アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第6話「会長に任せちゃいなさい」

 謝りたい。

 ただ、(した)()に出るのも卑屈だと思われかねない。「こいつは下手に出て仲直りしようとしている」そう思われたら、それこそ二度と仲直りできなくなってしまう。

 だから美海は翌朝、希美と出会うなり、

「おはよう、希美ちゃん!」

 とびきりの笑顔で挨拶した。

 希美の表情は硬かったが、一瞬強ばった表情になるものの、すぐに普段通りの表情になると、

「おはよう、美海」

 同じように、笑顔で挨拶した。

 隣にいる沙織は、何も気付いていない。美海は沙織に昨日のことを話していないし、希美も同じようだ。

 とにかく、ステージを控えているというのに、個人の感情でそれを台無しにするわけにはいかなかった。その思いは、どうやら希美も同じようだ。

 朝食の席に着く。表情は普段通りだが、言葉数が少ないのはどちらも同じだった。

 

 美海と希美の静かな戦い。言い争ったり、暴力を振るったりしない喧嘩。それはさながら第2次世界大戦後から40年以上も続いたアメリカとソビエト連邦の戦争――冷戦のように静かな幕開けであった。

 

 

…………

 

『あっ、とと!』

 放課後のブルーミングバトルの練習中、美海が尻餅をついた。普段とは違う感じに風を吹かせていたところ、誤った方向に推進力が生まれ、真後ろに倒れたのだ。無論、リンク中であるため、痛いのは春樹だ。

「美海、大丈夫か?」

『う、うん。大丈夫大丈夫。ごめんね春樹くん』

 バトルフィールドの障壁を挟んでインカム越しに聞こえる声は、どこか弱々しかった。美海が、エクシードの応用について悩んでいるのは知っていたが、今日春樹が「一緒に考えようか?」と聞いてみたところ、「大丈夫だよ」と言われてしまったので、そのまま放置している。

 美海には、傍から見てもマズくなっていたら手を貸そう、と決めた。その思いのまま視線を逸らし、今度は琉花の方を見る。

 彼女のエクシードは、目に見えて落ち込んでいた。今も、額に汗を浮かべながら水を操ろうとしているが、αリンクしているにも関わらず、操れている水の量は前回のバトルの時の半分以下。今回のバトルには忍が出場しないため、琉花は武器である水を生成するために水行符の扱いも練習しているが、事件の前と比べて扱いに苦難しているようだ。

 琉花の表情は硬く、真剣だ。しかし、リンクしているから分かる――その裏に何かもっと暗い感情が潜んでいる。琉花は、春樹とリンクしているにも関わらず、その感情をほとんど隠し通している。

「琉花?」

『…………』

「大丈夫か? リラックスしろ」

『……うん、分かった』

 春樹の言葉を受けた琉花は、少なからず力を抜き――操っていた水が地面に落ちて弾けた。そして、服が濡れるのも厭わず、びしょびしょになった人工芝の地面に仰向けになった。肩で息をしているので、かなり力を込めていたのだろう。琉花の練習効率は、明らかに悪化していた。

 春樹はフィールドの中でエクシードの練習をしているカレンに視線を見やる。それと同時に彼女もまた春樹に視線を送ってきていた。やはり彼女も、琉花の様子が懸念なのだろう。

「美海、いったんフィールド解いてもいい?」

『え? うん、いいよ』

 美海の了解を得ると、春樹はαドライバーゾーンにαデータパッドを置きっぱなしにしてゾーンから出た。αドライバーがαドライバーゾーンから離れると、バトル続行不可能とみなされ、バトルフィールドも解ける。

 春樹は水で湿ったフィールドを横切り、琉花のそばに行った。

「大丈夫?」

「……うん、大丈夫」

「起きれる? ほら」

「――ん、ありがとう」

 春樹が手を差し出すと、琉花は一瞬躊躇った後、手を掴んでくれた。

 美海の様子を横目で見ると、フィールドが解けるなり地面に座り込んで、何やら物憂げな眼差しで空を見上げていた。

 バトル前だというのに、チームの様子は、はっきり言ってボロボロだった。一番の理由は琉花だが、何やら美海の様子もおかしくなった気がする。

 2人とも、聞いても何も答えてはくれない。それでは何も解決しないことは分かっているが、それ以上押したところで、どうにかなるとも思えなかった。

(せめて、兎莉子がいてくれれば……)

