アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements* 作:トライブ
おたがい-さま[おたがひ-]【お互い様】
〔形動〕自分も相手も同じ立場や状況にあるさま。
「困った時は―」
…………
寮監の千夏が「お客様が来てるよ」と言うので寮の外に出ると、知らないアンドロイドが立っていた。
「初めましてなの。ラウラはラウラっていうの。マスターの命令で参りました。今日はよろしくなの」
「……あの、本日はマスターと出かける予定なのですが」
セニアは僅かに眉をひそめて、目の前のアンドロイドに言った。
柔らかそうな金髪を伸ばした、柔和な顔立ちの少女だ。身長はあまり高くないものの、何故か胸は大きい。表情はぼんやりしているが、優しそうな雰囲気が伝わってきた。
しかし、それはそれ。警戒は解かない。今日は、マスターと青蘭島の商業地区を見て回る予定なのだ。
「――ん、失礼します」
そこに、電話が掛かってきた。マスターからだ。携帯デバイスを通話モードにすると、彼の柔らかな声が――申し訳なさを伴って――流れてきた。どうやら、急遽学園に提出しなければならない書類ができてしまったらしく、それの用意に追われているらしい。
目の前のアンドロイド、ラウラは、今日セニアと一緒にいられないマスターの代役、ということだった。
そういうことなら……とセニアは警戒を解き、ぺこりとお辞儀をした。
「セニアです。よろしくお願いします」
…………
時は三月中旬。太陽が昇れば春の陽気を感じられるが、それでもまだまだ寒い季節だ。セニアはシャツの上からクリーム色のコートを羽織り、下は薄茶色のショートパンツにストッキング、足元は水色と白の縞模様のレッグウォーマーに茶色のシューズという格好である。一応ヘッドアーマーも付けている。
ラウラは青蘭島に八年前から滞在しているらしい。そして、彼女自身のマスターによって作られたのがさらにその六年前。ということは、彼女は十四歳のアンドロイドということで、セニアの姉機であるカレンより四つも年上ということになる。
記録に残る限り、その時代より少し前、生体パーツの研究が発展し始めた時代のアンドロイドは非常に特徴的で、現在のように人間とほとんど変わらない姿というわけではなく、どちらかといえば、生体パーツを各所に使用したロボットという印象がまだ強い。ラウラは、そんな時代を越え、現代アンドロイドの方向性が固まってきた中、制作の試行錯誤の過程で生まれたアンドロイドだった。そのため、現代アンドロイドとはバイタルコードの記述が異なっている。
実際のところ、彼女は生体使用率が八十六パーセントとかなり高く、元々は生体パーツのデータ取得のために製造された個体らしい。しかし、機械の部分が少ないためか、彼女の立ち居振る舞いはアンドロイドとは思えない柔らかさに満ち溢れていた。
なによりもセニアが困惑したのは、十四歳だというラウラの、その言動がセニアと大差なかった点だ(セニアは製造されてから五年が経つが、その内の四年間は休眠していたため、実質一歳児である)。
道端に生えていた黄色い花を見つけるなりしゃがみこんで、
「あ、見て見てセニア。たんぽぽなの」
「この黄色い花は、たんぽぽというのですか」
セニアも倣ってしゃがむと、ラウラは頬に手を当てて微笑んだ。
「そうなの。この季節になると、花が咲いて……もう少し経つと、白い綿毛になるの」
「綿毛?」
「そう、ふわふわしてるの。かわいいの。ふーって息を吹きかけると、ふわふわ飛んでいくの」
「飛ぶのですか?」
「そう、飛ぶのよ。綿毛になったら、また見に来るの」
説明の仕方もふわふわしているし、実際にセニアも、ラウラの話に出てきた『綿毛』とやらのイメージが掴めない。
とはいえ、その知識量は決して馬鹿にできない。この世界で活動しているアンドロイドの中でも、ラウラはかなりのベテランだ。というより最古参に近い。例え路傍の花にいちいち気を取られていようとも、この世界に関する知識は非常に多いのだ。特に『実際に体験した』という知識の量においては、他のアンドロイドの追随を許さないレベルだろう。無邪気で好奇心が旺盛なため、なんでもやりたがるのだ。
