アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第4話「私じゃない」

 

 元生徒会長の紗夜と、その補佐であった副会長の朝子。その実力はまさしく本物であった。美海たちは、今の自分たちが決して超えることのできない実力の差を思い知らされた。

 しかし、紗夜と朝子は、ただ美海たちを叩きのめして帰るというわけではなく、戦闘に関する様々なテクニックやコツなどを教えた。

 美海らは様々な知識を得たが、寧ろそうする事によって、自分たちが如何に無知であったかを痛感することになる。

 

…………

 

「では、ここを誰かに答えてもらおうかの……よし、日向!」

「はい! わかりません!」

 1年生の教室内に美海の元気な声が響き渡った。と同時に、笑いが広がる。

 が、指名した教師――正確に言えば、教壇に置いた椅子の上に乗っている――の方はがっくりと肩を落とした。

「むう……どうやら基礎がごっそり抜け落ちているようじゃな……日向と、その他数名」

 教壇に立つ教師は、恐らくこのクラスにいる全員が――少なくとも青の世界出身の生徒は――、今まで見た教員の中で最もヘンテコな教師だと思っているであろう人物だった。

 何しろ、身長が小学生、それも下手をすると低学年レベルなのだ。身長145センチ程しかない樹理よりもさらに20センチほど小さい。そんな(なり)のくせに、口調は大昔の人間を思わせるような喋り方。非常に謎の多い存在だ。

 アルスメル、という名前の、化学の教師だ。黒の世界出身である。そこもミスマッチ感が物凄い。何しろ黒の世界は魔術が発達しており、化学という学問がそもそも存在しない。なのに彼女は化学の教師をやっているのだ。

 話によると、どうやら本職は錬金術師のようで、元から化学という考え方こそ無けれど、それなりに近しいことは昔からやっていたようである。現に、彼女はちゃんとした授業をやっている。変なことといえば、ちょくちょく錬金術や魔術の話を挟むことや、1発目の授業でいきなりとんでもなく難しいテストを課したことくらいだろうか。(ちなみに、魔法薬の専科の授業は彼女とアルマが受け持っていて、琉花と忍はそこでも彼女から指導を受けている。)

 青蘭学園は、4つの世界から生徒が集まるため、知識レベルの統一が全くと言っていいほどなされていない。化学はその最たる例なのだが、黒の世界や赤の世界のように、そもそも化学という学問が無い世界から来た者もいれば、普通に優秀な青の世界の者、または科学技術が非常に発達した白の世界から来た者もいる。

 なので、とりあえず分からない方へ合わせる、ということで、授業のレベルは必然的に低くなってしまうのだが……美海は青の世界出身で、中学生の頃も理科という形で基礎的な化学を学んでいたにも関わらず、そのレベルでもギリギリであった。

「むー。特にレベルが高い話をしているわけではないのじゃがのぅ……。」

「す、すみません……」

「まあ、よい。では、分かりやすいように説明をしようかの」

 アルスメルは特に気にした様子もなく、指示棒で黒板の図――魔術によってチョークが勝手に描いた図だ――を指し示した。

 無論、堂々と「分かりません!」ということが恥ずかしくないわけがない。実を言うと、結構恥ずかしい。

 だが「聞くは(いっ)(とき)の恥、聞かぬは一生の恥」とも言うだろう。あとで恥をかくよりも、今恥ずかしい思いをしておいたほうがいいのが正しいのだ。それに、どっちにしろ誤魔化しが効くような場面でもない。知らないことは知らないのだ。

 しかし、それはそれとして……最近美海は、静かになると悩み事を始めてしまうようになっていた。理由はもちろん、紗夜と朝子との練習の結果である。

 地面に激突したときの痛みは、保健室にいた養護教諭の志賀のエクシードであっという間に取り除いてもらえたが、美海がエクシードの制御に失敗したという事実は変わっていない。なんというべきか、エクシード制御用の刺突剣(レイピア)『ミストラル』を受け取る前と後では、確かにエクシードの制御の難しさが変わっていた。というより、『ミストラル』は美海のエクシードを()()()()()()()みたいで、だからこそ(ぎょ)しやすい。

 しかし、最後の局面で美海がエクシードを無理矢理暴れさせた――そのせいで、押さえ込まれていた反動からか、エクシードが制御を離れ、美海の思っていた以上に暴れてしまった、ということだったようだ。少なくとも、その場にいた紗夜はそう言っていた。