 しかし、現在彼女は青蘭大学病院で、最後の検診を受けている。チームがこんなことになっている今、あの柔らかな笑顔が恋しかった。それに、彼女なら、今のチームをつなぎ合わせられるかも、と思ってしまうのだ。

 そこに、カレンが寄ってきた。

「琉花、練習効率が低下しているようでございます。何か懸念がおありでしょうか?」

「え……いや、その……別に」

「話したくないのならそれでも構いませんが、練習効率は元に戻すように。1人が崩れれば、チーム全体が瓦解します。いいでございますですか?」

「……はい」

「それと、美海」

「は、はい!」

「新技術の開発はどのように進んでいるのでございますか?」

「え? それはー……あの、まだ、です」

「早く完成させるように。土壇場で思いついた付け焼刃の技術では、どうやっても戦略に綻びが生じます。質よりも量。できるだけ早く開発し、練習時間を伸ばすように。いいでございますですか?」

「は、はい……」

 カレンは、いっそ冷たいと言えるほどの態度で美海と琉花に接していた。でも、カレンとしては、これが最適解だと思ったのだろう。

 春樹は、内心カレンに感謝した。彼女は、優しや故にプログレスに対して強く出れない春樹に代わって、憎まれ役を買って出ているのだ。彼女自身が現在春樹の部下である、その有り様を、言外に示している。

(俺は、リーダー失格だな)

 カレンは、春樹の指示を待たずに独断で行動している。春樹のためを思ってのことだろうが、それが逆に、任せられない頼り無さを暗示しているようだった。

(いや、落ち込むな。だってカレンは言ってたじゃないか)

 

 ――私は、今の貴方様に対して「頼りにしています」などとは決して言いません。が、それは貴方様が頼りないからではなく、貴方様自身が人を使い慣れていないからでございます。

 

 そう。使い慣れていない。春樹が琉花と美海に強く出れないのも、人を『使う』ことが真にどういうことであるか、理解していないからなのだ。

 目標はなんだ。そう、バトルに勝つこと。じゃあ、それを達成するにはどうしたらいい? チーム全体で強くなる。そのためには、調子の出ていないメンバーのケアをしてやる必要がある。

 優しく言ってもダメなら、叱ってでも。

 目標のために人を『使う』とは、そういうことなのかもしれない。

 しかし、カレンが正しく理解しているように、春樹は『使う』ことに慣れていない上、慣れたとしても、恐らくそれが苦手であろうことは分かっていた。

(厳しいのは、カレンだけでいい)

 だから春樹は、琉花の背中を優しく撫でた。かつて兎莉子が春樹にしたように、心の中の恐れを和らげるように。

「大丈夫。ゆっくりでいいからな。焦らないで」

「……うん、ありがとう」

 琉花はこちらを向いて、弱々しくだが、微笑んでくれた。

「琉花だけ辛い思いし続けなくていいんだよ。俺のこと、頼ってくれたら嬉しいな」

「ん、大丈夫。まだ頑張れるよ」

 ここまでしてもなお意地を張り続けられるのはいっそすごいと思ったが……これが本音でないとも言い切れない。心の中を完全に知ることなど、不可能なのだから。だから、意地を張り続けられる限りは、見守るだけでもいいのかもしれない。

