アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第11話『私があなたを 愛していたこと』

 

 数日間を経て、いよいよバトル当日がやってきた。

 

 五月晴れという表現が(厳密には違うとは言え)ぴったり当てはまりそうな、カラっとした天気。陽光に包まれた会場には、多くの人がやってきていた。場所は青蘭学園が管理しているコロシアムではなく、青蘭島の東側に位置する、青蘭丁管轄の汎用グラウンドだ。前回のよりも小さめのフィールドが2つ並んでおり、その両方でブルーミングバトルが同時に進行していた。

「やー、やっぱり緊張するなぁ」

「大丈夫だよ春樹くん! ずっと頑張ってきたもん!」

 2回目とはいえ、また人前でバトルをするのだと思うと緊張してきた春樹に、美海は持ち前の明るさで励ました。

 

 あの日。琉花を連れてびしょ濡れのまま寮に戻った春樹と琉花。どこか安心したような表情の小春に乾かされながら、2人でなにしてきたの! という趣旨の大目玉を頂戴していると、食堂に美海がやってきた。

 琉花の問題を解決していい気になっていたが、まだ美海も残ってるんだ――と思うも束の間。少し前までの彼女とはまるで異なり、彼女は晴れ晴れしい笑顔を浮かべていた。

 2人がずぶ濡れなことよりも、琉花が前向きになったことが嬉しいらしい小春は、そろそろ夕食だし、と2人を解放した。

 春樹は、彼を見つけて寄ってきた美海に訊ねた。

「その、美海? 大丈夫? 何か悩みとか……」

「え? うん。大丈夫! さっきね、新しい友達ができたの!」

「新しい友達?」

 春樹と琉花が揃って首を傾げていると、ちょうどそこにやってきた彼女を引っつかみ、

「そう、希美ちゃん!」

「え? 元々友達でしょ?」

 と、ここから、実は数日前から希美と喧嘩しており、そのせいでいろいろ調子がおかしかったんだという理由を聞いた春樹は、まず安心した。そして、

「お前ら喧嘩してたなら言えよ! そうすりゃいくらでも間を取り持ってやったのに」

「わ、びっくり。沙織ちゃんと全く同じこと言ってる!」

「いいから、わかったか!? これからはちゃんと言うんだぞ!」

「ひゃ、ひゃいっ! ごめんなさい!」

 と、春樹が手を貸さずとも解決していた。

 後で、美海が前向きになれたのは冬吾と話したからだと聞いて、彼に頭を下げたり、逆に下げられたりというやり取りをした。

 

 そして、残り少ない日数で、プログレスは戦闘技術を、春樹は戦略を、詰め込めるだけ詰め込む。なぜなら、今回のバトルフィールドは前回のようなだだっ広い人工芝のフィールドではなく、壁のような障害物が生成されるフィールドなのだ。地形はランダムらしいが、その基本的な活かし方は、知っておいて損はない。特に、障害物が置かれることで、美海の必殺技である「フィールドから吹き飛ばす」が非常に使いにくくなることは、戦略的に大きな意味を持つ。前回のフィールドでテルルがしたように、地面に自分を固定せずとも、障害物にしがみつけばいいからだ。一方のプログレスたち、というより美海と琉花は、単純ながら戦闘における障害物の有効的な利用の仕方をカレンと忍から学ぶ。

 日数は少なかったが、やれるだけはやった。

 

 片方のフィールドでは既にバトルが開始されており、それぞれのプログレスが火花を散らしていた。障害物は白い石材らしく、それで出来た壁や柱は、破壊されているものもあった。戦闘の邪魔になる障害物は破壊してもよいというルールで、戦略に則ったものなのだろう。

 もう片方のフィールドには誰もいない。ここが春樹たち”スカイブルー・エレメンツ”が戦うフィールドだ。バトル開始15分前に障害物が生成され、そこからバトル開始5分前までは、好きに見て回ってもよいという。その10分間で戦略を練らなければならない。

 既に全員の着替えは済ませてあり、バトル開始まで20分弱。αデータパッドを受け取ってフィールドに出ると、観客が沸いた。

「来たな、春樹。今日は正々堂々、勝負だ」

「雄馬先生。こっちこそ、どうぞよろしくお願いします」

 先にフィールド入りしていた雄馬がこちらへ歩いてきた。挨拶を交わすと、

「今回はこの3人で出る」

 と後ろを指した。立っていたのは、希美と沙織、そして――

「やっほー、春樹くーん」

「え、絵麻?」

 のんびりと間延びした声。生徒会副会長の、蒼月絵麻だった。

「いや、元々は紗夜に手加減させる予定だったんだが……絵麻がどうしても出たいって言うから仕方なく」

「でも、1年生2人と2年生1人で、公平でしょー?」

「まあ、確かにそうだね……」

 絵麻は強い。生徒会副会長が務まるほどだ。元生徒会の紗夜の妹というだけあって、その戦略立案の腕も割といい方だ。

 その絵麻は観客席に向かって手を振っていた。そちらを見ると、兎莉子や忍の隣に、紗夜が座っていた。どうやら応援に来たようだ。

 絵麻の言うとおり、公平なのは確かだ。だからこそ、戦略の立て方で全てが変わる。

 プログレス同士がそれぞれ握手した。

「美海、負けないからね、私」

「私も負けないよ、希美ちゃん」

 美海と希美は、ライバル同士熱い視線を交わし合い、だがそこには一切の悪意は含まれておらず、ただ純粋な高揚感のみが見て取れた。

「琉花ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。今回は相手なんだから、心配いらないよ」

 沙織は、優しい彼女らしく琉花を心配していたが、琉花は軽く笑ってそれを跳ね除けた。沙織は、仕方ない子、とでも言うような呆れたような、それでいて挑戦的な笑みを浮かべた。