 だが、「『ミストラル』を使わなければ、操りにくいものの大暴走はしないから、じゃあ使わない」のが正しいかといえば、それには待ったを掛けられた。どうやら、美海のエクシードは『ミストラル』である程度抑えなければブルーミングバトルのαフィールドに大きな負荷をかけてしまうようで、それだけは勘弁してくれ、と雄馬に言われた。

 つまり美海のやるべきことは、あの時感じた「もっと速ければ」を()()()、別の方法を探すことだった。

 美海の主な戦術は、あの時に使用した「フィールドから吹き飛ばす戦法」「ヒットアンドアウェイ戦法」、前回のブルーミングバトルで使用した「巻き上げてから地面に叩きつける戦法」程度しかない。もっとも、これでゴリ押しできてしまうのが美海のエクシードの恐ろしいところだが、攻撃のバリエーションは多いに越したことはない。紗夜が琉花に対して言っていたが、「揺らぎ」は大事なのだ。そして、その「揺らぎ」を如何に大きくできるかは、自分の手札の枚数次第だ。

 というわけで、美海が現在悩んでいるのは、自分のエクシードの有効活用法だ。バトルでどう使えば、上手く働くのか。どう活かせば、より大きな「揺らぎ」を作れるのか。どう――

「日向! これで分かったかの?」

「え、分かりません!」

 「分かったか」と聞かれたので、条件反射で「分かってない」と言う。

 アルスメルの解説が終わっていた。

「汝、分からないのではなくて聞いていないだけであろう!?」

「え、えーと……」

 美海は、素直に謝った。

 彼女が勉強できない理由のひとつは、あまり人の話を注意深く聞いていないからなのかも知れない、とアルスメルは思った。

 

…………

 

「はい、そこでターン!」

「え、た、ターン! っととと!」

 美海は体勢を崩して尻餅をついてしまった。

「大丈夫、美海?」

「だ、大丈夫だよー……」

 心配する希美の声に、強がってみるものの、その語気はどこか弱めだ。

 場所は、青蘭大学の中にある小ホール。普段は会議などに使われているそこは、現在、美海と沙織がダンスと歌を練習する場所になっていた。

 希美の要求である、アイドルの練習である。

 隣でこちらは綺麗にくるりと回った沙織が、慌てて駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫!?」

 美海はお尻をさすりながら、弱々しく「大丈夫」と返した。

 上手くいかない。

 バトルもダンスも。それに、歌の練習もしているが……それもあまり上手くできていない。

 

 心中にあったのは「もどかしさ」。一歩届かない、それがもどかしい。

 

 こんなに「もどかしい」のは、生まれて初めてだった。

 今までの美海は、正直言って「どうにかなるさ」と思ってやってみたらできた……悪い言い方をすると、行き当たりばったりな生き方をしていた。もっとも、それでそれなりに上手く出来ていた――出来てしまっていた。

 何かと言うと、「こうしなきゃ」と思ってこなかったのである。それは単純に彼女の頭が少し良くないからでもあり、また楽観的な性格のせいでもあった。

 しかし、今はその「こうしなきゃ」がはっきりと見えている。見えていて、手が届かない。あと少しなのに、手は確実に伸びているのに、届いていない。

 もどかしい。

 それがほとんど初めての経験であるから、美海は酷く慌てていた。どうになっていたことが突然上手くいかなくなるという事態に、心を乱していた。

「美海、なんか調子変じゃない?」

「そ、そうかな?」

「うん。最近、たまにぼーっとしてるよね。そういえば、授業中にも……」

「あー……そういえば、そうだったね……」

 希美と沙織にも、詳しいことは分からないとはいえ、悩んでいることはバレているあたり、やっぱり美海は隠し事をするのが下手くそなのかもしれない。よく表情に出る性格がダメなのだろうか。

 練習時間は今日だけでそろそろ2時間になる。もちろんダンスの練習だけではなく歌の練習もあるし、そもそもそのダンスにしても、希美が気を遣ってくれたのか、とんでもなく動きの多いものというわけでもない。そして体力の多い美海と言えど……流石に疲れてきた。それは沙織も同じのようだった。慣れないことを一気にやろうとすると、体力が、というより、「気」疲れしてしまう。