 春樹は琉花に「頑張ろう」と声を掛け、背中をポンポンと叩くと、彼女のそばを離れ、美海の方に向かった。

 美海は、ションボリとしていた。カレンに叱責されたのもあるのだろうが、今日の美海はそれ以上に何か変だった。上の空、とでも言えばいいのだろうか。

「美海?」

「春樹くん」

 彼が近付くと、美海は座ったまま彼のズボンを掴んだ。その仕草を、どこか変だと思った春樹は、屈んで彼女と目線を合わせた。

「どうした、大丈夫か?」

「私、ダメなのかなぁ……」

 彼女の手が、所在無さげに人工芝の地面を撫でているのを見て、春樹はその手を掴んだ。彼のよりも小さくて、柔らかくて、暖かい手。

「……?」

 首を傾げて春樹を見る美海。その目ははっきりと「不安」を映している。春樹は掴んだ手を両手で握ると、

「大丈夫だよ、美海。俺が付いてる」

 握ったその手にまじないを掛けるように呟いた。大丈夫、大丈夫と、何度も繰り返す。

「ちょっとした悩みでも聞くよ。不安なこと、ある?」

「……な、ないよ」

「じゃあ、新技、期待してもいい?」

「えっ?」

 美海が言葉に詰まったのを見て、ほらやっぱり、と思う春樹。新技の質問は、ちょっとした意地悪のつもりだったが……。

「一緒に考えよう。1人よりも、2人で考えたほうが、きっといいものができるよ」

「いいの……?」

「もちろん。チームメイトだろ? それに、俺はお前の、パートナーだから」

 噛んで含めるように、美海に言い聞かせる。頼ってもいい存在はここにいるのだと、自覚させるために。

「じゃあその……お言葉に、甘えちゃおうかな」

 美海ははにかんでそう言ったが、その曖昧な表情からは、何かまだ言い出せないことがあることが分かった。

 でも、それを指摘はしなかった。

 

…………

 

 数日後の昼休み。

 樹理は購買で昼食のパンを買った帰り、飲み物を買うために校舎端のあまり人気のない自動販売機に向かった。

「ん……?」

 そこに、1人の少女がいた。自動販売機の前できょろきょろと戸惑っている様子だ。恐らく異世界出身の子だろう。この世界に来たばかりの子は、青蘭諸島の基軸通貨である円の数え方や、そもそも自動販売機の使い方を知らなかかったりするのだ。

「きみ、大丈夫? どれが欲しいの?」

 樹理は少女に訊ねた。振り向くと、胸に紫色のリボンを付けている。青蘭学園生は胸に付けるリボン(αドライバーはネクタイ)の色が出身世界毎に分かれており、紫色は黒の世界出身の証だ。背はそれほど高くないが、流石に樹理よりは高い。ダークシルバーの髪をポニーテールに結っている。

 少女は喋らずに、一番上の段を指差した。樹理がジャンプしなければギリギリで届く高さである。

「うっ……ちょっと待ってね」

 樹理は少女から受け取ったお金を入れて、ジャンプしてボタンを押した。がこん、とペットボトルが下の取り出し口に落ちてくる。それを渡された少女は、しばらくペットボトルを眺め、べこべこと指先で凹ませたりした後、なるほど、と得心した様子で、同じように飲み物を買った。

「はい、あげる」

「え? お金……」

「教えてくれたお礼」

 少女は最初に樹理が買った方のペットボトルを押し付けると、足早に立ち去った。飲みたかったものはこれでは無かったのだが……

「……まあ、いっか。こっちでも」

 事件発生後、単独行動はできるだけするなと言われているため、樹理は特に気にすることなく、教室に戻ることにした。

 

…………

 

