アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements* 作:トライブ
たちは平穏ではいられない!?
6月に入り、雨が降り続けても、青蘭学園は元気に回る。様々な
慌ただしくも楽しい青蘭学園。少年少女らが織り成す日常編スタート!!
日常編第1弾は美海と春樹です。文体は堅苦しいですがリラックスしてお楽しみください。
1話 ルクスとお揃いぬいぐるみ
休日。特にやることがない日。そんな日は、太陽が昇っても寝ているのが至福だ。
神城春樹はそう考える。カーテンの隙間から陽の光が差し込んできても、今日は寝ててもいいんだと思うと、布団の心地よさが格段にアップする気がする。だが、あと5分で起きなきゃいけないと思っても、布団の心地よさは上がる。結局のところ、寝ているのが好きなのかもしれない。
と考えながら、カーテンの隙間から漏れる太陽光でぼんやりと照らされた天井を眺めながら、もう一眠りすることにした。携帯で時間を見ると、まだ6時半である。十分二度寝できる時間帯だ。流石に午後まで寝ていると、母親がそれを知ったら怒るし悲しむので、大体9時には起きるが。
もう6月になる。6月はこれといった祝日・祭日がないため、基本的にはどの週も土日しか休みがない。と思えば、ただの土曜日でも貴重に感じられるから不思議だ。
その6月の、やや夏の香りを含み始めた風が窓から優しく吹き込むのが好きだった。まだ涼しい風が快適な睡眠を約束してくれる。ああ、なんたる幸福。寝ているだけで幸福だとは、自分って結構コストパフォーマンスがいいんじゃないかと思う春樹である。
そうしてまどろみに落ちていく最中、何か音が聞こえた気がした。が、そんなことはどうでもいい。もう少し寝るのだ。少なくともあと2時間半は――。
「あ、きゃあぁっ!」
――と、そこに響き渡る悲鳴。春樹は一人暮らしである。同居人がいない。女の子の悲鳴が聞こえるなんておかしい。
流石の春樹もこれには飛び起きて、声がした方へと走っていった。たどり着いたのは玄関。そこには……
傘立てに躓いてすっ転んだ、美海がいた。
「……美海」
「……ひゃ、ひゃい」
「……とりあえず、警察呼ぶわ」
「やめてえぇぇぇぇ!」
今日は、もう寝ていられないようだ。
…………
「言えばドア開けてやるから! なんで窓から入ってくるんだよ!」
「……だって開いてたんだもん」
「そもそも飛んで来るのがおかしいだろ!」
「うぅ、ごめんなさい……」
テーブルを挟んで美海と向き合った春樹は、なんで朝っぱらから説教垂れなきゃいけないんだと思いながら、説教を垂れていた。美海は正座でうなだれている。
朝起きてヒマだった彼女は、エクシードで飛行しながら春樹の家のベランダまでたどり着き、ちょうど窓が開いていたので入ってきたらしい。普通に不法侵入である。
「あのなー、そうやってエクシードをホイホイ使ってると危ないし、もし他の家だったらマジで通報されるぞ。そもそも――」
と、できれば教師に投げっぱなしにしたいレベルの説教を始めようとすると、ぐう、と鳴った。美海の腹が。
「あっ」
恥ずかしそうにお腹を押さえる美海。その仕草がやたらと可愛いので、春樹は思わず説教を止めてしまった。
「朝ごはんは?」
「寮の朝ごはん、7時半から……」
「じゃあ、なんも食ってないのな。そんでエクシード使ったから……」
「……お腹すいた」
美海は、えへへ~と笑って頭を掻いた。どうしてこの後輩は、仕草がいちいち可愛らしいのだろう。
確かに、春樹も腹が減っていた。無駄に体力を使ったせいで。怒るのにも体力がいるものだ。
なんかもう、面倒になったので、
「じゃあ、もう窓から入ってこない?」
「入りません!」
「誓うな?」
「誓います!」
「よし、じゃあ朝ごはん用意してやるから待ってろ」
「はぁ~い」
と美海を甘やかしてしまう春樹であった。
…………
「わぁっ! は、春樹くん!」
「なんだ、そんな変な声上げて」
気分転換のために寝間着から部屋着に着替えようとすると、美海が手のひらで目を覆い……その上で指の隙間から春樹を見ていた。
「き、着替えるの?」
「おう。なんか問題ある?」
「な、ないこともないような、でもあるといえばあるような……」