 その疲れを、希美が見抜いたのか、

「まあ、毎日頑張ってるしね。今日はこの辺にしておこっか。じゃあ、ストレッチするよ」

 今日の練習は終わりを迎えた。

 あともう少し……その「もう少し」が、やっぱり遠く感じる。

 

 ――こんな時は、春樹くんに相談するのがいいのかな。

 

 気付かない内に美海は、何故か弱気になっていた。

 

 授業の時は、堂々と「分かりません」と言えるのに、春樹に相談することをどこか恐れている自分がいた。

 

…………

 

 青蘭学園の体育館に、ボールを弾ませる音が響いている。

 弾んでいるのは、重く、力強い音を上げる、バスケットボール。

 体育館の中には、たった2人の少女しかいない。その2人が、バスケットボールをドリブルする片方、腰を落としてそれを待ち構えるもう片方に分かれている。

 『1on1』である。バスケットボールは基本的に5人ずつのチーム同士が争うものだが、極端な話、この1on1が集まって出来ているとも言えるスポーツだ。そういう意味で、例え人数が足りなかったとしても、この1on1を鍛えておくと、いざチームプレーを行うとき、意外なほど活躍できる(もちろん、チームプレーには慣れておくに越したことはないが)。

 ボールをドリブルしている方は、小さい。身長が150センチも無いように見え、とてもではないがバスケットボールに向いているとは言い難い。スタイルも身長相応の子供らしい薄さで、薄い色の髪をツインテールに結った、可愛らしい顔立ちの少女だ。

 対して、それを阻もうとしている方は、短めの金髪の少女。表情は真剣そのもので、相手の動き出しの兆候すら見逃さない、鷹のような眼光だ。特徴的なのは、頭部に装着された、猫の耳のような形のヘッドアーマーと、左右で異なる色の瞳。

 両者は見つめ合い、互いが隙を見せるのを待っている。張り詰めた緊張の糸が緩む、その一瞬を。

 金髪の少女が、(まばた)きした。

 その瞬間、ツインテールの少女は爆発的な速度でドライブをかけた。右に、つまり相手にとって左側。利き腕でなければ、守備は難しい。

 しかし、金髪の少女の動き出しもまた早かった。彼女もまた素晴らしい速度で、相手の行く手を阻む。身長で劣るツインテールの少女がこれを無理やり抜くのは得策ではない。

「――チッ!」

 なので、進んでいた方向とは逆、左側に切り返すフェイク。これに釣られて体勢を崩せば、右側からドリブルでレイアップが決められる。

 ダン、と体育館に響き渡る、その小さな体躯からは想像できないほど強い足踏み。しかし、金髪の少女は怯まない。まるでフェイクを出す、と予め見抜いているかのように、姿勢を傾けるものの体幹は全く揺るがせない。

 ツインテールの少女が、不意にボールをホールドした。まだゴールまでは距離がある。身長差からして、ジャンプシュートは確実に止められる。

 だから、少女が繰り出したのは、後方に跳びながらシュートを放つ、フェイダウェイシュート。身長の低い選手がブロックを超すために放つシュートである。また、こちらへ向かってくるはずの敵が、こちらから離れながらシュートを打つため、対処がしにくい。

 通常ならそれだけなのだが、少女の場合、そのジャンプ力が尋常ではない。自分の身長の()()近くもの高さまで跳び上がりながらのフェイダウェイである。相対している相手からすれば、敵が突然消えてしまったかのように見えるだろう。

「――ッ」

 だが、金髪の少女は既に動いていた。ツインテールの少女が後方へ跳び上がる……その予備動作の段階で直後の行動を見切ったのか、シュートに合わせて大きくジャンプし、シュートラインを潰す位置に手を伸ばしていた。