 美海と希美の喧嘩を知る者は当事者しかおらず、いつも一緒に昼食を取っているメンバーですら知らなかった。ただ、当然ながら互いに積極的に口を利くことはない。

 美海はパンをかじりながら、沙織と話す希美をチラリと見た。別段気にしていないように見えるが、ひょっとして呆れられているからなのだろうか。

 なにかきっかけがあれば……しかし、そんな幸運はそうそう訪れない。手がかりを掴めないまま、もそもそとパンをかじる。

 そこに、

「どーしたのよ、そんなシケた顔して」

「ソフィーナちゃん」

 美海の両肩に手を置いたのはソフィーナ。振り返ると、いつものツンツンした表情にどこか心配を混ぜたような顔をしている。

「最近、なんか元気ないんじゃない?」

「そうかな? でも、心配してくれてありがとう」

「べ、別に心配してないわ。うるさくないのは好きだから!」

「……普段は嫌いってこと?」

「そ、そうじゃないけど!」

 自分から話しかけておいてしどろもどろになっているソフィーナ。だが、彼女のそういうところが――豪胆そうに見えて非常に心配性なところが――美海は好きだった。

 そこにリゼリッタも寄ってきて、誰彼構わずからかいまくってソフィーナに追い掛け回されていたり、俊太に激突して吹き飛ばしたり、何故か混沌としていたが、

()()()()、いいのかな……)

 その思いは、果たして弱気から来るものだったのか、美海は判断できなかった。

「それでね、これもらったの」

「ふーん。でも、暗い銀髪のポニーテール……三日月寮にそんな生徒いたかしら?」

「中等部生なんじゃないの?」

 昼休みも終わりに差し掛かり、樹理の、さっき変な子がいたんだよという話を、結局リゼリッタに追いつけなかったソフィーナと一緒に聞いていると……目の前で、異変が起きる。

 既視感。

 前回は兎莉子だった。今回は――樹理。

 

 それは、明らかに前回兎莉子に起きた症状と完全に一致していた。

 

「樹理ちゃん!!」

「樹理!!」

 美海は叫ぶことしかできなかったが、ソフィーナは違った。胸を抑えて痙攣する樹理を床に横たえて押さえ込むと、懐から取り出した紙――先日、本条から受け取った呪符だ――に力を込めて、その胸に叩きつけた。紫色の光が呪符から溢れ、樹理の中へと入り込み、駆け巡る。

 クラス中は騒然としていた。

「誰か! 近くから教員を呼んで!」

「わ、分かった!」

 美海を含む数人が教室の外へ駆け出し、たまたまそばにいた教員を教室内に呼び入れる。

 呪符の効果が効いてきたのか、荒くなっていた樹理の息は、徐々に落ち着いていく。だが、依然として苦しそうだ。

「……効いたみたいね」

 ソフィーナがそう呟いた。

 

 その瞬間

 

「いやあぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 悲痛な叫び声が上がった。樹理ではない。発声源は――――琉花。

 彼女は頭を抱えて、目をギュッと閉じて蹲っている。まるで、何かから身を守るように。何か巨大な恐怖に、まさに襲われているかのように。

 

「やめてよ! もう私を虐めないで! お願い、なんでも言うこと聞くから、助けて!」

 

 また、である。しかし、前回よりも遥かに強く、何かに怯えている。床に転がった彼女は、心配して彼女を見やるその目をまさに恐れているかのように縮こまり、何度も床に頭を叩きつけた。

 その狂気的な行動に、周りの数人――いつも琉花と仲良しな体育会系の少女ら――が慌てて彼女を取り押さえ、大丈夫、どうしたの、と鎮静の言葉を口にするが、琉花の暴れ方はより一層激しくなるばかりだった。

 

「やだ! やめて! 私じゃない! それをやったのは私じゃないの! 私じゃないの!」

 

 そんな琉花の様子を気にしながらも、別のことに気を引かれた人物がいた。ソフィーナである。

「魔力線……?」

 樹理の胸とその上の宙を交互に見やりながら、そう呟いた。

 

…………

 

「な……っ!?」

 少女は、自分の胸に灯が点くのを感じた。物理的な灯ではなく、魔力の(トーチ)。即ち、

「マーカー……!?」

 してやられたと思い、転移魔法を試みるが、使えない。結界で押さえ込まれているようだ。逆に、ふと冷静になって、使えないことに感謝した。灯が点いたまま転移したら、基地の位置がバレてしまう。

 彼女は、既に勝機が欠片も残っていないことを知った。

「くそ……!」

 こうなったら、足で逃げるしかない。灯が消えるまで、逃げ続けるのだ。

 

…………

 

