まあお土産を買って貰えるのは、済まないとは言え不快ではないし、「むむむ」と頭をひねっている美海の表情は、それはそれで微笑ましい。やたらに気が利く美海だが、そういうところは実年齢よりも少し幼めなのか、まるで妹を見ているようだ。もっとも、春樹は一人っ子なので兄弟がどういうものなのかは知らないのだが。

 

「あ、そうだ! ちょっと待っててね!」

 

 急にピコーンと来たらしい美海は、春樹をその場に置いてダッシュした。そのダッシュが、冗談にならないくらい速い。陸上同好会のプログレスらと張り合えるくらいの速さに度肝を抜かれて、待つこと3分。

 

「おまたせ!」

「……走るの速いな」

「えへへ~。かけっこじゃあ、幼稚園から1位以外とったことないんだよ」

 

 はいっ! と渡された紙袋は、少し重い。

 

「ありがとう。これ、中身なんなの?」

「今見ていいよ」

 

 美海に許可をもらったので中を覗いてみると、マグカップが入っていた。それは、小物が売っていた店で春樹が少し気に入り眺めていたものだ。取っ手が風のような渦巻きの形になっている、白地にスカイブルーの模様が入ったマグカップ。美海が他のところを見ていた時にちょっと眺めていただけだから、彼女は知らないと思っていたが……。

 

「美海、見てたのか」

「えへへ。どうですか?」

 

 今日は本当に一本取られっぱなしだ、と改めて認識した春樹は、美海の頭に手を乗せて、よしよしと撫でる。美海は、もう竦むことなく、目を細めて春樹の愛撫を受け入れた。

 

「ありがとう。大事にするよ」

「はいっ!」

 

 その時の美海の笑顔は、本当に、本当に嬉しそうで。

 それを見た春樹も、より嬉しくなった。美海は、きっとそういう魅力を持った女の子なのだろう。周りに笑顔を与えられる、誰にでも真似できるものでは決してない魅力。

 昨日見損ねたから、今日はしっかり見ておこう。

 

 嘘を隠した心が、ちくりと痛んだ。

 

 


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