アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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【幕間1】
《青は藍より出でて藍より青し》


 遥か昔、その島は「鬼ヶ島」と呼ばれていた。文字通り鬼が棲んでいたと()われた島であり、ここから海を渡って日本列島に上陸した鬼達は、そこで邪智暴虐の限りを尽くしたという。その末に、逆境の中で立ち上がった小さな英雄とその家来によって鬼は滅ぼされ、この鬼ヶ島も今や誰も棲まない無人島となったという。その際、この島は切り捨てられた鬼の血で真っ青に染め上げられた。

 そんな血生臭い伝説を持つ割に、この島は、青い海に囲まれ豊かな緑に彩られた、自然溢れる美しい島だった。

「……特に変わってないな」

「ま、数十年じゃ変わらんだろう」

 上陸した2人の男は、辺りを見渡しながら言葉を交わした。道らしい道など無く、少し進めばもう森林に入る。

「じゃあ、登るぞ」

「それが仕事だもんな」

 片方がしっかりとした口調で言うと、もう片方はうんざりした口調で返した。

 何の感慨も見せずに森林に足を踏み入れた2人は、しばらくは平坦な(それでも鬱蒼たる森林なので、決してただ平らな地面ではなかったが)地面を歩き、もうしばらく歩くと今度は地面が傾いてきた。山地に入ったのだ。彼らは木々が密接に絡み合い、ろくな足場などほとんど存在しないような山を登り続けた。驚くべきは、2人とも全く息が上がる気配がないところだ。足場の悪い道なき道を、軽々と踏み越えていく。

 歩き続けて数時間が経過した頃、ようやく少しの平坦な地面が現れた。山の斜面に掘られた、(ほこら)のような場所だ。

「結界は効いてるようだな」

「千年来だってのに大したものだ」

「実は、前に俺がかけ直したんだ。切れかかっていたもんだったから」

「なんだ。俺の感心を返せ」

 今登ってきた道を見返しながら軽口を叩き合う2人。祠の入口に座り込み、背負っていたリュックサックの中から取り出した水筒から水をあおっている。

「そろそろ……だと思うんだが」

「それ、本当に信用できるのか?」

「これが信用できなきゃ、何も信用できない」

 男の片方は、リュックサックの中からさらに取り出した本を読んでいた。(こす)れた(あと)だらけの古ぼけた表紙に、中の紙も黄ばんでいる、日記帳程度の大きさのみすぼらしい本だ。

「あえて聞いていなかったが……お前、後任は誰にするつもりだ?」

「当面の間は兄に、その後は弟に変わる予定だ」

「その予定こそ信用ならんと思うのは俺だけか?」

「何、俺らはそういう生き物だ。殺し合って、力を奪う。そうやって強くなっていく」

「その兄に、弟が敵うのか?」

「敵うさ。どっちも失敗作っぽかったが……どちらかといえば弟の方に分がありそうだからな。お前に頼みたいことは、必ず弟に勝たせろってことだ」

「……憐れだな」

「仕方ないさ。生まれつきは、変えられない」

 2人は座ったまま話しながら、何かを待っている。

 その5分後、ようやくその何かが現れた。2人の思っていたとおり、上からの来客だった。

 1対の純白の翼、その上下に青い光の翼を左右に2対ずつ。合計6つの翼を持つ者。頭上に煌くは黄金と(そう)(ぎょく)に彩られた(ハイロゥ)。即ち、天使だ。

「お待たせしました」

 透き通る声の持ち主は、触れれば切れるような美貌を持ちながらも、決して他者を威圧しない、不思議な雰囲気に包まれていた。その眼の瞳孔には、澄んだ青色の十字架が刻まれている。

 天使が地面に降り立つと、青い光の翼は宙に溶けるように消えた。白い翼は体に巻きつけるように畳み、パッと青い光が散ったかと思うと、次の瞬間には純白の法衣へ変化していた。今まで本に目を落としていた男が顔を上げ、満足げに笑う。

「こちらこそ、こんな山奥まで。ありがとう。青と青で、なんと縁起がいい。で、どちらだ?」

「《命導》にございます。我らが主、七女神よりの貢ぎ物は、こちらに」

 懐から何かを取り出そうとする天使を、男は手を挙げて制した。

「いや、後にしよう。()()()に行くのもだ。主の(もと)まで案内する。歩けるか?」

「はい」

 返事を聞いた男は立ち上がると、振り返って背後の祠に入っていった。続いてもう1人の男と、天使も入っていく。

 数メートルの深さしかない、小さな祠だった。奥には崩れ掛けの祭壇らしきものと、突き当たりの壁に描かれた妙な壁画しかない。その壁画にしてもボロボロになっていて、何が描いてあるのかはほとんど分からなかった。