 職員室にいた本条は、標的が罠に引っかかったことを知った。

 各クラスの委員長と副委員長に渡した呪符の目的は当然、治療のためだが、真の目的はそうではない。

 前回の事件の原因は呪物だったが、それは兎莉子の体内からしか見つからなかった。これは変だと思った魔捜課の面々は、黒の世界の魔術医の力も借り、どうにかして原因の特定ができた。

 原因は、彼女が当日飲んでいた()()()()()()()()()だった。もちろん、ただの中毒ではない。その茶の中には呪物の誘導物質が入っており、それが兎莉子の体内の霊気と反応して呪物になったのだった。そして、兎莉子は当日、自販機の前で誰かと会っているという。

 ただ、これだけでは犯人の特定はできない。当たり前の話だが、犯人の姿が誰にも見られずに毒を入れられた水が、後になって「これには毒が入っている」と分かったところで、それだけでは犯人の特定はできない。

 そこで決定打となったのが、この誘導物質は単に兎莉子の霊力と触れるだけでは反応せず、どこからか起動させられた、ということだった。

 つまり、

「誘導物質を起動させてから数刻は、まだ誘導物質と犯人が霊力で繋がっている、という仮説は、当たっていたようですね」

 それを逆手に取った犯人特定の手段が、本条の作り出した呪符だった。呪物を体内に入れてしまった生徒を治すと同時に、恐らく体内の誘導物質を起動させるための呪力線を辿り、その果てに霊力マーカーを灯すというものだった。

「……そこですか」

 これも、委員長・副委員長の迅速な対応のおかげだ。そちらの処理は別の人物に任せるとして、まずは、

「蒼月さん、ステラさん。標的を発見しました。1階、玄関にいます。直ちに確保を」

『りょ、了解しましたー!』

『了解』

 インカムで生徒会の2人に連絡した後、もう1人に連絡をする。

「今、どこにいますか?」

『はい、魔術工房にいます。もしかして……』

「ええ、そうです。できるだけ早く帰還するように。恐らく犯人は校門から逃げるでしょう。先回りしてそちらを塞ぐように」

『了解しました』

 その後、教員と風紀委員にも指示を出し、続いて魔捜課にも出動を願う。断固確保。それ以外に道はない。

「……覚悟してもらいましょうか。青蘭学園を敵に回すと、怖いですよ」

 本条は暗い表情で呟くと、先程から開いた手の平の上にある光の球体を転がした。

 魔術ではない。彼女のエクシード《壁礫(ウォール・プロジェクター)》は、既に起動している。

 

…………

 

 校舎3階、高等部2年生の教室。絵麻は机の横に立てかけておいた丸盾を手に取った。

「絵麻。自分は兵装を整えてから出動する。先導して」

「オッケーだよー!」

 慌ただしい教室内。春樹や冬吾など数名は1年生の教室へ向かって状況を確認している。

 そんな中、

「ほんじゃま、行こっかー」

 常の間延びした口調のまま、絵麻は窓際に寄り、窓を全開にした。

 そこから、全く緊張を感じさせないまま、()()()()()

 生徒会と風紀委員は前もって、有事の際にはエクシードの使用を許可、との命令が下っている。

 なので絵麻は、地面に接触する間際、脚に力を込め、着地に伴う衝撃の一切を地面に散逸させた。

 現生徒会副会長たる蒼月絵麻のエクシード、力の方向を操作する《流留錨(サイン・オブ・フォース)》である。

 生憎、絵麻は霊気に疎い。その為、犯人には霊力マーカーが付いていますと言われてもよく分からない。が、明らかに不審な人物が1人いた。暗い銀髪のポニーテール。あんな生徒は見た事がない。

「――フッ」

 絵麻はその少女に向かって、全く予告無しで盾をフリスビーよろしく投げた。ただ、肘から先の動きだけで投げた割には、勢いはフリスビーレベルのものではない。空気を切り裂いて猛進する盾に全く反応できなかった少女は、その一撃を真正面から受けた。