つまるところ彼女は、知識量の多いアンドロイドによく見られる特徴である『頭でっかち』ではないのだ。
今日は、居住地区から一回北上し、海岸線を西に進んで港湾地区へ。そこから南下して学園特区を通り、商業地区へとたどり着く予定だ。
「言うなれば今日は、セニアのはじめてさがしなの」
「はじめてさがし?」
「そうよ。セニアのはじめてを、いっぱい探すの。もう、一個見つけたの。セニア、記憶した?」
「はい。たんぽぽ……綿毛になったら、また見に来ます」
「よしよし。セニアはいい子なの」
ラウラは嬉しそうに微笑むと、セニアの頭を撫でた。青蘭島に来てからというもの、よく頭を撫でられるセニアだが、撫でる人が違えば、それぞれ撫で方も違うことを『学んで』いる。ラウラの撫で方は、マスターよりも柔らかかった。髪の流れに沿って優しく撫でられると、なんとなくこそばゆかった。
初めて会ったはずなのだが、なぜか初めての気がしない。セニアは言い知れない感情に囚われていた。
「じゃあ行こうね。セニア、海には行ったことあるの?」
「ない、です」
セニアがふるふると首を横に振ると、ラウラは殊更嬉しそうに微笑んだ。
「なら、はじめてがいっぱい見つかるの。楽しみね」
「はい」
ラウラはまたセニアの頭を撫でた。
…………
白い砂に足を下ろすと、さく、という音と共に、靴が砂に少し沈んだ。
「お、おぉ……」
「フィオナコロニーの中には海が無いから、セニアは砂浜も初めてなのね」
「は、はい」
青蘭島の砂浜は非常にきめ細かい砂で出来ており、慣れないうちは歩くのにさえ手こずるだろう。
実質一歳児のセニアは、当然ながら不安定な足元に気を取られて、返事さえ疎かになっている。砂の上を歩くのはもちろん初めてだが、行動の基盤である足場が覚束無いと、こうも不安になるものか、と感じた。会話しようとしても、脚に意識が集中して上手く喋れない。
そんな様子を、ラウラは微笑んで見ていたが……
「セニア、はい」
「あ……」
自然な流れでラウラがセニアの手を取った。手を引かれると、不思議と歩きやすくなった気がした。
「砂の上は慎重に歩くの。でも、走るのも楽しいのよ?」
「は、走る」
「やってみる?」
「……はい」
セニアの返事を聞くと、ラウラは手を離し、さっさっ、と音を立てて走っていった。セニアとの距離は、三十メートルほど。
「走ってくるの~!」
彼女の声が聞こえるが、頼る綱を失ったセニアに不安が戻ってくる。が、何事も体験。
足を勢いよく踏み出し――
「あゃ」
つま先が予想以上に沈み込んで、変な声が出た。前に偏った重心を慌てて戻そうと、つま先に力を入れて、体重を後ろに掛け、
「おぁあ」
掛けすぎた。そのまま、すてーん、と尻餅をついた。お尻まで砂に沈み込んだので、それほど痛くはなかったが、びっくりして腰が抜けていた。
「まだ難しかった?」
駆け寄ってきたラウラが手を差し伸べながら聞いてきた。
「はい……難しいです」
その手を取ってなんとか立ち上がる。
「ラウラも最初は転んだの。コツがあるのよ」
「コツ、とはなんですか?」
「うーん。そうね……何かをする時のちょっとした工夫のようなもの、なの」
「なら、それを教えてください」
「ラウラが『教え』ることはできないの。コツは『学ぶ』ものなのね」
セニアは、咄嗟にその差が理解できなかった。教えられた情報では、『教え』られ、それを『学ぶ』のだという。『教え』られなければ、どうやって『学ぶ』のだろう。データが提示されなければ、どうやってそれをメモリに書き込めというのだ。
それを聞いてみると、
「コツは、経験が『教え』てくれるの。何度も繰り返して経験して、一回ごとに『学ぶ』の。でもそれだけじゃなくて、全体を通しても『学ぶ』のね」
「経験……」
ラウラの話は難しくて、セニアは全てを正確に理解できたわけではなかった。だが、何が言いたかったのかは理解できた。
勢いよく走ろうとして、転びそうになって、転んだ。何がいけなかったのか、なぜ転んでしまったのかを分析する。その分析結果を蓄積する。分析は『学習』であり、そのデータこそが『コツ』になる。