 指先がボールを掠める。だが、それだけでシュートコースは僅かにずれ、ゴールリングに当たって弾んだ後、床に落ちた。

 一瞬の沈黙。そして、

「うわぁぁ、また防がれたー! ステラはブロック上手すぎー!」

 ツインテールの少女が、気が抜けたような声と共に床にへたり込んだ。

()()のフェイクが下手なだけ。自分は特筆すべき速さじゃない」

 ステラ、と呼ばれた金髪の少女は、無表情でボールを拾いに行った。

「もう0.2秒遅れてたら、防げなかった」

「でも、止めたじゃーん」

 絵麻と呼ばれたツインテールの少女が、床にばったりと大の字に寝転がった。ステラは、コートの外に置いてあったタオルとペットボトルを持ってきた。

「はい、水」

「あ、ありがとー」

 絵麻は、よいしょと起き上がると、ペットボトルからくぴくぴと水を飲み始めた。その様子を眺めながら、ステラも床に座る。

「ステラはすごいよねー。私、結構フェイダウェイには自身あるんだけどなー。身長低いし、こうするしかないっていうか」

「絵麻はドライブも速い。それに、仮に逆の状況だったら、絵麻ならバックジャンプを見てから対応できるはず。自分は予測しないと無理だから、絵麻がフェイダウェイのフェイクが上手くなればいい」

「って言ってもさー、思いっきり何かをするフリするのって難しいよ? ステラは逆だからそう言えるのかもしれないけど」

「逆?」

「なんにもするつもりがないフリするってコト」

「ああ、そういうこと。なら問題ない。自分はそういうプレイスタイルを突き詰めている」

「ちぇー、やりにくいなー」

 絵麻は再びばたーんと大の字になった。ステラは無表情に僅かな呆れを滲ませながらも、同じように寝転がった。

 2人が自主練を始めてから、既に数時間が経過している。

「流石に、疲れた。絵麻は?」

「クタクタだー」

「そう」

 ステラはほんの少しだけ微笑む。それを見ていた絵麻は、ニコニコと笑った。

「ステラ、笑うの上手くなったよねー」

「そうでもない。マスターには、まだ硬いと言われる」

「アルマ先生ひどーい。こんなに可愛いのにねー」

 そう言うと、絵麻は横を向いてステラの口の端に手を伸ばし、むに~っと口角を持ち上げた。

「絵麻、やめて……」

「でもほらー、可愛いよ!」

 2人がじゃれあっていると、そこに1人の男がやって来た。

「こら。お前たち、いつまで残ってる」

 言葉では注意しつつも、その口調はどこか優しげである。数学講師の(きづき)海斗だ。

「あっ。城先生! その、ちょっと燃えちゃってですねー」

「自分も、同じ」

 慌てて起き上がる絵麻とステラ。海斗は少しため息混じりに、

「もう7時だぞ。閉門するから、さっさと片付けて帰りなさい」

「りょ、了解しましたー!」

 絵麻が驚異的な速度でバスケットボールを片付け、倉庫の鍵を閉めて海斗に渡すと、ぺこりと一礼。

「さようならー!」

「さようなら」

「はいさようなら。気をつけて帰りなさい」

『はーい!』

 2人が荷物を引っつかんで体育館から出て行くと、そこには海斗1人が取り残された。彼は絵麻から受け取った倉庫の鍵をくるくると回しながら出口へ向かい、電気を消した。

「まあ、生徒会の2人だし、問題ないか」

 バタン、という大きな音とともに鉄の扉が閉まった。

 

 青蘭学園で事件が起こる、前日の夜である。

 

 

…………

 

「おっはよー、春樹くーん」

「おはよう、絵麻」

 朝、春樹が教室に入ると、1人の少女が声を掛けてきた。薄い色の髪をツインテールに結った、小さいが元気そうな少女。名前は蒼月(そうげつ)絵麻といい、元生徒会長である蒼月紗夜(さや)の妹だ。

 ――前から思ってたけど、若干、美海に似たタイプかもしれない。髪型も似てるし。

「どした、なんかいつも以上に元気なような」

「春樹くん、お姉ちゃんとバトルしたんだってー?」

「ん? ああ……いや、バトルっつーか、特訓つけてもらったんだけど」

 やたらにキラキラした絵麻の目をあまり直視出来ずに春樹が答えた。このあと何が来るのか、大体予想できるからだ。

 思ったとおり絵麻は、

「お姉ちゃん、強かったでしょー!」

「あー、うん。強かったな」

 姉自慢。絵麻は、自覚があるのかないのかは知らないが、結構重度なシスコンである。姉である紗夜の話をし始めると、本当に止まらないのだ。

 春樹は知っているが、紗夜の方もかなりのシスコン。彼女がまだ青蘭学園にいた頃は、当時中学生だった絵麻がバスケットボールで活躍した、とかなんとかで、何度も自慢話を聞かされた記憶がある。