なぜかはっきりしない美海。対する春樹は、よく理由がわからない。確かに立場が逆だったら、つまり女の子の着替えを目の前にしたら、男は許可なくガン見などできない(少なくとも春樹は)が、今は男の着替えを女の子が前にしている。例えば裸になるなら、それは当然恥ずかしいが、今はシャツとズボンを取り替えるだけである。それなら別に大したことはない、というのが春樹の考えであり。
「逆ならまだしも、男の着替えなんか見ても別にどうってこと無いだろ?」
と思った通りのことを言うと、春樹はシャツを脱いで上半身裸になり、「部屋着、部屋着、っと……」とクローゼットを漁り始めた。視線を感じたので後ろを向いてみると、なぜか美海がこちらを向いていた。相変わらず指の隙間から凝視している。心なしか、息も荒くなっているような。
「……そんなに見たいの?」
「え、えぇっ!? み、見ていいの……?」
「別に減るもん無いし。それに、興奮なんてしないだろ? 男の着替えなんかで」
そう言いながら取り出したシャツをベッドに放った。それからズボンを探していると、
「……す、するよ。興奮……」
「え? 何か言った?」
「な、なんにも!」
「そうか」
「……き、鍛えてるのかなぁ……」
「なんだよ美海。さっきからよく聞こえないよ?」
「な、何も言ってません!」
…………カシャ。
「写真撮った?」
「と、撮ってないよ!」
「嘘つけ、背中に携帯隠しただろ。何に使うんだよ」
「え? えーと、そのぉ……あの~……」
「まあ、バラまかなきゃ何でもいいけどさ」
春樹はズボンを取り出すと、そのまま着替えを続けた。だが、美海がずっと見ているので、少しこそばゆい。
そして残念ながら、自分の着替え写真が(大体は冬吾のオマケとして)女の子たちの間で出回っていることは、既に認知している春樹であった。
――アレで何してるんだろうな?
…………
作ってやるとは言ったものの、これから大掛かりなものを作るのは普通に無理だし、何より面倒なので、朝食は目玉焼きを振舞った。母親直伝の味噌汁付きで。
この味噌汁がかなり気に入って貰えたらしい。母の味とは偉大なものである。
「このお味噌、美味しいね!」
「小春さんのには負けるでしょ」
「え? そんなことないよー」
「お世辞が上手いなぁ」
「……お世辞じゃないもん。美味しいもん」
謙遜したら拗ねられたので、好意は素直に受け取っておくことにした。
食後になると彼女が「食器洗うよ!」と言ってきたが、おっちょこちょいな彼女に食器を割られそうな上、そもそも春樹は食洗機を持っていたため、それは断った。どうにも不服そうな美海。押しかけたから、多少の引け目があるのだろうか。
とはいえ、
「どうする? まだ外行くにも早いし、ゲームでもする?」
「する!」
と、ゲームに素早く食いついたわけだが。こういう、自分に素直なところも可愛らしくて、つい甘やかしてしまう。が、こんなに素直で可愛い後輩に慕われていたら、甘やかしてしまうのは男として必然だろう。
それはそれとして、ゲームは真剣である。
「じゃあ、負けた方は買った方にクレープ奢りね! トッピングマシマシで!」
「口を開けばクレープばっかだなお前……」
クレープ大好き少女こと美海と外出した後のことを決めつつ、真剣勝負スタート。
「ちょ、お前結構上手くね?」
「いっつも葵ちゃんと勝負してるからね!」
「女の子ってゲーム下手だと思ってたわ」
「偏見だね! って、あっ! ズルい! そんな技知らないもん!」
「こーいうところは女の子だなー」
と隠しコマンドまで大人気なく使う春樹と、それでも尚食い下がる美海。隣同士でやっており、美海がかなり身体を動かすので、よくぶつかってきた。その上、
「えい!」
「おま、リアル攻撃は無しだろ!」
と脇腹を突っついてきたり、挙句の果てに、
「ふぅ、特等席ゲット~!」
「み、美海お前な! 頭が邪魔で見えない!」
「へへ~ん、戦略です~!」
そして、
「うわーん、負けたー!」
なんとか春樹の勝利。美海はコントローラーを投げ出して全身を後ろ――すなわち春樹――にもたれさせた。春樹はそんな美海の頭を撫でて、
「はい、クレープ奢りね。言いだしっぺお前だし」
「勝てると思ったのに……」
「そりゃ、こんな番外戦術使えば勝てるだろうよ――」