「負けないよー、カレン。お姉ちゃんの手前、無様を晒すわけにはいかないからねー」

「私も、手加減はしません。本気で掛かってくるのが良いのでございます」

 2年生の中でも実力が上位の絵麻とカレンは、互いに不敵な笑みを浮かべて握手していた。

 そうこうしている間に、試合開始15分前。春樹たちがバトルを行うフィールドに、白い光と共に障害物が生成された。白い石材で出来た柱や壁が、フィールドに立ち並ぶ。

「さて、お互い戦略立案タイムと行こうか」

 雄馬はそう言うと、自分のプログレスを引き連れてフィールドに入っていった。

「……とりあえず、ファーストリンクしておこうか」

 春樹が告げて手を差し出すと、3人はそれぞれ頷き、手を出した。春樹手に自分の手を重ねていくと、それと同じように心を重ねていく。

 美海の高揚した心、琉花の熱烈な心、カレンの凪いだ心。その全てが、春樹と重なる。

 リンク成功。バトルできるプログレスの選定が終わった。

「じゃあ、フィールドを見て回ろー!」

 美海の掛け声で、春樹たちもフィールドへ向かった。

 

…………

 

 障害物の把握はとりあえず済んだ。障害物の高さは全部で3段階。地面からよじ登れる高さの台、その台からなら登れる壁、その壁から台1つ分高い柱の3つ。台、壁、柱の順によじ登れば、飛行能力のないプログレスでも柱に乗ることが出来るようになっている。

 αデータパッドにはフィールドの俯瞰図が表示されており、それによれば不公平が無いよう、障害物はフィールドの中央を中心として点対称になるように生成されている。

 フィールドの中央は大きく(ひら)けており、ここがメインの戦場になることは容易に想像できた。その空間を、そこに入るための大きな隙間を空けて囲むように壁があり、中でも上下の壁には台が隣接して、登れるようになっている。

 一方で、左右の壁と、フィールド自体のサイドラインの間は、奇襲者が潜伏する場所になりそうだった。

 中央エリアの手前には柱が1本立っていた。身を隠しても良いし、前述の壁に登れば、そのままその柱にも登れそうである。

 フィールドの右手前には大きなL字の壁があり、左手前には柱がある。右の壁は休息ポイントにしてもよさそうだが、その反面、この壁を使えば美海の吹き飛ばし作戦を対策できそうでもある。対する左の柱は、そのすぐ近くの台に登ろうとしている相手プログレスの急襲に使用できそうだ。

 総じて、中央の空間での戦い方と、左右の空間の使い方、疲弊したプログレスを引かせて隠すかが重要になりそうだった。

 バトル開始5分前。全員フィールドから出て、最後の作戦会議に入った。まず、2年生の2人から絵麻のエクシードに関して説明があり、その恐ろしさを覚え込んだ美海と琉花。次に、見た感じの障害物の利用の仕方を検討する。柱は美海のエクシードを使えば登れるだろう、など。

 そして、今持って不明だったのは、沙織のエクシードと、希美のエクシードをどう戦闘に転用するかだった。不明な沙織の方は見てから考える(それで作戦を台無しにされる危険性もあったが)として、全員が希美のエクシードが「印象操作」であることを知っている。印象を拡大されると意識をそちらに持って行かれやすくなるから、それで注意力を削ぐのだろうか。

「まあ、とにかく……これは一応、バトルの質を見るってことだし、あんまり勝ち負けにはこだわらずに行こう。相手は多分、強いと思うけど、まずは全力で戦おう!」

「そうだね。頑張ろう! おー!」

「鍛えた私の力を見せれば、優勝間違いなしだからね! 頑張るよ!」

「私も、全力で行くのでございます。皆、悔いの残らないように」

 声を掛け合って士気を高め合い、フィールドへ向かう3人。……かと思ったら、カレンはその場に残った。

「カレン? ほら、早く行きなよ」

 春樹がそう言うと、カレンはするりと彼に近寄り、その耳に囁いた。

「春樹――いえ、マスター」

「!?」

「信じています。頑張りましょう」

「――おう、当然だ」

 カレンはふっと微笑むと、美海たちの後に続いてフィールドに入った。春樹は頬を叩いて気合を入れ直すと、自身も自分の持ち場――αドライバーフィールドに入り、せり上がってきた細い柱にデータパッドを接続した。それと同時に、プログレスたちの状態が表示される。そして、前回はなかったものも表示された。

 ダメージカウンター。

 初期値は0で、プログレスが一定以上のダメージを受けるとカウンターが上昇していき、8まで上がりきるとバトルに敗北するというルールだ。その代わり、αドライバーに対する痛覚のフィードバックは無い。だから今回の春樹の役割は、純粋にリンクの選択と戦術指示になる。αドライバーの体力がゲームの終着点になる通常ルールよりも幾分か気軽だが、αドライバーの体力とは関係なしに試合が進む分、余計に戦略が大事とも言えた。プログレスが先走って大きなダメージを受けた場合、通常ルールなら彼が耐えればそれでいいが、このルールではその分カウンターが、彼の意地とは関係なしに上昇する。プログレスのコントロールが必要なのだ。

 データパッドに表示された時間が減っていき、バトル開始が近づく。この感覚はどうにも慣れない。心臓が鉄製に変わったかのように、肋骨を痛いほど叩いている。だが、その一方で沸き立つ高揚感は、嫌いではなかった。

 そして、データパッドに表示されている時間が、0:00になった。

 

 ブルーミングバトル、開始。

 

 

…………

 