 蒼月姉妹は、似た者同士の姉妹なのだ。

 案の定絵麻は、そこから紗夜の話をし始めた。これが初回ならば、へー、ふーん、すごーい、となるのだろうが、生憎、至極最近のことを除けば何度も聞いた話だ。それも、1年生の頃から。遮っても良いのだが、そうすると、まるでこの世が終わったかのような顔になるため、断りづらい。そこもなんとなく紗夜に似ている。

 さてどうしたものか……と絵麻の話を聞き流し、適当に相槌を打ちながら困っていると、そこにもう1人の少女が現れた。

「絵麻。しつこい」

「ぐえっ、ステラ?」

 絵麻の耳を引っ張りながら抑揚のない声でそう言うのは、バイタルコードΩ77のステラというアンドロイド。大雑把に短く切った金髪に猫の耳のような形のヘッドアーマー、そして左右で色の違う瞳が特徴的な少女だ。

 絵麻とステラは共にバスケットボール部、そして生徒会に所属している。生徒会での役職は、絵麻が副会長、ステラが書記だ。特に絵麻は、紗夜と同じく生徒会長になるために頑張っている。

「絵麻、その話は今年度に入ってからもう10回もしている。全員飽きている。強いて言うなら去年はもっとしている」

「うー、お姉ちゃん、凄いのにー」

「紗夜さんの凄さは、全員知っている」

「でも、なんてゆーか、定期的に誰かに話さないと、お姉ちゃんの凄さを忘れちゃうかもじゃーん」

「忘れたら絵麻に聞けばいい。絵麻から話す必要はない」

「うわーん、ひどい。ひどいよねー、アウロラー?」

「え? え、えーと……そうね~」

 近くにいたため突然会話を振られたアウロラも、口調はいつもどおり優しいのだが、少し顔が引きつっている。女神か天使の如き慈愛の持ち主も、絵麻のしつこさだけには少々辟易していたらしい。

 ちょっと話が逸れたところに、これはチャンス、と更に方向を変えるために、

「しかし、絵麻。お前毎日そんなん背負ってて、重くないの?」

「ん? えー、これ? 最初は重かったけど、慣れちったー」

 通常、女子高生が背負うものといえば、学生鞄だとか部活のバッグだとか、スポーツ系の部活ならラケット類だとか、音楽系の部活なら楽器とか……そんなものだろう。

 しかし、絵麻はそれらとは遠くかけ離れたものを背負っているのだ。

 絵麻は背中の()()を無造作に手に取ると、バスケットボールでやるように指先でくるくると回し始めた。

「やっぱ普段から背負って、時々使わないと鈍るかなーと思ってさー。壁当てとかしてるわけよー」

 それは――金属製の、かなり大きな()()である。シルバーとブラックでシンプルに彩られた中央は青で、蘭の花を象った紋章が染め抜かれている。

 生徒会役員は往々にして、校内で起きた事件――エクシードの暴走などもある――を止めなくてはならないため、選抜基準の1つに戦闘力が入っており、絵麻はこの盾を()()()戦うのだ。その戦闘力は、小さな体躯からは想像もできないほど高い。

「生徒会も大変だな」

「んー、そうでもないよ。会長は強いし優しいし、他の先輩達も親切だしねー。それに、大きな事件はあんまり起こってないし」

「そういうもんなのかな」

「そういうもんよー」

 ニコニコと笑いながら答える絵麻。間延びした喋り方を聞いていると、不思議と落ち着く。

(しかし、大きな事件、か……)

 直近で、学園内での「大きな事件」なら、心当たりがある。春樹も当事者だ。

 春樹のプログレス達が爆弾で攻撃された、あの事件。あれは、実は青蘭学園の生徒が起こした事件なのだ。

 もっと言えば、事件を起こした生徒はプログレスではなくα()()()()()()だった。

(もう、そんなの起こらなければいいけどな)

 痛みを知った春樹は、そう切実に思う。

 

…………

 

 1年生の昼休みの教室は、いくつかのグループに分かれて食事をとっている姿が見られる。大体は寮ごとに分かれているが、完全にそれだけというわけではなく、食事が終われば美海や琉花あたりが騒ぎだすのが日常的だ。