と言ったところで、ようやく自分らがどういう体勢なのか気付いた春樹。
男の脚の間に女が座っていて、女は身体を男に預け、男は腕を女の前に回して――
まるで恋人同士である。
一気に顔が熱くなるが、美海はどうやら気付いていないらしい。というより、彼女は春樹とのスキンシップを好むので、これもその一環なのかもしれない。今も、春樹が頭を撫でているのをいいことに、まるで猫のように頭を彼の胸に摺り寄せている。あざとい。実にあざといが、打算無しでこれをやってくるのが美海の恐ろしいところである。
そして、そんな彼女に、決して性的ではない暖かさを覚えているのも、また事実だった。
「……なんてな。別にいいよ、奢んなくて」
「でも、私が言いだしっぺだし……」
「じゃあ、トッピング1個追加してもらおうかな。これでいい?」
「いいの?」
「女の子に奢らせたら、なんか男が廃る気がして」
そう言うと、美海は殊更嬉しそうに春樹に擦り付いた。本当に甘えている猫のようだ。その仕草も殺人的に可愛い。それに暖かいし柔らかい。本当にズルい後輩である。
そんな美海が、ふと窓の方を向いた瞬間、あっ、と声を上げた。
「どしたの?」
「あ、あれ! あの子!」
何かと思ってそちらを見ると、ベランダの落下防止用の柵に、2匹の《何か》が止まって、じゃれあっていた。
鳥ではない。シルエット的にはネコに近い。だが、耳はウサギのように伸びていて、何よりも特徴的なのが、背中から鳥のような羽が生えている。全身が純白の毛に覆われ、眼は海のような青。そして、額に青い宝石のようなものが見えた。
「ああ、ルクス?」
「し、知ってるの?」
「おう、たまに見かけるよ」
彼らの名前は《ルクス》という。
青蘭諸島にのみ生息する霊獣である。基本的には森の中に多く棲んでいるが、こうして街中まで飛んでくることも珍しくない。春樹は青蘭島に住んで3年間が経つが、時々こうしてベランダにいるのを見かける。流石に喧騒の商業地区や港湾地区にはあまり来ないが、学園特区の中でも静かな場所――例えば小さな林の中など――で見かけたこともあった。見た目が非常に愛くるしいため、見れたらラッキー的な、青蘭のマスコットのような存在となっている。実際、彼らを模したぬいぐるみやキーホルダーは、商業地区でそれなりに売られていた。
そして、彼らは非常に興味深い特徴を幾つか持っている。例えば、
「たまに寮のベランダにもいるんだよね。すぐ逃げちゃうけど。写真撮って沙織ちゃんに送ろっと。……あれ? 写らない……」
まず、どういう原理かは知らないが、彼らは写真に写らない。そのため、正式な記録がスケッチしか存在していない。
次に、
「でも可愛いよねー。いつもは部屋の中をじっと見てたりするんだけど」
と美海がベッドに登って窓にへばりつくと、それに気付いた2匹のルクスは慌てて飛び立ち、宙へと掻き消えた。
「あ、やっぱり消えちゃった……」
「しょうがないよ。ルクスって超臆病だから」
異常なまでの危機察知能力を備えており、少しでも危険を感じると瞬く間に消えてしまう。消える原因については、研究によれば「霊的存在として、実体化を解いている」とのことである。春樹が聞いてもピンと来ないし、そのことを美海に話してみてもよく分かっていないようだった。
「ねえ春樹くん、あの子たちって何者なの? もふもふしたいんだけど……」
「んー、青蘭の守り神の遣いっていうのをよく聞くけど」
「へぇ、じゃあありがたい存在なんだね!」
「そだね。でも俺も、あんなふうに無警戒なのは初めて見たよ」
美海の言うとおり、大体ルクスを見かけるとき、彼らは部屋の中をじっと伺っている。そして、春樹が窓に近づくだけですぐに飛び立ち、消えてしまう。2匹でじゃれあっているところを見るのは初めてだった。
そして何よりも曰くつきの逸話がある。
「
「えー、見てみたい! 登ろう青江山!」
「――って言う奴が多かったんだろうな。一般人は登っちゃいけないんだよね。登るとしても、青蘭神社くらいまで」
「そんなぁ。おっきなもふもふ……」
残念そうな美海だが、春樹だって話を聞いた時から確かにルクスの親分を見てみたいと思っている。全長数メートルと聞いたことがあるが、もしそんなに大きければ、美海ではないがもふもふしたくなるだろう。