 盾は、狙ったように絵麻の手元へ返ってくる。この盾は、実はデルタが作成したもので、絵麻のエクシードの影響を遠隔で受けることができる。つまり、跳ね返るだけのエネルギーがあれば、どこに投げても絵麻の元に返ってくるのだ。

 絵麻が驚いたのは、地面に思い切り叩きつけられた少女が、なんのダメージも受けていないかのように起き上がり、脱兎のごとく逃げ出したからだ。

「ちょ、嘘でしょー」

 唖然とする絵麻。当然だろう。この盾は、数回当てればコンクリートさえ砕くのだから。しかし、いつまでもぼーっと突っ立っているわけにはいかない。犯人は目の前にいるのだ。絵麻もバスケットボールで鍛えた脚で追いかける。

 その横を颯爽と駆け抜ける、黄金の影があった。ステラである。

「自分が、止める」

 そう呟く彼女は、ジャケットを脱いだ制服の上に、兵装を着けている。両腕と両脚と腰に、何やら丸い透き通るプレートを多数埋め込んだ、奇妙な機械だ。そして現在、腰の後ろ側と両足の踵・足裏に位置するプレートから、エネルギーの光が発せられていた。

 ステラは難なく少女に追いつくと、そのまま右手を引いて腰だめに構えた。左手は添えるように前へ。右ストレートの構えだ。

 そこから、右肘と左手の平のプレートがエネルギー光を発した。それはそのまま推進力となり、右腕が前へ、左腕が後ろへ、それぞれ動く。更に、背中の右側と左の脇腹付近のプレートもまたエネルギー光を発し、彼女の身体全体が左側に捩れる。

 その右ストレートの威力は絶大だった。走っている最中にも関わらず、プレート状のブースターから発せられるエネルギーで理想的な攻撃を行う。しかも、

(次は、こっち)

 ステラは、少女の背中に拳をクリーンヒットさせ、衝撃でその背中が遠ざかる最中、()()()()思考で次なる攻撃の手を考えていた。

 まず、思い切り突き出した右手を開き、手の平を外側に向ける。続いて、僅かに右足を持ち上げる。左回転中のエネルギーをそのまま利用し、右手の平、左手の平、腰、左足の甲、右足の踵と足裏のブースターをほぼ同時に起動。

 結果的にステラの左回転の勢いは更に高まり、持ち上げた右足でのトーキックが少女の背中に突き刺さった。

 これがエクシード《七七式加速強襲兵装(ゴースト・バイツ)》によるステラの連続攻撃である。アーマーの各所に埋め込まれた数十個の薄型リフレクター・コアによるブースターは、そのままでは全てを制御しきれない。しかし、そこに彼女自身の異能である『思考加速』が組み合わさることで、一瞬と思えるほどの間に使用すべきブースターと生み出されるエネルギーや身体の動きを算出できるようになる。そこから生まれる驚異的な機動力と瞬発力をもって敵を追い詰めるというコンセプトの元に作られた戦術なのだ。

 背中への右ストレート、直後にその勢いのまま放たれたトーキックを食らった少女は、冗談抜きで数メートル吹き飛んだ。

 流石にこれを受けて立ち上がれる者などいるわけがない。

 だからこそ瞠目する。少女は平然と立ち上がり、再び逃げ出した。

「な――」

「うそー」

 追いついた絵麻もやはり唖然とした。あれだけ吹き飛ぶほどの攻撃を受けてノーダメージというのは、考えられなかった。ステラは、絵麻の攻撃が通らなかったのを見ており、ほぼ手加減なしで攻撃を放っていたのだが……それでも少女は全くひるまない。

 だが、絵麻がちらりと見た。少女の首に見える、黒いチョーカー。

「ステラ、あの子を抑えてー!」

「了解」

 先んじて絵麻が再び盾を投擲し、盾は植え込みのコンクリートに反射して少女の脚に当たった。体勢を崩して転ぶ少女に、ブースターにより一瞬で肉薄したステラが、その首と腰を抑えて動きを封じようとする。