「ごめんなさい、兎莉子、忍。遅れちゃって――さ、紗夜先輩!?」

「あら、葵ちゃんこんにちは」

「あ、葵ちゃん! もうバトル始まっちゃうよ!」

「遅刻とは関心しないでゴザルな」

「だからごめんなさいって言ってるじゃない」

「なんかそれ、私にも刺さる言葉ね」

「あれ? 紗夜先輩と葵ちゃんって知り合いなんですか?」

「ええ。この前の練習の時、ちょっと遅れてきちゃったでしょ。その時にね、剣道部に顔を出してたの」

「ああ、それで――葵殿が珍しく狼狽しているものでゴザルから、何かやらかしたのかと」

「やらかしてないわよ! で、どうして紗夜先輩が?」

「私? ほら、妹が出るから、応援にね」

「あ、ホントだ。絵麻先輩が」

「とはいっても、それだけじゃないんだけどね」

「え?」

「確かに、妹を応援したいけれど……今回は中立かな、私は」

「そうなんですか?」

「ええ。春樹くんのチームがどう仕上がったのか……とっても楽しみなの」

「ああ……琉花も復帰したみたいだし、どうなったのかは私も気になります。で、忍はなんで今回出なかったの?」

「拙者は、外からあのチームを見てみたかったのでゴザル。その結果次第で、今後拙者がどういう風に身を振るべきか、見定めたいのでゴザル」

「え? 忍ちゃん、結果次第じゃやめちゃうの!?」

「ああ、あの中で、という意味でゴザルよ。せっかく主ができたのだから、そう簡単にはやめないでゴザルよ」

「まあ確かに、忍ちゃんみたいに多角的な攻撃手段を持つプログレスは、チームでの立ち位置が特に大事になることは確かね。攻め手になるか、サポーターになるか、はたまたこういうフィールドなら奇襲者になるか。私も似たタイプだし」

 

…………

 

 バトル開始と同時にまず行うべきなのは、絵麻以外の2人がどのように立ち回るかを見定めることだった。

 まず動いたのは、シールドを構えた絵麻だった。中央のエリアにいきなり駆け込んできた。残る2人は左右へ。

「カレン、美海。中央へ」

『了解!』

 絵麻に対して1人で挑めるのは、おそらくカレンだけだろう。なので今は、とりあえず2人で攻め、数の力で絵麻を押し返す。カレンと美海の両方にセカンドリンクを結び、レベルを上昇させにかかった。美海の腕に付けられたブレスレットが輝き、銀のレイピアに変化した。

 不可解なのは、向こうのレベルの上がり方だった。なんと、絵麻とはセカンドリンクせずに、希美と沙織のレベルを上げているらしい。

「琉花、左へ。希美を抑えて!」

『了解!』

 春樹は次に、こちらから見て敵陣・左側のL字壁に隠れた希美を琉花に抑えさせる。琉花は現在、腰にケースのようなものを吊るしていた。紗夜が携帯していたのと同じ、呪符ケースである。その中から水行符を取り出し、力を込めて大量の水を発生させた。これが、ここ数日で琉花が最も頑張って練習していた、呪符の扱いである。水がなければ、琉花は基本的に戦力にならないため、忍抜きでも水を用意しなければならなかったのだ。

 中央では、既に戦闘が始まっていた。カレンが地上から、美海が空中から攻める作戦である。1対1ならほぼ隙なしの絵麻でも、2方向から同時に攻められればキツイだろうという考えだ。

 そして、美海の新技がここで発揮された。

 今までどおり空中にいる彼女は、僅かな風を受けて、不自然な降下をした。そのままレイピアを絵麻に叩きつける。絵麻は握ったシールドでそれを弾き返したが、吹き飛ばされる美海はまた僅かな風を受けて体勢を立て直す。

 エクシードが解放されていない序盤から相手を攻める手段として考え出した、僅かな風を突発的に吹かせてそれを受けることにより、身体の制御を行うというもの。攻撃手段にレイピアが加わったことで可能になった戦い方だった。

 そして、その隙に――カレンが、文字通り()()()()

 彼女のエクシードは『空間を捻じ曲げる』というものだった。彼女は空間と空間を捻じ曲げて繋げ、3メートル先の絵麻の懐へ、1秒と掛からずに入り込んだ。

 金属製の青いガントレットに包まれた拳が絵麻を襲う――刹那。

 台に隣接した壁の上へ、沙織が現れた。その左腕が、燃えている。真っ青な炎に包まれている。

 ――助太刀に入ったか!?

 春樹はその一瞬で、彼女が忍の同じようなエクシードを持っていると判断した。だが、それでどうこうできるタイミングは過ぎている。

 沙織は襲われかけている絵麻を見るや、そちらに向かって右手を振った。すると、左腕を包む炎が一条の筋となって()()()()()()

 ミスか? そう歓喜した春樹は、次の瞬間、己の間違いを知る。

 絵麻はカレンの拳を避けられなかった。その勢いはかなりのもので、練習でダミー人形を殴った時は、間違いなく1点カウンターを上昇させられた。クリーンヒットすれば2点の時さえあった。

 だからこそ驚愕する。

 

 向こうのカウンターが、上昇しなかった。

 

 ――どうして!?

 そう疑問を感じた直後、春樹は勘違いに気付いた。理由は分かりきっていた。沙織のエクシードだ。あれは間違いなく絵麻を狙ったものだった。そして、炎に包まれた絵麻は、どういう原理かは知らないが、ダメージを受けていない。

 つまり、沙織のエクシードは防御の力なのだ。

 彼女は既に壁から後ろへ降り、隠れている。壁に隠れた状態で、どうやって絵麻のピンチを知ったか? それは当然、雄馬の指示だろう。

 リーダーたる雄馬の指示を受けて、遠距離から味方の防御力を著しく上昇させる、隠れた盾。それが沙織の役割だった。

 ――マズい。

 カレンも美海も、今の一瞬で沙織の能力を知った。春樹は急いで琉花にも内容を伝える。

 絵麻を2対1で押し返すためには、前提として、もう1人で沙織を抑えておかなければならなくなってしまった。そして、それを行うためには、希美からマークを外す必要がある。