「ま、今後ルクスを見かけたら、追いかけずにそっとしておくのがいいんじゃない?」
「そだね。怖がらせちゃ悪いし。もふもふするなら猫カフェで足りるか!」
「そのうちまたみんなで行こうな」
「うん!」
…………
「…………」
「なにキョロキョロしてんの?」
「ルクスちゃん、どっかにいないかなーって」
「ここら辺りにはあまり飛んでこないんじゃない?」
10時を過ぎて太陽が天頂に近付く。春樹たちは商業地区への道を歩いていた。徐々に賑やかになっていく感覚は好きだが、臆病極まりないルクスらは、当然ながらそれを好まない。
とはいえ、
「あっ、いた!」
「マジ? どこどこ?」
「ほら、あそこ、屋根の上」
「ホントだ。今日はラッキーガールだなお前」
「えへへー」
注意してみると、割とルクスはそこら辺にいることが分かった。屋根の上とか、とにかく高い所からその透き通った青い宝石のような眼でこちらをじっと伺っている。ただ、明るいところにいると妙に見えづらい上、見つかると慌てて消えてしまう。
そして、商業地区に完全に入ると、ルクスは全くいなくなってしまった。
「む~、ここらにはいないのかなぁ」
「うるさいの嫌いだしね……」
広場のベンチに座り、約束通りトッピングを1個追加してもらったクレープを食べながら話す。普段はあまりクレープは食べないが、美海と一緒にいると大抵彼女が食べたがるので、春樹も自然とそれに付き合っている。その間も、美海は辺りを見回している。
「そんなに気になる?」
「うーん、でも今日の私、ラッキーガールだし。いないかなーって」
「ラッキーにも限度があるだろ。そういえば……」
「なに?」
春樹は、少し前のことを思い出した。
「青蘭神社には、ルクスが結構いること多いよ。一応あそこも森の中だし。この前行った時、1匹見つけたよ」
「ホント!? 行く行く!」
即答である。残ったクレープを一気に平らげた美海は、目をキラキラさせながら立ち上がった。美海は非常に行動力に溢れた子だ。そんな無邪気で活発なところはとても可愛いと思うが、一緒にいると、その後に結構疲れているのは内緒である。
「まったく、ちょっと落ち着けよな」
「う、ごめんなさい」
「まあ、可愛いからいいけどさ」
「うぇっ!?」
美海が変な声を出した。急いで食べたクレープが逆流してきたのかと思って心配したが、そうではないらしい。逆に、デリカシーがない! と怒られてしまった。確かに、女の子に対していきなり「吐きそうなの」とか聞くのはデリカシーに欠けるよなと反省。それにしても、今日の美海はどことなく変だ。
…………
境内から見る青蘭神社は、生い茂るの隙間から木漏れ日が差し込み、夏が一足先に来たかのような光景だった。
「ルクス? 今日は見てないわよ」
休日になると実家である青蘭神社を手伝いに来ている神凪千鳥は、にべなく言った。
「そんなぁ」
「あんまり落ち込まないの。ルクスなんて、それこそ見れたらラッキーな感じの生き物なんだから」
「でも、今日は3匹も見つけたもん……」
「じゃあそれでいいじゃない」
がっくりとうなだれる美海を千鳥が慰めている。
「ていうか美海、あんた朝っぱらから寮を勝手に抜け出したでしょ。小春さん心配してたよ」
「一応電話はしたんですけど……」
「あと、沙織ちゃんも超心配してたわ。『起きたら美海ちゃんがいないの! どうしよう!』って」
「あ……あとで謝らないと……」
「で、春樹んちに窓から入ったと。流石にやばくない?」
「反省してます……」
ここに来てもまた説教を受けている美海である。なんとも不憫だが、残念ながら自業自得だ。
「そんなにルクスが好きなら、ぬいぐるみでも買えば? 下で売ってるでしょ」
「欲しい! でも、あの如何にもすべすべで超滑らかそうなルクスちゃん本人も撫でてみたい……」
「そんなに欲張らない。どうせルクスに触ったことある人なんて1人もいないんだから」
「その第一人者になりたいなぁ」
「将来ルクスの研究でもしたら? ルクスが写るカメラ作ったら大発明かもよ」
「うぅ、研究……」
頭があまりよくない美海にとって『研究』とは、耳に痛い単語だろう。
そんな千鳥と美海をやりとりを少し離れたところで聞きながら、新緑の森を満喫する春樹であった。
…………