そして、よくよく考えてみれば、セニアは確かに誰に教えられずとも『学んで』いた事象がある。頭を撫でる人が違えば、それぞれ撫で方も違うということ。
今回は、それを自発的に行うだけのことだ。そういうふうに考えてみると、砂浜で走ることも簡単だ、と思えてきた。
「……もう一回、やります」
「お、やる気なの。じゃあ、コートを預かるの」
ラウラは微笑んで手を伸ばした。
結局十回くらい転んだが、終わった後はなぜか胸の内がすっきりしていた。
…………
セニアはきょろきょろと周囲を見回して、柔らかな金色の髪を探していた。
「困りました……」
端的に言えば、迷子になった。
場所は、青蘭学園特区を越え、商業地区の中のショッピングモールである。青蘭学園は既に春休みに入り、辺りは――七割くらいは女子高生で――賑わっている。だが、ラウラがどこにもいない。
原因としては、ラウラに連れられてモールを横切る最中、キラキラしたキャンディを売っている菓子屋に見惚れていたセニアが全面的に悪く、それを彼女自身も理解していたのだが。
これほどの『不安』を感じるのは初めてだった。先刻の砂浜など、その比ではなかった。
セニアのそばには、常に誰かがいた。白の世界、彼女が製造されたミハイルラボでは、作り手であるドクター・ミハイルか、そこで働く研究員が。この世界に来てからは、マスターや同じく白の世界出身のアンドロイド達、はたまたセニアと同じ青蘭学園中等部生の住む弥生寮でも、相部屋の少女、アビー・カミュオンと一緒だった。独りきりになる機会は、ほとんどなかった。なにせ、彼女はまだ一歳児なのだから。なりたくとも、周囲が放っておかない。
しかし、事実として現在彼女は独りである。いろいろと見て回るのに夢中で、ラウラの携帯端末と通信できるようにするのを忘れていたのが痛手だった。
通常の一歳児なら、それこそ泣き喚いて母親に「自分はここにいるよ」と合図を送るだろう。だが、セニアは生憎泣いたことがない。そもそも、そういうことをすると同行者が気づいてくれるということさえ、知らない。
分からない。何をしていいのか、全く分からない。それは、想像したこともないような恐怖だった。
ウロウロと歩きながら――置いていかれてしまったら、その場でじっとしておけば、同行者が来た道を遡って探しに来てくれるかもしれない、ということも知らないのだ――あの柔らかな金色の髪がどこかで靡かないかと必死で探す。なぜか、目の下が熱くなったので、歯を食いしばった。
そんな彼女の、挙動不審な様子を見つけた少女がいた。
「ねえ君、どうしたの?」
驚いて振り向くと、可愛らしい少女が心配そうな表情で首を傾げていた。栗色の髪をツインテールに結った、どことなく快活そうな雰囲気を纏った少女だ。
誰かは知らないが、自分を独りきりからすくい上げてくれた。呆然としたセニアは歯を食いしばるのを忘れ、目尻から何か液体が漏れるのを感じた。
「あわわ、ちょ、泣かないで! はい、ハンカチ」
「あ、ありがとうございます」
何故か声も震えていた。差し出されたハンカチでその液体を拭うと、不思議と不安も収まった。
「早く行こうよー」
「何してるの?」
そこに、もう2人の少女が現れた、綺麗な黒の髪に桃色の花の飾りを付けた、いかにも柔和そうな顔立ちの子と、一人目の少女よりも更に明るい茶色の髪にリボンを付けた、少し気の強そうな子。
「あのね、この子がなんか不安そうにしてたから……ねえ君、どうしたの?」
快活そうな少女がもう一度セニアに訊ねた。柔和そうな少女と気の強そうな少女も、涙を拭っていたセニアを見て、心配そうな表情になる。
「同行者と、はぐれてしまったのです」
セニアが三人を見上げてそう言うと、まず快活そうな少女が、
「じゃあ一緒に探そう!」
と言い、続いて柔和そうな少女が、
「でも、ここ広いよね……四人で探すのは大変そう」
と心配を表し、最後に気の強そうな少女が、
「私はそれなりにここを知ってるから、特徴次第で見つけられるかも。最悪エクシードがあるし」
と冷静に考えながら言った。
当のセニアは、全く話に付いて行けていなかった。
「あ、あの」
「ん? どうしたの?」
快活そうな少女が返事をした。セニアが疑問を投げかけると、