 今日はなぜか知らないが、担任の本条文香が教室にやってきていた。

「誰かー、先生にパンを恵んでくださーい」

 無表情でこの台詞を言うため、初見だと結構戸惑うが、慣れてしまうとある意味可愛らしくもあった。

 美海が、

「文先生、今月苦しいんですか?」

 と聞くと、本条は、

「今月というか、毎月ですけど。趣味でお金が吹き飛ぶ上、薄給でこき使われてるんです。しくしく」

「あー、先生、補講とかしてくれるから……」

「いえ、それは完全に皆さんのために自主的にやってることですのでお構いなく」

 もう既に本条の補講の世話になっている美海としては、ただただ頭が下がる思いだったので、買ってきた惣菜パンを1個あげると、本条は「あっりがとうございまーす」と言いながら別のグループの方へ行ってしまった。

 パンが1個少なくなってしまったので、帰りにスーパーマーケットでお菓子でも買おうかな、と思っていると、

「優しいね、美海ちゃん。はい、半分あげる」

「え、いいの?」

 沙織が、自分のパンの半分を美海に差し出していた。断ってもお腹は膨れないし、沙織は断ると悲しむ性格なので、ありがたく頂戴しておいた。

「ありがとう! あむ。うーん、沙織ちゃんの愛情の味がするよー」

「も、もう、美海ちゃんったら。買ってきたパンなんだから、愛情なんて」

 照れて、美海の肩をパシパシと叩く沙織。まるでカップルだ。

「……あんたら、ホント仲良いわよね。ねえ希美、ダンスの練習とかしてる時もこうなの?」

「うーん、流石に練習してる時は真剣だけど、なんだかんだ言ってお互い大好きだから、終わったらイチャついてるわ」

 目の前に座っている葵と希美が、呆れたように声を交わしている。その横で、

「樹理ちゃんは、動物は好きじゃないの?」

「そういうわけじゃないけど、植物の方が好き。エクシードがそっち向きだし」

「じゃあ、好きな動物っている?」

「うーん。ウサギ、とか……逆に兎莉子は、好きな花とかあるの?」

「お花かぁ。そう……菜の花、とかかな。動物に食べさせてあげられるから……」

 兎莉子と樹理が、動物と植物の談義をしている。2人はそれぞれ「動物と意思疎通ができる」「植物成長を早める」という正反対のエクシードを持っているが、「生命に作用する」という点では似ているとも言える。そのため、なのかは定かではないが、何かと気が合う2人だった。

「そんでさー、そこで私、地面から生えてきた木に捕まっちゃってさー」

「え、木に捕まるの!? ヤバくない!?」

「そうなんだよ翔子! こう、にょきにょきっとさ……」

「Oh! それはExcitingねー!」

「エキサイティングではないでゴザルよエミリー殿。琉花殿は目先の事態に囚われないよう、しっかりしていただくでゴザル」

「それより、あたしと似たようなエクシード持ってたその先輩の話が聞きたいなー」

「ん? ああ、確かに朝子先輩のエクシードははねるのと似てるよなー」

 少し離れたところでは、琉花と忍、それから別の寮で生活している青の世界出身の数人と談笑している。

 和やかな食事風景。もう少しで授業だ。

 それは、本条が「じゃあそろそろ、次の授業の準備があるので。皆さん、午後も頑張ってくださいねー」と教室を出ようとした時に起こった。

 

 最初は、誰も「事件」が起こったとは気付かなかった。

 

「え……?」

 美海の目の前で、兎莉子が左胸――心臓の真上――を抑えた。表情が、苦痛に歪んでいく。

「ぅ、ぁ」

 声にならない苦悶。息が荒くなり、身をかがめた。

「どうしたの、兎莉子。どこか痛いの?」

 突然の反応に驚いた樹理が、兎莉子の背中をさすりながら尋ねても、

「ぁ、ぁ――」

 開いた口からは、声が出ない。喉の奥から絞り出されるのは、まるで、息が詰まったような――

「大丈夫ですか、生嶋さん?」

 兎莉子の異常を見て戻ってきた本条が、彼女の肩に手を触れた――瞬間、

「これは……いけない」

 本条の表情が変わった。素早く兎莉子を床に座らせ、そのまま仰向けに寝かせる。

 兎莉子の表情は苦悶に満ちていた。荒い息を吐く口は半開きのままで、その端から唾液が流れている。目は開ききり、しかし瞳はどこも見てはいない。眼球がぐるぐると回っている。手は固く胸を抑え、足は少しでも痛みを外に逃がそうとしているかのように何度も床を蹴っている。