 が、

「くっ!」

 バチィッ! と電気が弾ける音がして、ステラが吹き飛ばされた。電気の魔術を使われたのだ。少女は立ち上がると、首元のチョーカーを指さした。

「これは加護のチョーカーよ。これを着けてる限り、私は物理的な攻撃を一切受け付けない」

「そんなー……」

「……反則」

 つまるところ、この2人では彼女にダメージを与えられないということだった。押さえ込もうにも魔術で邪魔される。

 やれることは、ひたすら足止め。はっきり言って情けないにもほどがあった。しかも、少女の方もこちらの攻撃を見切り始めている。

 そうしてのらりくらりを繰り返す間に、校門が迫ってきた。あそこを抜けられたら、本条の結界で押さえ込んでいる転移魔法が使用可能になり、逃げられてしまう。

「どーしよー……」

「まずい……」

 まさに打つ手なし。少女が勝ち誇った顔で校門を抜けようとした……その時。

 

「2人ともありがとう。もう大丈夫ですよ」

 

 澄んだ声が辺りに響き渡った。校門の前に、1人の少女が立っている。金の線条細工(フィリグリー)の装飾を多分にあしらった分厚く長い黒コートを肩から羽織り、腕まくりした学園指定のワイシャツの胸元には、白の世界出身であることを示す黄色いリボン。やや青みがかった銀髪は結われることなく優雅に宙を泳ぎ、その瞳は深い海のような(あお)

 その少女は胸の前で両手の指を組み合わせると、左右に引き離した。その間には、白く煌く魔力の糸が束ねられている。コートの線条細工も白く輝いた。

 少女は右手を後ろへ引き、左手から糸束を巻き取るようにぐるぐると腕を回すと、左手から糸を切り離し、右手を向かってくる少女へ思い切り振り下ろした。

 右手に巻かれた魔力の糸束は、まるで鞭の如く少女を襲う。

 

「うがあぁぁぁぁっ!?」

 

 効果はてきめんだった。度重なる絵麻とステラの攻撃にも一切動じなかった少女は、地面に倒れ、苦痛にのたうち回っていた。

「インカムから聞こえましたよ。『物理的な攻撃は一切受け付けない』と。どうですか、魔力の鞭で霊体を打たれた感触は」

 コートの少女は呟く最中も手を休めず、その手から生み出される白い光の糸を幾筋も放ち、たちまち少女を拘束した。線条細工のような白い光に縛られた少女は、その意識さえも束縛され、気を失う。

 そこに、絵麻とステラが駆け寄ってきた。

「助かりました、かいちょお~」

「不甲斐ない……」

 泣きつく絵麻と、俯くステラの頭を同時に撫でながら、

「大丈夫ですよ。会長に任せちゃいなさい」

 当代の生徒会長――バイタルコードΩ11、プロダクトコードMAP‐003、個体名称エミル=アンナは、まるで2人の姉のような笑みを浮かべた。

 

…………

 

『無事に確保しました。このまま教務課と魔捜課に身柄を引き渡します』

「ありがとうございました、エミル会長」

『危ないところでした。先生の結界から抜けられていたら……』

「その時は、霊脈を捻じ曲げて私のところに転移させましたよ」

『なるほど、流石は本条先生です。歴代生徒会長の中でも最強と言われるわけです』

「最強は初代ですよ。……まあ、結界に関してだけなら、初代にも負けるつもりはありませんが」

 

…………

 

 完全に頭を抱えて縮こまる琉花を前に、春樹は声を掛ける。

「琉花……?」

 彼女は一瞬春樹の方を見たが、

「来ないで! 私を虐めないで! お願いだから……やめて……」

 彼を、はっきりと拒絶した。

 どうしたらいいのか、分からなかった。隣で立ち尽くすカレンにも、名案は浮かんでいないようだった。

 

「許して……ゆるしてよ……私じゃないの……違う、違うの……」

 

 戸惑いに足元がぐらつき、迷いから視界が歪む。そんな中で、完全に錯乱してしまった琉花が、見えない何かに許しを乞い願う声だけが、ずっと彼の耳元で反響していた。

 


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