 その前提を覆す鍵は――やはり、障害物に左右されない飛行能力を持つ、美海。

「美海! 沙織を抑えろ!」

『りょ、了解!』

 美海なら、壁を飛び越えて上から沙織を攻撃できる。そして、台の右側にはサイドラインしかない。そちらに向かって攻撃すれば、彼女をフィールドから吹き飛ばすことができる。

 彼女もそれを理解したからこそ、飛ぼうとした。

『美海、避けなさい!』

 突然の、カレンの大音声。呼ばれた美海は、何が自分に迫っているのか理解できなかった。そして、理解できなかったのは春樹も同じだった。

 その背中を、拳が貫いた。

 間違いなく、左のスペースは琉花が見ていた。

 なのに、その左のスペースから入り込んだ()()は、美海を不意打ちした。その瞬間まで、そこに誰かいたことさえ、分からなかった。

 迷いなど全くない右ストレートは、”スカイブルー・エレメンツ”側のダメージカウンターを1つ上昇させるのに十分な威力だった。

 拳を突き出した希美は、不敵に笑んだ。

 

 1 - 0

 

…………

 

 中等部3年に上がった時、雄馬は言った。

「お前のエクシードは、確かに戦闘には役に立たない。()()()()

 雄馬のチームで戦いたい。そう彼に言った希美は、きょとんとした。

「お前の『印象操作』の力は、直接戦闘に意味をもたらす物じゃない。だから、お前は役に立たない。

 ――そう思うか?」

 正直、そう思っていた。だからこそ怖くなって聞きに行ったりしたのだが。

 雄馬は微笑んで言った。

()()()

 彼は断言した。そして言葉を繋げる。

「お前のエクシードは正にも負にも働かせられるものだってのは知ってる。つまり、印象を大きく見せる――その逆もできるってことだ」

 逆。即ち、印象を小さく見せるということ。今の自分よりも、小さく。

「それを極限まで行えば、お前は普段とは真逆の状態になる。ステージに立って、誰の目をも引くお前の逆。お前は()()()()()()()()()

 希美は、自分がどのようにバトルで役に立てるのか、その答えを知りつつあった。

「お前はずっとダンスを続けてきた。当然、体は鍛えられてる。歌も歌わなきゃいけないから、肺活量だって標準よりずっといい。そこに、今の答えを組み合わせると――どうなると思う?」

「――奇襲?」

 雄馬は頷いて、にっこりと笑った。

「でも、生憎だが今のお前には戦闘技術がない。そこでだ。俺が1年で、お前を戦えるように鍛えてやる。キツいけど、ついてくるか?」

 悩む必要など、全くなかった。

 

…………

 

 してやられた。

 希美は、普段とは全く異なる形でエクシードを使用していたのだ。

 気を引くのではない。

 気が付かなくなるのだ。

 印象を極限まで縮小させることで、例え真正面にいたしても気付ないほどに気配が薄くなる。だからこそ、琉花は目の前を普通に通っていった希美に気が付かなかった。

 そして、戦況の把握に夢中で全く見ていなかった春樹は、データパッドに今更ながら目を落とし、愕然とする。

 いつの間にか希美のレベルが4まで上がっていた。そして、他の2人のレベル上昇速度は通常。これから導き出される結論は1つ。

 希美にαリンクが発生し、エクシードが解放されている。

 しかし、不可解なことが1つだけあった。

 

 なぜ――カレンは、攻撃が来ることを予測できていたのか?

 

 

…………

 

 してやられた。

 希美は中央のエリアを離脱しながら今更ながらに思った。

 カレンに気付かれていたのは他でもない。彼女がアンドロイドだからだ。より正確に言うなら、彼女はフィールド無いのプログレスで唯一、印象などという曖昧なものを頼りに戦況を観測していない――即ち、()()()()()()()()()を行っていたからだ。

 人は、物事を見たとき、それが持つ印象で、それが認識できるかどうかが決まる。具体的に言えば、派手な格好をしている人は認識されやすく、道端の小石などは認識されない。だからこそ、普段は意図的に普通の格好をしているのにあたかも派手な格好をしているかのような印象を醸し出すことで印象の拡大を、現在は道端の小石レベルの印象を醸し出して印象の縮小を、それぞれ行っている。

 ただ――機械のセンサーとなれば話は別だった。

 確かにカレンはアンドロイド。生体脳を持っているので、印象操作の影響は受ける。

 ()()()()()()()()センサーは今ある事象を、ただ端的に表示する。派手な人も地味な人も、機械が見ればどちらも人間が1人。

 カレンは生体脳で物事を見る、その傍らで――センサーも見ていた。だからこそ、印象に残らないほど気配が薄れた希美の奇襲に前もって気付けたのだ。

 だが、それにも穴はありそうだ。彼女は直前まで、希美の接近に気付けなかったからだ。とはいえそれは直前の戦闘に夢中で、センサーを見ていなかったからなのかもしれない。

 希美は次の一手を、慎重に考える。

 

…………

 

 カレンは絵麻と交戦しながら、一気に悪くなった状況を把握していた。

 希美の奇襲には確かに気付けた。だがそれも直前にレーダーの観測結果を見たからだ。

 絵麻の激しい攻撃は、カレンにレーダーから気を逸らさせるためなのだろう。敢えて美海を攻撃することはしていなかった。とはいえ、美海が中央のエリアから抜け出そうとしたら、持ち前の盾投げで牽制していたが。

「春樹! 今すぐ琉花のレベルを4まで上げ、αリンクを!」

『――っ!? どうして?』

「希美の奇襲を感知できるのが私だけだと困るからでございます!