再び商業地区に戻ってきた春樹と美海は、ぬいぐるみが多く売っているショップに足を運んだ。春樹1人ならまず入らないようなファンシーな内装にとぬいぐるみたちに目がチカチカする。
ぬいぐるみといってもサイズは様々で、両手に乗る小さなサイズから1メートル以上もある巨大なものまであった。
「いいなぁ、これ」
と今美海が見惚れているのは、そのどでかい奴だった。現実のルクスは猫レベルの大きさだが、女子にはこういうビッグサイズなぬいぐるみも需要があるらしい。
そして、その足元を見た美海は、げっ、と声を上げた。視線の先――値札には、
『¥12000(税別)』
と書かれていた。高校生がポンと出せるお金では決してなかった。
「いいなぁ、これ……すべすべ……」
「売り物なんだからあんまり触るなって」
ルクスのぬいぐるみは人気だからか、それともすべすべの材質がいいからか、サイズに対して値段がやたらと高い。小さいのですら3000円はした。
悲しそうな美海を見るのが辛かった春樹は、ひとつの提案をした。
「ゲーセンのプライズにあるかもな」
「でも、取るのにいくらかかるんだろう」
12000円(税別)の衝撃から立ち直れていない美海は、暗い表情のままだったが、その背中を春樹は優しく叩いて、
「任せろ。今日の俺にはラッキーガールが付いてるからな」
と言った。それを聞いた美海はぱあっと明るい表情になって、うん、と答えた。
…………
ゲームセンターから出た時には、既に日が傾いていた。思ったより熱中してしまったようだ。
結局、3500円も散財した。αドライバーである春樹は学園からお小遣いを貰えるが、だからといって際限なく使ってもいいわけではない。
だが、
「まさかもう1個くっついてくるとは」
「よかったね!」
ゲームセンターのクレーンゲームコーナーに案の定あったルクスのぬいぐるみ。たまたまタグが絡まっていたからか、取るのには時間(とお金)が掛かったが、奇跡的に2個とも落ちてくれた。質こそプライズなので、ぬいぐるみショップに売っていたものには劣るものの、大きさは70センチ程度とかなり大きなものをゲットできた。抱き枕とかに使用するなら十分だろう。
「ありがとう、春樹くん! その、お金……払わないと」
「いいって。俺も楽しめたし、コツとか結構掴めたよ」
アクリルの向こう側で転がるぬいぐるみにいちいちリアクションしていた思い出を語らう2人は、大きなぬいぐるみの入った袋を、それぞれ1つずつ持っていた。
「寮まで送ろうか?」
「大丈夫! 近いから」
春樹の住むマンションの前で別れの挨拶を交わす。春樹は手に持っていた袋を美海に渡した。
「え? これ……」
「俺が持っててもしょうがないだろ。寮の誰かにあげな」
「……むぅ」
正直に言えば、春樹はこのぬいぐるみを、悪くない、と思っていた。が、敬愛してくれる後輩の手前、見栄を張ったのだ。すると美海はふくれっ面になった。
「ダメ! 流石にダメ! これは春樹くんのもの!」
「でも……」
「いいの!」
美海はそう言うと、春樹が渡した方の袋からぬいぐるみを取り出し、ニコニコ笑いながらぎゅーっと抱き締め、
「はい。私と春樹くん、お揃いだよ!」
それを春樹の胸に押し付けた。
押し付けられた春樹は、少しの間呆然としてから、美海の頭を撫でた。
「……お前はいい子だな、ホント」
「うん!」
どうしてもこの後輩を甘やかしてしまう春樹。
だが、時々こうして甘やかしてもらうのは、嫌いではなかった。
…………
その日の夜。パジャマ姿の美海がルクスのぬいぐるみを抱っこしている自撮り写真が届いた。とても嬉しそうで何よりだ。メールの本文を見ると、沙織と共有にしたらしい。
春樹は片手で携帯を操作してそのメールを見ながら、もう片手でぬいぐるみを撫でていた。肌触りは、それなりに良かった。春樹こそ、これを抱き枕にしようか考えていた。
ふと食器棚を見ると、かつて美海がプレゼントしてくれたマグカップが目に入った。取っ手が風のような形になっている、白地にスカイブルーの模様が入ったマグカップ。
あれをプレゼントされた時と、ぬいぐるみをプレゼントした今。確かに地続きの時で、でも春樹は成長している。
「……甘いのも、いいかもな」
ぽつりと呟いた春樹は、コーヒーを入れるために立ち上がった。