 先に進んだ男は、祭壇を回り込んで壁画に手を当てた。すると、青い光が満ち溢れ、それが消えた時にはそこに壁画はなく、奥へと続く道が出来ていた。天使は少し驚いた表情をしたが、もう1人の男は大した感情を顔に浮かべていなかった。

「さあ、行こう」

 3人が道に入ると、背後でまた青い光が溢れ、再び壁画が現れた。

 そこから先は、極度に曲がりくねった道が続いた。下へ向かっているのか、急に傾いた道が多い。先頭の男の持つ懐中電灯以外は何の明かりもなかったが、3人とも疲れる様子を見せずに、大人1人がギリギリ通れる程度の幅しかない道を歩き続けた。

 数時間が過ぎる。まだ歩き続ける。そして、決して冗談でもなんでもなく、歩き続けて10時間が経過した頃、目の前の道から微かな青い光がちらつき始めた。

「あと少しだ」

 少し歩くと、今までただの岩だった壁が、徐々に青く輝く鉱石へと変わり始めた。さらに、道幅が広くなっていく。道もだんだんと平坦になっていき、あまり曲がりくねったりもしなくなっていった。

 そうして3人がたどり着いたのは、白い鋼でできた観音開きの扉だった。男は、壁画にしたのと同じように手を当てると、そこから青い紋章が広がっていくように浮かび上がり、扉が勝手に開き始めた。

「さて……主、ただいま戻りました」

 扉の奥の広い円形の空間は、青い光に満ち溢れていた。床も壁も、全て青い鉱石でできている。見上げるほどに高い天井も青。その部屋を形作る鉱石が成長しているのか、尖ったその先端がむき出しの部分が散見された。

 その中央に、再び円形の祭壇があった。祭壇に描かれた五芒星、その先端の1つに、青い宝玉が柄に嵌め込まれた剣が突き刺さっている。

「正常に稼働している……あらかじめ、ということか……まあ、理由は今後調べていくとしよう。さあ、貢ぎ物はそこに置いてくれ」

 祭壇に登り、剣を調べていた男は、円形の部屋の隅にある、中央のものよりもずっと小さな祭壇を指した。同じような祭壇が、円周上に正方形を描くようにもう3つある。

 天使が懐から取り出したのは、手の平に乗る程度の大きさの、血のように赤い鉱石だった。言われた通りに祭壇へそれを乗せると、青かった祭壇が瞬時に赤くなった。

「これで、良いのですか?」

「ああ。これで当面は問題ない。数十年もすれば、100倍にして返せる」

「ご協力、感謝致します」

 天使が深々と頭を下げた。それを見て頷く男。そして、もう1人の男は、中央の祭壇、五芒星の真ん中に、仰向けに寝転んでいた。

「早く済ませろ」

「そうだったな。(なが)い付き合いだった。ありがとう、(げん)()

「じゃあ、後のことは頼んだぞ」

「分かってる」

 男は調べていた剣を地面から引き抜くと、寝転んでいた男の胸に、それを突き立てた。天使が悲鳴を飲み込む。

 その顔は、苦痛に歪むことなどなかった。まるで、苦痛など感じていないようだ。男の体は青い光に包まれていき――それが消えた頃には、男の亡骸はどこにもなく、代わりに祭壇の五芒星が放つ青い光が強さを増した。

「……命が、中に?」

「こういう契約だった。命導の大天使に看取って貰えて、彼も幸せだったろう」

 感情を感じさせない声で呟いた男は、いつの間にか五芒星の中心に現れていた、3つの青い鉱石の欠片を手にとった。

「これが、我々のものだ」

「ありがとうございます。改めて、ご協力に深く感謝致します」

 差し出されたその一片を受け取った天使は、再び深く(こうべ)を垂れた。

どちらにも(・・・・・)言いたいことは山ほどあるが……まずは、使者など送ってこない残りの連中の元に行こう。時間がない」

 男は元々その剣が刺さっていた場所にそれを突き立てると、残った2つの鉱石をリュックサックに放り込んだ。代わりに古ぼけた本を取り出すと、ページをめくりながら祭壇に背を向ける。

 

 その表紙には、掠れた5つの星が描かれていた。

 

 

 右に黒、上に赤、左に白、下に小さな緑。

 

 

 

 そして、中央に大きな青。

 

 

 

「しかし、これは……()なのでは?」

「そんなことないさ。これは間違いなく彼女(・・)だよ」

「…………」

「そう(いぶか)しむ無かれ。この世界には、こういう言葉がある」

「?」

 

「《青は藍より出でて藍より青し》ってな」

 

 その謎のような言葉の意味を、天使は瞬時に理解できなかった。

 


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