 いいでございますか? 確かに今の希美を、人間が捉えることはできません。でございますが――彼女の及ぼした影響は、確実に周りに知れ渡るのでございます。美海が殴られたとき、それを全員が知った――」

『――そうか!』

 春樹はカレンと美海に断ってからセカンドリンクを切断した。琉花とセカンドリンクを結んだのだろう。

 絵麻と単騎で張り合えるのは自分だけ。だからこそ、自分にしか見えない伏兵を、琉花に感知させるのだ。

 

…………

 

 琉花は一連の春樹とカレンのやり取りを聞いていた。しかし、なぜ自分なのかが分からない。

『琉花! 一気にレベル4まで駆け上がるぞ! そうしたら、水を地面に流して!』

「な、なんで?」

()()()()()()、必ず気付くだろ?』

「――なるほど!」

 希美は自分の気配を極限まで薄れさせている。このままでは気付ない。だが、さっき美海を殴った希美は、確かに自分の存在がそこにあることを示した。

 カレンと春樹が思いついたのは――フィールドに一定の厚さで水を張ることだった。そうすれば、その上を駆ける希美は足音が鳴り、自分の存在を知らせてしまう。

 春樹は、中央エリアを除く外周をに水を張らせるように言った。中央まで水を張れば、そこで常に水音が鳴り続け、索敵の邪魔になるからだ。

 壁に隠れなければ、絵麻に攻撃される可能性がある。なので琉花は中央エリア近くの台に乗り――ここよりもエンドラインに近づくと、影響力が外周全体へ及ばなくなるからだ――水行符をまとめて5枚取り出した。

『行くぞ――αリンク』

 春樹の声のぴったり5秒後、自分のエクシードが解放されたのを感じた。

「よっし、行くぞ!」

 琉花はありったけの霊力を水行符に注ぎ込み、大量の水を生成。フィールドを囲うように地面を流れさせそれを制御する。影響力的に、向こう側の壁の向こうの台――沙織が乗っているであろう場所だ――までを包むのが限界で、その先までは覆えなかったが、とりあえずはこれでいい。あとは神経を集中させ、希美の位置を探るのだ。

 

…………

 

「げっ……ヤバい」

 希美は、突然自分の足元を流れてきた水に驚愕する。足音をごまかせないことは、経験上知っているのだ。

 とりあえず、これでカレン以外の誰にも気付かれずに地上を移動することはできなくなった。中央エリアを通るという手もあるが、そこに入ろうとした時点で気付かれるであろう。

 ――一旦戻ろう。

 希美は琉花への奇襲を諦め、沙織のいる台まで引いた。

「雄馬くん」

『そうだな。こうなっちゃ、今は意味がない。と思うか?』

「え?」

『フィールドは、何で囲まれてる?』

 ――フィールドは、何で囲まれて――

「――っ!!」

 そう。フィールドは、()()()()()()()()

 そして、壁に登る手段は目の前――沙織が乗っている台。

 雄馬は、壁の上を伝っていけば、どこにでも行けると言っているのだ。

 ――まだ、諦めない。

 

…………

 

 美海と春樹はリンク率が非常に高い。そのため、セカンドリンク無しでもレベルが上昇しやすいのだ。

 彼女のレベルが4になったところで、春樹が指示を寄越した。

『美海! 沙織が顔を出したら、中央に風を向こう向きに吹かせろ!』

「うん!」

 春樹の指示。美海は、春樹が何をさせたいのかを理解した。

 カレンと絵麻の交戦の末、また絵麻にピンチが迫った時に、それが明らかになる。

 再び沙織が壁の向こうから現れ、絵麻を援護しようとした。

 その瞬間を見計らって、美海はαリンク無しのエクシードを集中。長持ちはしないものの、突風を吹かせる。

 すると、沙織から伸びた青い炎の筋が、突風に煽られて散逸した。

 加護が無い。その状態で再びカレンの攻撃を受けた絵麻は、今度こそダメージカウンターを上昇させるだけのダメージを受けた。

 沙織の防御対策。向こうは火を飛ばしているのだから、それを風で吹き飛ばせばよいのだ。

 だが、向こうもそれをこのまま見過ごしてはくれないだろう。

 

1 - 1

 

…………

 

 ――希美が台に登った?

 春樹は不審に思った。

 希美は琉花に接近していたが、水を流すと引いたのは見えた。水を揺らして右側のスペースから戻っていったのだ。

 そして、その行先が不自然だった。そこから水に再び足を踏み入れた様子もない。あったら言うように琉花に指示していた。

 ――台の上で水が引くのを待ってる?

 そんなはずはなかった。彼女を指揮しているのは雄馬だ。そんな怠惰を、彼が許すはずがない。

 美海の突風によって沙織の防御が破れ、ダメージが入った。当然ながら嬉しい――

 ――なんだ、今の?

 壁の上で、気配が揺らいだ気がする。もしかして――いや、これならありえる。琉花の索敵に引っかからない――!

「琉花! 水が壁を越す高さまで持ち上げて、中央に向かって勢いよく集めろ!」

『――っ!? りょ、了解っ!』

 ざぶん、と音を立てて、水が壁を越える高さまで持ち上がった。そのまま中央に向かって一気に集まる。――それに引っかかった者がいた。

 いきなりのことで対応できなかった希美が、中央エリアに叩き落とされていた。

 ――やっぱり!

 彼女は壁の上を伝って琉花を急襲しようとしていたのだ。

 そのまま、彼女を封じる手を打つ。

「希美が中央に落ちたぞ、琉花。性質変化、使えるな?」

『――うん、やってみる!』

 ここ数日で琉花は水を粘液状に変化させることができるようになっていた。これによって希美と、あわよくば絵麻も捕まえられれば、後がぐっと楽になる。

 壁の横から頭を出した琉花は、上空に浮かべた水の性質を変化させようと念じ始めた。

 ――行ける。行けるぞ。

 だが、現実は甘くない。

 

…………

 

「お兄ちゃん――」

『今だ。右から回れ』

「了解」

 

…………

 

 ――えっ?

 と思う間もなく、琉花は宙を飛んでいた。

 勢いよく。サイドラインから飛び出る勢いで。

 何が起きたか、その時ようやく理解した。念じることに夢中で気付いていなかったのだ。

 左から接近していた()()()

 彼女は琉花を引っつかんで、フィールド外に投げ飛ばしていた。彼女は不思議と力が強い。だがまさか――人間を投げ飛ばせるほどだとは誰も知らなかった。

 ――しまった!