「全員、慌てないで! その場から動かないで!」

 本条は教室内にいた全員に向かって叫ぶと、兎莉子の耳元で「大丈夫です。今、楽になりますからね」と囁いた。兎莉子の左胸から彼女自身の手をどかし、代わりに自分の左手を当て、右手は刀印を結び、その先端を自分の喉に当てた。

「『మీరు వెల్లడి ట్రూత్స్వ రూపం』」

 彼女の口から、人間が発せるとは到底思えないような声が紡がれた。同時に、兎莉子の胸に当てた左手が輝き、手を当てたそこに光のリングが現れた。本条がゆっくりと手を持ち上げると、嫌な水音を立てて、濃い紫色のドロドロした塊のようなものが、リングを通って出てきた。

 本条は、取り出した奇妙な塊の表面を撫でるように手を動かすと、光の膜が塊を包み込んだ。

 兎莉子の表情は依然として険しいが、口と目を閉じられるようになり、幾分か楽になったようだ。

「……これは、呪いです。()の、呪い」

 本条がボソッとそう呟いた。瞬間、ガタッと音がする。皆がその方を向くと、そこには――

 

「違う! 私じゃない!」

 

 椅子から滑り落ちた、()()。いつも元気でお調子者なはずの彼女は、苦しむ兎莉子を見ながら、その顔に恐怖を浮かべていた。はっきりと何かに怯えるような、そんな表情――

 

「私じゃない! 私じゃない! 信じて! 私じゃないの!」

 

 そばにいた忍の足にしがみつき、それでも双眸は兎莉子を捉え続けたまま、必死に弁解する。周りにいた全員は、わけが分からない。

「る、琉花殿? 大丈夫でゴザルか?」

 忍がしゃがみこんで、琉花を抱きしめた。背中をさすってやるが、琉花は恐怖に震えたままだ。ぼろぼろと涙を流しながら、

 

 

「違う! 私じゃない! 私はやってない! みんなが悪いの! みんなが私をいじめたのがいけないんだ! だから私は悪くない! 私じゃないの! 信じてよ…………!」

 

 

 支離滅裂な言葉を何かに向かってひたすら叫び続ける琉花。忍が必死に宥めたおかげで、徐々に勢いを失ったものの、そのまま静かに泣き始めてしまった。

 

「私じゃない……私じゃない……!」

 

 美海だけではない。その場にいた誰もが、状況を正確に把握できていなかった。

「……ステラさん? 今すぐ高等部1年生の教室まで来てください。生徒会顧問の権限において、一時的に兵装とエクシードの使用を許可します」

 本条が何かを呟くと、そのすぐ数秒後に教室のドアが開いた。入ってきたのは、短い金髪の少女――ステラだ。

「本条先生、自分は何をすればいい」

「これと、この子を、保健室に。彼女は安静にさせて、魔捜課の人たちが来るまで、付き添っているように。こちらの塊は、志賀先生に渡してください」

「了解」

 ステラは了解すると、腕1本で兎莉子を抱き上げ、もう片方の手で光の膜に包まれた塊――呪いの元凶――を持つと、目にも止まらぬ速さで教室を飛び出した。続けて本条は、耳元に手を当てて、

「先生方、生徒会役員、並びに風紀委員に通達。高等部1年の生徒が何らかの毒物を投与され、呪いを受けた模様です。安全確保の為、午後の授業を中断し、生徒を安全に帰宅させるように誘導をお願いします。また、カミュオン先生及びアルスメル先生は、保健室に急行し、術式の調査をしてください。職員室に残っている先生方は、執行部魔術犯罪捜査課に事件発生の報告をし、青蘭大学病院に急病人の存在の通知と救急車の要請を行い、最後に各寮監に連絡し生徒が緊急に帰宅することを伝えてください」

 そう呟いた。

 それは、誰が聞いても理解できる、非常事態宣言。

 

 誰も自分の席に付いていない教室内に、午後の授業の開始を告げるチャイムが響き渡る。その中で琉花は静かに涙を流し続けていた。

 

 

「違うの……お願い……許して…………」

 


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