「今は、何の話をしているのですか?」
「何、って……貴女、迷子になっちゃったんでしょ? 一緒に探してあげる」
気の強そうな少女が答え、
「困った時はお互い様だよ。大丈夫だからね」
柔和そうな少女が優しくセニアを慰めた。
困った時は、お互い様。
その言葉を、セニアは知らなかった。だがこの少女らは、見ず知らずのセニアを、そういう理屈で助けてくれるらしい。
『親切』という言葉を知らないセニアは、この三人もラウラと同じで優しい存在なのだ、と端的に理解した。
そんなことを考えていると、気の強そうな少女が、いよいよ本格的にラウラを探すために情報を求めてきた。
「ねえ、その『同行者さん』の名前、教えてくれる? あと、どんな外見?」
「はい。ラウラ、というアンドロイドです。金色の髪に――」
「ラウラで金髪? なんだ、知り合いじゃない。ちょっと待っててね。…………あ、もしもしラウラ? あのね、今、あんたとはぐれたっていう、真っ白い髪の女の子と一緒にいるんだけど……」
拍子抜けするほどのあっさりさで、ラウラと連絡が取れてしまった。そして、あっという間にラウラがやってきた。
「セニア! 心配したの! 大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
ラウラの豊満な胸に抱きしめられながら、セニアはようやく本当に安心できた。
「もう、あんたはホントにぼーっとしてるんだから……」
「うう、これはラウラの落ち度なの。マスターに叱られちゃうの」
「でも、たまたま知り合いだったなんてスゴイねー!」
「さすが、アイドルなだけあるよー」
「べ、別にそんなんじゃないわ。でも知り合ったきっかけは、私が迷子になってたからなんだよね……」
「うふふ、懐かしいの」
「うるさいわね! もうはぐれないように、しっかり手を繋いでおきなよ?」
「うん、そうするの」
ラウラは一通り彼女らと挨拶を済ませると、「じゃあ行くのね、セニア」と、繋いだ手を引いた。しかし、セニアはそれに逆らった。
「ん? どうしたの?」
セニアは、それには答えず、
「あの、ありがとうございました」
自分に協力してくれた三人の少女に向かって、頭を下げた。
顔を上げたとき、三人は優しく微笑んでいた。それから「もう迷子にならないでね」と告げ、談笑しながら去っていった。
「さあ、行きましょう」
そのセニアの頭を、ラウラが撫でた。
「ちゃんとお礼を言えて、偉いの」
「はい。お礼の仕方は、マスターに教わりました」
「それを実践できるセニアは、素晴らしいの」
ラウラはニコニコと笑ってセニアの頭を更に撫でた。
その後ラウラは、セニアから目を離して不安な思いをさせたお詫びに、アイスクリームを食べさせてくれた。
初めて食べる氷菓はびっくりするほど冷たくて、でも甘くて、セニアの好みの食べ物だった。
次にマスターにおねだりするのは、これにしよう。
…………
その晩。セニアはドクター・ミハイルにつけろと言われている絵日記に、ラウラと、自分を助けてくれた三人の少女の絵を描いた。
「困った時は、お互い様……」
「んー? どしたのセニア?」
ソファに座った一学年上のアビーが、セニアには解読できない字で書かれた分厚い本と睨めっこしながら訊ねた。
「アビーとセニアも、困った時はお互い様、なのですか?」
「当たり前だよ。なに、なんか困ってるの?」
「そういうわけでは。でも……良い言葉だと思います」
セニアは絵日記のページの下の罫線の欄に、最後の一言を書き込んだ。
アビーよりも先に寝室へ行き、柔らかくて暖かい布団に潜り込むと、今日あったことを思い返した。
不安も恐怖もたくさん感じたが、この布団のように柔らかで暖かく包んでくれるものもたくさん感じた。『学ぶ』ということ、頭を撫でるラウラの手、不安な時に訪れた、三人の少女の声と笑顔。
「はじめて、たくさん見つかりました」
今日見つけた『はじめて』をマスターにどう話そうか、そんなことを考えると自然と楽しくなり、徐々にセニアの意識は深い眠りへと沈んでいった。
『いつかセニアも、こまっている人をたすけてあげられたら、しあわせです。』