 だが、思いも虚しく琉花はフィールドから放り出されてしまった。上空に待機していた水の塊は制御を失って、中央エリアにいた4人を押し流す勢いで落ちた。

 フィールドを覆い尽くす量の水が頭の上に落ちてくれば、痛覚も相応のものになる。各2人分の痛覚で、それぞれのカウンターが2上昇した。

 

 3 - 3

 

…………

 

 いち早くその衝撃から立ち直ったのはカレンだった。

 ――今しかない。

 彼女は素早く絵麻に接近する。彼女が立ち直れていないうちに、

「それは貰うのでございます」

 絵麻が持っていたシールドを無理やりもぎ取った。

「え、ちょー――」

 そして、それを後ろに向かって思い切り放り投げた。

 彼女の最大の強みは、このシールドだ。近距離戦で防御手段と攻撃手段の両方になる上、必ず戻ってくる性質を利用して遠距離攻撃にも使える。

 とにかくこのシールドを、エクシードの影響が及ばないフィールド外に投げ飛ばしてしまえば、彼女の戦力は半減どころではなくなる。そうでなくとも、琉花がフィールド外に出されているのだ。あと30秒は琉花がフィールドに入れず、戦力が激減しているのだから、これくらいはせねばならない。

「そうはさせないー!」

 絵麻は素早くシールドにエクシードを送った。エネルギーの方向を捻じ曲げて、戻ってこさせようという魂胆だろう。

 だが、カレンはこれを許さない。

「対人戦では使えないので、ちょうど良かったでございます」

 右手を後ろに向かって突き出した。その手に装着されたガントレットから、とあるものが出てくる。

 それは――()()()()()()

 いつか冬吾に向けたそれで、宙を飛ぶシールドをロック。すぐさま放つ。

 シールドに見事命中したミサイルは爆発し、その勢いで最後のひと押しをして、シールドは春樹側のエンドラインからフィールドの外に出た。

 

…………

 

 絵麻は、すぐにシールドを取りに行くプランを脳内で検討した。

 自分からフィールド外に出る場合は、自陣側のエンドラインからしか出ることができないというルールがある以上、こちら側のエンドラインから出て走って取りに行くしかない。だが、フィールドを空ける30秒間は残った2人で戦わなければならない上、そもそもエンドラインから出て30秒でシールドを取って来れるかといえば曖昧なところだ。仮に取って来れたとしても、全力疾走する必要がある。せっかくフィールド外に出るという危険を冒すのに、そこでまた体力を失っては不利が続く。

 ならどうするか。

「もー許さないぞー!」

 絵麻はカレンに掴みかかった。絵麻はそれほど組み技が得意ではない――というより、カレンの本領が組み技なのだ。まず勝ち目がない。

 そこを逆手に取る。

「無駄でございます、よっ!」

 掴みかかった絵麻を、まるで赤子同然に掴み返し、投げ飛ばす――

「いっただきー!」

 そこでカレンは、自分の失態を悟ったようだった。

 絵麻は、カレンが自分を投げ飛ばそうとするその力を――捻じ曲げていく。カレンが、自分の後方へ投げ飛ばすように。

 そして、投げ飛ばされた。元は壁に叩きつけてダメージを与えようとする勢いで投げ飛ばされたので、絵麻は軽々と宙を舞った。()()()()()()()()()()()()()()()()

 確かに飛ばされたのは絵麻の意思あってのことだが、投げ飛ばしたのはカレンだ。ルール違反にはならない。

 絵麻はフィールド外に飛び出し、そこで受身を取って着地すると、シールドを拾いに行った。

 

…………

 

 時間的なアドバンテージはこちらにある。春樹はそう判断した。

 とにかく、美海とカレンの2人で、希美と沙織にダメージを与えるのだ。

 そのフィールド内で、沙織は希美を助け起こしていた。同じように、カレンは美海を介抱している。美海は目を回していたが、顔を猫のようにプルプルと振ると、すぐに立ち上がった。

「美海、カレン。大丈夫か?」

『だ、大丈夫だよー! ちょっと目を回しちゃってただけ』

『……私の失態でございます』

「後悔はいい。今は現状に集中して。カレンは希美を逃がさないように釘付けにして、美海は沙織ちゃんを」

『了解!』

 一方の沙織たちの声はこちらには聞こえない。だが、二言、三言言葉を交わすと、沙織の左腕がまた激しく燃え上がった。その炎を、希美に纏わせる。

 ――これ、不味くないか?

 さきほどまでは、炎が目標に到達する前に美海に吹き消させていたからどうにかなっていた防御。こんな至近距離で受け渡されていては、妨害するどころの話ではない。

 炎。対策手段は風だけではない。炎なら当然、水でも消えるだろう。

 そして、今中央エリアは水浸しだ。

「美海、αリンクだ! 地面の水を飛ばして炎を消せる?」

『や、やってみる!』

 5秒間の空白。美海とαリンクに成功した。そのまま美海は上昇気流を発生させ、地面に流れた水を風に乗せ、飛沫を沙織と希美に浴びせた。だが――やはり上手く行っていない。そして、沙織は驚異的な身体能力で美海を追い詰めている。美海はそれを、自分の周辺に突風を吹かせることで避けるしかなかった。沙織に向かって風を吹かせても、その左腕から燃え上がる青い炎は、全く消える気配を見せない。

 躱しきれなかった1発を食らい、ダメージカウンターが1上昇。だが、その隙を利用して、美海もレイピアの一撃を叩き込んだ。向こうのダメージカウンターも1上がる。沙織のエクシードは、沙織自身の防御力を上げるものでは無いようで、それを理解しているからか、カレンを攻撃することもしない。

 そのカレンは、エクシードを使用していた。彼女の空間を捻じ曲げるエクシードは、自己の瞬間移動だけでなく、指定した空間に圧力をかけることにも転用できる。彼女は今、希美の周りの空間に圧力を掛け、その動きを封じていた。とにかく、このトリックスターを捕まえておかなければ、また不意打ちを食らうことになる。だが、沙織に攻撃されれば反撃は容易だっただろう。

「琉花、行けるな?」

「おう、任せておいて!」

 琉花がフィールドを出て、30秒が経った。彼女がフィールドに入る。ここから数秒間のみ、こちらは数的有利を得る。

 琉花は水行符を1枚取り、霊力を注ぎ込んで水を生成。それを希美に向かって投げつけた。

「――――ッ!!」

 分かっていても、そう、カレンのエクシードのせいで避けられない。希美はまた頭から水をかぶり、沙織の加護が消えた。

 その瞬間、カレンか希美に肉迫し、沙織が手を貸す暇を与えず、右腕の一撃を叩き込んだ。希美が吹き飛ぶと同時に、向こうのカウンターが1上昇。

 初めてこちらが有利に立った。あと3点でこちらの勝ちだ。

 

 4 - 5

 

…………

 

 

 悔しかった。

 

 最初の一撃以降、いいところが全くない。思い通りに動けない。もどかしい。

 

 私じゃない方がよかったのかもしれない。

 

 でも。

 

「いつか目にもの見せてやる」

 

 その思いひとつで、私はあの子が絶対に真似できない力を手に入れた。

 

 その思いひとつで、私はこの舞台に立った。

 

 ()()()、絶対に負けない。

 

 覚悟して。

 

 美海。

 

 私は、負けない。

 

 

…………

 

 その数秒後、シールドを無事取ってきた絵麻が入る。

 雄馬は、正直彼らを舐めていた節があった。

 蓋を開ければ、希美と沙織のエクシードは、とにかく相手のプログレスたちのエクシードと相性が悪い。実践されていないだけで、例えば美海がエクシードを解放すれば、フィールド全域に効果を及ぼす暴風は気配を隠した希美にも及ぶだろう。

「さ、こっちも負けてらんねえな」

 データパッドを見ると、全員レベル4、その中でも絵麻の欄の下に、レベル5になることのできるサードリンクのアイコンが表示されていた。

 それを押そうとした雄馬は、その寸前で手を止めた。

 希美の欄の下にも、アイコンが表示されたのだ。

 雄馬は数秒間、らしくもなく固まってしまった。

「――希美」

『な、なに……?』

 度重なる攻撃を受け、息が絶えている。だが、これを使えば、絵麻がレベル5になるよりも大きな影響を及ぼすことができるだろう。

「戦えるか?」

『ちょっと……キツイかも』

「レベル5になれる。そうすれば、逆転できる」

 雄馬は感情を込めずに聞いた。彼女は――

『じゃあなる』

 ただの一瞬も、迷わなかった。

「いい返事だ」

 雄馬は、彼女に託すことにした。

 

…………

 

 ――な、何っ!?

 春樹はデータパッドを見て愕然とした。

 希美がレベル5になろうとしていた。つまり、ここで決める気なのだろう。

 データパッドには、なんと3人ともレベル5になれるアイコンが出ている。ただし、選べるのは1人だけだ。

 さらに、フィールド内で嫌な光景が見えた。沙織が他の2人に炎を纏わせ、3人が分散したのだ。絵麻が前へ、沙織は左へ、そして希美は後ろへ。絵麻をカレンが食い止めようとしたが、先に投げられたシールドが、壁に当たって反射し、的確に琉花を捉えた。誰の防御も間に合わないタイミングで琉花がL字壁の手前までノックバックされた。ダメージを1受ける。

 その上で彼女を、沙織が追い詰める。琉花が前に出られなれけば、αリンクを結んでいても下がった希美まで水の影響が及ばない。

 ――炎を消せる琉花を抑えにきたのか……!

 先程まで希美を執拗に抑え込もうとしていた春樹は、まさに意趣返しをされて、臍を噛む。

 琉花が戦闘に釘付けにされれば、遠くまで水を操ることができない。そうすれば、カレンは一方的なハンデを絵麻に対して負うことになる。そして、どうやっても琉花のエクシードが届かない位置まで引かれた希美を追う意味がなくなった。

「美海! 琉花に加勢しろ!」

『りょーかい!』

 絵麻の追撃を上手く躱して美海が下がった。それを確認しながら、

「琉花、お前しかいないんだ。レベル5になれるな?」

『なれる……の?』

「ああ。行けるか?」

 春樹は、断られてもおかしくない、そうしたら美海かカレンをレベル5にして……

 などとは、考えなかった。

『もちろん、行けるぜ!』

 その言葉が返ってくると、知っていたから。

 

 5 - 5

 

…………

 

 

 怖かった。

 

 誰かと触れ合うのは、怖かった。

 

 また裏切られるかもしれない。

 

 また傷付けてしまうかもしれない。

 

 怖い。

 

 でも、彼は私に手を差し伸べてくれた。

 

 周りのみんなも、私に優しい声を掛けてくれた。

 

 暖かかった。

 

 だから私は、それに報いたかった。

 

 私の心は水。

 

 どこまでも自由な心。

 

 私の心は水。

 

 決して縛られない心。

 

 私の心は水。

 

 全てを受け入れる心。

 

 だからどこまででも行ける。

 

 彼と、繋がっているのだから。

 

 大好きな彼と、繋がっているのだから。

 

 

…………

 

 

 ――希美?

 

 ――なに?

 

 ――歌え。

 

 ――え?

 

 ――それがお前を、解き放つ鍵だ。

 

 ――――うん。わかった。歌うよ。だって私、雄馬くんのこと――

 

 ――お前はいい子だ。さあ、行こう。

 

 

…………

 

 

『――ずっと独りで 歩いていた――』

 

 希美が、レベル5になった。それと同時に、彼女は歌いだす。誰の手も届かない、フィールドの奥。

 彼女が歌いだすと同時に、その場にいた全員がその歌に聞き入った。

 その印象が、どんどんと大きく膨らんでいく。眩しいほど煌びやかになる。

 

『――寒さも苦しさも 押し込めて――』

 

 戦闘中なのに思考が乱される。明確な意志を、これでもかとばかりに念じなければ、その声を頭から追い出せない。

 カレンは脳が焼き切れるほど強く、戦闘意識を高め、頭の中を塗りつぶす。

 

『――ただ前を向いて 歩いていた――』

 

 ――これが、希美のレベル5なのか……!!

 春樹は驚愕した。どうすればいいのか、戦略を練れない。雑念が入り込んだ瞬間、彼女の声が思考を塗りつぶす。聞き入らずにはいられない。

 

『――痛さも辛さも 隠してた――』

 

 油断した沙織さえ、その歌に聞き入った。美海も地面に降りて――飛んでいられなかったのだ――耳を傾ける。

 絵麻は、尚も攻めてくるカレンを通すまいと必死に、歯を食いしばって思考を固定する。

 

『――でもそれは嘘 ホントじゃない――』

 

 たった1人。琉花だけは違った。

 誰よりも澄んだ心で。

 誰よりも透徹した心で、希美の歌を耳から追い出していた。

 

『――寒いよ 苦しいよ 痛いよ 辛いよ――』

 

 彼女は呪符ケースから全ての呪符を掴みとり、どこまでも湧いてくる力を、そこに全て注ぎ込む。力は水に変換され、大量の水が荒れ狂う。

 

 そして、琉花もレベル5になった。

 

『――素直じゃない私は 差し伸べられた その手を払う――』

 

 琉花は全ての水を操り、自らを上空へと押し上げて、一部を凍らせて柱とする。

 そして、残ってまだ大量の水を天へと向けて放出する。

 

『――あなたはそれでも まだ手を貸してくれた――』

 

 フィールドの上空に、水が溜まっていく。琉花はその液体の温度を操作し、蒸発させる。水蒸気になった水は、それでも制御を離さなかった琉花のエクシードによって集められ、擬似的な雲となった。

 

『――もういいんだよと言ってくれた 私はそれが うれしくて――』

 

 琉花は雲の温度を急激に下げた。凝結した水蒸気は、水滴となる。

 ぽつり、と、1粒の雫が落ちてきた。次いで2粒、3粒――増えていく。雨が、降っている。

 その雨は、沙織のエクシードによる炎の加護をかき消した。

 

『――その手をようやく取った あたたかくて やさしくて――』

 

 カレンも絵麻も、ただ戦っていた。希美の歌を頭から追い出すために、ただひたすら殴り合っていた。加護が消えたことなど、どちらも気付かない。

 誰も点数など見ていなかったが、7対7――あとどちらか一方が1ダメージを受ければ、バトルは終わる。

 

『――もう独りじゃないよ その声は とても明るくて――』

 

 どの柱よりも高くそびえ、煌く氷の柱。フィールドの中に降り注ぐ雨。そして、余りにも美しい歌声。

 隣りのフィールドでバトルをしているチームらも、全ての観客も、その幻のような光景に見入り、聞き入っていた。

 

『――やっと気付けたこの思い もう嘘はつかない 隠さない――』

 

 その氷柱の上に立つ琉花は、雨水を浴びながらただ、天へ向かって手を広げていた。

 

 

『――私があなたを 愛していたこと――』

 

 

 ――不意に、歌が止んだ。その歌に聞き入っていた全員が我に帰った。

 希美のレベル5状態が、終わったのだ。

 そこからいち早くに復帰したのは――

 

 

…………

 

 

 これが、私の世界。

 

 これが、私の想い。

 

 これが、私の、愛。

 

 負けても構わない。

 

 これが届けばいい。

 

 誰も見てないけど。

 

 私はここにいるよ。

 

 私は頑張ってるよ。

 

 今でも、心にある、

 

 この思いはずっと、

 

 この先も、ずっと、

 

 決して離さないよ。

 

 だから、もういい?

 

 私を赦してくれる?

 

 

…………

 

 雨水に濡れながら、中央エリアで2人は殴り合う。

「もう、しつこいー!!」 

「しつこいのは、そちらでございますです!!」

 シールドで殴りつける絵麻。それを躱し、拳を叩き込むカレン。それをシールドで弾く絵麻。

 希美の歌があっても、2人は聞き入らず、ただ戦っていた。そうするしか、なかったのだ。

 そして、その歌が止んだこのに気付けたのは、人間の耳という、機械よりも雰囲気や気配に敏感な絵麻だった。

 ――今なら。

 絵麻は、自分の左の壁に向かってシールドを投げつけた。そこには誰もいない。カレンは一瞬、その意図を測り損ねた。それが致命的だった。

 シールドは壁に当たって反射し、すぐそばの柱へ当たる。そこでもまた反射して、奥のL字壁に。その長辺と短辺で1回ずつさらに反射。その先にいたのは――

 

 いち早くに復帰していた()()

 

 彼女はシールドを受け取ると、その勢いのまま、すぐそばにいた美海にそれを投げつけた。

 もう間に合わない。美海本人ですら。

 

 ガツン、と音がし、何も反応できなかった美海がシールドの一撃をまともに受け、倒れた。

 

 最後の1カウントが、”スカイブルー・エレメンツ”に入った。

 

 8 - 7

 

 

…………

 

「……負けちゃったか」

「……そうでゴザルね。でも、すごいバトルだったでゴザル」

「そうね……膨大な可能性を感じる、ワクワクするようなバトルだったわ」

「拙者も、胸の高まりが収まらないでゴザル」

 

…………

 

 

 ――だって私、雄馬くんのこと、愛してるから。

 

 




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